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近代的人間観と結婚に関して【社会の歯車としての人間】

※修正済み

農業、産業の発展、そして人間社会の形成以来、人間はコミュニティにおいて、一定の役割を担うこと、そしてそれを演じることを求められてきた。例えば、家庭においては「父」として、「夫」として、「母」として、「妻」として、そして職場においては「上司」として、「部下」として、その役割を演じてきたのである。その傾向は、特に産業革命以降において、より顕著になったと言われている(産業革命以降の、このような役割理論としての人間観を近代的人間観とする)。つまり、社会的合理性としての部品として人間が扱われるようになった時代である。そして、人間が部品として扱われると言うことは、人間は自己の能力を数値化され、評価の対象とされるという危険をはらんでいると考える。

近年、離婚率が上昇していると言われているが、近代的人間観における結婚とは、「夫」として、「妻」としての役割を担うことが出来るか、互いに数値化し、評価し合う過程を、少なからず含んでいると考えられる。核家族化した現代において、コミュニティのサポート無しに、1人の人間が2役も3役も演じないといけないという状況になれば、離婚率が上昇するのは当然ではないだろうか。

歴史的には、このような近代的人間観への抵抗として、ヒューマニズムが起こった。この運動は、それを受ける側に新しい選択肢を提供しているが、個々人の意識を変えたかという点は不透明である。ここでは違う方向からの解決策を提案したい。役割論に抵抗するのでは無く、それを逆用する方法である。つまり、理想の「夫」、「妻」などの役割を数値化すれば、人工知能で機械化することが出来る可能性があり、全ての家庭で、理想の「夫」、「妻」、「父」、「母」を演じる人工知能を享受することが可能になるかもしれない。そのような未来においては、夫婦はお互いに対する期待ではなく、もっと感情的な、例えば愛情などを大切にすることが出来るかもしれない。

http://books.bunshun.jp/articles/-/2920

http://longe-bose.nyc/longebose/2016/3/23/how-our-relationship-works-in-real-life


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― 新着の感想 ―
[一言]  返信ありがとうございます。 ◆  おそらく、海南無頼凡人氏(以後、海南氏と略させてもらいますね)は、人間の非合理性について、脳科学からアプローチし、『人間の非合理性」を『人間の非合理的思考…
[気になる点]  うーん、近代的人間観について述べられていないですが、、、、おそらく作者の中で前提としてあるんでしょう。  とはいえ、定義の問題もあるから、それは、イチイチ説明した方がいいとは思います…
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