第六話:夢
「んー、困ったなー。」
庄ちゃんが言った。
「え、どうしたんですか?」
僕は聞いた。今日も塾へ行く合間をぬって純平に会いに庄ちゃんの家に寄っていた。
「いや、出張がね、あるんだよ。」
「出張ですか。」
「うん、一週間くらいなんだけどね。」
「ふーん、大変なんですね。」
「んー、まあね。でも俺受験勉強の方が嫌かも。」
「そうですか?」
「うん。もう一回やれって言われたら、俺もう絶対無理。受験してる人にこんなこと言うとやる気なくなるから言っちゃいけないんだろうけど。」
「え、何ですか?」
「受験で一生懸命勉強したことね。」
「はい。」
「社会に出て何の役にも立ってない。」
「え・・。」
「まあ、仕事によってはとても役に立ってる人も勿論いるだろうし、勉強はある程度は大事だと思うんだけど。でも学校で勉強したこと俺就職してから何一つ使ってなかったりして。」
「そんなもんですか。」
「そんなもん、そんなもん。結局仕事に必要な事は仕事入ってから覚えなきゃなんないし、結局ゼロスタートなんだよね。今までの何だったっけ?って感じ。」
「一二年も学校行くのに。」
「確かに。勿体ないよね。でも、不思議な事に学校行かなくなったら歴史のドラマ見たり勉強したくなっちゃたりして。」
「何か、よく聞きます。」
「不思議だよねー、あれ。じゃあ、学校行ってる時に勉強すりゃ良かったじゃんってね。でも、その時は勉強したくないんだよねー。」
「何でですかね。」
「授業だからなんじゃない?」
「授業だから?」
「そう。良い点取るだけの為に詰め込んで詰め込んで授業って進むじゃない?内容が面白くないんだよね。でも映像があったり、自分に興味のあることは楽しく覚えるじゃない。そこのギャップが大きすぎるんだよね。自分が興味あることにもっと自由に深く勉強できる学校があればもっと楽しく授業受けてただろうって俺思うもん。」
「興味あること。」
「そう。例えば俺はさ、小さい頃から動物好きだから、獣医になりたっかたわけよ。」
「え、そうなんですか?」
「そう。だから、動物の生態とか結構好きで本とか読んでたりしてたわけ。そういうのは好きだから頑張って覚えよう、覚えたいって思えるんだけど。でも、無理だったってわけ。」
「どうしてですか?」
「世界史が苦手で。カタカナの名前覚えられないの、俺。」
「僕もあんまり得意じゃないです。」
「でも動物みるのに、世界の歴史を知らなくても支障ないと思わない?そうやって、俺達の未来は悲しくも削られていくのさ。せめて本当にやりたいことにもっと近くなれる受験ってものがあればいいいよね。」
「それって、どういうこと?」
「例えば、獣医に必要な受験とか。受験内容が動物の解剖だったりするの。でも元々好きだから覚えるのそんなに苦痛じゃないし、それって必要だからどうせ学校入ったら覚えていかなきゃいけないことだし、納得できるじゃん。でも、世界史の年号はなー、必要かね?」
「よっぽど苦手だったんですね。」
「そうとも言う。っていうか、根本的に自分がしたい勉強をどんどんやっていけるような授業があれば良いよね。人間こんだけいりゃ、やりたいこともそれぞれ違う訳だし。得意な分野があれば苦手分野もあるわけで。」
「例えば生物と世界史みたいに?」
「あはは、そうそう。でも俺生物はいつも百点に近かったんだぞー。誰も信じてくれねえけど。」
「えー、凄いですね。」
「うん。でも、世界史はいつも赤点ぎりぎりだった。秀ちゃんからすれば赤点って何?って感じだろうけど。」
「いや、そんなこと。」
「でも、いいって思わない?そんな全部完璧にできなくても。人間なんだからさ。出来る事があって、出来ない事もあるから人間なのにさー。でも今の世の中の受験や勉強は全部出来なきゃ駄目なんだよね。ヤダ、ヤダ。って今受験真っ盛りの秀ちゃんにいうのは酷な話だよね。ごめん、ごめん。つい。」
「いえ、そんなこと。」
「あ、そうそう、で出張の話だったんだ。何でこんな話になったんだろ?すぐ話しそれちゃうんだよねー。まあ、いつもの事なんだけど。」
思わず深く頷きそうになった首を慌てて止めた。
「いつから行くんですか?」
「来週から。で何が困ったかというと、俺の両親も丁度旅行に行っちゃうんだよね。で、家に誰もいなくなっちゃうって訳。」
「そうなんですか。」
「そうなんだよー。小庄太と純平ちゃんをね、どうしようか困ってんの。」
「あ、そうか・・。」
「んー、満ん家にでも預けるか。いつもお世話になってやってるし。」
「あ、僕預かります。」
思わず僕は言った。あの母がいる以上そんな勝手なことできる訳ないのに。
「え、でも、唯でさえ、純平ちゃんを家連れて帰ったら困るからってことで家で預かってるくらいなのに、突然二匹も連れて帰ったら、それこそやばいんでないかい?」
「あ・・、確かに。すみません。」
ただでさえこんなに長期に渡って預かってもらってる事自体申し訳ないのに、安易に答えてしまった。
「いやいや、謝る事なんて全然ないよ。やっぱ、満ん家に押しかけるか。」
「あ、でも。満ん家もジョンがいるし、一気に二匹増えたら大変じゃないかな。」
「んー、まあ、それはそうかもしれないけど。プラモで釣るか。」
「あ、いや、僕せめて純平だけでも連れて帰ります。」
「え、でも、家大丈夫なの?いいって、プラモと家の晩御飯特別大サービスで満釣っとくから。あー、あいつが単純な奴で良かったよー。なんてなー。」
でも、これ以上色んな所に迷惑かけるの悪いし。
「あの、何とか母に言ってみます。純平は元々僕が本来は家で飼わなきゃいけないのに、ずっと庄ちゃんとこでお世話になってしまって。」
「そんなことは全然気にしなくていいって。純平ちゃん可愛いから内の母も気に入ってるし。」
「あ、有難うございます。でも何とか言ってみます。」
「うーん、そう?んじゃあ、無理そうなら、満ん家で預かってもらうってことで。気遣わずに駄目だったら又言ってよ。」
「はい。すみません。」
「謝んなくていいって。またいつもの癖。謝るの癖みたいになっちゃってるね。困ったときはお互い様なんだから。気にしなくていいよ、本当に。」
「はい。有難う。庄ちゃん。」
「そうそう、すみませんじゃなくて有難う。それで、良いんだよ。」
優しく庄ちゃんは言った。その後、僕は塾へ向かった。今日の塾の授業は全然頭に入っていなかった。純平の事を何て言えばいいのかそればかりが気になって勉強どころじゃなかったからだ。家に帰ってからも一人でご飯を食べながらそのことばかり考えていた。
「じゃ、ごめんね。秀ちゃん、帰ったら連絡するわ。おう、満、小庄太の世話しっかり頼んだぞ。」
「俺と秀一に対する言葉かけが全然違う気がするんですけど。」
明日から庄ちゃんの出張だ。
「気のせい、気のせい。無意識だよ。」
「それ、余計悪くねえか?」
「んー、そうかな?まあまあ。」
僕は純平を満は小庄太を連れていた。
「じゃ、小庄太いい子でいるんだぞ。満が勉強してなかったら、ちゃんと叱ってやるんだぞ。」
「こらこら。何余計な事を。」
{ワン!}
「こら、小庄太も元気よく返事をするんじゃない!小庄太の奴は俺達の会話何か理解してる気がするんだよなー。」
{何かじゃなくて、完全に理解してるんだよ}
{小庄太さんだけじゃなく、僕達犬は皆理解してたりして}
「じゃ、よろしくねー。秀ちゃん、満。小庄太いい子にしてるんだぞー。」
{ワンワン。―分かってるよ。心配すんなって}
「じゃあな。」
「じゃあ、また。」
そういって僕達は別れた。僕は実はどうしようか迷いながら、家路に向かっていた。結局母には言えずに今日のこの日を迎えてしまっていたのだ。あの目を思い出すと僕は結局意気地なしの何も言えない駄目な奴になってしまうんだ。
「純平、ごめんな。」
僕は又部屋で純平を隠しながら過ごそうと思っていたのだ。頭を抱えて考えて結局出た結論。純平には堅苦しい思いをしてもらう事になるけれど、一週間だけの話だしと自分に言い聞かせていた。重い足取りで家路に向かう。
「純平、悪いんだけど、実は僕母親に純平連れて帰ること言えてないんだ。」
{そうなんですか?}
「ごめん。だから、本当悪いんだけど、僕の部屋で一週間我慢してもらわないと駄目なんだ。」
{なんだ。そんなことなら、全然気にしてないのに}
「ごめんな。ばれない様に大人しく出来る?純平?」
{ワン。―うん。分かった。出来るよ}
「ごめんな。本当に、ごめんな。」
{そんなに謝らないで下さい、秀一さん}
僕に秀一さんはいつも沢山謝っている。何でこんな僕の為にそんなに謝るんだろう。言葉が伝えられるなら今の僕の思いを幾らでも伝える事が出来るのに。
{そんなに謝らないで、秀一さん。僕は秀一さんの傍にいられるだけで嬉しいって思ってるんですから}
僕はさっきの会話を思い出していた。僕達は理解している人間の言葉。この前小庄太さんと話してたけど、やっぱり僕は言葉で秀一さんに伝えたい。僕は秀一さんと話がしたいんだ。今日こんな事があってあんな事があって、これどう思う?とか今日こんな面白いことがあったよとか、聞いてよ今日こんな腹が立つことがあってさーとか、そんなたわいない会話を秀一さんと話して、そして僕と秀一さんは一緒に笑ったり、腹を立てたり。悩んだりする事だってあるだろう。そんな時も僕はいつだって傍にいて秀一さんの力になってあげたいいんだ。
{秀一さん、何を考えてるの?}
僕はほとんど秀一さんのことを実はよく知らない。秀一さんは何が好きで趣味は何でどんなスポーツが好きかとか。確かに一緒にいる時間が少ないとはいえ、でもそれだけじゃない気がする。本当は僕は秀一さんのことをあまりよく知らない。むしろ庄ちゃんの事の方が良く知っている。そりゃ、庄ちゃんの家に居候させてもらってるわけだし、一緒に住んでる分いろんな事が分かってくるのは当たり前の事かも知れないけど、でもそれなら僕は、秀一さんよりむしろ満さんの方が良く知ってる気がするんだ。満さんの事は何が好きで何が嫌いで何が得意で何が苦手か・・。満さんが分かりやすいって事もあるかもしれないけど、ううん、それだけじゃない。僕は秀一さんがそんな風に何が好きで何が嫌いでとかっていうことなんかの話を耳にした事がない気がするんだ。そういえば、聞いた事がないような。それだけじゃない、普段の事。今日あった事、思った事。
{僕はやっぱりまだまだなのかな}
僕はため息をついた。小庄太さんは家族の色々な話を聞くって言っていた事を思い出して改めて僕はまだまだと感じたからだ。
{ねえ、もっと話をしようよ、秀一さん。僕はね、今日こんな事があったよ}
階段をゆっくり重い足で上り、そっと玄関のドアを開けた。本当は別にそんな事する必要ないんだけど。皆それぞれの部屋にいて何ら顔を合わせる事もないんだから。単なる人間の習性。ついついばれない様にそっとドアを開けただけだった。取り合えず純平を部屋の中へ入れる。以前の様に僕は又すぐに降りて、ご飯を温めた。
「今日は部屋で純平と食べよう。」
温まったご飯を持ち部屋を開けると、純平がシッポを振って待っている。
{凄いいい匂いがするよ}
「お待たせ、純平。」
僕はテーブルの上にご飯を置いて、小皿に純平のご飯を取り分けた。
「よし、じゃあ、食べよう。庄ちゃんとこより量が少ないけど、我慢してくれよな。」
{そんな、十分だよ}
僕と純平はご飯を食べ始めた。
「純平、これも食べるか?」
僕は純平の小皿におかずをのせた。
{いいよ、秀一さん。唯でさえ秀一さんのご飯分けてもらってるのに。これ以上貰ったら秀一さんの分が無くなるよ}
「俺はいいから、いっぱい食べな。純平。」
そう言って僕は純平の頭を撫でた。
{有難う、秀一さん。秀一さんって本当に優しいですね}
「美味しいか?純平。」
{ワン ーとっても美味しいよ。秀一さんと一緒に食べてるから、余計に美味しい!}
しきりに純平はシッポを振っていた。
「よし、純平はゆっくり食べてな。」
僕は言って、立ち上がった。
{え、秀一さんもう終わり?もっと一緒にゆっくり食べようよ}
僕は純平の頭をポンポンと軽くたたいて、勉強机に向かった。最近少し遅れていた勉強を取り戻しとかないと。少し気も焦りながら、参考書を手に取った。僕が勉強している間純平が僕の事をずっと心配そうに見ていてくれたのを、僕は全く気付かないでいた。ずっと参考書に噛り付きながら僕はたまに振り返って純平を見てあげることもなく、自分の勉強に必死だった。その間も純平はずっと僕にシッポを振ってくれていた。
{頑張ってね。秀一さん}
学校の教室で僕は憂鬱に浸っていた。以前学校で受けた模試の結果が思わしくなかったのだ。
「ふう。」
僕はため息を吐いていた。
「どうしたんだよ、秀一。ため息なんか吐いちゃって。恋わずらいか?相談に乗るぜ。」
満が声を掛けて来た。僕は返事をする気にもなれず、黙ったままだった。
「え、何にも言わないって事は、本当に恋わずらいなのか?」
僕の後ろの席に座りながら満が言った。何で、こいつはこんなにも能天気な会話ばっかり出来るんだろう。
「違う、そんなんじゃないよ。」
僕はぶっきらぼうに答えた。
「あ、それ、この前の模試の結果じゃん。あ、お前やっぱ凄いよなー。志望校Aランクじゃん。受験も将来も安泰だねー。」
「そんなことないよ。Aランクっても、ぎりぎりなんだよ。たまたまってだけで。後何点か足りなかったら、Bランクなんだよ。」
「そうなのか?でもいいじゃん、取り合えず今回はAなんだし。」
「取り合えずって。これじゃ、油断出来ないよ。」
「あー、まあ、そうなのかな。でも羨ましいぜ。俺そんな志望校書いたら、判定不可能って出るぜ。」
「え、判定不可能って出るの?」
「いや、冗談だよ。受験生にそんな不可能なんて言葉使わねえだろうよ。ってか、判定不可能だなんて、そんな事無いよ、満君。って否定するとこじゃねえか、普通。お前今俺が不可能だって、さらっと認めただろ。」
「あ、そんな、まさか。」
「まあ、秀一にはお呼びじゃない言葉だろうからな。」
「そんなことないよ。」
「あ、そうだ。純平ちゃん元気?」
「え、あ、うん。元気だよ。ジョンと小庄太は?」
「めちゃめちゃ元気だぜ。あいつら本当よく飯食うんだよなー。でも何かいい感じだぜ。」
「いい感じって何が?」
「ジョンもそうだけど、小庄太も慣れてるって感じだな。」
「慣れてるって何が?」
「人間の扱い。」
「人間の扱い?」
「そう。もともと、小庄太も俺ん家の家族のこと知ってるから、慣れも早いんだろうけど。各個人の扱い方、手馴れてるねー。」
「そうなの?」
「ああ。親父にはこの接し方、ご飯を貰う母親にはこの接し方。俺にはこの接し方。あいつ等も頭良いよ。頭良いっていうか、要領が良いっていうか。」
「ふーん、そうなんだ。」
「ふーん、そうなんだってお前ん家だって二匹も犬がいるじゃねえか。そんな事ない?お前んとこは。」
「うーん、どうなんだろう。」
っていうか、僕は正直言って、もともと家に居るジュエリーだって母親が買ってるたけで別に興味もなかったし、第一触ろうとしたら怒られてたから、関わりなかったし。コンテストに出す大事なお犬様だからな。逆に純平は僕にだけしか接してないから、家族で変えてるかどうかなんて分かんない。
「まあ、少なくとも純平は上手そうだよな。甘えたで可愛いしな。」
「あ、うん。そうだね。でも、ランクつけるって聞くよね、犬って。」
「ああ、聞く聞く。俺は確実に下の方だな。」
「何でそんな事分かるの?」
「だって、あいつ等俺に全然遠慮しねえんだもん。母親とかなら尻尾振って、近くに寄って甘えたりするのに、俺なんかたまにチラッと見て、ああ何だ満か、みたいに見るだけで寄りもせずにめんどくさそうに遠くの方でシッポ振ってる時あるんだぜ。もうちょっと、気遣わんかいって思うときあるぜ、たまに。」
「あはは、何か想像付く。」
「お前ね。でも俺、ジョンなんか、もし犬じゃなくて人間だったら、世渡り上手で出世してると思うぜ、まじな話。」
「あ、してそう。」
「だろ。あいつ本当上手いんだよなー。甘えたり寄り添ったり。」
「教えてもらったら?ジョンにノウハウを。」
「本当だな。弟子入りしようかな。って、お前、喧嘩売ってるだろ。」
「あはは、冗談だって。」
「お前なー。あっと、そろそろ時間だ。行かなくちゃ。」
「あれ、塾にはまだ時間早くない?」
「え、ああ。そうだな。ん、でも、ちょっと、そろそろ時間が。」
「あー、又、部活に顔だすんだろ。」
「え、まあ、ちょっとだけな。」
「勉強本当に大丈夫なのか?ちょっと、ちょっとって、結局毎日顔出してない?」
「体動かして帰った方が、頭に入んの。」
「また、そんな事言って。この前は体動かして帰ったら、直ぐに眠くなるって言ってたじゃん。」
「それは動かしすぎたら。適度なら逆に頭冴えるんだよ。」
「それで、その冴えた頭をゲーセンに使ってる訳だ。」
「そうそう。頭は冴えてるし、体は柔軟にほぐれてるし手先も良く動いて結構良い所までいくのよ。」
「結局勉強してねえじゃん。」
「あはははー、まあまあ、又今度。でもたまには、まじでちゃんとやってるんだぜ。誤解のないように。まあでも良いのさ、世の中勉強したい奴がすれば。」
「またそんな事言って。」
「あ、やべ。そろそろ、まじで行きゃなきゃ。」
満は時計を見ながら立ち上がった。
「んじゃな、秀一。俺達国民の将来は、お前の頭に任せた!イエイ!」
そう言ってバタバタと満は廊下を走っていった。
「何がイエイだよ。人の気も知らないで。」
そう言って僕は大きなため息を吐いた。
「世の中好きで勉強してる奴なんかいやしないよ。少なくとも僕は。」
そう、僕は勉強なんか好きじゃない。むしろ勉強なんか大嫌いだ。だって何も楽しい事なんて無い。あんな風に僕だって本当は部活に行ったり、帰りに友達と何処かに寄って遊んで帰ったり色々したいんだ。でも、我慢してる。受験生だから。受験生は勉強に励まなくちゃいけない・・・。
何で?どうして?
どうしてって答えは簡単な事じゃないか。いい大学に入るためだよ。
何で良い大学に入らなきゃいけないの?
何でって、それは良い会社に入れるからさ。
良い会社?良い会社って何処の?
何処でも良いよ、良い会社なら。
何処が良い会社なの?
何処って言われても。
何が良い会社なの?
そりゃ、良い会社っていうのは、給料が良くて、皆が知ってて、凄いねって言われる会社が良い会社なんじゃないの。
それは、自分のやりたい事と全然違っても?
そりゃ、自分のやりたい事出来れば良いんだろうけど。じゃあ、君は一体何がやりたいの?
え、僕?僕のやりたい事・・。
もしかして、無いの?
そんなことないよ。僕のやりたい事。僕のやりたい事・・。
僕知ってるよ。
えっ、何?
君はちゃんと勉強して良い大学に入って、良い会社に就職してお父さんの後を継ぐんだろ?
えっ、そうなのかな・・。
そうだよ。その為にずっと小さい頃から勉強して、今良い大学目指して受験勉強してるんじゃないか。
そうなのかな。その為に、勉強を・・。
そうだよ。テストで良い点を取る事が、学校で良い成績を取る事が何よりの親孝行であり、それが君の夢なんだよ。
僕の夢?
そう。学校で良い点を取ってきたら、お母さんはとっても喜んでくれるだろ。周りのご近所にも自慢できるし。お母さんが喜んでくれている姿を見るのはとっても嬉しいだろ?
それは、確かに嬉しいけど。
そう、それが君の全てなのさ。
全て?どういう事?
母親の願望を満たす事が、君の役割であり、仕事であり、強いては幸せであり、君の願いっていう事だよ。
何か良く分かんないよ。
どうして、簡単な事じゃないか。お母さんは、勉強の良く出来る、秀でた子供を持って周りから「羨ましいわ」って思われて優越感に浸りたいんだよ。そうやって、優越感に浸る事がお母さんにとって「ああ、私って他の誰より幸せだわ」って感じる瞬間なんだ。そう、だから、お母さんが幸せになる為には、お母さんの願望を叶える必要がある。その為に小さい頃からずっと君は一生懸命勉強を頑張ってきてるんじゃないか。
・・その為に、僕は勉強を・・?お母さんの為に、僕は勉強を・・?
そうだよ。
でも、じゃあ、僕は?
何が?
じゃあ、僕は?僕自身は?
・・・。
僕自身は?だって僕の人生なのに・・。
考えちゃ駄目だよ、そんなに深く。疲れちゃうだろ。
だって、考えなきゃいけない事なんじゃないの?僕の人生なんだから!
・・・。そうむきにならないでよ。君はお母さんの願いを叶え、お母さんを幸せにする、君が願ってた事なんだよ。お母さんに振り向いて欲しくて、お母さんに優しくして欲しくてお母さんに笑って欲しくて・・。
僕が願っていた事?
そうさ、君が何よりも願ってた事なんだよ。
じゃあ、それが僕の願い?それが僕の夢なの?
そ、そうだよ。それこそが何よりの君の夢なんだよ。
・・・僕の夢・・・。
ほ、ほら、まだ今日の勉強が残ってるんじゃないの?早く机に向かわなくちゃ。
机に・・。
そう、そして、夢を叶えようじゃないか!素敵な夢を!
素敵な・・夢・・。素敵な・・夢・・。
体が揺れる。頭がぼんやりとして・・。何処?此処・・?
「大丈夫、ねえ、大丈夫?秀一君。」
ゆっくりと、僕は目を開いた。・・夢・・。
「ねえ、気分でも悪いの?大丈夫?」
あれ、君は同じクラスの・・?そういえば、確か満と教室で喋ってて・・。それから、満は部活に顔を出しに、僕は塾へ行こうとして・・塾・・。
「今何時?」
僕は勢いよく立ち上がった。
「びっくりした。えっと、もうすぐ、七時だけど。」
「え、もう、そんな時間。大変だ、塾の時間とっくに過ぎてる。」
僕は慌てて、鞄を手に取った。
「大変ね、毎日塾に通ってるの?」
「え、ああ、うん。」
「秀一君って、頭良いもんね、受かると良いね。志望校。」
「え、ああ、うん。君は?何でこんな時間まで学校に?」
「あ、うん。ちょっと調べものがあって。私高校卒業したら働くから。履歴書の書き方とか見てたんだ。」
「そう。就職するの?」
「うん。まあね。早く働きに出ないと、家も大変だし。大学行きたかったけど、そんなお金家にあるわけないし。」
「そうなんだ。大学って、どういう・・。」
「ああ、私ね、デザイナーになりたいんだ。だから、服飾関係の大学行きたかったんだけど・・。」
「そうなんだ・・。」
「ん、でも、デザイナーの専門学校行こうと思って。高校卒業して、働いてお金貯めて行こうと思ってるんだ。」
「そうなんだ。凄いね。」
「え、全然凄くないよ。秀一君の方が凄いよ。だって、私なんか秀一君が狙ってる様な学校絶対無理だもん。」
「そんな、全然凄くないよ。僕なんか。でも、良いね、やりたい事があって。」
「一応だけどね。成れるかどうかなんか分かんないし。途中で夢変わっちゃってるかも知れないしね。」
「成れたら良いね。デザイナー。」
「うん。有難う。あ、そうだ、塾行くって言ってたよね。ごめん、私が引き止めちゃって。」
「あ、そうだ。急いで行かなきゃ。」
「大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫だよ。僕の方こそ有難う。起こしてくれて。じゃ。」
僕は慌しく教室を出て行った。
「ふう。」
真由は小さく息を吐いた。
「やっぱ、私なんかの名前なんて覚えてるわけないよね。一度も出てこなかったもんな。」
急いで廊下を走りながら、そんな言葉も僕には聞く余裕も無かった。
ようやく塾が終わって家に向かって歩いていた。今日遅刻して受講出来なかった分の自己学習と純平の事が気になっていた僕は足早に歩いていた。足早に歩きながら僕は今日の学校の夢を思い出していた。何となくぼんやりとしか覚えていない。でも、とても大事な夢だったような気がする。
「僕のやりたい事・・。」
時々頭をよぎっては結局答えを出すことなくいつも通り過ぎていく言葉。まるでこの質問を解いてはいけない事のように自分の中で閉じ込めて、聞くことさえいけない事のように僕の中で封印してしまった言葉。僕の願いも僕の夢も、いつしか誰からも問われる事無く自分の中で問う事も無く、気がつけば一本のレールが引かれていた。長く長く、その先の遠い遠いその先に何があるのか僕は知らずに。いつしかその先も気にする事無く僕はひたすら引かれているレールの上を歩き始めていたんだ。
「ただいま。」
僕は靴を脱ぎそのまま階段へ向かって歩いていた。階段を上ろうとして呼び止められて足を止めた。
「秀一、ちょっと、こっちいらっしゃい。」
母が僕を呼んだのだ。僕は一気に足が重くなるのを感じた。まるで足を引きずるかのように、僕はゆっくりとリビングへと向かった。
「何、母さん。」
部屋へ入ると、父がソファに座って新聞を読んでいた。
「父さん・・。」
今日はたまたま仕事が早く終わったのかな。こんなに早くに父が家にいるなんて久しぶりだ。
「そこに、座りなさい。」
母が言った。明らかに怒っている口調だ。まあ、母さんは僕を怒るときしか僕を呼ばない。
「はい。母さん。」
僕は返事をしてソファに座った。
「あなた、一体どういうつもりなの?」
ため息を吐きながら母は言った。
「どういうつもりって、何が?」
僕は分からずに答えて目を反らせた。
「これ、お母さん捨てて来なさいって言ったわよね。」
そう言って、僕の前に純平を差し出した。
「あっ、純平・・。」
「あなたね、一体どういうつもりなの?お母さんの言う事がそんなに聞けないの。」
「あ、そうじゃなくて。あの、それは、その・・。」
僕は又怒られると思い、もう言葉に詰まってしまっていた。
「あなただけは、本当呆れるわ。」
母はまた大きなため息を吐いた。
「こんな大事な受験の時期を控えて、こんな犬に時間を取って。あなた、最近ちょくちょく広川さんの所に行ってたそうね。この前広川さんの奥さんに会って、聞いてびっくりしたわ。何してるか知らないけど、そんな時間今のあなたには無いでしょう。一体何考えてるの?最近成績はずっと下がりっぱなしで、そんなことで、あなた受験に合格出来るとでも思ってるの?」
「ごめんなさい。」
「その言葉も、もう聞き飽きたわ。どうせ、あなたはいつも口だけだからね。広川さんの奥さんも奥さんだわ。秀一が受験なの知ってて。少しぐらい秀一は受験なんだから気を使って欲しいわ。ねえ、あなたもそう思うでしょう?」
「えっ、ああまあな。」
新聞を読んだまま父は曖昧に返事をした。
「しかも秀一あなた、広川さんの家でご飯までよばれたんですってね。」
「えっ、あっ、それは・・。」
「本当に呆れた子ね。そんな事してるから成績が下がるんじゃない。広川さんの奥さんも奥さんよ。受験生なんだから、そっと家に帰すぐらいの配慮してほしいわ。」
「あっ、でも、あの時は、僕が庄ちゃんに用事があってそれで・・遅くなったから、おばさんも気を使ってくれて・・。それで満と一緒に・・。」
「満って、確かあなたと同級生の、あの子ね。あなたはそんな子達よりもっと頭の良い子と友達になりなさい。そうすれば、あなたの勉強も見てもらえるし、こんな大事な受験中に遊んで無駄な時間を使うことなんてないでしょうから。」
「そんな、満も庄ちゃんも良い友達なんだ。」
そんな人のましてや自分の子供の友達をそんな言い方するなんて。
「まあ、あなた口答えする気?」
「口答えなんて、そんな・・。」
そう言いかけた時、母が机をバンっと叩いた。
「あなたがね、広川さん家でご飯を食べに行った日、あなたあの日が何の日だったか知らないの?」
母の声が少し大きくなっていた。
「えっ?」
「あなた、あの日模擬試験の日だったでしょう!そんな大事なテストをほったらかしてご飯食べに遊びに行ってるなんて、一体どういうつもりなの!」
模擬試験・・そういえば、行くつもりなかったけど、母に言われて申し込んでいたのを忘れていた。
「あっ、ごめんなさい。」
「ごめんなさいじゃないでしょう!そんな勝手な真似して、そんなことをしてるから成績が落ちるのよ!お母さんに嘘ついて、試験さぼって遊んでばっかりで!」
「そんな、嘘なんか付いてないよ。」
「また、口答えするのね。この犬だって、ジュエリーちゃんに何かしたらあなたどうするつもり?だから捨てて来なさいって言ってたのに、お母さんの言う事あなたはちっとも守らないのね!早く捨てて来なさい、こんな犬!」
そう言って母は純平を机から振り払った。
{キャン、キャン}
純平は飛ばされて窓にぶつかった。
{アイタタタ・・・}
「大丈夫か、純平。」
僕は急いで純平に駆け寄った。
{クーン ―大丈夫だよ、秀一さん。それより秀一さんのお母さん、秀一さんになんて酷い事。あんなに頑張ってる秀一さんにあんな酷い事言うなんて、信じられないよ}
「秀一、あなた名前まで付けてるの?随分可愛がってるのね。なんて事を。そうやって可愛がってる時間あなたには無いでしょう!早く捨てて来なさい!その犬がいるから世話もしなきゃなんないし、気が散って勉強にも身が入らないのよ!そんな役に立たない目障りな犬早く捨てて来なさい。そんな犬今のあなたにとって必要ないわ。邪魔よ、さあ早く。」
僕は純平を抱いて抵抗していた。純平も少し震えていた。今度捨てたら、こんな寒い冬の時期なんだ、純平が死んでしまうかもしれない。それにあの時みたいに捨てたら後悔するに決まってる。もう、あんな後悔したくない。
「さあ、離しなさい。あなたが捨てて来ないならお母さんが捨ててきてあげるわ。」
「そんな、ちょっと待ってよ。母さん。」
「何言ってるの、早く渡しなさい。お母さんの言う事聞けないの?」
「ごめん、母さん。僕本当に勉強頑張るから。ちゃんと勉強頑張るから。だから、純平だけは。」
いつもの冷たい母の目。僕は怖くて仕方が無い自分を何とか抑えながら声を振り絞って言った。
「何言ってるのよ。邪魔なだけでしょう、犬なんか。受験生のあなたにとって不必要よ。」
{不必要・・}
「勉強の邪魔になるだけでしょ。早く渡しなさい。」
「母さん、こんな寒いのに捨てたら純平死んじゃうよ。本当に僕本当に勉強頑張るから。必ず合格するように頑張るから。純平は、純平だけは・・。」
{秀一さん・・。}
秀一さんこんな僕のために・・。こんなにかばってくれて・・。
「純平、純平ってうるさいのよ!こんな血統書でもなんでもない犬!」
母が純平の手を無理やり引っ張って僕の腕から純平を無理やり引きずり出した。
「やめてよ、母さん。」
そしてそのまま窓を開けて純平を放り投げようとした。
{あ、危ない、落ちる}
思わず純平は体制を整えようと母の手にしがみ付いて、そのまま下へ転げ落ちた。
{キャンキャン}
「あ、純平!。」
僕は走って純平に駆け寄った。
「大丈夫か!純平!」
{秀一さん、大丈夫です。ちょっとかすったぐらいだから}
「秀一、あなたって子は・・。」
母の声がして振り返ってみると、母の腕からかすかに血が流れていた。
「あっ・・。」
純平がしがみ付いたとき純平の爪が引っかいたのだ。
{あっ・・すみません。僕何て事を・・}
純平も小さくなっていた。母親の怒りが純平にも伝わってしまったのだろう。母は傷口を見た瞬間、完全に怒りが頂点に達した様だった。目が完全に怒っている。いつものあの冷たい目に加え怒っている母の顔を見た瞬間、小さい頃をの嫌な思い出が一瞬にして蘇り僕は動けなくなっていた。
「あ、ごめんなさい。母さ・・。」
そう言いかけて一気に激しい衝撃が頬を伝った。パンッと僕の頬を叩いた音が静まり返った部屋に響いた。
「痛っ・・。」
{キャンキャン ―あ、秀一さん!ああ、何て事を。大丈夫ですか?秀一さん!}
純平が鳴いて僕の傍に駆け寄って来たのが薄っすらとだけ僕の目に映っていた。
何で、僕は叩かれなくちゃいけないんだ。何で・・?
「・・・父さん。」
僕はかすれた声で呟いていた。助けてよ。父さん。こんな理不尽な叩かれ方で僕はどうしてこんな目に合わなきゃいけないんだ。おかしいよ、おかしいよね、父さん。ねえ、何か言って。、助けてよ、父さん・・・。
「ん、んっ・・。」
何か気まずそうに父は咳払いをして、見てはいけないものを見たように、でもまるで見ていなかったかのように読みかけていた新聞を置いて、そっとリビングから出て行った。
「・・・・。」
僕は思わず声にならずにリビングを出て行く父の後姿を見ていた。都合が悪くなるとその場からいなくなってしまう。いつもそうだ。家族の揉め事をめんどくさいと感じて、いつも見て見ぬふりをして、逃げて行ってしまう我関せずの父。まるで他人の家族を見ているかのように、ずっと新聞を離さずに一度も僕達を見ようとしなかった。一体僕の家族は何処にいるのだろう・・?一つ屋根の下に居ながら僕の家族は此処にはいない。僕はもう分からなくなっていた。何が何だか分からなくなっていた。母に頬を叩かれた瞬間、僕の頭は真っ白になっていて、何も考えず、何も見えなくなっていた。僕は全く気付かずにテーブルにあった果物ナイフを手に取っていた。
「何で・・。何で・・。」
僕は何かを呟きながら、手に取った果物ナイフを強く握り締めていた。
「な、秀一、あなた、一体何を・・。」
僕の姿を見て青ざめた母を薄っすら覚えている。でもそれ以外の事は余り覚えていない。
「ちょっと、冗談はやめなさい。」
{秀一さん・・}
「冗談はやめなさいっていってるでしょ。一体あなた何考えてるの?こんな事お母さんにしていいと思ってるの?秀一、ナイフを・・ナイフを置きなさい。」
「僕の家族は此処にはいない・・・。」
{秀一さん・・・}
「な、何言ってるの!秀一やめなさい、早くナイフを置きなさい。早くナイフを・・。いい加減に、言う事聞きなさい!秀一!」
「うわーー。」
僕は真っ白になった頭のまま、ナイフを握り締め母に向かっていた。
「きゃあああー。」
母が叫んで、その顔が恐怖に満ちていた。僕は無我夢中でナイフを振り下ろした。
{キャンキャン・・}
真っ白な頭の中でかすかに純平の声が聞こえて――僕はハッと我に返った。
「あっ・・。」
歪んで光るナイフの先に鮮やかな赤い血が・・。
「あっ・・、純平!。」
純平の前足から、血が流れ出していた。母をかばって純平が前へ飛び出したのだ。
「あっ・・純平!純平!大丈夫か、純平!。」
僕は何度も何度も純平の名前を呼びながら純平を抱きかかかえた。
「大丈夫か、大丈夫か、純平!。」
{クウ・・ ―秀一さん、大丈夫。大丈夫。僕は大丈夫だから・・}
秀一さんは真っ青な顔で心配そうに僕の流れている血に、脱いだ上着をあて必死に止血していた。
「ああ、僕は何て事を。何て事を・・。」
止血している秀一さんの手がガタガタと震えていた。
「ごめんな、純平。ごめんな。痛いよな、純平。本当にごめんな・・。」
涙を流しながら、何度も何度も秀一さんは僕に謝っていた。僕は犬なのに涙が溢れて止まらなかった。こんな悲しい状況の中で、それでも秀一さんは僕の事を気遣ってくれている。何で秀一さんがこんな目に合わなくちゃいけないんだろう。毎日遅くまで勉強をして何一つ愚痴も言わずに、誰よりも頑張っていたことを僕は知っている。なのに何故母親である人がその事を全く知らずにいるんだろう。こんな緊迫した状況の中で何故父親である人がまるで他人事のようにあの場を去って行けるのだろう。こんな凍った家族の中にずっと秀一さんはいた。なんて寂しくなんて辛い・・。一体今秀一さんはどんな思いでいるのだろう。こんな冷たい家族の中でそれでもきっと家族を求めていた。それがもろく崩れ去っていく音。それでもこんな僕の為に心配そうに僕を抱きかかえながら、何度も何度も秀一さんは僕に謝っていた。お願いだからそんなにも謝らないで。今一番辛いのは秀一さんの筈なのに。それでも僕の為に秀一さんは謝っている。僕は切なくてたまらなくなっていた。秀一さんの胸のうちを思ったら、苦しくて苦しくて僕は本当にたまらなくて、僕は犬だけど、ずっと涙が溢れて止まらないでいたー。