第三話 虫願寺
気づけば、私はN県行の新幹線の切符を購入しておりました。
正直申し上げますと、最後の最後まで無碍野町へ戻るのをためらっておりました。
理由は二つございます。一つは、実家との関係が上手くいっていないからであります。
私の両親は、閉鎖的な地域に住む者に特有の、偏屈めいた堅物者でございましてね。
私が小説家になると決意して上京しようとした際にも、そんな博打めいた商売をするのはやめろと、狭い価値観で私の考えを圧し潰そうとしてきました。
その独善的な拘束が嫌で嫌で、私は逃げるようにして東京へ去ったのです。これは私の人生なんだ。息子の才能を信じようとしないあんたたちに、一体何の関係があるのだと捨て台詞を残して。
それ以来、一度として連絡を取り合ってきたことはありません。二十七歳になった今でもです。向こうが生きているのか、死んでいるのかすら判然とせず、年賀状でさえ出そうとはしませんでした。
血の繋がった親子であるにも関わらず、全くの不明瞭な関係性が続いていたのです。
そのような冷え切った仲を何年も続けてきたのに、いまさら素知らぬ面で実家の敷居を跨ぐのは、どうしても気が引けてしょうがなかったのです。
しかし、だったら家に帰らず、駅前のビジネスホテルに宿を取っていればいいだけの話でしょう。別に里帰りするのではなく、ただの取材なのですから。
ですが、そのような対策が打てるにも関わらず、私の足がなかなか無碍野町へ向かなかったのには、どちらかと言うと、二つ目の理由が大きく関わっているのでございますよ。
そうです。十年前に、無碍野町で発生した奇怪極まる事件……無碍野第一高校の、当時二年生だった女子高生の失踪事件でございます。
先ほども軽くお話しました通り、あの事件の被害者である女子高生は、私のクラスメイトでございました。
被害者の名前は三船千尋……ええ、今でもしっかりと思い出せますとも。
彼女の名前だけでなく、その人形めいた可愛らしい立ち姿から、小さなえくぼを生じさせる笑い顔から、竪琴の旋律を彷彿とさせる声色まで。
高校を卒業して九年が経った今になっても、瞼を閉じればいつだって、時間の流れから完全に切り離された『ちぃちゃん』の小ぢんまりとした姿を、色あせることなく、はっきりと脳裡に描けるのでございます。
それぐらい、私にとって、彼女は大事な友人だったのです。
それは、ある日何の前触れもなく起こりました。いつものように、ちぃちゃんと同じクラスで授業を受け、いつものように一緒に食堂でお昼ご飯を食べ、帰りのホームルームが終わった後、また明日と言って別れた翌日の、ええ、八月七日の朝の事ですよ。
ちぃちゃんが失踪したという知らせが、真剣味極まる担任の声に乗って、私の耳朶を痛烈なまでに突き刺してきましたのは。
……私は、小説を書く際、登場人物が、その生涯において大事な人を喪失し、それに苦しむ描写を描く際に、思い出したくもないのに、自然とあの日に覚えた心の痛みを吐き出してしまっているのです。
それぐらい、私の人生において、あの事件は忘れ得ぬことのできない、黒歴史とでも言うべき出来事でございました。
自分の体の一部がすっかり欠けてしまい、もう二度と、それが己の手元に帰ってくることはない。そう、無慈悲にも伝えられる痛みや、苦しみや、悲しみを味わったことが、刑事さん、貴方にはございますか?
ありませんか。そうですか。いや、お気になさらず。それで良いのです。それが一番良いのです。
胸の中心を大きく抉られるような哀しみは、誰だって味わいたくないに決まっております。
大事な人を意味不明な理由で喪うという前代未聞の経験は、こちらの意識の奥底に、烈しい困惑と衝撃を刻みつけてくるのです。
それは癒えぬことのない傷痕となって、いつまでも、いつまでも、じくじくと痛み続けるのです。治療の施しようのない病のようなものでございます。
私には予感がございました。きっと今、無碍野町に戻ってしまえば、この病が何かの拍子に悪化の一途を辿って、取り返しのつかない事態になるのではないかと。
そこまで予知めいた展開の先を読めていたのに、私は何時の間にか荷支度を整えて、無碍野町行きの新幹線に乗っていたのでございますよ。
我ながらほとほと呆れてしまいます。小説家としての業とも言うべき行き過ぎた好奇心の暴走としか言いようがありません。
『でんぐり様』にまつわる民間伝承に向けられる激しい興味が、ただ一時、ほんの数瞬、私の脳裡を支配してしまったのでしょうな。
とにもかくにも、私は新幹線と在来線に揺られて、片道六時間ほどかけて、無碍野町に戻ってまいりました。それが、一昨日の話でございます。
前述した理由から実家には帰らず、寂れた無人駅から少し離れた場所にある、格安のビジネスホテルに、まずは一泊することにいたしました。
ホテルにチェックインしたのが午後の四時頃でございまして、山々の向こうに燃えるような夕陽が落ちていく最中、暇を持て余した私は、まだ両親との関係が上手く行っていた子供時代をぼんやりと思い出しながら、駅前の大通りを散策いたしました。
しかしまぁ、大通りとは名ばかりのものでございます。休日の土曜日であるというのに、車はおろか道を行き交う人の姿もまばらで、私が子供時代を過ごしていた頃と比べると、駅前の小さな商店街が廃れに廃れ切っているのは目に見えておりました。
家族で贔屓にしていた老舗の蕎麦屋は、すっかり錆色のシャッターを下ろしてしまって、学生時代に通っていた古本屋は跡形もなく潰れてしまっていたばかりか、無味乾燥なまでの更地と化しておりました。
東京という大都会でそれなりに暮らしている私の目から見ても、無碍野町は、文化的な死に直結している印象がありました。
私は、何とも言えぬ侘しさと、こんな廃れた町から出ていった己の選択はやはり正解だったという安心感めいたものを抱きながら、早々に散策を切り上げました。
翌朝になりまして、私は早くにホテルを出ますと、あらかじめ取材の約束をとりつけていた『寺院』へ向かいました。
どうもそこに、『でんぐり様』なる民間伝承が、はるかな昔から伝わっているということは、あらかじめ調べ上げていましたから。寺に電話をかけた際に、住職にそれとなく確認した限りでも、これは確かであることが分かっておりました。
『虫願寺』と言う、少し変わった名の寺なのですが、そんな寺があの町にあったことすら、私は今の今まで気づかなかったのでございます。
おそらく学生時分に、何かの拍子で目にしたり、耳にしたことはあったのでしょうが、学生にとって、寺なんてものは『地味で古臭い』の一言で片付いてしまうものでございましょう?
あの時の、世の中を良く知りもしなかった若い頃の自分の目と耳が見逃してしまったのです。大変に、心苦しいことにございますが……
いちおう説明させていただきますと、この虫願寺なのですが、ただでさえ田舎な無碍野町においても、特に野暮ったい風景に囲まれた土地にありましてね。
四時間に一本しかやってこない町内バスにガタゴトと揺られて、木虫山なる小高くも鬱蒼とした森に囲まれた山の入口付近の停留所に降りてから、さらに山を一時間ほど登った先にありまして。
私は、なぜにこのような辺鄙な場所に、寺などあつらえたのだろうと、疑問と不満をぐるぐるとさせながら、着替えと取材用の道具を入れたリュックサックを背負って、残暑厳しい蒸し暑さの中、汗を拭き出しながら歩き続けました。
時折、背の高い木々から響く虫たちの鳴き声をうっとおしく感じながら、ようやく寺の山門に辿り着いた時でした。
山門のそばに、一人の立派な袈裟を着た、わずかに白髪を残すだけの、ほとんど禿頭と言って良い姿の老人が、手持ち無沙汰に佇んでいたのです。
その老人は、汗だくになった私の顔を見るやいなや、口元にうっすらと笑みを浮かばせて、腰をゆっくりと直角に折り曲げ、さながら、丁寧を絵に描いたような、深い深いお辞儀をなさったのです。
私は、ああ、この人が虫願寺の住職かと理解するのと同時に、その、紙を丸めて広げたようなしわくちゃの老人の顔が、お辞儀を終えてゆっくりと起き上がってきたのを見止めた瞬間、思わず、喉の奥からくぐもった声が漏れそうになるのを、必死にこらえたのでございます。
それは、瞬発的な驚きからくる呻きでありました。なぜ驚いたかと言いますと、その住職が、少しおかしいのではと思うほどの、ひどい斜視の持ち主だったせいであります。
いえ、何も私は、体に奇特な特徴ある方を見下すようなつもりは、これっぽっちもございません。小説家と言う職業をやっている以上、そういったデリケートな部分には、常日頃から気を配っております。
ですが、それを重々承知したうえでも、あれは何というか、異常そのものとしか言いようがございませんでした。
この住職は、これほどまでに現実離れした眼を生まれつき持ち、暑い夏も寒い冬も、異界めいた山の奥の奥で、ひそやかに、隠者のごとき生活を送ってきたのだろうかと考えると、驚きばかりでなく、不思議と恐ろしさを感じ、身がすくみ上がる心持ちでございました。
一般的に斜視と言いますと、片方の瞳孔の位置が、内側や外側に剥いている視覚障害の事を指しますが、その住職は、両方だったのです。
両方の目の位置が、おかしかったのです。
右目の瞳孔はぐっと外側へ剥いており、左目の瞳孔はぐぐぐっと、はるか下へ剥いているばかりか、白目の部分は異様なほどにてらてらと濡れて、そこに赤く細い血管の網が、満ち満ちて広がっているのです。
充血……と表現するのも、なんだか違うような、これまで一度として出会ったことのない、あれはまともな人間のする目ではないように思えました。
深い森の最中にぽつねんと佇む虫願寺と、寺に従順として仕える眷属のようにして立つ、不可思議な眼力を持つ住職の姿を同時に視界に納めた時、私は、周囲の空間が捻じ曲げられるような異質さを肌に感じて、少しばかり後ずさってしまいました。
しかし、これは小説家としての業と言うよりかは、もはや生来の気であるとしか思えないのですが、ええ、そんな奇怪な人物に出会ったにも関わらず、驚愕や恐怖よりも、じわじわと足下からせり上がってくる、激しい好奇心を、どうしても抱かずにはいられなかったのでございます。
そうでなければ、住職の、枯木めいた細い首を通って発せられる、怪しげな声音に誘われるがまま、あの山門を潜ることは、無かったのでしょうから。