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死辱の蟲  作者: 浦切三語
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最終話 愛憎

 雨は依然として止む様子を見せなかった。


 それどころか雷鳴は激しく轟き続け、今にも、このちっぽけな駐在所に落ちて、粉微塵に吹き飛ばしかねない迫力があった。


 夜明けは遠く、時間もそれほど経ってはいないのに、なぜか、男の着ている灰色のスウェットは、驚くほどの早さで、もうほとんど乾いてしまっている。


 きっと、話している最中に、男の体から放射された凄まじいほどの熱量によって、水分が蒸発したせいなのだろうと、大原は、そんな超自然的結論を平然と出してしまうぐらいには、困惑していた。


 男が語るのを止めた一方で、大原もまた、一連の出来事を聞き届けた今、どのような感想を口にして良いものか、とんと分からず、途方もなく逡巡するしかなかった。


 最初は興味深く話を聞いていたが、男の語りが中ほどまで進んだ時、彼の語る先に、恐ろしい結末が待ち受けていることを咄嗟に予感し、吐き気を催すほどの、気味の悪さを覚えたのは事実である。


 茶を啜って心を落ち着けようとしたが、それでも肌は粟立ちを増すばかりで、男の語る暗澹(あんたん)たる物語に、大原の意識はどうしようもなく、吸引されるばかりであった。


「(これは、なんと恐ろしい話だろうか)」


 背筋をミミズのように這いまわる悪寒は抑えようがなく、いつまで経っても身震いが止まなかった。粘着めいて張り付く恐怖から逃げようとして、大原は、あまりよく考えないままに、こう尋ねた。


「なにか、証拠はおありですか? あなたの話した内容が、全て事実であると裏付ける証拠が」


 その発言の裏には、次のような願望が隠されているのは明白だった。


 つまりは、男の話した内容のおぞましさと哀しさに、どうか作り話であって欲しいという願望に相違なかった。雨降る真夜中という、どこか異界めいた状況のせいで、自分はただ、悪い夢を見ているだけなのだと、信じたくて仕方がないという風でもあった。


 しかし、男は大原の意に反して、ぽつりと、


「ありますよ」


 とだけ言うと、スウェットパンツのポケットに手を突っ込み、何かを手にして、テーブルの上に置いた。


 ことん、という音と共に、テーブルの上に姿を現したそれを見た瞬間、大原の心に、驚愕の稲妻が落ちた。


 それは、全体のあちこちが、血と泥にまみれてしまっている、手の平ほどの大きさの物体であった。大きくて丸い頭部から、ぎょろりと横に突き出した黒い眼が生え、長く硬質そうな嘴を備えている。胴体は、芋虫のように長く太く、そこから等間隔に生えている手足は、確かにどうみても、赤ん坊のそれだった。


 そして、それらの全てが、肉とも木材ともつかぬ、微妙な質感を思わせる素材で造り出されていた。


「ちぃちゃんが……でんぐり様と化したちぃちゃんが、儀式の末に産み落とした、子供ですよ。気づいた時にはなぜか、私のポケットに入っておりました」


 それは、話に聞くところの、でんぐり様そっくりの造形をしていた。


 男の話では、人間の赤ん坊そっくりの産声を上げていたとのことだったが、今、大原の目の前にあるそれは、ただの彫像と化して沈黙するばかりで、だが、どことなく、容易く触れてはならない、異様な存在であるように思えた。


 大原は、あまりの事に、どう処置を下せば良いのか、見当もつかなかった。


 男の話を裏付ける事実として、この子供のでんぐり様を物的証拠として押収するべきだというのは、頭では理解出来ていた。


 しかし、実際に行動に出そうとする決心は、どうしてもつかなかった。


 あまりにもいわくが多すぎて、下手に触れれば、良からぬ事が身に降りかかるのではないかと、そんな妄想に取り憑かれたためである。


 男は、じっと、子供のでんぐり様を眺め続けていたが、やがて、さめざめと涙を零しはじめた。男の頬を伝う熱い滴が、すっかり温くなってしまった湯呑に、どんどんと落ちていった。


「私は、今頃になって、ようやく理解しました。あの邪悪極まる住職の言葉の意味が。悔しいですが、身につまされるとは、こういう心境の時に使う言葉なのですね。『あなたには素質がある』とは、つまり、こういうこと(・・・・・・)を意味していたのだと、ようやく理解したのですよ」


 男は、血が滲むほどに唇を噛み締め、親の仇でも見つけたかのような眼差しを、血泥(ちみどろ)に染まる、奇怪な彫像へ向け続けた。


「このでんぐり様の子供は、あのおぞましい儀式によって誕生した怪物です。姿形は人間のそれではありませんが、まず忌み子と断じて相違ありません。そして何より、こいつには、ちぃちゃんを殺した住職の息子の血が流れている。それを考えると、ハンマーでも持ってきて、粉みじんに砕いてやりたい衝動に駆られるのです。しかし、しかしですね、刑事さん」


 男は、そこでまたもや表情を変えた。今度は一転して、はるか遠くへ去った恋人の死を聞き届けた者が、ふと見せるような、憐憫と哀切のこもった感情を露呈させた。


「この、憎らしくておぞましい怪物の血には、ちぃちゃんの血だってちゃんとあるんですよ。私の一番の友達……心地よい関係性を結んでくれた、大切なちぃちゃんの血が、ここに、ちゃんとあるんです。それを想いますと、私の心は、馬鹿になってしまったのでしょうか。どうやっても、憎み切れないのですよ」


 男は、とうとう我慢がならないとばかりに、喉の奥から嗚咽を漏らし始めた。


 そうして、大事そうに、実に大事そうに、水を掬うようにして、そっと、血と泥に汚れたでんぐり様を両手で拾い上げると、イスからゆっくりと立ち上がり、一言付け加えた。


「刑事さん、私の話が信じられないのでしたら、夜が明けてからで構いません。無碍野町にある虫願寺へ、行ってごらんなさい。住職はまだ生きているでしょう。もしかしたら、私が殺したでんぐり様の残骸だって、見つかるかもしれません。それに、ちぃちゃんの遺体だって……案外、お堂の地下に、隠されているかもしれません」


 男は、虚ろげな視線を大原へ向けると、小さくお辞儀をした。


「では……私はこれで、失礼します」


 普通なら、事態が明らかになるまで、その場に拘束するのが警察官としての任務である。


 しかし大原は、それを分かっていながらも、手を出せなかった。


 こちらに丸めた背を向けて駐在所を出ていこうとする男の姿から、悪霊が憑りついたかのような、妖しげな気配が漂っているのを、どうしても感じずにはいられなかったせいである。


 大原は、直ぐには立ち上がれなかった。そうして、男が駐在所のドアを開け、豪雨降りしきる夜の八日町へゆっくりと姿を消していくのを、ただ呆然と見送ることしかできなかった。


 だが、警察官としての使命か、それとも、異様な語りによって充満した陰鬱(いんうつ)な空気の密度が、時間の流れと共に低下したせいか。


 男が駐在所を出てから数分後、大原は弾かれるようにしてイスから飛び上がり、懐中電灯を手にすると、傘も差さずに男の後を追いかけた。


「(どこだ!? 一体、彼はどこに行ってしまったんだ!?)」


 しかしながら、畦道一本だけで他へ抜ける通りも無いと言うのに、どれだけ走っても、どれだけ懐中電灯の光を向けても、男の姿はおろか、その影かたちの一片ですら、発見するのには至らなかったのである。


 ぜいぜいと息を切らし、悶々とした心地のまま、大原はしかたなく、うなだれるようにして、駐在所へ踵を返そうとした。


 その時――全身を強く叩く雨音の最中に、何者かの痛切極まる慟哭を、耳にしたような気がした。


 驚いて振り返り、辺りに目を凝らしてみるが、無駄であると分かると、諦めの嘆息をつくしかない。


 大原の視線の先には、底の見えない暗黒の世界が、どこまでも、どこまでも、果てしなく、広がっているだけであった。





 終

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このお話は、小説家になろう様の公式企画『夏のホラー2018』への参加用作品として仕上げたものです。和ホラーらしく、民間伝承を絡めた恐怖の物語とさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。


ではでは。

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