5. 新世界の風景
ディンエルさんは一旦退場です。
今回はまとめとか説明回になります。
──ひんやりとした心地の良い朝。
閉じていた目は、その暖かい陽光によってゆっくりと開かれる。
そこは静かな場所だ。陽が出始めて少ししかたっていないからか、いまだ薄暗い空。
手を伸ばせば、星にも手が届きそうなほど空と近いと、そう錯覚してしまう。
ここは《最果ての地》の『雲海の柱』。
柱とは名ばかりの、円形に開けた場所。
そこに"スライムベッド"を敷き、"スライムクッション"を抱いて眠っていた。
黒溶龍ディンエルとの戦いの後、僕はデックに〈回復〉をかけてもらい、ポーションを使用して傷を治癒してから、《最果ての地》へと帰還していた。
そうした準備をわざわざしてからここに赴いたのは、この眼前の朝の景色を見るためだった。
雲が僅かに眼下を覆い、地上の景色が透ける。地平線から薄い黄色の光が顔を出し、星空を照らす。夜を彩る星々の輝きと、太陽の煌めきが調和し、宝石のような鮮やかさを生み出している。
「……こんな景色を見れるなんて思わなかったなぁ」
両親が見せてくれた写真や動画でしか見た事が無かった風景。そんな風景を集めた場所が、僕が創り出した《最果ての地》という世界だ。
だから、全ては偽物なのだ。本物じゃない。
そう思うのに、こんなにも美しいのは何故だろう。
こんなにも輝かしいのは何故だろう。
それも、この世界に来てしまったからなのだろうか。
「ここは『オーダーズ』じゃない」
痛みがあり、血が流れる。ゲームとは明らかに異なった世界。長いようで短かった黒溶龍ディンエルとの戦闘。それが、この事実を明らかなものにした。
だから、口に出したこの事実を飲み込むしかない。そうすると、新たな疑問が浮かぶ。
それは現実のボクはどうなっているのだろう、ということだ。
例えば、まだあのベッドの上に眠ったままになっているとか、或いはボクの身体が忽然と消えてしまっていて、神隠しのように行方不明になっているとか。それかボクが元いた現実世界が『オーダーズ』に侵食されて、塗り変わってしまって"プレイヤー:リオ"の身体になっているとか。
……いや、さすがに荒唐無稽すぎる予想かも。
『オーダーズ』はコンソールを介して、ゲーム外と連絡を取れるようになっていた。そのためコンソールが出現しない現状では、この予想が真実か確かめる手段がない。
だから、分からずじまいになってしまっている。
せめて両親や看護師さん、お医者さんに今の状況を伝えられればいいんだけど。
その方法も、良く分からない。
「……まだ、分からないことだらけだ」
僕がこの世界で目覚めて、ようやく1日が経とうとしている。この1日で、知ったことはあまりに少ない。
例えば、この世界は『オーダーズ』のルールに即しているということ。違いは数多くあるけど、スキルやアイテム、領域が機能を維持していることで、まだルールそのものは生きていることを知った。
他には、NPCとモンスターの存在を確認したこと。これも『オーダーズ』に即している結果。
あと、『オーダーズ』と全く同じ世界ではないことを知ることができたのは大きな収穫だった。
流血する身体、痛みを伴う攻撃と衝撃。
これらは、存在しなかったもの。そのために、様々な違いが生まれている。
ディンエルが使用した血を利用したスキル。血という存在が否定されていたゲームではあり得なかった力。そのスキルがまさにそうだ。
他にも僕が知らないルールによって、大きな差異があるのかもしれない。
アイテムの使用は、問題無かった。装備、スキルに関しても問題はなかった。
領域の防衛システムである膜は力を失い、モンスターを遠ざけることができない。
特A型領域防衛知能『デック』は、以前よりも人間らしさが強くなっている。
仮想身体の感覚は凄く良くなっていて、本物より本物らしい。
知っているのは、本当にこれくらいのもの。しかも突発的な戦闘によって得られた副次的な情報にすぎないこれらは、正確性に欠けてしまう。僕の主観が入っていることもあるし。
思えば、黒溶龍ディンエルが出現したということもかなりおかしい。
『オーダーズ』において討伐回数の少ない彼らフィールドボスは、基本的にはイベント時に出現するようになっていたはずだ。普段から災害のように闊歩していたらプレイヤーにとってもたまったものではない。だから数体の常時出現ボスを除いて、ほとんどのフィールドボスは常にフィールドに存在しておらず、イベント時に出現していた。ディンエルも常時存在すしていないボスモンスターの1体だった。
なのに、今回は平然と姿を見せた。
これも、世界が変わってしまった影響なのだろうか。
偶然、と片づけるにはタイミングが良すぎる気がする。
……これも考えすぎなのかもしれないけど。
そして、ディンエルとの戦闘についても反省点は多い。
突発的な戦闘になってしまったとは言え、準備も不十分。罠なども設置しておらず、アイテムも使用する余裕があまりなかった。できたのはポーションや装備くらいのものだった。
これでは、さらなる強敵と相対したときに対応できない可能性がある。
例えば、フィールドボスが2体同時に出現した場合、今回のようでは確実に勝てない。数も力も相対するには、強大すぎる。だから、対抗するための力が必要だ。
僕が強くなることも当然必要だ。けれど、それにも限界はある。
だから、戦力増強は必須となる。アイテムの確保はもちろん、素材やあとは防衛してくれる人材も必要かもしれない。
数の力は、時に力を凌駕することがある。
それにこれまでのフィールドボスの戦闘でも、約10名ほどでようやく討伐したという話もある。
それ故に僕と協力して守護できる存在は、ほぼ必須。
そして人材については、少しだけの目星はついている。その根拠は、僕の手元に置かれている大剣。
──銘は、『修羅』。
柄は白く、刀身は黒いアンバランスな武器。剣と呼ぶには、少し荒々しく猛々しい。
黒溶龍ディンエルに突き刺さっていて、右腕を刈り取るのに一役買ってくれた一振りだ。
この剣がなければ、撃退することができたかどうか。
それほど重要な役割を担ってくれたこの武器。
この『修羅』は、『オーダーズ』でフレンドになってくれていたプレイヤー、"えに☆ぐま"さんの武器だった。
えに☆ぐまさんは"死霊種"をアバターとする変わり種、『オーダーズ』でもかなり仲の良かったプレイヤーの1人だ。好んで大剣を使う彼は、豪快で荒々しいスイングでモンスターをなぎ倒していくというプレイスタイルだ。が、戦闘以外では非常に腰が低く、優しい声音で落ち着いた様子を見せていた。
例えば、アイテム分配でも収集家の僕を気遣ってアイテムを分けてくれたり、協力してフィールドを攻略するときもアタッカーとして矢面に立ってくれていた。
実際、《最果ての地》を攻略するのにも協力してくれたプレイヤーの1人だった。
そんな彼の武器が、ここにある。
プレイヤーが作成した特注品である『修羅』が、偶然ディンエルから見つかるなんてことは考えにくい。
つまり、ここに僕以外のプレイヤーがいる可能性があるということだ。
「えに☆ぐまさんだけじゃなくて、他のフレンドもこっちに来ているのかも……」
そう考えるも、コンソールが使用できない現状では連絡を取る手段はほとんど存在しない。
《最果ての地》でのアイテム収容施設──『宝物殿』に、なにか使用できるようなアイテムがあるかもしれないが、数は膨大で時間を労する。今、デックに探してもらっている最中なので、その結果次第で連絡をとることができるかもしれない。そう期待したいところだ。
今後の課題については、そんな感じだ。
一応、声に出して指折り数える。
「まず防衛の強化が必要だよね……そのためのアイテムの補充や開発、人材の確保も大事になってくるし……あとで《最果ての地》の設備の確認もしないといけないし……それから連絡手段の確保と、情報交換……第1目的はここを守ることってことは忘れないようにして……あと僕自身の練習も必要だし……」
「マスター」
とんと、彼女が姿を現した。〈転移〉のスキルを使用して、『雲海の柱』まできたようだ。彼女がここに来たということは、頼み事が一段落したということだろう。
僕は身体を起こして、彼女に声を掛ける。
「どうだった? 順調に進んでる?」
「はい、マスターの要望に沿ったアイテムの精査は進んでおります。現状、『宝物殿』に存在するランクが低い物から順に使用確認テストを行っております。後で報告書を作成しますので、目を通して置いてください」
「……は、はい」
「それから、装備品についてですが、こちらについては可能な物はすでに動作確認が完了しています。確認が不可能な物、或いは現状では手の施しようがない『古代シリーズ』等は日にちを改めて検証を行う予定となっています」
「う、うん?」
「武器に関しても同様です。マスターが使用された『修羅』は先んじてメンテナンスを終えてマスターの手元に。『白銀の王子』と『向日葵』に関しても回収後、修復を完了し、宝物殿に安置されています。いくつか確認できなかったものは、後ほどマスター立ち会いの下で検証を重ねていければと考えています」
「は、はぁ」
早口であれこれ言われるも、ちょっとついて行けない。
秘書とはこういう感じを言うのだろうかという、淡々とした事務的な対応。
これが、ディンエルとの戦闘で真っ直ぐな言葉をかけてきた人本人なの……? 変わり身が凄くて怖い。
「えーっと、とりあえず順調ってことでいいんだよね?」
「はい。アイテムに関しては、ちょっと多すぎるので時間がかってしまいますが、概ね良好です。後確認することは、《最果ての地》の機能とスキルですね。この2つは、マスターと一緒に確認するのがいいかと。いいですね?」
「う、うん。分かったよ」
彼女の淡々とした言葉の裏にある熱意に押されるままに、頷く。
これは、秘書じゃなくて肝っ玉母さんかも。
にこっと笑みを浮かべた彼女の圧力が怖かった……!
と、彼女のことを考えていたことで思い出す。僕がデックにしてあげられることについて。
ぽんと手を打つ。
「忘れるところだった。きちんと名前をつけないとね」
「……名前、ですか?」
「そう、デックの名前。デックって種族名みたいなものだよね? えーっと、だから他のデックさんと会ったときに困惑しないように名前をつけておきたいなーと」
そう、プレイヤーが他にいると予想した時に、この可能性も考えていた。
他のプレイヤーがもしもこの世界に存在しているのなら、僕とデックのようにNPCも一緒にいる可能性が高い。僕だけが例外とか、そういうことがなければ、各々のプレイヤーが手に入れているNPCも同時に存在しているはず。そして、そのNPCの中には特A型領域防衛知能──デックもいる。
そう考えると、もしもの時のために名前をつけてしまうのがいいのではないかと思い始めた。
初めての名付けである。
僕がそう提案すると彼女は顎に手を添え、なるほどと呟く。
「……つまり、他のプレイヤーの方々とマスターが出会った時を考慮して、ということですか?」
「そう。まあ、他の人たちはとっくに名前をつけているかもしれないけど、つけて置いた方が色々便利だと思うんだ。ほら、ここに人が来たときのためにとか」
「……そうですね。私に名前、ですか」
考え込んだ様子で、彼女は下を向く。言葉を切った彼女の様子で、僕はなにか失敗をしてしまったのか不安になる。
「あれ、嫌だった? それなら無理にとは言わな……」
「いえ、欲しいですお願いしますっ!」
「うわっ!」
僕の言葉を遮って、彼女は顔を上げる。
驚いた僕の声を聞いて、はっとするデック。
そっと胸元に手を添える。頬が僅かに赤くなっている、その表情。
小さな声は、それでも確実に僕の耳に届く。
「……私に名前をつけてくださるとは思わなかったので、嬉しくて。……すみません」
「え、あぁ、良かったの、かな?」
「はい」
声に喜色が込められているのを感じる。
やっぱり人間らしい彼女の様子に、僕自身驚いている。
そこまで感情豊かだった記憶はないけれど、これも世界の変化──アップデートの影響なのだろう。しどろもどろな対応しかできない自分が恨めしい。
そもそも会話も元々してこなかった僕だから、ゲームで慣れたとは言えこういった状況ではどうして良いのか分からない。
「それで、どのよう名前をつけてくださるのですか?」
期待に満ちたきらきらとした瞳が、僕を射す。
「あ、あはは、あんまりハードル上げないでね? 君の名前は今日から────」
告げた、彼女の名前。
溢れた笑顔も、嬉しさを抑えきれない声音も、潤んだ瞳も。
変わってしまった影響なのだろうが、こんなにかわいい変化なら喜んで受け入れてもいい。
このときの彼女の様子を、僕は一生忘れないだろう。そう思った。
☆ここまでの武器紹介
○模造刀:攻撃力の全くない刀の形をした棒。黒いスライムちゃんから出るアイテムを回収するために用いていた。今の世界だと、多分打たれたら痛い。
○白銀の王子:蒼い刀身を持ち、冷気を発する日本刀。特殊なスキル〈雪華〉で、雪の華を咲かせる。日本刀なのに、銘が西洋っぽいのは命名者のノリ。
○向日葵:黄色い刀身を持ち、柄は透明なオレンジの西洋刀。ロングソードとも言える。特殊スキル〈白炎〉は、チャージした太陽光を炎へと変換して放つ。変換率は意外と悪い。
○修羅:リオが黒溶龍さんから引き抜いた名剣。黒い刀身と白い柄が対照的でかっちょいい。割と荒々しい使い方をされることが多い。丈夫なのも相まって余計に。元の持ち主は武器に寄り添ってあげて欲しい。まじで。
以上!