プロローグ2
『オーダーズ』には、領域システムというものがある。
攻略が完了し、プレイヤーが所有する事になったフィールドは《領域》と名前を変え、プレイヤーの思うがままにレイアウトを変更することが可能のホームへと変貌する。アイテムショップやクエストをクリアすることなどで解放される『設備』や特殊なアイテムを設置・整理することで理想の場所を創り出す。それが領域システムの概略だ。
これがトッププレイヤーの優越感を煽ると共に、一種のステータスとなり、ゲームはより一層の賑わいを見せた。
例えば、様々な種の花が芽吹く花園や身体が腐敗したゾンビが彷徨うゴーストタウン、神聖な天使の集う聖域やプレイヤーを楽しませるファンシーな遊園施設など。真っ白な広大なキャンバスに思い思いに絵を描き上げる感じだろうか。多種多様な領域が生み出されていった。
僕の領域も、僕自身の理想のファンタジーを追い求めた結果の産物になっている。
この領域システムでは、原則領域をプレイヤー1人につき1個、それ以上の領域を持つことはできないということになっている。管理上の問題と、領域の独占を防ぐための措置ということらしい。
僕のようなソロプレイヤーには荷が重いシステムではあった。
そんな僕が《最果ての地》という最大のフィールドを入手することができた大きな要因は、正直今も良く分かっていない。
たぶんとてつもなく運が良かったのだろうと、僕自身は解釈している。
そんなたぐいまれな運でもぎ取った《最果ての地》。このマップを自分の領域として自分の理想を反映させるべく、作り込み始めたのはいいものの、最終フィールドに相応しく広大で膨大な領域、その創造ともなると並大抵の事ではなかった。
そのため、長い期間を掛けることになってしまった。
ただその甲斐あって、こだわりにこだわりを重ねた幻想空間を創りあげることができた。
そんな努力の結晶とも呼べる、《最果ての地》へと帰還する。
荘厳な門が、主である僕を出迎える。幾何学的な文様が刻まれた特殊なデザインの門扉と、その閉開を支える天からの光とも思える不思議な輝きを放つ柱が2本。空を見上げると、そびえ立つ柱が全体の一部でしかないことが分かる。浮かぶ雲を突き抜けてさらに空へ。そんな巨大な柱に挟まれた門扉も頂点を拝む事は難しいほど高く大きく、この建造物の大きさは目測では測りきれない。
「〈転移〉っと」
そんな門に手で触れ、スキルを唱える。
向かう場所は、僕が特にこだわりを持って創り出した領域。
《最果ての地》の中央に位置するリオの城──『覇王城シエスタ』。
イベント限定の設備である『覇王城シリーズ』を全て集めたことで獲得できた、僕だけの世界だ。
いくつかの構造物を組み合わせたようでありながら、均整の取れた中世ヨーロッパを思わせる城は、外装を純白で染め上げ、天からの光を反射し美しくも神々しく照り輝く。1つ、2つ、3つ……と搭のような建造物が柱のように足となり、水面の上に城を存在させるという現実ではあり得ない景観を実現させている。たゆたう水面が透き通り、塔の足下が地を貫いているのを覗くことができる。城から伸びている道は、覇王城の一部である時計塔や宝物殿などに続いている。
一歩踏み込むと、そこは覇王城前の広場。下から汲み上げた噴水のオブジェが中央に置かれており、水の流れる音を楽しむことができる。巡る季節ごとに姿を変える広場にあって、その噴水は変わることなく流れ続けているため、シンボルにもなっている。
そんな広場から続く扉をくぐると、覇王城の内側へと入ることになる。
踏みしめるごとにカツカツという音が響いている。足下は濁った水晶のように光を仄かに反射し、きらきらと水面のような輝きを見せる。気分によってその透明度を変更できるため、眼下に水中を映し出すことも可能になっている、『水晶回廊』と名付けた廊下を歩いて、目的の部屋に向かう。
覇王城はいくつかの建物パーツが合わさっているためにかなりの広さを誇る。そのため通常であれば、移動用のスキルを使うことで時間の短縮を図り、アイテム回収や攻略に精を出すところではある。が、世界攻略が完了してしまった今、そしてある程度のアイテム回収も済んでしまっている現在は、そうした短縮に意味はあまりない。
それよりも、この創り上げた家をゆっくりと眺めながら時を過ごしていたい。僕はそんな気持ちになっていた。
しばらく歩いて、僕はその部屋にたどり着く。
仰々しい扉を開け放ち、ずんずんと歩みを進める。
その部屋は王が玉座に腰を掛け、謁見を行う場として創られた『玉座の間』と呼ばれる部屋だ。玉座へと続く赤いカーペットがそれを物語っている。その敷物も繊細な刺繍があしらわれ、踏みしめればその厚みを感じる特別な代物だ。
部屋の端には重々しい騎士の甲冑が2体並んでおり、王を守らんと構えている。忠信を思わせるその2体は、覇王の装備と同色の漆黒に身を包んでおり、純白の世界にあって異彩を放っている。
そして最奥に位置する玉座は、覇王が座するに相応しいものとなっている。シンボルとなる意匠が、この覇王城の、あるいは《最果ての地》を象徴するように多様な文様を刻み込んでいる。それはある意味で多様なものを従える王の姿で、確かに座するにふさわしいのかもしれなかった。
コンソールを操作して、着ていた装備を解除する。ここは家のようなもの。武器も防具も必要がない。
歩み、王座に腰を下ろす。
そしてそのままくーっと背伸びをする。
「あーぁ、疲れたぁー」
VRゲームの仮想身体なので、肉体的な疲労感は存在していない。ただ、それでも精神的な疲労感は蓄積されてしまうことは避けられない。
スライム狩りもひと段落し、消費アイテムの調合や特殊素材も一通り集めたため、後は約10分ほどで始まるアップデートを待つばかりになった。
そのため、一旦領域へと帰還し、この場で世界が追加されるの待とうと考えた。
『オーダーズ』のみならず、大抵のVRゲームのアップデートは新規データの追加が主になっている。例えば、今回の“新フィールドの実装”、“新規アイテム・モンスターの追加”、“新規NPC参加”など。これらも従来のゲーム性はそのままに、新しいデータを追加して遊ぶことを可能にするという有効化が基本になっている。
その利点は、VRゲームにダイブインしていても、アップデートを安全に行うことができるという点だ。
ただし、オーダーズにおいては『領域にプレイヤーがいる場合のみ』と設定されている。これは、外と内──フィールドと領域でゲーム性が異なるためだと推察されているが、詳しくは分かっていない。ただ、プレイヤーを楽しませるクリエイターサイドの心遣いだと思われた。
兎も角、そうした理由があって、僕は領域で待機をしていた。
ただ待っているのも退屈なので、ここで僕の相棒を呼び出そうと思う。
「〈コール〉……おはよう、デック」
『──おはようございます、マスター』
呼び出しスキル〈コール〉に答えたのは、女性の声。電子音である彼女の声だが、実際の人が声を当てているような自然な言葉つなぎと凜とした音色は、僕に心地よさを与えてくれる。彼女の声を設定したのは僕なので、耳障りの良さは当然のことではあるけれど。
僕の事をマスターと呼称する彼女は、姿形を持たない知能のみの存在──デックと呼ばれる領域を守護する存在だ。正式名称は『特A型領域防衛知能』というらしい。どこらへんが特でAなのかは未だによく分からない。謎だ。
そんな彼女に、色々な頼みごとをしている。
「デック、アップデート前に行っておくべきことのリストを出して」
『分かりました。マスターのコンソールに表示します』
目の前に浮かんだコンソールに、頼んだ文字列が表示される。これは、僕がデックに頼んでいた事の1つで次のアップデートに向け、必要と考えられる装備やアイテムの入手、領域の設備の整理、情報収集などの項目順に羅列してもらったリストだ。すでに完了している項目には、チェックが入っている。
「えーっと……『光月ver8.61』は、交渉の結果完全敗北……あ、『ノエルの星屑』多すぎるな……まあないよりはいいかな……『精霊神の純魂』は規定数より少ないけど……入手難易度Xランクは伊達じゃないよ……博打になるけどいけなくはない、かな……『自動人形TYPE:ノネット』の確保は……試作品だけだけど、まぁいいか……ロリさん嫌そうにしてたけど……『スキルカード』も『スペルカード』も刻限さんに創ってもらったし……これはオッケーかな」
順番に項目を吟味していくと、作戦を立ててから1週間で進捗も芳しいと思えてくる。羅列された項目の70%はクリアできている状態だ。残りの30%は優先度も低く難易度が高いため、時間の都合で放置せざるを得なかったものがほとんどだ。入手するのが極端に難しいか、或いは入手に時間がかかるか。そのような理由で後回しにしていたが、時間切れになってしまったので、アップデート後に期待……といったところだろうか。
「……んん? 何これ?」
読んでいた項目の内に、1つ見慣れないものがあるのを見つける。
「“『《アルテマ》への招待状』を使用”? アルテマってアップデートで追加されるフィールドだっけ?」
微かな記憶を呼び起こす。
新規追加フィールド《アルテマ》。その名前以外が全て謎に包まれている、情報が一切無い場所。噂では、この《最果ての地》より先の海を越えた場所にある新大陸のことではないかという。
『これは……《アルテマ》に関連するアイテムのようですね』
「関連するアイテム? それを僕が持ってるの?」
『はい、マスターのストレージに入っていたかと思いますが』
「ストレージに? ……確認してみる」
僕は、基本的にストレージを使用しないようにしている。アイテムを一瞬でコンソールにしまい込み、取り出しもワンクリックで可能なシステム、それがストレージ。だが容量が少ないため、数多くアイテムを確保したい僕のようなプレイヤーは、基本的に収納系アイテムで補っているケースが多い。
そのため、ストレージにアイテムが入るというと、運営から配布された物ぐらいだろうか。
兎も角、その謎のアイテムを探してコンソールを操作する。
ストレージの欄をポチッとタップすると、現在収納されているアイテムを確認できる。
そこには、1つだけアイテムが保管されていた。
「……あった」
そこには、確かに『《アルテマ》への招待状』というアイテムがあった。
僕自身には全く見覚えがないアイテム。操作してストレージから取り出すと、それは1枚の便箋になって手元に出現する。
それを手に持ち、とんと軽く触れると新たな窓口が開く。
「ま、使ってみますかね。ぽちっとな」
窓口のメッセージ、『《アルテマ》への招待状を使用しますか? YES/NO』。そこから、YESを選択する。それと同時に、デックとは別の無機質なアナウンスが聞こえる。
『──アップデートを開始します』
「あれ、もうアップデート? ……変だな」
なんだかボタンを押した途端に、アップデートが始まったような。そんな奇妙なタイミング。
考えすぎたと頭を振る。時間を忘れて、長いこと没頭していたのだろうと思い直して、来たるべきアップデートが完了するのを待っていた。
その時。
ジジ。
耳にチリチリとした雑音が聞こえ始める。最初は違和感程度でしかなかったソレは次第に膨れ大きくなると、ザーザーという心地の悪い音に変わる。
「あ、れ?」
そして周りの景色もノイズで歪み始めていることに気づく。ぐにゃりとカタチが捻れ、色彩が欠けて、抜け落ちていく。ポリゴンの塊が溶けて崩れて消えていく。
「──ぇ」
ノイズが一段と響いて、喉からそんな嗚咽とも取れない声が飛び出る。思わず、耳を塞ぐ。
それでも砂嵐の音は鳴り止まず、より一層激しく響く。
徐々に際限なく増え続けるノイズが、じわじわと侵食していくのを感じて。
ソレが頭の中にまで入り込んでくるのを自覚した、その直後。
とてつもない痛みを感じて。
「あ、が──っ!!」
苦しみと痛みが僕を襲う。
縄で身体中を締め付けられているような擦り切れる感覚。
ゴリゴリと存在を潰すような圧迫感。
世界から排除されるような、そんな強制力の伴う痛み。
身体中が悲鳴をあげ、僕がボクじゃ、なくな、って、い────────
あまりの痛みに耐えきれなくなって、意識を手放した僕の耳が最後に聞き取ったのは。
『ようこそ、《アルテマ》へ』
そんな無機質な声だった。
──アップデート開始を受諾。
──プレイヤー名:リオが新たなフィールド《アルテマ》へ到達。詳細は不明。
──特殊権限の使用を確認。《アルテマ》への到達に関与している可能性あり。
──ゲートの開門を確認。《アルテマ》側からのゲートの解錠の可能性あり。
──引き続き経過観察を続ける。
──報告、終了。