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3. 僕の世界

回想から始まります。

 ──ボクは、世界を見たことがなかった。


 骨は弱く、ぴりぴりとした痛みを感じ、身体を動かすこともままならない。

 物心ついた時にはそうだったのだから、見る機会が訪れるはずもない。

 世界は閉じていて、未来は暗く、小さなものだ。


 時折、両親が見舞いに、ボクの様子を見に来てくれている。

 時々悲しそうにゆがめた表情が見えた。

 ボクに見えないように、涙を流す嗚咽も聞いた。


 ……その時、ボクの小さな世界は悲しいモノなのだと知った。


 喉には、呼吸をするための管が差し込まれている。

 食事もろくに取れないために、栄養を流し込まれる。

 指先しか動かないために、先生や看護師さん、お母さんお父さんが、ボクの身体を衰えないように動かしてくれる。


 そんな日常が、当たり前ではないことを知ったのだ。


 ボクの世界は、他の人にとっては不幸で、可哀相な場所なのだと知った。


 ボクが生きていく意味はなんだろう。

 なんのために、この心臓は動いているのだろう。

 なぜ生き続けているのだろう。


 考えない日はなかった。

 動くことができないから、考えることしかできなかった。

 ……なにもできなかった。



 ある日、先生と両親が1つのゲームパッケージを勧めてきた。

 『オーダーズ』と書かれたそれは、当時のVRゲームの最先端に位置する人気の高いもので、入手するにも初回版は抽選で選ばれなければ入手できないという激レアゲームであった。


『どうやって?』


 そう聞くと、両親は微笑んでくれる。相当に苦労したのだと、ボクは思った。


 そして、ゲームを始めた。

 両親が勧めてくれたからでもあるし、あの笑顔に報いたいという気持ちもあった。


 そして、()の世界は一気に広がった。



 * * *



「…………ゲホッ」


 血が吐き出された。真っ赤な血だ。

 鉄の味がする。舌を撫でるざらざらとした味。

 味わったことのない味だ。


「な、んで?」


 言葉が漏れる。背筋が凍る。額に汗が流れる。


 それはあまりにもかけ離れている。

 それは変質してしまっている。

 それは違ってしまっている。


 明らかに『オーダーズ』の頃とは別のものだと、口から漏れた血が示している。


 動揺と混乱が頭の中でぐるぐると渦巻いている。

 呪いのように、脳の領域を蝕んで思考が鈍る。


 ……こ、れは? どうして…………?



「マスター! 危ないっ!」


 そんな声が聞こえた。

 その瞬間、またしても衝撃。先ほどよりも厚く、重い質量を右腕で咄嗟にかばう。


 それは巨大な黒い掌。龍の鱗がびっしりと並べられている巨木のような腕。鋭い爪。


 ごうと、音がぶつかった。

 ただの一振り。

 その漆黒の腕の勢いのまま、殴り飛ばされる。

 めり込んだ黒腕の厚みに、僕の身体は悲鳴を上げる。


「ぐうッッ!!」


 圧倒的な重量に、呻く。

 ぐるんと景色は回転し続け、置き去りにして、僕を猛スピードで連れて行く。まるでジェットコースターのような疾走感。

 先ほどは制御して前進していたために感じなかった、奇妙な浮遊感。

 痛みに耐え、姿勢を整えようと動くも、風により身動きを取ることができない。


 遠くなったはずの黒掌。それほどまでに分厚く、巨大だと言うのだろうか。


 ……違う、これは再び振るわれているのだ。

 その天をも貫く柱のような太い腕が、また僕を襲うのだ。

 そのまま攻撃を受けたら、僕はどうなってしまうだろうか。


 そう考えて、どこか自分を俯瞰して見ていることに気づく。


(……そうだよ。だってゲームだったんだから)


 全てはゲームだった。

 『オーダーズ』の世界は僕が知る唯一の世界で、ただ本物ではない世界だった。


 モンスターを攻撃すれば、血の代わりにポリゴンが噴き出す。

 刃物で切られても痛みはなく、目には見えないHPというゲージが減る。

 死んでも、何度でも生き返る。


 リアルではあっても、現実ではない世界。


 それが、僕の愛した『オーダーズ』というゲームだった。

 生きる意味をくれた世界だった。


 今や、それは変わり果ててしまっている。

 攻撃をすれば僅かに皮を剥ぎ、攻撃を受ければ痛み、内側が壊れれば血を吐く。

 現実に準じた別の代物に変わってしまっている。


 望んでいないものに、変わってしまっていた。なら、ここにいる理由なんてあるだろうか。

 『オーダーズ』ではない場所にいる必要はあるのだろうか。


 きっと、そんなものはない。


 楽しかった夢は、もう覚めてしまったのだ。


 うたかたの夢が終わっただけ。また、死にゆく自分が横たわるだけ。


 きっと、そこに意味なんてなかった。



 ────轟音が、僕を包んだ。



 * * *



「……ぇ?」


 景色を削り取り、土を木を破壊していた。

 黒碗が再度振られた。

 そのはずだ。


 それなのに、破壊は僕には及ばなかった。

 周りの景色だけを抉り、僕以外──黒龍にすらその被害は現れている。


 振るわれた黒龍の腕に、流れる青い血。

 鱗は乱暴に剥がれ、先ほどの余波によって一部が溶けて、躍動する筋肉が一部表出する。

 困惑を見せる鋭く赤い瞳が、僕を見つめる。


 物理攻撃は、確かに僕を捉えた。未だに震える身体が、感覚が、事実であると教えてくれる。


「ど、う……し……て?」


 なにが起きたのか。目にしていても信じられる光景ではなかったが。

 確かに見た。

 黒溶龍ディンエルの攻撃が、跳ね返ったのだ。

 ヒットするその瞬間、『白銀の王子(スノー・プリンス)』の〈雪華〉の効果が和らいだのか、或いは最初から手加減をされていたのか、黒腕に僅かに黒炎を纏っていたのだ。

 『白銀の王子(スノー・プリンス)』を突き立てた場所からは、離れてしまっている。そのことが影響している可能性は高かった。ともかく、間近でディンエルが黒溶龍と呼ばれる所以ともなるスキルが使われたことは、容易に理解できた。


 ディンエルの持つ特殊スキルの内、僕が知り得た3つのスキルの1つ──〈絶望の炎〉。

 黒龍の鱗から発せられるその炎によって、全てを溶かし尽くす。

 そのスキルが発動したことによって、僕の身体を溶かし崩すつもりだったはずだ。


 それが全て黒龍に跳ね返った結果が、この惨事を生み出したらしい。


「……攻撃が跳ね返った? ……まさか、〈物理反射Ⅶ〉の?」


 ディンエルに挑む、ほんの少し前に発動していたスキルの内で、ピーキーな性能から保険になればと考えて、念のため使用していたスキル。それが〈物理反射Ⅶ〉だった。

 〈物理反射Ⅶ〉は、攻撃に対してこちらへのダメージをほぼ0%にし、相手に100%の威力をノータイムで反射する。さらに相手が使用した〈スキル〉を解析し、その特性をも擬似的に相手に反射するという破格の性能が、目の前の光景を生み出していらしい。

 その効果によって、ディンエルにも黒炎の影響が現れている。


 ただし、発動は運次第。スキルを使用して、5回に1回は防ぐことができる。そして1度反射すれば、その後〈物理反射Ⅶ〉を再度使用するのに3日の期間を要するという代物だった。

 そのために、先ほど1回は黒龍の豪腕攻撃をそのまま受けている。

 このタイミングで発動するとは、想像できなかった。


 とん。

 困惑している僕とディンエルの間を、誰かが降り立った音。


「マスター」


 紫色の髪がふわりと、なびく。


「え、あ、デ、ック……?」

「はい、あなたのデックです。……ちょっと待ってください、怪我を治します。……〈回復(ヒール)〉」


 彼女の甘やかな声でスキルが唱えられると、暖かい光が僕を包み始める。優しく、淡く、心地良い光。

 昼の陽だまりのような暖かさに、溶かされていく。

 その優しさに癒やされていく。

 癒やしの力は本物で、ディンエルから受けた打撃の痛みが遠のくのを感じる。薄れていく痛みが、〈回復(ヒール)〉によるものだと、理解できた。


「……まだ、安心はできません。これを飲んでください」

「こ、れは?」

「ポーションです。〈回復(ヒール)〉は体内の怪我には効果が薄いので……」


 彼女が差し出したアイテムは、『オーダーズ』にあった回復用のアイテム『ポーション』と同じものに見える。プレイヤー・NPC・果てはモンスターのHP・MP、状態異常の回復など様々な用途で用いる事ができる不思議なアイテム。

 受け取ることができずに放心していると、彼女は淡く微笑み、その青いポーションを僕の前に置いた。

 その儚げな笑みが見えて、言葉が漏れる。


「ど、うして?」

「私の役割は、《最果ての地》で()()の準備をすること。それなのに、どうしてここに来たのか……そう言いたいんですか?」


 優しく、彼女は答える。少し、目を伏せながら。


「マスターの様子がおかしかったのは、遠くからでも分かりました。〈千里眼〉を所持していますので、マスターが全体攻撃を直に受けてしまったのも見ていました。そして、普段なら当たらないはずの攻撃を避けようともしていなかったのも……」


 彼女の言うとおりだった。『オーダーズ』であれば、難なく避けられたであろうディンエルの黒腕攻撃も、戸惑っている内に喰らってしまっていた。普段であれば、何らかの策を講じるに違いなかった。

 それを見破られてしまっていたのだ。

 彼女は、ぎゅっと胸元に寄せた手を握る。


「だから、来ました」


 答えはとてもシンプルだった。

 彼女の双眸が、真摯に向けられている。迷いのない真っ直ぐな瞳。

 僕にはないものを、彼女は持っている。

 彼女には、そうするだけの自信と誇りがあるのだ。


「……どうして」


 どうして、そこまで? どうして、そうあれる? どうして、そう信じられる?

 きっと、そんな答えを期待して、尋ねたのだ。

 僕にはないものを持っているから。

 彼女の放つ光が、とてもまぶしいものだから。


 暗闇にいた僕に、差し込む光のように、彼女はそうあってくれるから。


「私が、そうしたいんです。マスターとあの世界は実在しているんだって、確かな証拠を、守りたいんです。あの場所は、私の全てなので」


 "私の全て"……それは僕もだ。

 『オーダーズ』は、僕の全てだった。

 それはここの事じゃない。


「……ここは、『オーダーズ』の、ゲームの世界じゃない。それでも」

「それでも、です。言いましたよね? 『マスターとあの世界がある証拠を、私が守りたいんだ』って。私にとっては、ここがゲームでも現実でも変わりませんよ。……私、人工知能なので」


 ふふっと笑う彼女の姿は、人工知能というには、現実味を帯びすぎていて。

 普通の少女のように見えてしまう。

 仕草も表情も、すごく自然だから、特にそう感じてしまうのかもしれない。



 不意に、彼女の様子が変わる。


「〈戦闘装備TYPE:ノゼット〉、起動」

「デック……!?」

 

 『自動人形(オートマタ)TYPE:ノネット』の右腕が変形し、カチャカチャと分厚い装甲に覆われていく。砲台のように姿を変えていくそれは、元の2倍はある大きさへと変貌しており、武器としての機能を遺憾なく発揮するためのフォルムとなっている。

 突如、戦闘態勢に入ったデックに驚くも、すぐに状況を飲み込んだ。


「ディンエルが動き出したようです。……もう少しは待ってくれてもよかったと思いますけど」


 彼女の向こう側、困惑していた黒溶龍がもう一度攻撃を行う気になったらしい。

 巨体が、ずずずっと再び動き出す。 

 火傷を負った左腕は使わず、()()()()()()()()を使わず。


 ディンエルの顎が大きく開く。この行動は、おそらく先ほどの広範囲に及ぶ全体攻撃。

 かつて『オーダーズ』で見た文献に記されたスキル。


 全体攻撃スキル──〈内破壊の咆哮(ボルド)〉を発動させようとしているのか。


「デック、ヤツの攻撃は……」

「見ていたので、分かっています。〈無音空間作成〉、〈振動停止〉、〈防音耐性付与〉、〈空間固定~強~〉、〈風神の抱擁〉…………〈波動砲〉セット、チャージ開始」


 次々と、僕のいる場所に様々なスキルで守りを固めていく。空間がゆがみ、何もないはずの場所が鮮やかな色を放つ。それは淡く、柔らかく、触れば溶けて消えてしまいそうなほど。とても儚いものだと感じる。だが、妙に安心感があった。


 掌をディンエルに向け、彼女が唱えた最後のスキル〈波動砲〉は、彼女にしか扱えない特別なスキルだ。大気中からエネルギーを吸収し、合成し、変化させ、巨大な弾丸としてのエネルギー体を一方向に放つ。それだけのシンプルで単純なスキル。故に、その威力はどれだけエネルギーを吸収し、操作できるかと言うことが肝になる。


 プレイヤーでも、彼女以上の威力を放つことはできない。

 戦闘モードに入った『自動人形(オートマタ)TYPE:ノネット』の性能を持ってして、ようやく到達できる境地。

 その攻撃によって、彼女は僕の分の役目まで果たそうというのか。


 ──グヴヴゥゥゥァァァァァァォォォッッ!!!!


 巨獣の咆哮が放たれる。

 景色をまるごとえぐり取り、波状の攻撃は広がり壊している。先ほどよりも明らかに威力が増している。

 土や木を砕き、吹き飛ばしていく。それらが、僕とデックに迫る。


「うわっ!!」


 思わず身構えたその瞬間、それらはあっという間にかき消えてしまう。

 掌をディンエルに向けたまま、顔だけを僕に見せてくる。その顔は、自信に満ちあふれていて。


「マスター、大丈夫ですよ。〈内破壊の咆哮(ボルド)〉は解析済みなので、対策は立ててあります。きちんと被害が及ばないよう計算したので、問題はありません。……〈波動砲〉チャージ、完了」


 見ると、彼女の掌に光が収束しているかのように発光しているのが分かった

 巨大なエネルギーの塊。それをため込んでいるのだ。

 彼女の髪色と同じ、紫の光で相手を穿つ。ディンエルが〈内破壊の咆哮(ボルド)〉を発動したからこそ生まれた隙。放つなら、完璧なタイミングだった。

 デックが、静かにディンエルを見据える。

 そして──


「〈波動砲〉……発動」


 ──紫光が放たれた。

 ずどんと、解き放たれた砲弾がものすごい勢いで宙を駆ける。

 きぃぃんと高い音を響かせながら、真っ直ぐにディンエルの元へと飛翔する。

 そしてスキル後の硬直に入っているヤツの喉元に着弾する。


 ──ヴヴゥゥゥゥゥァァァァァァッッッッッッッッッ!!!!


 声にならなずに、怒り吠える黒龍。

 目は赤々と輝き、憎悪のこもった鋭い視線を向けてくる。


 怖い、怖い、怖い。

 視線で僕を殺してしまいそうなほど悪意のある瞳が、その殺意の一振りが、怒気に満ちた咆哮が。


 怖くてたまらない。


「……マスター、怖くなるのは当然です。あれだけの巨大な化け物です。怖くない方がおかしいですよ」

「それ、なのに?」

「それなのに、です。それでも私はやります。私は、そうしたいんです」


 はっきりと言い切る彼女の声音に、僅かな震えを感じる。

 ……デックも、この状況は耐えようもなく怖いのか。人工知能である彼女も構える右腕がカチカチと震えるのか。

 当たり前だ。怖くない訳がなかったんだ。

 それでも決意が、彼女を突き動かしているんだ。怖くとも、辛くとも、寂しくとも、自分の信念を貫くとそう決めているんだ。


「マスターは、どうしたいですか?」

「ぼ、くは」


 僕は、どうしたい? どうしたいか?

 ディンエルを倒したい。デックと《最果ての地》を守りたい。自分が手に入れてきた物を無にしたくない。生きていたい。死にたくない。自由に生きていたい。身体を動かしたい。まだ見たことのない世界を見てみたい。


 だから、僕も決めるべきだったのだ。

 理由や意味なんかじゃなく、僕がしたいことをするべきだった。


 ばっと、ポーションを手に取り、ごくごくと一気に飲み干す。

 味はブルーベリー。爽やかな果実の風味が、喉を流れる。


「ぷはぁ」


 息を吐き出し、そして覚悟を決める。

 きっと、僕が一番望んでいることだから。


「……守るよ。《最果ての地(僕のセカイ)》を」


 生きていたいから。死にたくはないから。そのために戦う。

 守りたいから。あの世界の出来事を無くしたくないから。そのために戦う。

 手に入れた健康な身体を失いたくないから。そのために戦う。


 それでいい。

 それがいい。


「そのために、黒溶龍を叩きつぶす」


 信念を胸に、僕は腰の刀の鞘に手を添えた。

──《アルテマ》での制約の一部が判明。解析を開始。


──解析……解析……解析……解析……失敗。詳細は依然不明。


──直接のデータ入手は不可能であると考えられる。


──情報収集の必要性を再確認。


──このプロセスは繰り返し実行されている。今後は、優先度の引き下げも考慮。


──情報収集と平行して、制約に対する検証を重ねる予定だ。


──この検証もこの戦闘如何によって変化する項目であることを追記。


──報告、継続。

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