蝉の声に追いついた
注意:今作は『誰が為の花』http://ncode.syosetu.com/n6160ea/の続編です。
大学二年生になった愛美と麗は夏のお盆を迎えていた。冬のあの日から、どんどん打ち解けあうようになった二人。そんな二人はある夏の日、再び転機を迎える。
前作から続編になる作品です。
登場人物二人は作者の思う以上に生き生きと動いてくれました。
二人の行く先をどうぞ確かめてください。
蝉が暑さを煽る朝。まだ十時前だというの既に猛暑。窓を閉めてエアコンをつける。それでも蝉は自己主張を続ける。うるさい。一人暮らしというのも、料理が上手ではないというのも、この気温というのも重なり、今日は朝食を抜きにすることに決めた。これで昼過ぎに麗ちゃんがくるまで暇になる。ひとまずはベッドへダイブ、鮫の大型抱き枕が私を受け止めてくれる。麗ちゃんがきたら何をしようかと考えはじめ、次第にその思考は過去へと向かっていった。
あの冬の日から麗ちゃんとは付き合っている。付き合うと言っても、今までとあまり変わらないのかもしれない。帰りにカフェによったり、カラオケ行ったりといつも通り。ただ、手を繋ぐようになったり、お互いの家に遊びに行くようになったりと、前より距離は縮まっている。一緒にいる時間は確実に増えた。それを面倒くさいとか、重荷だと感じることはない。こんな毎日が楽しいと思える大学生活が送れるとは思わなかった。お互い二年生になって、新歓での劇も見事成功させた。そのおかげかサークル加入者も十分確保できた。麗ちゃんは私の作った衣装を着て、かっこよく舞台を決めて見せた。麗ちゃんは主役ほどではないが、注目の的となった。麗ちゃんの人気の理由はなんといってもあの容姿だろう。百七十を越える高身長に黒のストレートロングヘア、細身で引き締まったスレンダーな体つきに、クールな顔つき。目鼻口輪郭どれもがシャープ。さらに性格は冷静かつ物腰が柔らかい。ファンが出来るのもうなずける。しかし、麗ちゃんの魅力はそれだけではない。仲がよくなると、からかってきたりちょっかいを出してくる。そのちょっとした人懐っこさはかっこよくもあり、かわいらしくもある。さらにそれは、つきあい始めてからは顕著になった。肩を寄せてきたり手を繋いだりと、普段の雰囲気とは打って変わり、人懐っこいと言うより積極的になる。ただ、そんな麗ちゃんともまだ距離を感じる。いや、どちらかというと私が距離を置かせているのだろう。いつも通り、麗ちゃんは優しく楽しい。ただ、私の心の中や過去には踏み込まないようにしている気がする。以前に私が見せていたあの”姿”のためか、麗ちゃん自ら踏み込んでは来ない。麗ちゃんの気遣いなのだろう。ただ、それが悲しい。麗ちゃんがもっと踏み込んできたら、私はすべてをぶちまける。そうしたい。麗ちゃんなら受け止めてくれるだろう。そんな甘い希望。でも、それは私の身勝手だろう。悲劇のヒロインがハッピーエンドを求める、そんな独りよがりな考えだ。たぶん、麗ちゃんは私から話をするのを待っている。私が話せるように整理がつくまで待っている。おそらくその考えは正しい。私は夢から覚めなければいけない。違う。夢とかそんな綺麗なものじゃない。わがままから抜け出さないといけない。麗ちゃんはあの冬の日、一歩を踏み出したんだと思う。私も踏み出さなければ、進むことはできない。進みたければ踏み出さなきゃいけない。いつ踏み出すことが出来るだろう。そうこう考えていると、次第に瞼が重くなっていった。
真っ白な四角い部屋の真ん中に、一冊の本が落ちている。近づくと『愛美』と書かれている桜色の表紙の分厚い本。一定のリズムで淡く光を放っているようにみえる。拾い上げようとするが、手は本をすり抜ける。異様な静けさを満たしたこの空間。ただ一冊の本が淡く鼓動する。背後でドアの開く音がする。そこには壁しかなかったはずだが、振り返ると扉が一枚。それは扉と言うには薄く、ノブも蝶番もないただの白い板。この立方体の部屋の一部を切り出したような扉。内開きの扉の前には一つの人影がある。外からの光でよく見えない。扉は開けたままその人影は本に近づく。その人影は麗ちゃんだと気づく。麗ちゃんは私には目もくれず、本を拾い上げ、読み始める。その表情は無機質で、何も見ていないようだ。しかし、ページを次々とめくる。ページをめくる度に、本の輝くリズムが速まる。嫌な予感がする。頭が重くなる。麗ちゃんのページをめくる速度は、もはやただページをめくるためだけのものへとなる。最後のページまでめくり終わると、麗ちゃんはクルリと私を見やる。未だ無機質な顔。声をかけようと口を開きかけたそのとき、麗ちゃんの顔がグニャリと崩れる。見たことのあるような一人の男性の顔になる。本を持つ麗ちゃんの腕は力をなくす。本は手から離れ、床に落ちる。床に当たったところから、桜色の表紙は暗い赤色へと変色した。光るリズムに合わせるようにその色は本全体へと浸食を始める。顔を上げると男性の顔は麗ちゃんの顔に戻っている。麗ちゃんは来た道を戻るように扉に向かう。私は何も出来ずに立ちすくむ。足音は遠ざかり、扉が閉まる。白い部屋は、本の放つ色に満たされ点滅する。鼓動が響く。耳元でうるさく響く。
チャイムの音で意識が現実に戻る。いつの間にか寝てしまっていた。気づけば陽は頂点を過ぎていた。チャイムの正体はおそらく麗ちゃんだ。のそのそと起きてから、顔をピシャンと打ち、玄関に向かう。玄関扉の覗き窓を見ると、麗ちゃんが手を振っている。扉を開け招き入れる。麗ちゃんはコンビニ袋を渡してくれた。
「連絡入れたのに反応ないから、適当に買っちゃったよ」
コンビニ袋を開けるとアイスが二つは入っている。
「ごめんね。寝てたから全く気が付かなかった」
そう言いうと、麗ちゃんはあきれた顔をして、ため息をついている。そんな麗ちゃんを横目に、私は早速アイスを冷凍庫にしまう。
「今食べちゃおうかなぁ」
なんてつぶやくと、
「今日はお昼一緒に作るって話だったでしょ。アイスは食後にね」
なんて言ってくる。そう、私の料理下手と麗ちゃんの料理スキルの高さが判明したので、週に一回ペースでお料理教室が開かれることになったのだ。ぶーたれた表情を浮かべるが、心の中では楽しんでいる。麗ちゃんもそれを見透かしてかボケとツッコミの押収を一通りする。あらかた漫才も済み、その後のちょっとした間が何ともおかしくて一緒に笑い出す。こんなやりとりも前までは想像できなかった。とても大切な時間。麗ちゃんは荷物を下ろし台所へ向かう。私は引き出しから二人分のエプロンを取り出す。これは麗ちゃんが料理指導をしようと決めたとき、お互いに似合うものを選んで買ったものだ。私のエプロンは大きな結び紐のついたパステルカラーのチェック柄、麗ちゃんのは濃紺のシンプルなエプロン。お互いの後ろ紐を結びあい、食材を用意する。
「前回はレトルトを利用したカレーを作ったし、今回は味付けという行程をメインにやってみようか。というわけで肉じゃがです」
「お任せします」
「一緒にやります」
私はふっと、首を横に向け誰かを探すような身振りをしてみる。
「いやいや、あんただよ」
ボケてみたものの、
「細かいところはしっかりとフォローするから。ほら作るよ」
と言われてしまえば、やらないわけにはいかないね。
「細かいところと言わずに全部っ」
「はい人参」
ボケを言い終わる前に、頭上から人参が振り下ろされた。容赦ない。その後は麗ちゃんの指示に従い、ぶつくさ言いながらも順調に……まぁまぁいい感じに……おそらく次第点ぐらいは……。
「初めてにしてはやるじゃん。この前より包丁の使い方も良くなってるし」
できあがった肉じゃがを食べた麗ちゃんからはお褒めの言葉。前回よりも具材の大きさは統一して切れたし、吹きこぼれもしなかった。
「やれば私ってできるじゃん」
「途中で砂糖と塩を間違えそうにならなければ、なお良かったのになぁ」
「身に覚えがありません。早く食べよ食べよ」
そう言って私はお皿に肉じゃがをよそる。麗ちゃんはお米をよそう。私は麗ちゃんの待ってる机に肉じゃがを置き、また台所へ向かう。冷蔵庫からサラダを取り出し、麗ちゃんに見せびらかすようにして机に置く。出来合いの袋から取り出されないサラダに、麗ちゃんは驚いた様子だ。
「もしかして愛美が切ったの? これは驚いた。でももっと驚いたのはこの切り口」
もしや私の包丁スキルの高さがまた露見してしまうのかな。さっきの肉じゃがも完璧な切り分けだったからね。にやける顔を隠しきれないよ。
「茶色くなってる。ってことは昨日とかに切ったんじゃないの? 生野菜なら食べるとき切らなきゃ」
そうきたか。なにも返す言葉がない。間違ってはないのだけどそうじゃない。そうではないんだよ麗ちゃん。
「でもちゃんと包丁練習してて偉いじゃん」
こういう風に後出し的にほめるのはずるい。
「まぁね」
照れくささでいっぱいになってしまった。そそくさと席に着き食事を始める。食事中はあの花火会場は混んでただの、次のお出かけは海ではなく山に行きたいだのと話をしていると、あっという間に料理もなくなり、食後のまったりとし時間が訪れる。午後の一番暑い時間も過ぎ、料理や食事の汗も引いてきた。会話もなくなり、麗ちゃんはマンガを読んでいる。私はエアコンの設定温度を一度あげる。ベッドを背もたれにし、ぼーっと外を見る。
思い返せば私はこんなに明るい性格じゃなかった。どんよりとした空気に無理矢理芳香剤を置くような、場違いな余裕ぶった笑顔をしていた。そんな私も、麗ちゃんといるときは自然と笑顔があふれていた。つきあい始めてからは、晴れ渡るような世界が広がっていた。この世の楽園のような、見たことのない世界が待っていた。晴天も曇天も満天の星空も輝いていた。私はその世界の一部になれていた。笑顔は自然とこぼれるものだと気づくことが出来た。ちらりと麗ちゃんの表情をうかがう。まじめな顔つきでマンガを読んでいるかと思うと、今度は面白そうに笑っている。この麗ちゃんの自然な姿は変わらずあり続けている。私は以前とずいぶん雰囲気が変わってしまった。一緒にいると楽しいと言っていた麗ちゃん。私はあの頃とはずいぶん変わってしまったよ。みんなが噂する、可憐な華なんかではない。道ばたのアスファルトから醜く生き延びる見慣れた花に見えるでしょ。私はそれでかまわない。でも麗ちゃんはどうなのかな。不安が心を蝕む。もう、迷惑をかけちゃいけない。まだ話していない私のこと。気にかけてくれた悩み事。それを麗ちゃんが知ったらどうなっちゃうかな。確信のないことも、真実のように見えてくる。昼間の夢が語りかけてくる。さっきまでの談笑も、今までの思いでも、すべておとぎ話のように遠くに感じる。ただ、漠然とした不安がこの部屋を満たしている。
「ねぇ、麗ちゃん」
思わず口からこぼれてしまった。麗ちゃんはマンガから目を話こちらを見ている。
「麗ちゃんは私のどこが好きなの?」
なし崩しに始まってしまった言葉。ここまで来たならば話してしまおうと言葉を続ける。
「あの日、一緒にいるのが楽しいって言ってたけど、私はあれからずいぶん様子が変わっちゃった。悩みを聞いてあげたいって言ってくれてたけど、私は何も話せていない」
笑い話にはならない口調。落ち着こうと思っても、次第に語気が強くなっていく。視界の中では、麗ちゃんが神妙な面もちでこちらを見ている。
「悩みのことを話したらきっと麗ちゃんは私のこと嫌いになる」
喉元まで出てきている次の言葉。頭で考えるよりも早く、叫ぶようにして発してしまう。言ってはいけない。言うつもりではなかった。そんなことなどお構いなしに、不安は爆発するように後押しをする。
「どうせ嫌いになるなら、もういいよ」
窓の外の蝉の声も工事の音も、室内のエアコンの音さえ遠ざかっていた。自然と目をつむり下を向いていた私。過去と現在、現実と夢が混ざり合い、ただ自分の発した言葉だけが頭の中を意味なくこだまする。握りしめていた手に、ふと自分のものではない他の感触がする。目を開けると、隣で麗ちゃんが私の手をつつんでいた。麗ちゃんの顔を見やると、そこでは今にもこぼれ落ちそうな滴が目元で震えている。こだましていた言葉が胸に落ちてきた。それを皮切りに、たった数分の出来事が濁流のごとく、思考へと渦巻きなだれ込んできた。取り返しの付かないことを言ってしまったのだと気づいた。麗ちゃんの震える滴は訴えかけてきている。ここで逃げることなんて出来ない。私は体の中の空気をすべて入れ換えるように、呼吸を一つする。勢いのまま発した言葉の合間に潜む、省いてしまった物語をつぶやく。
「私たちは女同士で付き合ってて、それを知っている人の中には嫌な目を向けてくる人だってたくさんいると思う」
ぽつりぽつりと話し出す。大丈夫。今度は落ち着いて話せている。下を向く私だが、視界の隅で麗ちゃんがうなづきながら話を聴いているのがわかる。
「どんなに私たちが良くても、世の中は変わらない。それどころか正義面して責め立ててくる人にだっていつか出会う」
少し言葉が詰まる。
「私はそれが怖い。もしそれで麗ちゃんが私のことを嫌いになるなら、それがもっと怖い。そんなことは嫌なの」
また、言葉に詰まる。ここからは誰にも話したことのない話。その扉を今、開けようとしている。もし開け放ってしまったら、もう後戻りは出来ない。とても恐ろしい結末が待っている。そんな気がする。でも、麗ちゃんにはすべてを話すと決めた。なし崩しに始まった話だが、いつかはしなければと思っていたことだ。ここで逃げれば安堵とそれ以上の後悔が襲ってくる。
「中学の頃に彼氏が居たの」
直前の話とはなんの脈絡もない昔話。声が震える。整理をつけて話など出来ない。麗ちゃんの様子をうかがう余裕もない。
「初めて出来た彼氏はとても優しかった。私も優しくしたし、楽しくした。私は本心からそうしていた。つもりだった。ある日、彼は私に聞いたの、『俺といるのが好きなのか、俺といるのを楽しくしようとするのが好きなのか』って。私には見えないことでも、相手には違和感だらけに見えたみたい。自分に尋ねてみたけど、本当にしたいことなんてわからなかった。好きだと思ってた。思ってただけなのかもしれない。もうそれすらわからなかった。当然別れた。でもそこから、私の行動はすべて違和感だらけになったの。気持ちはどこから来ているかわからないの。不意に『それが本心からの行動?』って声が聞こえてくるようになった。もう何も出来なくなっちゃった。それから、私は目立たぬよう、他人に良く見えるように振る舞うことにした。薄っぺらな上辺で取り繕ってた」
誰もが皆、仮面を付けていると言う。そんなことは関係ない。私はそれが嫌だ。気持ち悪いと思う。気づかずにつけていた仮面で傷つけた。今はどっちだろう。仮面なのか、仮面が素顔なのか。わからない。申し訳ない。滴が。嗚咽が漏れる。
突然、体に衝撃が加わる。体が後ろに倒れ、ベッドの側面に寄りかかる。体の前面には麗ちゃんの体温がある。
「ごめんね」
震える声と嗚咽が耳元で空気を揺らす。麗ちゃんは私を強く抱きしめささやく。
「つらかったよね。私には経験のしたことのないことだからよくわからないけれど、愛美の涙でわかるよ」
初めて語った。話しちゃいけないと思ってた。でも受け止めてくれる人はすぐそばにいた。麗ちゃんが優しく背中をさすってくれる。
「愛美が私のことを気にかけてああ言ってきたのも、苦しくていっぱいいっぱいになってしまったのも何となくわかる。そういう気がする。愛美はやさしいもんね。私の目に愛美が映ったときから、愛美は自分を捜し戦う、優しい人だったよ。それでね。一つ確認したいことがあるの。愛美は私と一緒にいたい?」
呼吸が止まる。あのときと同じ。あえて麗ちゃんはこの質問をしてきたのだろう。答えはわかっている。麗ちゃんもわかっているはずだ。私が答えられるかを待っている。進められるかを試している。麗ちゃんと出会った去年の夏からの日々、転機を迎えた冬のあの日からの日々、どちらも遥か昔の自分とは違う。あの日、麗ちゃんが語ったように、私もいいたい。自分の本心だと思えていることを伝えたい。でも、この気持ちも嘘なんじゃないか。また、あの頃のように。両親にも顔をあわせられない。そんな私に本心なんて分かるわけがない。一瞬の気の迷いかもしれない。でも。
「大好きだよ」
かすかに唇が動いた。直前の思考のしがらみなんて嘘のようだった。たった一言。どこからか、しがらみをすり抜けてきた一言。花火の音と光のように、感情や現実が言葉の後からやってきた。気持ちの爆発が訪れる。
「麗ちゃんのこと、大好きだよ」
無我夢中だった。両手で麗ちゃんを力強く抱きしめ寄せる。
「本当は誰が何言ってきたって、昔の自分がどんな奴だったかなんて関係なくて、今は麗ちゃんといるのが楽しくて、世界が輝いてて、一緒にいたくて、それだけは本当なんじゃないかって、大好きなんだって」
くしゃくしゃな顔も声も関係なく、あふれ出す言葉を解き放った。今はただ酸素をもとめ呼吸をする。麗ちゃんの鼓動と私の鼓動、二人の呼吸が部屋に響く。生きている。
「私も大好きだよ。愛美の大好きがあるなら、別れる必要なんてないよ。外見も世間も過去も関係ない。好きという今の気持ちに、私たちは正直になろう」
自分自身に言い聞かせるようにも聞こえた麗ちゃんのささやき。その言葉の暖かさ、麗ちゃんの体温は、泣き続ける私をゆっくりとまどろみへと連れて行った。
また、真っ白い部屋。桜色に淡く光る本。私はその本を拾い上げ、胸に押し当てる。私の鼓動が本へと伝わり、重なる。本は鼓動にあわせて淡く光りながら、胸の中へと沈み込む。私はゆっくりと壁に向かって歩く。真っ白なつなぎ目のない壁に手を当てる。無機質な感触にグっと力を込める。部屋全体に亀裂が走り、はらはらと破れ散る。目の前の壁の先には麗ちゃんがいた。無表情の麗ちゃんは鏡合わせのようにして同じポーズを取っていた。二人の手の平の間に挟まれた欠片は、二人が手を握ると霧散した。光の粒子となって霧散した壁の先には、笑顔の麗ちゃんだ。私たちは顔を見合わせ、手を離し、外の世界を眺めた。強い日差しが広大な平原を照らしている。何も言葉を交わさず、私たちはまた手を繋ぐ。広い広い世界への一歩を、二人で踏み出す。
目が覚めるとベッドに横たわっていた。タオルケットがかけられている。明かりは消え、カーテンは閉められている。カーテンの隙間からは街灯と蝉の鳴き声が滑り込んでくる。体を起こそうとして、手に感触があることに気づく。そちらを見やると、麗ちゃんが床に座り込み、ベッドにうつ伏せになっている。その腕は私の方へ延び、私の手を握っている。私の動きで目が覚めたのか、麗ちゃんも目を覚まし私を見る。
「涙の跡でひどい顔だよ」
麗ちゃんがいつもの調子でつぶやく。
「麗ちゃんこそ」
私はそれに答える。いつものようなやりとりが何だか愛おしくて、どちらからともなく笑い始める。蝉の鳴き声も空調も一緒になって笑っている。やっと夏が来た。
最後まで目を通していただきありがとうございます。
これで二人の物語は完結です。
もしかすると今後、関連した詩やサブストーリーなど出すやもしれません。
それでは失礼します。