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第八話:目に見えないもの

「おい、秀一、大丈夫か、聞こえるか?」

満は何度も声を掛けていた。

「取りあえず、毛布でくるんで・・。」

庄太が慌しく毛布を持ってきた。

「よし、とにかく服を脱がせて、毛布で包もう。部屋も温かくしないと駄目だよな。庄ちゃん、台所のストーブこっちに持ってきた方が良いんじゃねえか。」

「ああ、そうだね。持ってくるよ。」

「それから、キャンプで使ってる寝袋、あれも取りあえず持ってきて秀一包むか。去年買ったばかりのがあったよな。」

「ああ、うん。それも持ってくるよ。」

「頼む。俺は秀一着替えさせとくから。」

「ああ、分かった。」

庄太は急いで一階に下りていった。

「ええと、台所のストーブと寝袋寝袋・・。」

バタバタと押入れを探す。

「ええと、何処入れたっけな・・。」

寝袋を探しながら庄太は一人でブツブツ呟いていた。

「あいつ俺の家、把握しすぎてねえか?台所のストーブはともかく、寝袋とか・・。しかも去年買ったとか・・。はい、確かに去年買い換えました。でも、俺そんな事言ったっけ?何で知ってんだ?あいつ。何ていうか、どうでもいいけど、此処、俺の家なんですけど。」

奥の方から寝袋が出てきた。

「あった、あった。これだ、これ。」

寝袋を引っ張り出す。

「おーい、あったかー?寝袋―?」

満が二階から声を掛けてくる。

「押入れにあるだろー。」

「・・・。だから、何で場所まで知ってんだよ。」

ブツブツ呟きながら庄太はストーブと寝袋を二階に運んでいった。

「おう、持って来たぞ。」

庄太はすぐにストーブに火を点けた。純平も毛布に包まれている。

「大丈夫か、純平。こっちおいで。今ストーブ点けたから。」

{はい。でも、秀一さんが・・}

純平は秀一の傍を離れずにいた。

「大丈夫だよ、純平、秀一は。こっちおいで。今乾かしてやっから。」

そう言って庄太は純平を抱きかかえてドライヤーで乾かし始めた。

「でも、見つかって良かったな。純平。」

少しずつ部屋が暖かくなっていた。

{僕はとんでもない事を・・。また秀一さんに迷惑をかけてしまって}

「大丈夫、心配するな、純平。秀一は大丈夫だよ。」

ガタガタ震えている純平に庄太は優しく声を掛けた。

大分時間が経って、部屋は暑く感じるほどだった。

「んっ・・。」

静まり返った部屋に微かに声が聞こえた。

{ワンー 秀一さん!}

純平が真っ先に駆け寄って来た。

{ワンワンー 秀一さん、秀一さん!}

僕はゆっくりと目を開けた。ぼんやりと見た事のある風景が目に映ってくる。

「ここは・・。」

生きてたんだ・・。

「おい、大丈夫か、秀一!」

満が顔を覗き込んでくる。

「うん。大丈夫だよ・・。」

僕の声を聞いてホッとした様子で満は息を吐いた。

「はあー、良かったー。」

「本当無事で良かった。」

庄ちゃんもホッとした様子でこっちを見ていた。

{ワンワンー 秀一さん、秀一さん。本当に良かった}

純平が顔を舐めて擦り寄ってくる。

「純平。無事で良かった。」

僕は純平の頭を撫でながらそう言った。

「本当、無事でよかったよ。」

「そうだよ、一時はどうなる事かと思ったぜ。」

「うん。有難う。満、庄ちゃん。」

「でも、本当びっくりしたよ。秀ちゃん、こんな真冬に川に飛び込むんだもん。」

庄ちゃんが言った。

「そうだよ。こっちの心臓が止まりそうになったぜ。」

「ごめん、心配かけて。」

「びっくりしたけど、見直したぜ。俺あんな真冬の川に飛び込む勇気ねえもん。」

「そんな、あの時はとにかく必死で。」

「それだけ、純平ちゃんが大事だったんだね。」

{えっ、僕・・}

純平が僕の方を見た。

「うん、そう。それぐらい純平が大事だったんだ。」

そう言って僕は純平の頭を撫でた。

{クーン ―秀一さん・・}

純平はさっき以上に僕の顔に擦り寄って来た。

「あはは、くすぐったいよ、純平。」

{だって、だって、本当に凄く嬉しいんだもん}

「あはは、分かった、分かった。有難う、純平。」


氷がゆっくり溶けていくように、僕の体もゆっくり溶けてやっと元に戻ったようなそんな感覚だった。

「でも、本当に良かったよ。秀ちゃんも、純平ちゃんも無事で。」

「うん。有難う。ごめんね、色々迷惑かけて。」

「いいよ。気にしないで。無事で何よりだよ。」

「でも、本当びっくりした。秀ちゃん勇気あるよね。真冬の川に飛び込むなんて。」

「そんな事無いよ。あのときは無我夢中だったから。」

「体温まった?」

「うん、大分。」

「寝袋から出る?まだ寒いならそっちの方が良いと思うけど。」

「あ、うん。そうだね。」

「何か、さっきまで、ずっと必死だったから何とも思わなかったけど。」

「え、何?」

「その格好、結構笑える。」

「え?」

「だって、部屋の中なのに寝袋着て顔だけしか出てないし。」

「ここは何処なんだって感じ。キャンプごっこみたいだぜ。」

そう言ってニヤっと満が笑った。

「あ、今ニヤって笑ったな。」

「ああ、笑ったよ。だってまじでその格好おかしいもん。超笑える。」

「ひどいよー。こっちは死にそうだったってのに。」

「まあまあ。さっきまで、満もずっと悲壮な顔してずっと秀ちゃんの事心配してたんだよ。あんまり信用ないと思うけど。」

「あ、何だよ。」

「何にも。とにかくあの時は必死でこれぐらいしか思いつかなかったもんな。」

「でも、有難う。お陰で命拾いした。」

「本当だよ。お礼に今度俺の代わりに宿題やってくれよな。」

「いつもやってることじゃん。いいの?そんなことで。」

「あ、お前、命の恩人に対して、何て嫌味な。」

「嫌味じゃなくて事実じゃん。」

「じゃあ、今度テストの答え見せろ。」

「どうやって見せるんだよー。席遠いじゃん。」

「じゃあ、俺の代わりに受験受けろ。」

「犯罪じゃん・・。」

「本当、もっとましな事思いつかないのか?満は。」

「何だよー。じゃあ庄ちゃんは何してもらうのさ。」

「うーん。・・考えとく。」

「ないんじゃん。」

「うるさいなー。どうでもいいけど、お前俺の家の中把握しすぎだぞ。何で寝袋去年買ったの知ってるんだよ。」

庄ちゃんが満を横目で見ながら言った。

「え、何でって。去年破れたから買いに行くのに俺がついて行ってやったじゃん。」

「あー、思い出したー。」

「ふーん、満優しいところもあるんだ。」

「当たりめえよ。」

得意げに満は言った。

「何が優しいもんか、こいつが無理やり引っ張って俺の寝袋破いちゃったんじゃねえか!」

「はあ?」

僕は呆れた声で言った。

「あ、余計な事思い出しちゃった?」

「余計な事・・ってお前が破いたくせに何が余計な事だ、弁償しろー。」

「まあまあ、庄ちゃん落ち着いて。この寝袋のお陰で、秀一は息を吹き返したんだから。」

「そりゃ、そうだけど・・。」

「前回の寝袋はちょっと薄かったもんな。」

「え、そうだったっけ?」

「そうそう。あれだったら秀一の体は十分温まらなかったかも知れねえよな。」

「そうだったのかな・・。」

「絶対そうだよ。これ凄え、丈夫で温けえもん。これだから秀一の体は温まる事が出来、秀一は助かったってもんだよ。」

「そうなのか・・?」

「絶対そうだよ。」

「この寝袋良いのかな。」

「良いと思うぜ。秀一助かったんだもん。」

「・・そうか。」

庄ちゃん何か丸め込まれてない・・?

「命に値段はつけられねえって事よ。」

「そりゃ、そうだけど・・。」

本題すりかわってるじゃん。

「いや、とにかく秀一が無事で何よりだよ。」

「そりゃ、もちろんそうだけど・・。」

「まあ、秀一も良くなったし、ゆっくり秀一の生還を祝おう。」

「お、おう。」

「ま、とにかく、座れよ、庄ちゃん。」

「あ、ああ。そうだな。」

庄ちゃん人良すぎるって。庄ちゃんはゆっくり座って僕に言った。

「とにかく、良かったね。秀ちゃん。」

「うん、有難う。」

僕は答えた。庄ちゃんも、たまには人を疑おうね。

「あー、見てみて秀ちゃん。星が綺麗だよー。」

庄ちゃんが窓を指差して言った。

「本当だ・・。」

僕と満は窓を見た。

「ああ、本当に綺麗だね・・。」

僕はそう呟いた。あの時気を失って、そのままもしも息を吹き替えさなかったら、この景色をもう見ることは出来なかったんだ。

「屋根裏に行ってみようぜ。」

満が言った。

「だから、それは俺のセリフだってーの。俺ん家の屋根裏なんだから。」

庄ちゃんが満のホッペをつねりながら言った。

「うわー、すげえ、気持ちいいー。」

満がはしゃぎながら言った。

「やっぱ、ここの屋根裏最高だよなー。」

そう言いながら満は横に寝転んだ。

「うん。唯一の自慢だな。」

庄ちゃんが得意げに言った。空一面に満点の星が散りばめられている。プラネタリウムなみだ。

「何かこういうの見てっと小さい事で悩むのが馬鹿らしくなってくるよな。」

満が言った。

「あはははー、何にも悩んでないくせに。」

笑いながら庄ちゃんが言った。

「あー、そんな事ないって前から言ってるだろ。」

「じゃあ、何悩んでんだよー。言ってみろよー。」

「・・・。」

「ねえんじゃん・・。」

庄ちゃんが突っ込んだ。

「いや、違うって。あるって悩み。まじで。深刻な悩み。」

「何だよ。」

庄ちゃんが問う。

「いや、だから、将来。何か俺ん家の親みたいに結局俺も平凡にサラリーマンやって、平凡に何とか食ってけるだけの給料貰って結婚して、かつかつの給料の中で、子供育てて、結局俺の給料は生涯三万円なのかなーって思うと、ちょっともの悲しくなる時があるわけよ。」

「成る程ね。何か切実な、しかも、何てリアリティな・・。」

「だろ。既にその道を歩き始めている庄ちゃん、どうよ、その事については。」

「んー。余りにリアルすぎて、答えるの怖い。」

「まあ、でも庄ちゃんはまだ良いよ。最後は親父の後継ぐんだろ?一生サラリーってわけじゃないし。」

「こっちだから良いっていう問題じゃない気がするけど。俺だって、結構迷ったし。高校ん時は違う事したいって思ってたから、親父の後継ぐつもり無かったしね。」

「え、そうなの?」

僕は聞いた。

「まあね。でも、やっぱ、親父見てっと、自分の仕事に信念燃やしてるっていうか、貫いてるっていうか。んで、面白いかもしれないかなって思ったわけ。で、僕の家は商売だから、もっと物を売るって事も勉強しようかとサラリーマンになったわけ。」

「そうなんだ。」

「そう。でも、これが。前にも言ったと思うけど、今の世の中営業で物を売るなんて、何と大変な事か。」

「本当、へばってる時あるもんな。」

「でも、やっぱ社会にもまれて組織の中で働いて、厳しい現実社会を体験すると、皆こんな大変な思いをして、日本という国を支えてこられたんだなーって、思うわけよ。」

「日本をね。大きくとらえたねー。」

「いやいや、本当に。もう俺何回仕事辞めたいって思ったことか、分かんないくらい。本当にもう、全部投げ出したくなる時だって、あるんだから。もう、嫌だーって。」

「そんな風に、見えないけど。」

「ん、何か言った?秀ちゃん?」

「あ、いや。何も。」

「皆、きっと、こんな思いはしょっちゅう感じてると思うんだ。でも、皆辞めずに頑張ってる。そうやって、皆が頑張ってきた積み重ねがあるからこそ、今僕達は何不自由なく生活出来るんだよなーって。仕事始めて先輩に励まされたりして、俺らもそんな事あったよ、まあ、次頑張れみたいな事言われると、僕だけじゃなくて先輩も乗り越えたから今あんな風に笑ってるんだ。俺も頑張らないとなーって思う訳で。」

「ふーん。何か奥が深いね。」

「そう。俺も実のところ学生の頃はそんなに大人を尊敬してなかったわけ。こんなこと言うと怒られちゃうだろうけど。変わんないじゃんって。大人も俺達も。たいしてやってる事変わらないって思ってたんだ。それなのに、あーだこーだ煩いって、正直な所。でも自分が仕事始めて、自分がいかに甘く考えてたのかを思い知らされたんだ。」

「そうなの?」

「そうなの。だって俺自分じゃ何一つ出来なかったんだ。一度、発注を間違えて、取引先の商品が足りない事があったんだ。もう、取引先からは大目玉。今後取引止めるまで言われて。俺本当あの時は青ざめて、血の気引いたもん。結局上司と一緒に謝りに行ったんだけど、それが情けなくて。」

「・・何が?」

「俺、謝り方知らなかったの。友達にごめんって謝るのとは訳が違うじゃん。この申し訳ない事実を、何て言葉で相手先の人に言っていいのか分からなかったし、俺本当どうして良いか分からなくて。結局上司がやる通りに謝って、その後何とか足りない分を発注させてもらって。僕の失敗を尻拭いしてもらって。結局俺は迷惑かけることは出来てもいざという時は、一人じゃ何にも出来ないんだという事を痛感して。本当にあの時だけはどうなる事かと思ったよ。」

「そんな事あったんだ。」

「でも、それで気がついたっていうか。さっきのは仕事の事だけど、考えてみりゃ、人生一人じゃ生きて行けないよなーって、ふと思ったわけ。何かそれまで、自分だけの力でここまで生きてきたみたいな気になってて。苦労しないから、逆に気が付かなかったんだ。」

「苦労しないから・・?」

「そう。俺結構早いうちからバイトしてたし、自分の物はバイトで稼いで買ってたし、何か自分である程度切り盛りしてやってたから、自分で早いうちからある程度自立してるって勝手に思ってたみたい。だから自分の事は自分でやっていけるさ、なんて思ってて。それが、いつしか自分自身でやってきたみたいな感覚になっていっちゃたのかなあ。」

「かなあ、なの?」

「まあ、あくまで自分を振り返ってみての話だからね。でも、全然違ってた。」

「違ってた?」

「自分自身でやってきたんじゃない。自分自身でも出来るように、周りが一生懸命サポートしてくれていたんだ。その事に、気付かないで。」

「気付かないで・・。」

「そう。そういうのって一々目に見えるものじゃないし。気が付けば温かいご飯があって、風呂が沸いててって、当たり前の日常生活の中にもあるんだけど。それって、当たり前って思うけど、一人暮らし始めたら、その当たり前にご飯があったり、風呂が沸いてるのって、すっごくあり難く感じたりして。そんな事言い出したら、当たり前に食べれるご飯も、作ってくれている農家の人達がいなきゃ、俺たちご飯食べれないし、そう考えたらあり難いって思うし。それ言ったら、今も戦争してる国の人達の事を考えたら今、何不自由なく生きてることもあり難いって思うし。」

「本当そうだよな。」

満が言った。

「でも、今の僕達は毎日が何不自由なく暮らしてるから、それがあり難いって思えなくなってきちゃってるんだよね。苦労すれば本当にあり難いって、体感すると思うんだけど。僕達が苦労しなくてすむ様にサポートしてくれている事に既に僕達は気付けなくなってしまって。本当はあり難い事があり難くなくなっちゃてるから、感謝の気持ちも勿論ないし、あーだこーだ言う大人達の意見も煩く感じてしまう。」

「うーん。胸が痛い。」

満が胸に手を当てながら言った。

「あーだこーだって、言ってくれるだけまだましだよ。」

僕は呟くように言った。

「秀ちゃん?」

「僕には誰もあーだこーだ言ってくれる人なんていないし。」

そう言って僕は下を向いた。

「どうしたんだよ、秀一。」

「僕はいつだって一人ぼっちなんだ。」

「どうしたんだよ、急に。一人じゃねえよ、俺達だってついてるじゃん。」

満が言う。

「僕はそんな資格ないよ。」

「資格って何言ってんだよ。」

「僕はそんな事してもらえるような資格なんて無い人間なんだ。」

「そんなことねえよ。どうしたんだよ、秀一。」

「僕は駄目な人間なんだ。」

そう言って僕は言葉に詰まった。自分の母親を傷つけてしまった事が頭から離れなくて、苦しくてしんどくて、そんな事をしてしまった自分自身にどうしようもなくて泣きそうになっていた。

「秀ちゃん、大丈夫?」

庄ちゃんが優しく声を掛けてくれる。

「話してみたら。僕達で良かったらだけど。」

庄ちゃんの優しい声が胸に刺さって余計に僕は苦しくなっていた。僕は下を向いて喉が熱くなるのを感じていた。

「僕は、僕は・・。」

僕は詰まっていた思いを吐き出すように大粒の涙を流していた。

「言えない・・言えないよ・・。」

だって言ったら僕はきっと軽蔑される。きっと怖くなって、僕から離れてしまう。そんなの辛いよ・・。

「秀ちゃん・・。大丈夫。大丈夫だよ。泣かないで、秀ちゃん大丈夫だよ。」

庄ちゃんが僕の背中を軽く擦ってくれていた。よっぽどの事・・と庄ちゃんは悟ったのか、

「いいんだよ、大丈夫だよ、秀ちゃん。」

何度もそう言ってくれた。そう言ってくれた庄ちゃんに僕は甘えて懺悔してしまいたかったのか。きっと自分の罪を吐いて、自分自身が楽になりたかったのか・・。

「僕は、僕は・・。」

そう言って、僕は罪を話し始めた。


「そうか・・。」

庄ちゃんがポツリと言った。僕は今までの経過を、母を傷つけてしまった事を二人に話した。何度も何度も、僕は言葉に詰まりながら、凄く長い時間を話しているように感じていた。でも、庄ちゃんと満は目を反らさずに一生懸命僕の話を聞いてくれていた。話し終わって僕は罵られても仕方が無いと思っていた。罵倒されて軽蔑されて、友達の縁が切れても仕方がないと思っていた。

「しんどかったんだな。秀一。」

満が言った。僕は顔を上げた。

「怖くないの・・?」

満の思いがけない言葉に僕は満を見た。

「そりゃ、傷つけたっていう秀一の行動は確かに怖いっていうのが正直な思いだけどさ。でも、それだけ秀一自身も追い詰められてたって事だろ?」

「そうだけど・・。でも僕はとんでもない事をしてしまった人間なんだ。僕なんて価値ないよ。」

そう言って僕はまた下を向いた。

「自分のこと価値無いなんてそんな寂しいこと言うなよ。そりゃ、秀一も確かに悪い事をした。一歩間違ったらとんでもない事になってただろうし、行為事態は許されねえことだ。でも、普段の秀一はそんな事しない奴だって俺はよく知ってる。だからよっぽどの事があったんだろうって思ってるよ。」

「僕もそう思うよ。」

庄ちゃんが言った。

「普段の優しい秀ちゃんからは想像出来ない。よっぽど追い詰められた何かが秀ちゃんの身に起こったんだって思うよ。」

そう言って庄ちゃんは優しい目で僕を見た。

「皆、優しすぎるよ。本当はそんな事思ってないんじゃ・・。僕の事怖いって軽蔑してるんじゃない・・?」

僕は下を向いたままだった。

「だから、そんな事ねえって。」

「そんな事ないよ。僕なんか友達でいる資格なんてないよ。軽蔑されて当然だもん。」

「お前なー、何だよ。軽蔑してほしいのかよ。」

「そうじゃないよ。そうじゃないよ。ただ、僕本当にもう分からないんだ。」

「分からないって何が。」

「だって、こんなことしたのに友達でいてもらうなんておこがましいっていうか。こんな僕には、もう関わらない方が良いんじゃいかって・・。」

そこまで言って、満が話し始めた。

「関わっていくか関わっていかないかは俺が決めるよ。だから何度も言ってるだろ。確かに秀一がやった事は正しい事じゃない。むしろ間違ってる。やっちゃいけないことだ。でも俺の知ってる秀一は絶対そんな事する奴じゃない。だから、そこまで追い詰められていた秀一を俺自身も全然気付いてやれなかったって事に凄い反省してる。もっと分かってやってたら、秀一ももっと楽だっただろうにって。逆にこうも思ってる。何で言ってくれなかったんだって。だって水臭いじゃないか。俺達幼馴染だし、いつでも話できたのに。」

温かい満の言葉に僕はまた涙が溢れそうになっていた。

「そう。そうだね。そうだったんだね・・。」

僕はいつからこんなに距離を置いてしまっていたのか。知らない間に勝手に僕と満の間に距離をつくってしまっていた。何故か、満が違う世界の人の様に感じていた。楽しそうに笑ったり馬鹿やったりしている満を見て、楽しそうな毎日の学校生活を送ってる満を見て、僕はそんなんじゃ駄目だなんて、いつしかそんな風に思うようになっていた。勉強で忙しくなる毎日。少しずつ勉強が追いつけなくなっていく焦りを感じて、毎日の様に繰り返される母親の無言のプレッシャーに押さえつけらていくうちに、勉強に追いつくためには僕は楽しい事と、さよならする必要があった。楽しい事と決別しなければ、とてもじゃないけど、勉強が追いつかない。そう切り離していくうちに、楽しく学校生活を送っている満の世界は、次第に違う世界に見えていた。僕の住む世界と満のすむ世界は違うんだ・・。そうやって僕は自分でこんなにも満との距離を作ってきてしまっていたんだ・・。

「有難う・・。満。僕は、僕はずっと満が羨ましかっんだ・・。」

そう言って、少し流れた涙を拭った。

「えっ・・。秀一が、俺を・・?」

「うらやましかった、んじゃなくて、うらめしかった、んじゃないの?」

庄ちゃんが言った。

「あ、こら。そんなわけねえだろ。」

「あはは、庄ちゃん親父ギャグ。でも、ちょっと笑える。」

僕は言った。

「そう?良かった、ちょっとでも、笑ってもらえて。」

庄ちゃんが優しく笑った。

「でも、満のどこが?満なんかの一体何処が羨ましいの?」

「庄ちゃん、あんたね。」

満が言う。

「んー。でも、まじで俺なんかの何処が羨ましいんだ?頭だって、お前の方が良いし、お金だってお前ん家の方がお金持ちだし。」

「ないね。」

ポツッと庄ちゃんが言う。

「庄ちゃんが言うなって。顔だな、やっぱし。それしかねえな。」

「それ、前にも言ってたよなー。だから、それも絶対違うって何度も言ってるだろ。本当幸せな奴だよ、満は。」

「絶対違うまで言う。ったく、何だよー。なあ、秀一、何が羨ましいんだよ。」

膨れっ面で満は聞いた。

「そういうとこ。」

「そういうとこって?」

「そういう、何か能天気なとこ。」

「あー、それ全然褒めてねえじゃん。」

「えー、そんなことないよ。」

「そんことあるだろー。」

満はさらに膨れっ面で言った。

「そんな事ないって本当に。僕、いつも満は楽しそうに学校生活送ってるなーって思ってたんだ。休み時間になったら皆で机囲ってゲームの話したり、今度どっか遊びに行く計画立ててたり、ふざけて教室走って友達と笑い転げてたり。満にとっては何ともない毎日の学校生活なんだろうけど、僕にとってはそんな事が羨ましかったんだ。僕も馬鹿やって笑い転げたり、もっと毎日楽しい学校生活を送りたいって思ってたんだ。勉強に毎日縛られてそんな当たり前のことも出来ずにいた僕にとって、本当に満は僕からみたら羨ましかったんだ。」

「そうなのか・・。」

「うん。何か本当楽しそうだなーって思ってさ。」

「まあ、楽しくないっていったら嘘になるけどな。でも何かちょっと意外だぜ。俺はそんな事やってる俺を見て、こいつ馬鹿なんじゃねえかって思われてるって思ってたからさ。」

「そんな、そんなことないよ。」

「そっか。だって秀一授業終わったらすぐ家に帰ってたし、帰りにちょっとどっか寄って誘おうかと思うときもあったけど、何かそんな雰囲気でもなかったからなー。別に興味ないのかなって思ってたよ。」

「そんなわけないよ。本当は僕もそんなこととか色々やりたかったんだ。だから、満が放課後部活に顔出すのも羨ましいって思ってた。でも、僕は勉強しなきゃいけないからって、我慢してたんだ。」

「そうか。勝手に秀一は興味ないって思わずに声掛けりゃ良かったんだよな。」

「そんなことないよ。行きたいって思ってたんだから僕も行きたいって声を掛ければ良かったんだ。でも僕も勉強で必死で、行っちゃいけないって思ってたし。」

「そんなに大変なの?勉強?秀ちゃんなら頭良いんだし大丈夫だろ。満じゃあるまいし。」

庄ちゃんが言った。

「いちいち引っかかる奴だな。」

満が庄ちゃんを横目で見る。

「でも、結構ぎりぎりなんだ。」

「うーん、そうなんだ。まあ、どうしてもやりたい学部がそこの大学にあるとかって言うなら別だけど。一つランク落としちゃ駄目なの?秀ちゃんならどっちにしろ良い所狙えるだろうし。満と違って。」

「いや、もういいって。いちいち俺を比較対象で出すなっつーの。」

「やりたいこと・・そんな風に考えたことなかった・・。」

そう僕が言うと庄ちゃんは少し悲しそうな顔をした。

「秀ちゃん将来何になりたいの?」

「将来・・何になりたいか・・。」

僕は考え込んでしまった。特に何も・・ない・・。

「まだ決まってなくたって別にいいんだけど。これから、見つけていけばいいんだし。」

「う、うん。」

「でも、そんなにがむしゃらに頑張らなくたって、自分の行きたいところと自分の合った所に行けば良いんじゃないの?まあ、たいした勉強してこなかった俺が言うのもなんだけど。確かに、勉強するのって今しかないから全部我慢して勉強してっていう我慢や忍耐を学ぶためには受験も大事な人生の試練の一つだとも思うんだけど。」

「うん。」

「でも、自分の感情のブレーキが利かないくらい、そこまで自分を追い詰めてまで今目指している大学に本当に行かなくちゃならないのかって、僕は疑問を感じるよ。」

「そうだよな。」

「そこまで自分を壊してまで執着する必要が本当にあるのかって。」

「・・うん。」

僕は分からなかった。そこまで執着している理由。将来の夢も目標も特に決まっていない僕がそこまで何に執着しているのか・・。

「秀ちゃん。」

庄ちゃんが僕の顔を見た。

「分かんない・・?」

庄ちゃんが聞いた。分からないわけじゃない。分からない訳がない。むしろ僕がずっともだえ苦しんでいた事だ。分からない訳がない。でも、何故、その事を口にしてはいけないような。口にしたら何かが崩れていくような。まるでずっと閉ざされてきた封印を開けてしまう様な。唱えてきた呪文を解いてはいけないような・・。

「秀ちゃん。」

庄ちゃんに呼ばれて僕の体がピクッと動いた。

「秀ちゃんの人生は、誰のものでもない。秀ちゃんのものなんだよ。」

そう庄ちゃんは言った。

「だって僕は・・だって僕は・・。」

僕の声は震えていた。

「だって僕は、だって僕は・・。」

声だけじゃない。体が震えていたんだ。

「あの目から・・あの目から逃れる事なんて出来ないんだ!」

僕は震えながら叫んでいた。

「秀ちゃん・・。」

「秀一・・。」

一瞬にして辺りが静まり返っていた。

「僕は、僕はずっとあの目から逃れられないんでいるんだ!」

僕は大声を張り上げて強く拳を握り締めていた。本当はずっとずっと前から気付いていたんだ。いや、本当は最初から知っていた。僕がカレーを服に付けて汚したとき辺りが静まり返るぐらい僕の頬を引っぱたいて、僕の事を怒った母。あのときから、僕を見るあの母の冷たい目を、僕が知ってしまってから僕は僕自身の中で硬い硬い殻を作ってしまっいた。それからも、その殻は次第に分厚くなって、どんどんどんどん僕を飲み込んでいく。僕はその殻の中に閉じこもって、いつしか自分の感情を抑えるのが得意になってしまっていた。何も僕の目には映らない。楽しい事も楽しい風景も。何も僕の耳には届かない。楽しい笑い声も何も。

「僕はずっと母さんの怒るあの目から逃れたくて逃げたくて、でも逃げられずに・・。ずっと苦しかった。ずっとずっと苦しかった。」

僕はまた溢れる涙を止められずにいた。

「秀ちゃん・・。」

{秀一さん・・}

「僕は勉強なんて全然好きなんかじゃないし、本当は満みたいに部活やって皆と馬鹿やって笑ったりしたかった。小さい頃からずっと遅くまで遊んでる満や庄ちゃん達が羨ましくてしょうがなかった。皆楽しそうで暗くなるまで泥だらけになって遊んでいる皆を見ながら、僕は笑い声がずっと響いて消えない帰り道を、何度も耳をふさぎながら帰っていったのをよく覚えてる。僕も本当はまだ皆と一緒に遊びたかったのに、僕には習い事があったから、行かなきゃ母に怒られて、怒られるのが僕は怖くて、そうやって僕は楽しいことを小さい頃から我慢していたんだ。そうしていくうちに、やがてその我慢は当たり前と錯覚して、楽しい事は別に楽しくない事のように、いつからかそう映るようになっていった気がする・・。」

静まり返った部屋の中で庄ちゃんが言葉を切り出した。

「ストレス回避なんだろうね、きっと。」

「ストレス回避・・?」

僕は庄ちゃんに聞き返した。

「そう。楽しい事を、楽しくないって思い込まなきゃ、やっていけなかったってことなんだろうね。」

「楽しい事を、楽しくない?どういう事、それ?」

満が庄ちゃんに聞いた。

「だって、楽しい事をしたくても、怒られて出来ないわけだからさ。でも、本当はどうしても楽しい事をしたい。でも、どうしても、怒られるから、楽しい事はどんだけ頑張ってもすることは出来ない。出来ない出来ないって思うのって、凄くしんどいじゃん。だから、いっそ楽しいと思っていたことは、楽しくないって思い込んで錯覚してる方が楽じゃん。そうやって、ストレスを何とか回避してたってこと。本当は抑制されてるから凄くしんどいんだけどね。」

「なるほど。」

満が頷く。

「そうやって、あらゆる事を押さえ込まれて、さぞかし秀ちゃんはしんどかったって思うよ。」

「しんどかった・・。」

「しかも秀ちゃんの場合はしんどいという思いさえ錯覚させられていた訳だから、よっぽっど精神的に限界だっただろうね。」

「しんどいを錯覚ってどういう事?」

また満が聞いた。

「だって、ほら、秀ちゃんの場合は、小さい頃からのしつけや教育の一環として色んな抑制が行われてきたじゃない。皆と最後まで遊んでたらいけない、勉強は誰よりも優秀でなくちゃいけない、あれは駄目、勉強の妨げになるからこれも駄目って感じで。しかも秀ちゃんの場合は半脅迫的に。秀ちゃんのお母さんの事をこんな風に言うの悪いんだけど、子供が親の目を気にするのってあり得ないと思わない?しかも秀ちゃんの場合はお母さんを怖がってるもんね。普通子供が親の目を見て安心するってのが愛情なのに、逆に何も言えなくなるなんて、愛情ないんじゃないかって思わない?しかも怖くなるなんて。秀ちゃんが可哀相すぎるよ。でも小さい頃からそうされてると、子供の時って分からないから、それでも必死で親の言う事を聞いて愛情をもらおうとするんだよね。そのうち抑制されている現実は闇と化し、自分自身じゃ気付かなくなっていくっていう感じだよね。」

「それで、ある時何かのきっかけで、その抑制が爆発しちゃうってことなのか・・。」

「うん。多分ね。専門家じゃないから多分だけど。」

「僕も、そうだったんだ・・。」

小声で僕は言った。

「んー、多分だけどね。今の親ってどうしても世間体とか凄く大事みたいだから。」

「なんでだろうなー。」

満が腕を組みながら言った。

「んー、本当なんでだろうね。レールの上をはみ出さずに歩く事がとても大事みたいに教えている様な、そんな感じするもんね。」

「そうそう。踏み外してちょっと変わった事すると、凄い変な奴みたいに冷たい目でみられたり。」

「本当は羨ましいんじゃない?レールを踏み外して歩いている人達が。」

「羨ましい?」

「うん。だって怖いじゃん、レール踏み外すの。だから本当は踏み外してみたいんだけど、出来なくって、出来てる人を羨ましく思う気持ちが冷たい目に見えちゃうんじゃない?」

「あー、成る程ねー。何か、そうかもね。」

「んー、でもとにかく今の世の中って中身より外見が大事ってな世の中になってるからねー。」

「うん。かなり寂しいよな。」

「何でなんだろう・・。」

僕はまた小声で呟いた。

「何でなんだろうねー。何か誰かの思惑にうっかり、すっぽりはまちゃってる気がするけどね。」

「誰かって、誰?」

「いや、そこまでは分かんないけど。っていうか、誰っていう、そういう意味じゃなくて。何か世の中全体の風潮がっていうか。何か物が溢れすぎちゃってるからなのかなー。」

そう言って庄ちゃんはごろんと横になって、星空を見上げた。

「目に見えないものを手に入れる難しさ。目に見えないものを、あると確信できる難しさ・・。」

庄ちゃんはゆっくりそう言った。

「それって、どういうこと・・?」

僕は庄ちゃんを見た。

「んー、何か今って友情とか愛情とか凄い希薄だって言われてない?友情とは何ですか?愛情とは何ですか?って聞かれた時に、答えられる大人が今は少ないんじゃなかなーって思うんだよね。」

そう言って庄ちゃんは話し始めた。

「今の大人の人達が答えられないのは、経験してないから知らないとか、経験したけど忘れちゃったとか、理由は色々あると思うんだけど。答えられなきゃ、勿論それを教える事なんて到底出来るわけなんかない。だから、友情や愛情を知らない子供が今は多くなってきてるんじゃないかって俺は思うんだ。だって人生の先輩である大人達に教えてもらってないんだもん。教えてもらわなきゃ分かるわけないじゃん。友情や愛情ってものは教科書で教わるものなんかじゃない。経験で身に付けていくものだろ?でもそれが一体どんなものでどれだけ大事かっていうのは、人生を経験してきた親や大人たちが子供に経験や体感で教えていくものでしょ。でも、今の世の中はそれを全然教えなくなっている。知らないからなんだ、忘れちゃってるからなんだ。物が溢れて何でも簡単に手に入る今の世の中の時代に、目に見えないものを手に入れる事を皆忘れてしまってるんだよ。」

「・・・。」

「だから、今皆幸せは、高価でりっぱな物を人よりいかに多く手に入れるかで、幸せの基準を測ろうとする。目に見えるから、測りやすいしね。それに簡単で分かりやすいでしょ。私はあの人より高価な物を持ってるから、私の方が幸せです。分かりやすいじゃない。でも、私は凄く信じている友達がいます。だから私は幸せですって言っても何か分かりにくくない?それって本当なのか?自分だけが思ってるだけで相手は友達だって思ってないんじゃない?とか、確信が目に見えない心の精神的な部分だから本当にそうなのかって言われたら、絶対そうだって言えない不安が、幸せの基準を物に換算してしまう一つの理由かと思うんだけどね。安心を確実なものにするためには、目に見えないものより目に見える物のほうが分かりやすいからね。」

「うん。何か少しずつ分かってきた気がする。」

「特に今は学歴社会で、学校も大人たちも、友達が何で大事かってことを教えずに、とにかく次のテストまでに進めなきゃならない授業で毎日必死で。毎日毎日子供達は、一つでも多くの方程式を解く方法ばっかりを教わっているんだ。そのうち子供達は知らず知らずのうちに、全てが方程式で解けないといけないと勘違いしてしまう。」

「勘違い・・?」

「そう。毎日毎日たくさんの方程式を解いて確実に答えを出していくうちに、人生すらも方程式で解かれなくてはいけないんじゃないかって錯覚を起こしてしまうんだ。」

「人生を方程式で・・?」

「うん。僕達は人間なんだから、間違ってしまう事もある。道を踏み外してしまう事もある。人としての道は勿論踏み外しちゃいけないけど。でも道だって、幾つあったっていい。色んな道をたくさん歩いて、自分が歩きたいなって思う道を歩いていけばいいって思うけど。でも、毎日毎日方程式を解いてきた子供達は答えが一個じゃなきゃいけなくなってしまってるんだ。勉強で一生懸命一生懸命頑張って解いた方程式。その答えはいつも一つじゃなきゃならなかった。でなきゃ、その答えは不正解になってしまう。学校の授業では正解は一つじゃなきゃならない。でなきゃ、満点はもらえない。それを僕たちは人生に置き換えて、人生すら難しい方程式で解こうとしてしまうんだ。人生ですら、道は一つ。しかも、その道は確実に完璧に正解した道でなくちゃならない。不正解の道は間違った人生であるかのように。」

「・・・。」

「でも、人生は方程式なんかじゃない。答えなんかいらない。逆に答えは幾つあったっていい。だって答えは一つじゃなくたっていいんだから。長い長い道をゆっくり歩いて、色んなことを経験して勉強をしてたくさんのことを感じて、自分の目標に向かって一生懸命してれば答えはきっとそのうち見つかるって。間違ったって別に構わない。また、戻ってやり直せばいいー。でも、授業じゃ直ぐに答えを出さなきゃいけない、テストじゃ時間制限内に答えを導き出さなきゃいけない。そのうち僕達はまた、人生とは何か?その人生の答えすら時間制限内に導き出さなきゃならないように焦らされてしまうんだ。そんな必要なんてないのに。ゆっくり出したって構わないのに。」

「そうだよな。ゆっくりゆっくりで構わないよな。」

満が言った。

「うん。でも、満みたいにサボっちゃう事じゃないんだよ。」

庄ちゃんが満を見た。

「あれっ、嫌だなー、庄ちゃんったら。」

満が言う。

「何で分かったんだろ。」

首を傾げながら満は言った。

「分からない訳ないじゃん。満の考えそうなことだもん。」

「ちぇ、怖い怖い。」

舌を出しながら満は言った。

「でも、今の子は本当頭いいなーって思うよ、まじで。俺でも分かんない問題解いてたりするもんね。俺、テストしたら負ける自身あるもん。」

笑いながら庄ちゃんは言った。

「俺も俺も。」

満が言う。

「お前は駄目でしょ。現役高校生。しかも今、受験生。」

庄ちゃんが言った。

「あー、うるさいなー。俺とかわんねえじゃん、歳。」

「まあね。」

庄ちゃんはペろっと舌を出した。

「でも、負けないもんあるよ。」

そう言って庄ちゃんは起き上がった。

「えー、何だよ。」

満が疑わしい目をしながら聞いた。庄ちゃんは自信たっぷりに、

「友だち作り。」

とピースしながら言った。

「・・・。ふう。」

満がため息を吐く。

「あ、何だよ。その態度は。難しいもんなんだぞ。本当の友達を作るってのは。」

庄ちゃんが反論した。

「いや、まあ、それはそうだと思うけどよ。でも今のその言い方・・。お前は小さき子供か。」

そう言われて庄ちゃんは少し恥ずかしそうに膨れっ面をした。

「いいだろー、別に。」

「誰も悪いなんて言ってないだろ。」

「いや、俺は、たまにお前が俺のことを年下扱いするのが気に食わないんだ。」

「え、そんな事してないよ。」

「いや、そんなことある。」

「そんなことないって。」

「いや、ある。今だって子ども扱いしたし。」

「そんな誤解だって。今のはただ、ピースしながら、友達作り!なんてこの歳になって普通言うかって思っただけで。」

「あ、この歳になってって。ほらー、やっぱ、思ってんじゃねえかよー。」

「え、いや思ってないって。だから何ていうか、そうじゃなくて、その言い方が、ちょっと可愛いなって思っただけだって。」

「・・・可愛いって。やっぱ、年下扱いしてるじゃねえかー。」

そう言って庄ちゃんが満に飛び掛った。

「うわー。何すんだよー。庄ちゃん。」

「俺はお前より年上だー。」

「だからその行動が俺より年下なんだって。」

庄ちゃんの攻撃を交わしながら満が言った。

「ええい、うるさいわい。」

また庄ちゃんが満に突っかかる。

「あはははー。」

僕は二人のやり取りをみて大声で笑ってしまった。

「秀ちゃん。」

二人は止まって僕を見た。

「本当二人ともいいコンビだね。」

僕の笑う顔を見て二人もホッと笑った。純平が僕の膝の上で気持ちよさそうに眠っている。

「ね、さっきの続きなんだけど。」

僕は純平の頭を撫でながら言った。

「庄ちゃん友達作りが得意だって・・。」

「え、あ、さっきの話?」

庄ちゃんはゆっくり座りなおしながら言った。

「うん。どうやったら、得意になるの?」

「え、いや。俺、得意なんかじゃないよ。」

「えっ、だってさっき得意だって・・。」

「得意なんて言ってないよ。むしろ苦手かも。友達作り。」

「え、じゃ、さっきのは何?」

「嘘ついたなー。」

満が庄ちゃんを突付いた。

「嘘なんか吐いてないよー。僕は負けないって言っただけで作るのが得意なんて言ってないよ。」

「それ、どういうこと?」

僕は聞いた。

「だって、友達つっても色々あるじゃない、今は。ワイワイ騒ぐのが楽しい友達とか、飲み友達とか。それはそれで楽しいからいいけど、本当の友達。結構聞くじゃない、本当の友達だって思ってたのに、って友達別れするセリフ。」

「ああ、自分は友達だと思ってたのにそうじゃなかっったっていう・・。」

「うん、そう。」

「ああ、それ結構辛いよなー。例えば友達が結婚したときなんかに・・。」

「なんかに?」

「別の友達は披露宴に出席していたのに、自分は結婚しました通知で友達の結婚を知ってしまったりして・・。」

「結構シビアに傷つくよね。」

「うん。何だ、僕達たいして友達じゃなかったのねーって、結構笑えねえ。」

「確かに。」

「そう考えると、さっき言ってた話に繋がるって訳か。」

「うん、そう。」

庄ちゃんは深々と頷いた。

「友達であるという確信・・。」

「うん。それ。目に見えない分、相手の気持ちって本当に分かんない。」

「疑い始めたらきりがないよな。かといって確かめる術もなく・・。まさかあなたは私の本当の友達ですかって聞くわけにもいかねえし。」

「うん。でも、それ聞かれて正直に答える人いないでしょ。答えは一つ、私はあなたの友達ですよって、皆言うに決まってるじゃん。」

「そりゃ、そうだよな。まさか、いや、違いますよー、なんていう奴いねえっての。」

「そうそう。だからこそ、確固たる確信を作る事が難しい、友達という信頼関係。もし違うって分かった時のショックや確信がない不安に、人は手に取って見える物というものに価値を見出す。簡単に安心や幸せを手に入れるために。」

「そこが、どうかしちまってんだよな。昔っから、友達はお金で買えないって言われてるのに。」

「うん。本当、いつからだろう。こんな風に臆病になってしまって。心で感じるって事が本当に少なくなってきてしまって。」

「古きよき時代。最近よく言われるけど、よく考えたら、これもちょっと前の話だもんな。」

「でも、僕・・僕はよく分からないかもしれない。」

僕は言った。

「分からないって、何が?」

庄ちゃんが聞いた。

「僕は、僕は友達の信頼関係を見抜けない。確信なんてどうやって見分ければいいの?僕は友達だって思ってても向こうがそう思ってなかったら、どうしようって・・。やっぱり不安だよ。どうやって確信すればいいの?僕分かんないよ。」

そういうと庄ちゃんはにっこり笑った。

「どれだけ相手と思い合えるかってことなんだろうけど。」

僕は庄ちゃんを見た。

「どれだけ相手に愛情を注げるかってことだよね。」

「愛情を?」

「僕、愛情って相手を思いやることだと思うんだよね。恋愛も友情も相手を好きじゃないと注げないじゃん。好きじゃないのに相手のことを気遣ったり心配したり一緒に喜んだり悲しんだり出来ないけど、好きなら、別に無理してやらなきゃ、て思ってなくても気付いたらやってるじゃん。好きな人なら、やろう、という意思が働く前に気付いたら既に相手の為にやってるもんなんだよ。」

「やろう、という意思が働く前に・・?」

「そう。それは相手も同じってこと。楽しい時に飲んで騒いだり、わいわい過ごすのも楽しい友達だけど、自分が本当に困って助けて欲しい時とか、どうしようもなくて悲しくて自分じゃどうにもならなくてSOSを出した時に、どれだけ本当に自分の為に駆けつけてくれるかってことじゃない。そんなときに急いで駆けつけて、一生懸命自分の為に何かしてあげようって思ってくれる人こそ、秀ちゃんの本当の友達だよ。」

「そうなんだ・・。」

そう言って僕は下を向いた。

「ん、何?その悲しそうな顔は?」

「え、あ、いや・・。僕はそんな風に駆けつけてくれる友達なんているのかなって思って・・。」

そう僕が言うと、

「馬鹿かー、お前はー。」

満が僕のむなぐらを掴みながら言った。満の顔が僕のすぐ目の前にある。

「うわ、何、満。」

僕はびっくりして僕のむなぐらを掴む満の手を解こうとした時、満が僕に言った。

「俺達は、お前の友達じゃねえのかよ。」

「えっ・。」

僕は満の言葉に面食らった。

「お前、えっ、じゃねえだろ。何だよ、俺も庄ちゃんもお前のこと友達だって思ってきたのにお前は違ってたのかよ。」

「えっ、あ、ごめん。」

・・僕は真剣にそう言ってくれた言葉が凄く嬉しくて、でも、あまりにびっくりして戸惑ってしまった。

「ごめんって、謝るってことは本当に違うって思ってたって・・。」

そう言って、満はゆっくり僕から手を離した。

「え、いや違う、違うよ。違・・。」

そう言いかけたとき、

「あーん。秀一が俺達のこと友達じゃないって言ったー。」

と満が庄ちゃんに泣きついた。

「・・・。」

僕は子供声に言った満の態度に呆然とした。

「よしよし、満。」

庄ちゃんが満の頭を撫でながら言う。

「庄ちゃん、秀一のことはほっといて、二人で寂しく生きて行こうね。」

「だから、違うんだってばー。」

僕も反論した。

「何が違うんだよ。」

満が僕を横目で見ながら言う。

「だから、本当に嬉しかったんだって、今の言葉。」

「どの言葉だよー。」

「え、だから友達だろっていってくれた言葉がさ。」

満がちょっと微笑んだ。

「僕さっきも言ったけど、自分でどんどん壁作ってしまってたから。本当は凄く満や庄ちゃん達と一緒に遊びたくて。でも我慢してそのうち自分から離れてしまってたのに、また友達なんて虫が良すぎるとかって思ってたから。でも、そうじゃなかったって、友達だって、ずっと思っててくれてたってのが分かって凄く本当に嬉しいんだ。」

そう僕が言うと満が腕を組みながら僕に言った。

「うむ。分かればよろしい。」

「何、偉そうに言ってんだよ。」

庄ちゃんが突っ込む。

「でも、本当、秀ちゃん川に引き上げてってやってたときは、久しぶりに、満必死な顔してたよ。」

「当たり前だろ。まじでどうなる事かと思ったんだから、あん時は。後、久しぶりが余計です。」

「あ、さすが。良く聞いてるね。人の話を。そう言うところだけ。」

「そう言うとこだけじゃなくて、常に俺は人の話をちゃんと聞いてるんです。本当、よくそんな次々と喧嘩を売るセリフが出てきますな。感心感心。」

「あ、どうしよ、褒められちゃった。」

庄ちゃんが言う。

「褒めてねえっての。」

「あはは。・・あっ。」

「ん?どした?」

「純平起こしちゃった。」

{んー、何か気が付いたら寝ちゃってて}

「あ、本当。起きちゃった。」

{すみません、秀一さん。うっかり膝をずっとお借りしてたみたいで・・}

「でも、純平本当秀一に愛されてるよな。」

満が言った。

{えっ・・}

純平の耳がちょっと立った様に見えた。

「だって、あんな寒い中川飛び込んでまで助けてくれる人間なんてそうそういないぜ。」

「よっぽど、大事だって思ってなくちゃね。」

{よっぽど大事に・・?秀一さんが僕を?}

「でも、あの時は本当に何にも考えないで無我夢中で。気が付いたら川飛び込んでて・・。」

「それが、思いやりってことでしょ。」

庄ちゃんが言った。

「やろうと考える前に、気が付いたら純平ちゃんの為に飛び込んでたんでしょ。本当に好きじゃなきゃ、本当に思ってなきゃ出来ないって。そんな大それたこと。」

「・・・そっか。本当そうだよね。気が付いたら僕は必死になって純平を助けようとしてた。相手を一生懸命思ってなきゃ、やってなかったよね。まさかあんな事。」

{秀一さん・・}

「良かったなー、純平。拾ってもらったのが秀一で。」

純平の頭を撫でながら、満が言った。

{はい。本当に本当に秀一さんで良かったです。秀一さん本当に助けてくれて有難うございます。}

純平は秀一に擦り寄った。

「秀一、俺がもし溺れてたら、純平の時みたいに助けてくれよな。」

満が僕に言った。

「うん、当たり前だろ。僕の命に代えても満を助けるよ。」

「サンキュ。友達の証、成立だな。」

満が僕の肩に手を回しながら言った。

「僕も助けてね、もし溺れてたら。」

「当ったり前だろ。一刻も早く110へ電話をするよ。」

「助かんねーじゃん!しかも電話番号間違ってるし。」

「あっ、そっか。」

「119だっけ?」

「そういう問題じゃねえだろ。こっちは命引き換えに助けてんのに、電話番号間違えんなよ。」

「え、電話番号の問題じゃねえだろ。一刻も早く川へ飛び込んで助けろよってことでしょ。」

「・・あっ・・」

「あはは。」

満が笑った。

「もう、満と一緒にいると、頭がこんがらがっちゃうよ。」

「その方が楽しいくせに。」

「え、まあね・・。」

「あははは。」

僕たちは皆顔を見合わせて笑った。

「あははは。」

僕は心の底から笑っていた。長い間どう頑張っても取れない、何か大きなわだかまりがスッと溶けて消えていった様なそんな気持ちになってとても心地よかった。皆の中にこうして入って輪を作って当たり前のように話しているこの風景が、僕はとても愛しくて憧れて、こんな風な時間を過ごしたいとずっと思っていた。自分の思っていること、言いたい事、考えている事、全部、本心をぶちまけて話し合ったり言い合ったり、時には意見が食い違って喧嘩する事もあるだろう。それでも何日かすればまた、お互い謝ったりして仲直りして、何事も無かったかのようにまた、色んなたわいない話をして、また喧嘩することもあるかもしれない。それでも、色んな思いをぶちまけて心の中を空っぽにして自分の全部をさらけ出せる様な、そんな友達。僕にはそんな友達はいないと思っていた。悲しいけれど、僕にはそんな友達はいないと思って、一人なんだとずっと思っていた。僕の強く憧れていた友達。それは、実はいつも目の前にあった。本当はすぐ傍に、手の届くところにそれはあった。いや、本当は僕は既に手に入れていたんだ。僕の強く憧れていた友達関係は既に手の中にあったんだ。それなのに、僕はずっと気付かずに無いものとばかり思って、勝手に一人なんだと思い込んで・・。

「僕は、本当にどうしようもない。本当に馬鹿だよ・・。」

僕は悔しくなっていた。自分自身で作り上げてしまっていた二人への距離。それを、崩してくれたのは結局二人だった。

「有難う。庄ちゃん、満。」

「どうしたんだよ。秀一」

満が言った。

「ううん。僕は運がいいよ。こんな近くにこんないい友達がいて。」

そう言って、僕は微笑んだ。

「本当だぜー。秀一も、庄ちゃんも運がいいって事よ。」

「誰なんだよ、お前は。」

「あはは。」

「ん、でも、容赦しないぜ。これからも、おかしいって思ったらおかしいってちゃんと言うぜ。」

「うん。」

僕は頷いた。

「でも・・。」

満が僕の顔を見た。

「・・ん?何?」

僕も不思議そうに満の顔を見る。満は僕の肩に手を回しながら言った。

「何があっても、ずっと、お前の味方だぜ。」

「・・・。」

僕はまた、心の底から微笑んだ。

「有難う、満。僕もだよ。」

{ワンワン!}

ドアの方から声がして、振り向くと小庄太が入ってきた。

「あっ、やべえ。」

庄ちゃんが舌を出した。

「満ん家に迎えに行くの忘れてた。」

「あっ、そういえば。俺もすっかり忘れてた。」

{ワンワン! ―お前らなー。俺のことを忘れるとは何事だ}

「ごめん、ごめん。小庄太。」

庄ちゃんが小庄太に謝る。

「いや、色々忙しくて。行こう行こうとはずっと思ってたんだけど。」

{ウウー ―嘘吐け!横に寝転がってたじゃねえか。それの何処が忙しいんだよ}

小庄太がジリジリと近づいてくる。

「いや、本当。これには深―い訳が・・。」

{ワン! 問答無用!}

小庄太が一気に走って飛び掛ってきた。

{ワンワン ―このやろ、このやろ}

小庄太がじゃれて責めまくっている。

「ぎゃあー、何で俺なんでよー。」

満が必死に小庄太の攻撃を交わす。

{ワンワン ―ええい、どうせお前が悪いんだー}

「俺何にもしてねえーぞ!誤解だよ、誤解!止めろって、小庄太。」

「結局、満はこういう運命なんだよ。」

「何の運命だー。意味わからんー。」

「小庄太はよく知っているということだ。」

庄ちゃんが深々と頷きながら言った。

「何にも知るわけねえだろー。俺は善良な市民だー。」

{ワンワン ―ええい、何か分からんが満が一番やっつけやすい。えいえい、このこの!}

{満さん、単に八つ当たりされてるだけのような気が・・。満さんって一体・・}

{ワンワン ―ええい、このこの}

{人間にも犬にも同じ扱い受ける満さんって}

{んー、何か言ったかー?}

{まあ、愛されるキャラなんですね・・きっと}

「うわー、小庄太もう、勘弁してくれー。お前らも見てないで助けろー。」

満の悲鳴が響き渡っている。

{ワンワン ―何のー、まだまだ}

僕達は二人の?楽しそうなやりとりを見ながら、ずっと笑っていた。


「じゃあ。」

「おう、じゃあ。遅くまで悪かったね。おばさんによろしく言っておいて。」

「うん。気にしてないよ。いつものことだから。」

「僕も、遅くまでごめんなさい。遅くまですみませんでしたって、おばさんに・・。」

「うん。大丈夫、大丈夫。」

僕たちは玄関のところで話していた。靴をはいて出ようとした時、庄ちゃんが僕に話し掛けてきた。

「秀ちゃん。」

「ん?」

僕は振り返って返事をした。

「ゆっくりで・・。」

「えっ。」

「ゆっくり、ゆっくり進んで行けば良いんだよ。秀ちゃんの人生なんだから。」

「・・。」

「そうそう。俺達の人生なんだから。誰にも邪魔されたくねえもんな。」

「うん。」

僕はしっかり頷いた。

「まあ、何かあったら、いつでも来いよ。家近いんだしさ。」

「うん。」

「愚痴くらいなら、いつでも聞くぜ。」

「うん。本当有難う。」

「おう、じゃあな!」

僕達はそれぞれの家路に向かって別れた。夜になると、一気に気温が下がる。暗い夜が吐く息を、いっそう白くさせていた。僕は歩きながら、そんな冷たい空気の中で、何か熱いものを感じていた。

「ゆっくり、ゆっくり・・・。」

僕はこの言葉を何度も何度も繰り返していた。僕は一体、今まで何の為に突っ走ってきたのだろう。たかが、まだ高校生のこの僕は、走って走ってがむしゃらにただ突っ走って、既に人生に疲れていた。人生なんて何の事か知らないこの僕が、人生なんてこれぽっちだって語る事なんてまるで出来ないこの僕が、既に人生に対して、諦める事を知っていた。何で、どうしてこんな風になってしまったのだろう。何にだって立ち向かっていく力。どんな壁だって乗り越えようとする力。怪我なんて怖くない。落ちて怪我しったって怖くない。それでも、諦めず、失敗を恐れずに前へ前へと突き進んでいこうとする溢れる原動力。漲る力を止める事が出来ずに流れ出す熱い思い。きっと、大人達は忘れてしまうんだろう、こんな熱い思いを。きっと、大人達は忘れてしまうんだろう、毎日笑い合った、あの楽しかった頃の日々を。少しずつ時が移り、忙しく流れていく現代という大きな波に打ちひしがれながら、あの頃の思いは泡となって消えていく。毎日笑い合ったあの輝かしい日々は、大きな社会という波にさらわれて笑うことを忘れていく。こんな事は可笑しいときっと大人達も思ってる。こんな事は間違ってるときっと大人達だって気付いてる。僕達に教えたい事。僕達に託したい事。本当は本当は、こんなんじゃないってきっと思ってる筈なんだ。僕達が教えて欲しい事。僕達が感じたい事。それは、きっと、同じ事。高価な物が大事なんかじゃない。高価な物を持ってる事が幸せなんかじゃない。

「心がー。」

僕は立ち止まっていた。ひらひらと辺りに雪が舞い降りる。真っ白い雪を捕まえて、手の平でゆっくりと溶けていく。

「綺麗だなー。凄く綺麗だ・・。」

誰かを一生懸命思いやる気持ち。誰かと一生懸命思い合う心。何でも言い合って、時にはぶつかって、楽しい時だけじゃなく、しんどい時こそ一緒にいてくれる。何かあれば駆けつけてくれて、一生懸命になってくれる。僕が道を間違えた時は、ちゃんと叱ってくれる。でも、どんな事があっても、いつまでも、味方でいてくれる。僕もそうでいたい。そんな風に大事に思える友達。悲しみは半分、喜びは二倍に、そんな当たり前の事が、当たり前に思い合える、感じあえる友達。それが、僕達の感じたい事。

「凄く大事な事―。」

僕は母にそんな事を教わっただろうか?僕の父はそんな事を話してくれただろうか?今や、学校でさえそれは無い。僕はずっと教科書を握り締めて、片時も離さずに、毎日毎日方程式を解いていた。学校は勉強ばかりで隣の席のクラスの同級生は僕にとって、勉強のライバルでしかなくなっていた。家では誰かと比べられる。学校でも家でも勉強が一番大事な事だと教えられて、抑えられた感情はコントロール出来なくなっていく。何かがおかしい。何かが間違っている。押さえつけられた僕の思考回路は人生を考え始めていた。まだ、これからの筈の僕の未来。何も怖がらず、溢れる熱い思いを胸に突っ走っていく僕の姿はそこには無かった。決められた、外すと怒られるレールの上。そんな風に閉ざされた僕の未来は楽しい筈が無かった。楽しくない未来、楽しくない毎日。そんな風に毎日を過ごしていくうちに、僕の人生はあるいは無駄で、考えても変わる事無く、諦めるという選択に自然と導かれていた。頑張っているのはこの僕で、頑張っているのは親の未来の為であり、それは、全く僕の為なんかではなく、親の世間体や見栄の為であり、でも僕は、それを僕の事を思って言ってくれているのだと、無理やり僕の中で信じ込ませ、僕はその事実を胸の奥に完全に閉ざして、それでも、色んなやりたい事を犠牲にして、突っ走って勉強をしていた僕は、既に人生に疲れていた。

「逃れたい・・。」

僕は口に出して呟いていた。

「僕の人生だから・・・。」

こんな暗い僕の、僕自身の暗闇から、僕は何とかして抜け出したいと思った。後から思えば、こう思うこと事態、僕の中では考えられない事だった。殻の中に閉じこもっていた僕はこんなおかしな毎日を、おかしいと思うことすら出来ずにいたんだから。

「ふうー。」

僕は大きく深呼吸した。辺り一面に白い息が舞う。少しずつ、雪は積もり始めていた。コンクリートの黒い道路が、まばらに白く色づき始める。僕は空を見上げた。冷たい雪が次々と僕の顔に当って溶けていく。僕は大きく体を揺すって髪や肩に付いている雪を払い落とした。

「前へー。」

僕は真っ直ぐに前を見て、歩き始めた。足跡が落書きのように雪の上に形を残している。雪は次第に粒の大きさを増していた。寒さもどんどん増してきている。それでも、僕の胸の中は何か少しずつ少しずつ熱いものが流れ、何かを少しずつ少しずつ溶かし始めていたー。


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