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第三話:人が羨むいい人生

「ああ、今日はいつもより遅くなっちゃったな。」

僕は塾からの帰り道を足早に歩いていた。塾が終わってから満と話をしていたのだ。

「やっぱり、なかなか飼い主見つかんないな。」

どうやら、満も色々聞いてくれてはいるのだが、なかなか難しいようだ。

「うーん、どうしたもんか。」

僕は頭を悩ませながら家へと帰っていった。

「ただいま。」

相変わらず返事のない家。僕は純平のご飯が気になっていた。

「大分遅いし、取り合えずご飯食べてすぐに二階へ行くか。」

僕が晩御飯を温め始めると、居間から母が話し掛けてきた。

「秀一、後でこっちに来なさい。」

僕は一瞬で体が固まっていくのが分かった。大抵この場合怒られるか、何か良くない話なのだ。

僕は一気に食欲がなくなっていた。ご飯より話が気になってご飯が喉を通らない。純平の事がばれたのだろうか。何て言おう。僕の頭の中で色んな言い訳が頭の中に駆け巡っていた。

「何?母さん。」

僕は早々にご飯を切り上げて居間へ行った。

「そこに座りなさい。」

母が腕を組んで座っている。明らかに良くない話だ。

「何の話か分かってるでしょうね。」

低い声で母は言った。

「え・・、何?母さん。」

僕はすでに母から目を反らしていた。

「何ってあなた、しらばっくれちゃって。あなたの部屋に犬がいるでしょう。」

「え・・、ああ、あれは・・。」

「捨ててきなさい。」

「え・・でも。」

「でもじゃありません。捨ててきなさい。」

「・・・。」

少しの沈黙が流れて僕が話そうと口を開けかけた瞬間、母がため息を付きながら話始めた。

「あなたね、今自分が置かれている立場をちゃんと分かってるの?あなた今受験生なのよ。もうすぐしたら、センター試験だって始まるし、ただでさえ、もう勉強する時間なんて残ってないのよ。それなのに、部屋で犬なんか育てて。今あなたにそんな時間なんか一つもないのよ、今はとにかく勉強さえしてればいいの。今のあなたの成績じゃA大学は難しいわ。そんなことでどうするの?今のままじゃ、あなたは立派な人になれないわ。あなたのお父さんも、あなたのおじいさんも家はみんなA大学を卒業してるわ。親戚もみんな。あなただけよ、そんなに出来ないのは。良ちゃんみて見なさい、今も帰ってちゃんと勉強してるのよ。あなた、お兄ちゃんでしょ、恥ずかしくないの?犬も何あれ?汚いわ。明らかに雑種じゃなの、家にはもうジュエリーちゃんがいるんだから二匹も犬はいらないわ。早く捨ててらっしゃい。」

「でも・・。」

「でもじゃないでしょ、今お母さんが言った事聞こえなかったの?返事ははい、でしょ。捨ててきなさい。でも本当びっくりしたわ。あなたの模試の結果が気になって部屋へ入ったら犬がいるんですもの。」

「部屋・・勝手に入ったの?」

僕はびっくりして、少し顔を上げた。

「勝手にってあなた人聞きの悪い。家族なんだから、別に問題ないでしょう。」

「そんなときだけ、家族って・・」

僕は小さい声で呟いた。

「何?何か言った?口答えは許しませんよ。早く捨ててらっしゃい、今すぐに!」

母の声が大きくなった。

「え、今・・?」

「そうよ、今よ。今捨てなかったら、あなたどうせ捨てないでしょう。あなたはそうやって、引き伸ばす癖があるから、今の内に捨ててらっしゃい。」

「・・でも・・。」

「でもじゃないって、行ってるでしょう!早く捨ててらしゃい!今すぐに!。」

ヒステリックのようにさらに大きな声で母は言った。そんなに怒らないといけない事なのだろうか・・?でも僕はそう思いながら、でも何も言えずに黙ってしまっていた。純平を捨てたくはない。こんな寒い夜に捨てるなんて何てひどい事言うんだろう。できれば、家で買いたいんだけど・・。僕は何度も言おうとして、言葉を飲み込んだ。

「早く、いってらっしゃい。」

吐き捨てるように母が言った。冷たい目・・僕はいつもこの目を見ると何も言えなくなっていた。

「・・はい、母さん。」

僕は返事して、下を向いた。


二階へ上がり部屋へ入ると、純平がいつものように行儀よく座って尻尾を振っていた。

{お帰り、秀一さん}

「ただいま、純平。」

僕は力なく座った。純平に何て言おう、そのことばかり考えていた。

{純平さん、どうしたの?何か凄く元気がない}

純平は僕の手を何度も何度も舐めていた。まるで、何かを慰めるように・・。そうしている純平を見てると余計に申し訳なくなってくる。

「ごめん、ごめんな。純平。」

僕は純平の頭を何度も何度も撫でていた。自分の力の無さに涙が出そうになる。

「僕は本当に駄目なやつだな。」

そう呟いて、純平を抱き上げた。僕はいつもそうだ。結局何も言えず、いつも母親の言いなりになっている。こんな寒い夜に外へ出したら、純平は死んでしまうかもしれないのに。それをよく分かっていてそれでも、母に従っている自分がいる。僕は何て意思が弱いんだろう。純平をとても大事だと思っているのに、それでも母親の言う事を聞くなんて。僕は最悪だ。本当に。純平に何て謝れば許してもらえるんだろう。

「そんな、都合のいいこと、無理だよな。」

僕は立ち上がって、ゆっくり部屋を出た。

「本当、ごめんな、純平。」

純平は何も知らずに愛くるしい目で僕を見ていた。それが余計に僕を辛くさせる。

「本当に、ごめんな、純平。」

僕は自分のコートに純平を包んでゆっくり外へ出て行った。

「うわ、やっぱ、寒い。」

僕は一気に体の熱が奪われていくのを感じた。吐く息が白く色が濃く感じる。こんな寒空の中に純平を置いて行くなんて、僕はなんてひどい奴なんだろう。それでも僕はゆっくりと歩き始めていた。

「僕は本当に弱い奴だ。自分で自分が嫌になるよ。」

そう呟きながら、公園にたどり着いていた。純平を拾ってきた公園だ。僕はゆっくり純平を地面に下ろした。

{ああー、ここ初めて秀一さんと出会った場所だね}

「寒いだろう、これを着るんだ、純平。」

そう言って僕は自分の首からマフラーを外して純平にくるくると巻いた。

{わあー、暖かい}

「純平、ごめんな。僕が、弱いばっかりに。純平に嫌な思いさせて。」

{そんな事ないよ。毎日感謝ばっかりだよ。}

「僕がちゃんとしていれば、もっと、もっと、ちゃんとしていれば・・。」

{どうしたの?秀一さん、また自分を責めてる。そんなに自分を責めないでよ。}

捨てられるなんて知らずに懐いて尻尾を振っている純平をみてると、自分の中の罪の意識がどんどん大きくなっていく気がして、僕はその自分の中の罪の意識から逃れたくて、純平から目を反らせた。

「ごめんよ、純平、本当に。」

僕は一気に駆け足で振り向かずに公園を出た。

{ワンワン!}

遠くで純平が泣いている声が聞こえて、僕は思わず耳を塞いだ。大分走って息を切らしながらゆっくり僕は歩き始めた。塞いだ手をそっと外す。もう声も聞こえなくなっていた。そして心の中で、何度も何度も純平に謝っていた。

「ふう・・。」

ため息を付きながら、僕は小さいときの事を思い出していた。―そう、あれはいつの事だったか。そういえば桜が散っていた。弟の入学式の日だ。あの時僕は凄く嬉しくて。弟と同じ制服を着て家族と一緒にご飯を食べに行っていた。いつも忙しい父親がたまたま休みが取れたらしくて、家族四人でレストランに行ったんだ。僕は弟の入学式よりも、めったにいない父親が傍にいることがとても嬉しくて、とてもはしゃいでいたんだ。家族皆で食事なんて滅多にない。僕は大好きなカレーライスを頼んだ。

「ねえねえ、父さん、僕この前のテストで百点取ったんだ。僕だけだったんだよ。」

僕は目の前にいる父さんが嬉しくて、少し興奮しながら、話し始めた。

「ふーん、それは凄いじゃないか。」

褒められた僕は有頂天になっていた。

「秀一、お行儀が悪いわよ。黙って食べなさい。」

母親の注意も無視して僕は父さんに話し掛けた。

「それでね、それでね、父さん。」

「黙って食べなさい。秀一。」

その時、僕は嬉しくて嬉しくて母の言う事を聞いていなかった。

「今度、又、百点取ったら一緒に・・。」

その瞬間僕はテーブルにあったカレーを弾みで落としてしまった。カレーが僕の手や服にべっとり付いて僕は一瞬何が起きたのか分からなかった。

「熱っ・・。」

我に返ると手に付いたカレーがとても熱くて、下ろしたての制服はカレーまみれになっていた。僕は熱さと悲しさでいっぱいになって、泣きそうになっていた。

「ふえっっ・・。」

目の中に涙が溢れて零れそうになった時、―パンッとレストランに響き渡るような音が鳴り響いた。

「だから、言う事聞きなさいってあれほど言ったでしょう!」

母に叩かれて倒れた僕はほっぺの余りの痛さに呆然として身動きできなかった。

「まあ良いじゃないか。」

父が小さい声で言う。

「あなたは、黙ってて。何度も何度もさっきから注意してたのに、全然言う事聞かないで。やめなさいってさっきから言ってたでしょう。どうしてあなたはいつもいつも言う事を聞かないの?お母さんの言う事聞かないからこういうことになるのよ。分かったでしょ!秀一。」

僕はあまりのショックに体が震えて止まらずにいた。

「返事は?秀一。分かったら返事なさい!」

大きな声で母は僕を叱った。僕はガタガタ震えて出なくなった声を、それでも必死に絞り出して言った。

「はい・・ごめんなさい、母さん。」

タイミングを見計らって店員がお絞りを持ってきてくれた。

「大丈夫でございますか。どうぞこれを。」

母親は店員からお絞りを受け取って、

「はい。」

と僕に渡した。

「自分で汚したんだから、自分で拭きなさい。」

僕は母親を見た。冷たくて冷ややかな目。怒っていて、表情を一つも変えない。僕は母から手渡されたお絞りで手に付いたカレーを拭き始めた。少し赤くなって火傷をしている。ヒリヒリと本当は痛い筈なのに余りのショックに僕は痛みを感じずにいた。溢れかけていた涙さえ、怒られた怖さで何処かに、消え失せていた。楽しいはずの家族の食事は一気に何処かへ行ってしまっていた。それよりも僕は悲しみのどん底にいて、この日から母に逆らう事は一切なくなっていた。それが、例えどんな場合でも。あの時の、頬の痛みも、あの冷たい母の目も、忘れた事なんて一度もない。それどころか、僕はあの冷たい目をされるといまだに何も言えなくなってしまうのだ。大好きだったカレーもあの日以来大嫌いになっていた。臭いだけでも気分が悪くなる。

「本当、熱かったもんな、あのカレー。」

僕は手を擦りながらそう言った。僕の手にはあの時火傷した痕がまだ残っている。

「冷やせば良かったんだよな。知らないし、あの頃はそんな事も。」

きっとは母この火傷の痕を知らないだろう。いや、知るはずもないのだ。だってあの時僕は、自分でカレーをふき取っていた。母は手にカレーが付いていた事も知りはしない。母はあの時僕なんかより汚れた制服が気になっていたんだから。僕の火傷した手なんか見もせずにため息を吐きながら、母はあの時こう呟いていた。

「せっかくクリーニング出して、取りに行った所なのに。カレーって落ちににくいのに、またクリーニングに出さなきゃ駄目じゃない。二度手間だわ。本当手間のかかる子なんだから。」



「秀ちゃん、秀ちゃんじゃない。」

声がして、振り返って見ると、庄ちゃんが小庄太を連れて立っていた。

「久しぶりだなー、秀ちゃん元気だった?」

「ああ、何とか。庄ちゃんこそ元気だった?」

「んー、何とか。」

そう言って庄ちゃんは笑みを浮かべた。トレーナーに、分厚いダウンジャケットを着てラフな格好だった。

「よう、小庄太、元気だったか?でも庄ちゃん、いつもこんな遅い時間に散歩してるの?」

僕は小庄太の頭を撫でながら聞いた。

「いやー、こいつの散歩はもう終わってんだけどね。急に散歩しようかなーと思って。でも1人じゃ寂しいからこいつ連れてきたんだ。」

{そうなんだよ。もう寝ようかなーと思ってたのに。無理やり連れて来るんだもん。しょうがねえー奴だろ}

「そうか、可哀相に。無理やり引っ張って来られたんだな。」

{まあね。でもこいつ1人じゃ危なっかしいから、付いてってやらないと}

「大変だなー、小庄太も。」

{いやまあ、もう慣れっこさ}

「でも庄ちゃん、何で急に散歩しようと思ったわけ?明日も仕事なんでしょ?」

「うん、まあ、そうなんだけど。いや、ちょっとほら、今日は星が綺麗だなーと思って。」

「星が?」

「うん、今日はいつもより、星が綺麗だと思わない?」

庄ちゃんにそう言われて、僕は空を見上げた。

「さあ、どうなんだろう・・よく分からないけど。」

「ああ、そう?」

「星詳しいの?」

「ううん、全然。オリオン座しか分かんない。」

「・・・。でも、何でわざわざ散歩を?家で見れば良いのに。」

僕は見上げていた首を元に戻しながら聞いた。

「まあ、そういう時もあるけど。でも気持ち良いじゃない?夜風に当りながら、散歩するのって。」

「そうなの?ちょっと寒すぎる気もするけど・・。それに、夜の散歩ってやったことないし。」

「あらー、それは勿体ない。今度是非どうぞって言っても今はそれどころじゃないか。もうすぐ、受験だもんね。」

「ああ、まあ。」

「受験かー、懐かしいなー。もう二度とごめんだけど。聞くだけで鳥肌立ちそう。」

{そんなに拒むほど、庄ちゃん勉強してなかったじゃん}

小庄太が密かに突っ込んでいた。

「まあ、いうほどは勉強してなかったけどね。秀ちゃんなんか大変じゃない?どうせ良いとこ狙ってるだろうし。」

「いや、そんな事は。」

「親も期待してるだろうしねー。後継ぐんでしょ?将来有望だね。そん時はよろしく。」

庄ちゃんが僕の肩を叩きながら言った。

「期待なんて、僕はされてないよ。父さんの後だって弟が継ぐんだ。」

「え、そうなの?そんな先のことまでもう決まってるの?」

「いや、別に決定とかされてるわけじゃないけど、僕は出来が良くないから。」

僕はボソッと答えた。

「そんなことないよ。いつも成績トップクラスらしいじゃん。」

「何で、そんな事知ってるの?」

僕はびっくりして庄ちゃんを見た。

「んー、満が家に遊びにきた時にいつもぼやいてるんだ。あいつはいつも成績優秀。非がないってね。親がいつも言うんだよー、秀ちゃんを見習いなさいって。同じご近所なのに恥ずかしいわーってさ。」

「そんな僕なんか全然凄くないよ、満おばさんの誤解だよ。」

「謙虚だねー、秀ちゃんは。満なんか、俺は頭ではどうせ勝てないから、こうなったら仕方ねえ、顔で勝つしかねえなーとかって言うんだぜ。いやいや、十分顔でも負けてますけどって、俺いつも訂正するの大変なんだ。間違った認識は良くないからね。」

「間違ったなんて・・。」

「そしたらいつも、じゃあ、勝つとこねえーじゃんかあーって吠えるんだよ。で結局仕方ねえから、気合で勝つとかって訳分かんねえ事言ってんの。本当おもしろいよなー、あいつ。」

「あはは、本当。満っておもしろいよね。」

「確かに、あいついると飽きないもんな。」

「友達も多いしね。」

「そうそう。でも、たまにあいつ俺の家に自分の友達連れて来たりするんだぜー、何で自分家連れて行かずに内の家連れて来るんだよーって言ったら、あいつなんて言ったと思う?」

「え、何て言ったの?」

「だって、こっちの方が部屋広いから。だってさ。ていうか、俺の家、そもそもお前ん家じゃないんですけどって感じだろ?あいつ俺の部屋、完全に自分の部屋の続きだと思ってるぜ。」

「満の部屋第2号だね、きっと。でも、満の友達って知らない人も来るんでしょ?何か気にならない?全然知らない人が突然部屋に入って来るの。」

「んー、まあ最初は。でも俺ん家商売やってるじゃん、小さい頃から寄り合いかなんか知らないけど、何かよく親の仕事の人達が家に集まったりしてたんだよなー。その親たちも子供連れて来たりして。で俺も来てる子も暇だから、いつのまにか一緒に遊んでたりして。」

「ふーん、そうなんだ。」

「だからそんな違和感なかったけどね。普通ならびっくりするのかな。」

「まあ、ちょっと。」

「んー、まあ今は核家族が多いし、周りの接点も薄いからね。知らない人達と話すってのが苦手かもしれないね。俺なんか自分の家の中にいるのに全然知らないおっちゃん達が普通に話し掛けてきてたもんね。お陰で人見知りしなくなった気がするけど。」

「そういえば、僕ん家なんか家族以外誰も来た事ない気がする。来ても何か難しそうな話をして気軽に話し掛けるなんて、とても。」

「あはは、俺と秀ちゃんじゃ客層も大分違うみたいだね。」

「あ・・別にそういう意味じゃ。」

僕は少し黙ってしまった。

「あ、そういえば明日仕事大丈夫なの?」

「あ、そういえば明日も仕事かあー。」

「そういわなくても仕事なんじゃ・・。」

「あはは、確かに。」

庄ちゃんは少しポーとしたところがある。三つ年下の僕でもたまに心配だ。仕事ちゃんとやってるのかな・・?

「仕事ちゃんとやってるのかな?」

僕はびっくりして庄ちゃんを見た。

「あ、その顔は図星だな。」

「え、いや、そんな。」

僕はどもってしまった。何で分かったんだろ?

「仕事はねー、ちゃんとやってるのかなー?どうなんだろ?」

・・何で逆質問?自分の事なんじゃないの?僕は庄ちゃんを見た。

「何で分かんないの?って思ってるなー。」

「えっっ。」

僕はまたびっくりした。何でさっきから僕の考えてること分かるんだ?

「顔に書いてあるよ。何で何でって。」

「えっ、そうかな・・。そんなのあんまり言われた事無いけど。」

「そう?かなりでっかく書いてあったけど。」

「えっ、嘘、本当、ごめんなさい。」

「えっ、何で謝るの?」

「えっ、だって仕事ちゃんとやってるか疑ったりしたから・・。」

「ああ、何だそんな事。」

「そんな事って、怒らないの?」

「えっ、何でそんな事で怒らなきゃならないんだ?むしろ怒って欲しいとか・・。」

「いや、そんな事はないけど。」

「秀ちゃん、謙虚だね。」

「えっ?謙虚・・?」

「うん、そう。何か考え方とか、言い方とか。そんなに気を遣わなくたっていいんだよ。俺達の仲なんだし。」

「僕たちの仲・・。」

「そうそう、僕たちの。まあ、満の図々しさと秀ちゃんの謙虚さを足して二で割ったら丁度いい気がするけど。今度貰ってやってよ、満の図々しさを。」

そう言って庄ちゃんは笑った。

「庄ちゃん、仕事楽しい?」

「え、仕事?んー、まあ楽しくはないねー。僕営業やってるでしょ。行った先で話しだけでもって思っても、あー、内は結構ですからって、なかなか聞く耳持ってくれないし。それどころか、うるさいんだよ忙がしいのにって追い払われたり。結構邪険に扱われるしねー、ため息ばっか付いてるときあるよ。」

「そんな。仕事辞めたいって思わないの?」

「そんな事、しょっちゅう思ってるよー。」

「じゃあ、何で続けていられるの?辞めちゃえって思わないの?」

「まあ、ええい、辞めてやるって思うときは何度もあるけど、辞めたらお金入んないし。たまに良いお客さんもいるしね。凄く感謝されたりとか。そうすると、ちょっとだけやってて良かったなって思うんだ。」

「ふーん、そうなの。」

「うん、まあ。後たまに売上強化月間ってのがあるんだけど、これが又大変で。夜は遅くまで休み返上って時もあるし。」

「うあー、大変そう。」

「でも何とか目標達成すると皆で打ち上げするんだ。」

「そん時のビールが美味いのなんのって。この一杯の為に今までやってきたって感じで。ありゃ、最高だね。」

「ふーん、そんなもんなんだ。」

「そんなもん、そんなもん。」

「庄ちゃん、楽しい?」

「んー、仕事?」

庄ちゃんはポケットから煙草を取り出した。

「ううん、人生。」

「――人生?」

庄ちゃんは少し面食らった様子で僕を見た。

「難しい事考えるね。」

そう言って庄ちゃんは煙草に火を付けた。

「んー、人生が楽しいかどうかねー。まあ、楽しいような楽しくないような。」

「どっち?」

「んー、どっちだろう。どっちもって気がするけど。人生楽しいなあーって思うことがあったり、辛いなーって思うことがあったり。色々かな。」

「色々・・。」

「うん、俺の場合は仕事で失敗して誰かに迷惑をかけたりお客さんに罵声を浴びせられたり。何で俺がそこまであんたに言われなきゃならないんだって思ったりして。そんな時は人生辛いよなーって思うよ。まあ、でもたまに良い事もあるし。」

「たまに?どんな事?」

「んー、ほら今日みたいに星がすっごく綺麗な時とか。」

「・・・。」

「ああー、綺麗だなーって思いながら、こいつと散歩することとか。」

「それだけ?」

「うん、それだけだよ。」

そう優しく庄ちゃんは言った。

「秀ちゃんは?」

「僕?何?」

「人生。楽しい?」

「僕は・・楽しくない・・。」

僕は答えて無意識に下を向いた。

「何で?」

「何でって、良く分からないけど・・。何か毎日別に楽しいって思えることなんてないし、ただ毎日をなんとなく過ごしてるってだけで、これといって別に何もあるわけじゃないし。」

「うーん、何もない・・か。」

「・・・。」

「じゃあ、何か趣味でも持ってみたら?」

「趣味?」

「そう。何でもいいじゃん、何か熱中できる事。スポーツとか後プラモデル作ったりとか。」

「プラモデル?」

「おお。あれはいいぞー、夢があるねー夢が。俺なんか満としょっちゅう作ってるよ。」

「満と?」

「そう、あいつすげえ上手いんだー。いつも教えてもらってるんだよ。」

「ふーん、そうなんだ。」

「今度、家来て作ってみる?」

「えっ、でも・・。」

「ああ、そうか、秀ちゃんもうすぐ受験だもんね。こんな大事な時期にプラモデルなんか作って一体どうすんだって感じだよな。受験終わったら、何個でも作れるだろっていう・・。」

「ああ、まあ・・。」

「でもこんな大事な時期に昨日俺の家でプラモデル作ってた満はどうなんだって感じなんですけど。」

「えっ、満昨日作ってたの?」

「ああ、そうだよ。一応言ったんだけどね、お前もうすぐ受験だろ、他人の部屋でプラモデルなんか作ってる場合じゃないだろって。そしたらあいつ、今最も大事な部分の接着に差し掛かってるんだから邪魔するなーだとよ。」

「邪魔・・」

「そう、邪魔だぜ、邪魔。大体俺の家なのに何であいつに邪魔呼ばわりされなくちゃいけねえんだよ。お前の方が邪魔なんだって。本当好きし放題だぞ、あいつは。まあ、あいつにとって受験はただの通過点にしか過ぎないんだろうけど。なんてったって、あいつの志望大学「とにかく受かるとこ」だもんな。気楽なもんだ。」

「本当だね。」

「まあ、進むべき道が秀ちゃんとは違うから。」

「そんなこと・・。」

「まあ、でも無理しないように頑張りなよ。」

「えっ・・。」

「今は寒いし冷えるだろうから。大事な時期だし風邪引かないようにな。」

「・・うん、ありがとう・・。」

「あんまり肩張るな。親の希望も大変だろうけど、ほどほどにな。」

「・・・・。」

「じゃ、そろそろ行くか。小庄太もさすがに待ちくたびれてる。」

「あっ・・ごめんなさい。」

「また。謝らなくても良いってば。じゃな。受験終わったらプラモデル教えてやるよ。」

「ああ、有難う・・。」

そう手を振りながら庄ちゃんと小庄太は帰って行った。僕はこの時少しだけ寒さを忘れていた。庄ちゃんが何気なく僕を気使ってくれた些細な言葉をきっと噛み締めていたからだろう。誰にも気に掛けて貰えない自分に慣れていた筈なのに。普段欲しいと思っていた言葉を少し貰った気がして・・。庄ちゃんと小庄太が見えなくなって、僕は我に返ってふと呟いていた。

「・・・受験終わったら、僕プラモデル作るんだ・・。」


庄太郎は小庄太を連れてゆっくり家へ向かって行った。

「・・人生か・・。」

煙草の煙を燻らせながら庄太郎は呟いた。

「今の頭の良い子はえらく難しい事を考えるんだなー。僕なんかあんまり考えた事もないけどな。」

{・・庄ちゃんはもうちょっと考えてもいい気がするけど・・}

「んー、何か言ったか?小庄太?」

{いや、別に何も}

そう言って小庄太は慌てて尻尾を振った。


「満、庄ちゃんと仲良いんだな。」

まあ、分かってたことだけど。僕もゆっくり家路に向かっていた。進むべき道が満と僕は違う・・。どう違うんだろう。僕は大学に行って、又勉強して父親の後を継ぐために親が決めた就職先に就職して、又勉強をする・・。僕の人生勉強ばっかりだ。良い大学に入って、良い所に就職してお金を沢山稼いで良い人生を送る。でもそれが本当に良い人生なのだろうかー?僕みたいに言いたい事も何も言えずに、ただ家に帰って勉強して、かたやプラモデルを作って友達と遊んで勉強もせずに。皆はこう言うだろう。そんな事は後で幾らでも出来るんだから。後で、後で、後で・・。でも僕の場合それはいつまで?大学入っても就職しても、まだまだ勉強しなくちゃならないのに、僕の勉強の為の我慢はいつまで続くのだろうか?果てしなく終わりなく。そのうち僕は何もせず、歳を取っていくのだろう。やりたいことも何もせず、やりたいことすら、見つけられずに。でも周りはこう思う。順風満帆の人生だって。羨ましいって思われるんだろう、とても良い人生を送っているのだと。そうこれがいい人生、人の羨むいい人生。レールの上をまっとうに歩き、一度も外れる事もなくただレールの上を歩いて行く、周りの景色にすら気付かずに。そしてその行き先ももう既に決まっていた。そうその先は良い学校良い就職。花を見つけて何処かへ立ち寄る事も許されず、唯ひたすら歩くだけ。既に引かれたレールの上を。それでも世間はそれをいい人生だと言って揺るぎない。何も知らずに、何も知らずに。そう僕の事なんか、何も知らずに。何も聞こえず、何も聞こえず、僕の叫び声なんか、誰も聞こえずに――。

「庄ちゃん、星が綺麗に見える日はいい人生って言ってたな。」

僕は空を見上げた。星が降り注いでくる。

「綺麗だなー。でもこれがいい人生。」

僕は純平の事が気になっていた。大丈夫だろうか・・。

「この綺麗な星がいい人生って・・僕にはいまいち分かんないよ・・。」

僕はまた純平を捨てた罪の意識が湧き上がっていた。僕は何であんな事。もしやり直せるなら今度は絶対捨てたりしないのに。でももう遅い、時間は戻らないんだから。後悔したってもう遅い。家路に着いた僕はゆっくりと階段を上った。ふと玄関の前に目をやって僕は本当に目を見張った。

{お帰り。秀一さん}

何と純平が僕の目の前に座っているのだ。

「純平どうして家に・・。」

{秀一さんに会いたくて帰って来ちゃった}

僕は嬉しさの余り純平を抱き上げた。

{うわー、秀一さん、くすぐったいよ}

純平の体は冷え切っていた。凍えそうな寒い中、ここでずっと僕の帰りを待っててくれていたのだろう。僕は純平の頭を撫でながら抱きしめて言った。

「お帰り!純平。」


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