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死辱の蟲  作者: 浦切三語
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第四話 正体

 住職は、その奇異な見た目からは想像できないぐらいの、物腰柔らかい丁寧さで、私を寺に案内してくださいました。


 あんな田舎町にありながら、虫願寺の様相は、七堂伽藍(しちどうがらん)とまではいきませんが、それでも、京都の由緒ある寺院にも負けないくらいにしっかりとした造りをしていましてね。


 山門を潜って、しめやかに佇む石塔を横目に砂利を踏みしめていると、静謐な森の大気と一体化し、長年の雨風に耐え忍んできたことを匂わせる、力強い漲りを纏った本堂の姿が、視界一杯に飛び込んできました。


 そこから左右に目を配ると、さながら結界でも張るかのようにして、ぐるりと枠を描くように、長い回廊が伸びておりました。


 私が、本来の仕事を思い出して、境内に点在しておりました、深淵極まる仏教世界を体現する数々の伽藍(がらん)を写真に収めている横で、住職は、その痩せた体のどこにそれだけの熱量があるのかと感心してしまうくらい、懇切丁寧に寺のあらましを話してくださいました。


 住職曰く、虫願寺の歴史はたいへんに古く、そもそもの始まりは鎌倉の時代にまで遡るそうです。


 江戸と明治の頃にそれぞれ一回ずつ、地震に遭って本堂は倒壊してしまったのだそうですが、その度に寄付を募って再建されてきたという、苦難の歴史を持つ建物なのだそうです。


 そういった、寺にまつわる大小さまざまな悲喜こもごもとした物語も、それはそれは大変に魅力的でしたが、『でんぐり様』なる言い伝えの謎について、早く教えてほしいと言ったところが、こちらの本音でございました。


 私のそんな思わせぶりな態度が、いつの間にか、カメラのシャッターを切る仕草の隙間に見え隠れしてしまっていたせいなのでしょうか。


 住職は不意に寺の説明を打ち切ると、見せたいものがあると言って、私を連れ立って歩き始めました。


 いったん山門を出まして、右の回廊に沿って、砂利と湿った土の境目を歩いていった時です。


 木立の隙間から、なだらかな山の斜面に対して直角に立つお堂の姿が、見えたのですよ。


 お堂は、いかにも古ぼけた外観をしておりましたが、それでもしっかりと管理されている証に、扉には、硬質そうな南京錠が何重もの鎖に巻かれてありました。


 まるで高床式の倉かと見まがうほどの大きさであったのですが、何気なくその周りを見ますとね、腰の高さほどもある石仏が五、六体ほど、暗鬱とした木々の中、ひっそりと留まっていたのですよ。


 はじめにその石仏を目にしたときは、ああ、お地蔵様かと、さして気にも留めなかったのですが、さて、そうだとするなら、なぜにこんな山の奥まった場所に、道行く童たちを見守る地蔵があるのだろうかと疑問に思い、近づいてよく観察してみましたら、これが、地蔵とは似ても似つかぬ代物であることが、はっきりといたしました。


 長い経年の末に、その石仏の輪郭はすでに元のかたちを失いつつありましたが、それでも、灰色の御尊顔が、慈悲深い、世間一般に知られる地蔵様のそれでないことは、すぐに分かりました。


 なぜなら、やはりこれも目がおかしかったのでございます。石仏の両眼は人間のそれと比べてもはるかに大きく、また愛着の類など抱かせないほどに冷たく無機質であるばかりか、さながら女の乳房のようにこんもりと盛り上がり、そこに細かい幾つもの切れ目が、縦にも横にもはしっておりました。


 鼻はなく、口のあるべき箇所に、螺旋の渦が描かれている様を見た時、私は、この石仏の正体を看過した気分でございました。


 巨大な複眼に、特徴的な口吻(こうふん)。ええ、あの石仏は、なぜかどういうことか、蜻蛉や蝶の顔を真正面から描いた、まごうことなき虫のそれであったのです。


 神聖であるはずの仏様に、たかだか虫の顔を彫るとは、実に罰当たりなことをするなとも感じたのですが、その『石虫仏』とも例えるべき、面妖な石像に視線を奪われていた時でした。


 お堂の鍵を開けた住職が、澄み切った山の大気を切り裂くように、はやくこちらへいらしなさい。貴方様の見たかったものが、もうすぐそこで待っておりますよ、と口にしたのです。


 住職に誘われるがまま、私は胸のざわめきを抑えつつ、ひたり、とお堂の中へ入りました。人の出入りがあまり無いのか、小さな針のような埃が辺りに舞って、実に鼻がむずがゆかったのですが、それを我慢して辺りを見回したとき、私は、心の底から絶句いたしました。 


 刑事さん、人間という生き物は、本当にびっくりした時、叫び声なんてのは出ないものなのですね。ましてや目にしたものが、歴史の影で緻密に絶え間なく受け継がれてきた、まじないや伝承の類であるとなると、パンドラの箱の中身を、こっそりと隙間から覗き見たかのような、背徳感にも近い感情を覚えるものなのですね。


 お堂の中に安置されておりましたのは、その、なんと例えましょうか。


 いえ、ああいったのは今まで目にしたことがなくて、どう表現して良いものか、適切な言葉がすぐには思い付かないのです。


 お堂の中では撮影も禁止されておりましたし、スケッチが出来るほど器用なものでもありませんから、ここから先は、つたない説明言葉で申し訳ございませんが、良く想像力を働かせてお聞きください。


 まずは、手の平からこぼれ落ちるくらいの大きさの、芋虫を脳裡に描いてみてください。色は何でも構いません。緑でも青でも構いませんから、とにかく、まずは芋虫を想像してみてください。


 私が目撃した、その芋虫めいた何かには、左右に三本ずつ、合計六本の手足が等間隔に生えていたのです。それは、長さ太さともに、生後間もない赤ん坊の手足の形に、そっくりでございました。


 次に頭の部分なのですが、これがまた珍妙なものでございまして。ほとんど真球に近い、まぁるい団子のような形をしておるのですよ。


 口に相当する箇所を見ますと、嘴のようなものが少し突き出ておりましてね。眼球を模した黒い小さな玉が、左右にぴょこんと飛び出ているのです。


 エッグスタンドに黒く染めたゆで卵を乗せて、それをミニチュアサイズにしたものを横に倒したような、そう、まさにそれとぴったりの、実に生物学的機能から逸脱した眼球構造をしておりました。


 見れば見るほど、手足も嘴も目玉も、残酷なほどに美しく、職人技を彷彿とさせる巧緻さが顕れていたのですが、特筆すべきは、今まで説明してきました一切の部位が、木製で造られていたということですよ。


 ですが不思議なことに、触った時の質感は、まごうことなき人間の肌のそれだったのです。


 別に前日に雨が降っていたわけでもないのに、それはやや湿り気を帯びていて、人差し指の先で軽く強めに胴体の辺りを押してみると、少しだけへこみ、しかし弾力があってすぐに元に戻る。しなやかな柔らかさがありました。


 あれが全て木製で造られているとは、今に至っても、とても信じられないのです。


 お堂の中には、その現実離れした芋虫めいた何かが、一体や二体だけでなく、数十体でもなく、実に数百もの数が、壁伝いに何段にも造られた、土色をした板の上に安置されておりました。


 良いですか? 何百体もの木製の芋虫が、壁伝いにぐるりと、まぁるい頭をこちらに向けて、睥睨(へいげい)しておるのですよ? 


 それだけも、実に圧巻極まる光景ではありませんか。


 しばらく離れたところから眺めていますと、私は、ある一つのことに気が付きました。


 その芋虫めいた何かは、おそらくは鉱物顔料と思われますが、全体に隈なく色が塗ってあったのでございます。


 それも凝ったことに、微妙な濃淡の加減を上手く使い分けるなどして、二体ずつのペアで、きちんと色が区別されていたのです。


 私が不思議に思って眺めていると、それまで静かに口を閉ざしていた、がちゃ目の住職が、『でんぐり様は、(つがい)で奉納されるしきたりなのですよ』と、呟くようにして言ったではありませんか。


 私の好奇心は、遂にあの時、成就されたのです。はるばる東京から六時間もの長きをかけて、ようやく目的の物と相対したのでございます。


 でんぐり様の正体とは、木製造りの、色とりどりの塗装がされた、どこか薄気味悪い芋虫めいた、木製の彫像であったのです。


 住職曰く、『でんぐり様』という呼び名以外にも、『てんぐり様』『おころび様』『ころび虫』など、無碍野町では様々な愛称と共に町民から親しまれてきたらしいのですが、七十年代の後半から高齢化と過疎が進み、町から人が消えていくにつれ、自然と歴史の陰に埋もれていったのだそうです。町の若い者でその存在を知る者は、限りなく少ないと言うではありませんか。


 ところで、刑事さんは、『ムサカリ』というのをご存じでしょうか……ああ、そうですか。ご存じありませんか。


 私も、今回の取材を通して知ったのですが、ムサカリとは、正式には『ムサカリ絵馬』と言うのだそうですが、東北地方のとある山村で、今もって伝承されている民族風習のことだそうです。


 住職の話では、でんぐり様のルーツは、そのムサカリにあるのだそうです。

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