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(株)ミクジョ。   作者: 青髭 理希
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第二話

 数日後。


 あさっての方向を見ながら、弘は椅子に浅く腰掛け、ふんぞり返った。

 先日の事務所での件は、奇跡的に引き出しの中の物が落ちたと警備員に勘違いされ、机下を詮索されることなく、事なきを得た。

しかしながらあの生きた心地がしない感覚はもう味わいたくない、というのが弘の思うところだが、苦労の甲斐あって必要な物は手に入った。あとはこいつをどう料理しようが、弘の思い通りである。

 スマートフォンのメモ帳アプリケーションを起動し、メモを再度見返す。因縁のある彼らの名を頭に焼き付けるように、毎日2回は目を通すようにしていた。


 父への恨みから、彼らは復讐心を抱いていた。ところが既に父は定年退職していたし、難を逃れようと人知れず住まいも移した。居場所がつかめない以上動けなかったが、息子の就職先を何らかの方法で情報を得、この会社に転社して矛先を自分に向けた。

 状況を整理すると、こんな感じだろうか。

 あのリストに載っていた管理職のほとんどは、父の会社にいた社員だった。

 彼らは6年前、顧客に対する賄賂を当時執行役員であった父に告発され、社会的な地位を奪われた奴らだ。その後どうなったは分からないが、父の退職後、会社はほどなくして業績悪化の後、倒産したと聞いている。大方、露頭に迷って何処かへ逃げたか、はたまた死んでしまったのかもしれない、などと軽く考えていた。


 続いて、入社して今まで起こった出来事を思い返してみる。

 入社当初は影こそ薄かったものの、同期とはそれなりに上手くやっていたように思う。新人研修でも必要があれば発言していたし、飲み会で馬鹿騒ぎした以外には特別、問題になる行動は起こしていない。

 何かがおかしいと思い始めたのは部署配属後のことだ。

1年目にして新商品のプロジェクトサブリーダーに赴任したかと思えば、メンバーの不自然なミスでプロジェクトが没になり、その責任が何故か自分に全て来たこともあったし、間違いのないハズの書類に対して上司から指摘を受け、確認してみると見に覚えのない文字が書き加えられていたりしたこともあった。

 解せぬままミスは積み重なり、次第に弘に対する風当たりは強くなった。減給も一度喰らっているし、上司が悪い噂を若手の先輩や同期を中心に良からぬ虚言が拡がり、徐々に同期の信頼も失っていった。気づけば、随分と肩身の狭い思いをしていた。

 しかも、問題である上司は一人ではないようで、弘と業務上全く繋がりのない部署の管理職も関与しており、数人で会話する場面をしばしば目にしている。

 言葉だけ並べても十分職場いじめと称して差し支えない自分の扱いではあったが、それらは全て自分の責任だと言い聞かせ、社会人として非は認め、謹んで受け入れなければならないことを認識しつつ今まで仕事に励んできたつもりだった。

 転職も一時は考えたが、明確な業務実績がない自分にはアピールできる材料が少ない。おまけにこのご時世、中途採用の求人企業はそのほとんどが労働環境に問題ありで、タダ働きが容認されているところが殆どだ。良くてもみなし残業と呼ばれる、残業代が給料に含まれているパターンである。特に残業時間を意識せずに仕事ができるこの会社の制度は他企業と比べても良く、それを手放すのはどうにも勿体ない。仕事自体も嫌いではなく、むしろ好きなほうであることも転職を躊躇う原因の一つだった。

 だが、今は状況が違う。まだ憶測の範囲を出ないが、自分で引き起こしたミスを除けばほぼ弘には非がなく、父への恨みという感情に固執した管理職の面々による策略となれば話は別だし、何より環境の変化にも合点がいく。ここから先は確実にスピード勝負になる。遅れをとれば、「一ノ谷弘」の存在自体を抹消される可能性すらある。

 真のブラック企業の姿を垣間見た気がした。

 こめかみに拳を当て、頭のなかに目いっぱいの思考を張り巡らせる。

「こちらが動く」ことは即ち、会社全体を敵に回すことも考慮した上で自らの環境を変化させることを意味する。ならば、出来るだけ自分の被害は最小限にしつつ、事を収束させたいと考えるのが人間の、延いては日本人の効率的思考であるところだ。


 そうと決まれば、管理職共を懲らしめるためのストラテジーをパソコンのワードソフトで創りあげたいところだが、外の景色に目をやっても、太陽は午前中にも関わらず季節外れのカンカン照り。日が沈む頃には、いつものように息が消沈していることだろう。

 ふぅ、とため息をつき、缶コーヒーを片手にディスプレイに目をやると、見慣れた人影が弘の横で立ち止まった。


「一ノ谷~、これ頼むな~」

 一息入れる間もなく、上司が気の抜けたような声で山積みの書類を、抱える手をすっと離した。どしん、と机が重そうな音を立てる。

 この男は萩原貴次。弘の部署の直属の上司で、恐らくだが弘への復讐を目論む集団の一人だ。萩原のことは元々嫌いではなかったが、風当たりが強くなるとともに段々とその気持も薄れていった。今のように優しそうな声のときは、決まって何か嫌味をいう兆候だ。

「これならお前でもできるだろ?見るだけだからな」

「お前でも」が妙に協調されているのもいつものこと。そう言って指さした 書類は、部署内の環境改善案のアンケート用紙だった。どうやら、不適切な内容がないかチェックさせるつもりらしい。「これ頼む」で大体察することの出来る自分が憎らしいというか、むしろ誇らしい。

 ちなみに弘にはこのアンケートに見覚えがない。恐らくは、弘だけメールの宛先から外して萩原がメールを送っているのだろう。それを共有してくれる人もいない現状をまじまじと見せつけてくれる。

 それはともかく、裏側が下衆の塊のようなこの会社から改善策が出てくるとは、到底思えない。

「了解です」

 不満を垂らすこと無く許諾し、さっさと上司を自席に戻すよう、ディスプレイに視線を戻す。牙を向いてもこちらには勝ち目がない。

 だが萩原はそこから動かず、自称ドスの利いた声色で弘に言い放った。

「一ノ谷、そういえばお前この前俺のパソコン覗いたんだってなぁ~。それって本当なの?」

 缶コーヒーを掴んでいた指の力が一気に抜け、静かに落下した。ぐいぐいん、と曖昧な音を連続して立てる。

―――まさか。あの場にお前は居たというのか。

 はたまた、実は警備員に気づかれていて、上司に報告されていたのか。

 あの時の記憶が頭に沸々と浮かび、弘は強烈なめまいに襲われた。所作から隠蔽まで限りなく完璧で誰の耳にも伝わることがないと確信していた計画が、序章にして終わりを告げようとしていた。尤も、警備員に見つかりそうになった時点で歯車は多少狂い始めていたかもしれないが、弘の冷静さを奪うには十分過ぎる事案だった。


 そして、頭のくらくらする弘をよそに、周りからは相当数の冷たい視線の包囲網が敷かれていた。

「うそ……」「またあいつかよ……」と事務所の反対側からヒソヒソと聞こえてくるのは、以前から噂を広めていた連中である。

 上司は、こうして周りの信頼を奪うようなでまかせを平気でぶちまける人間なのだ。今日のそれは、度合いで言えば日頃と同程度のものだったが、数日前の出来事からして明らかにピンポイントであり、本気なのかと錯覚せざるを得ない。

 弘は、保身を優先した。

「な、何もしてないです」

 脂汗を滴らせ、精一杯そう反論した。自分の表情が引きつっているのに気づかれないよう徹した。

「いやいや、通路のガラス越しに誰かが俺のパソコンの画面見てたって言ってたからさ~誰かなって考えたらもしかして…と思ってなぁ」

「違うのか~?」と、萩原は嫌味っぽい顔で弘を見下した。

 ここで、弘は萩原の言っていることが嘘だと気づいた。自分が通路のガラス越しにこいつのパソコンを見るはずがないし、萩原の言っていることは在席している時間よりも後のことを想定していない。何より、消し損ねたイベントログを見ることができる程度のスキルも持ちあわせていないのに、自分の悪行がバレるはずはない。

 流石に、電源を切った際パソコンに残るイベントログを見られたらその時はその時だ、と思っていたが、恐るるに足らず。

 こわばっていた肩はすっかり力が抜け、心拍数が元に戻っていくのを確認した弘は、椅子を回転させ、萩原の方を向いた。一気の反撃に出る。

「じゃあ誰が見てたのか、証人出してください」

「証人?」

「いるんですよね?見てた人が」

「……チッ、冗談だよ。なんで通じねえんだ?つまんねえなぁ」

 ほれみろ、やはりいつものハッタリだ。

「頼むから、場の雰囲気だけは悪くしないでくれよ~。ただでさえ、お前は空気読めないんだから。じゃ、それ頼むな」

 ケッ、と最後っ屁をかまし、さも不満そうな顔で萩原は自席に戻っていった。それに被さるようにして、野次馬社員もそそくさと捌けていくのが分かった。

 弘は、その場に崩れ落ちるように、自席の椅子にもたれかかった。


 この程度の攻撃を受け流すのは、慣れたものだ。

 社内いじめという行為を受けていることを認識するのに、それほど時間はかからなかった。ある日を境に上司の態度が目に見えて変わり、その後すぐに周りの社員に広まった。初めの頃は心にも身体にも相当なダメージだった。昨日まで仲良く接していた先輩や同期は勿論、上司の態度がある日突然豹変し、頑なに自分を拒否し始めるのだ。「会社」という他者との深いつながりが生まれにくいこの空間では、相手にされないこと≒孤独を意味する。味方だと思っていた人物が敵に寝返る瞬間は、たとえゲームだったとしても「うそだろ」と驚愕するのが人間の心情だろう。それも原因不明となれば段々と人が信じられなくなっていくのも自然といえる。元に、社内で口の利ける知り合いは殆ど居なかった。

 その拷問とも言える仕打ちに、弘は一年半という歳月をかけて、免疫を作り上げていた。無論、この免疫はここでしか役に立つことは無く、いっそ会社をやめてしまえば救われるのか、と途方にくれている現状だ。

 社会人は耐えぬくものだ、と弘は悟っていた。辛いことだらけ、というのは事実だし、充実した仕事ができていても素直に笑える瞬間は職種にもよるがそうそうないだろう。ほんのわずかな喜びを探して自分が決してやりたいと思わないことも進んでやり、楽しみを見つけていく、見つけられなかったら別の楽しみを見つける努力をするのが美しき社会人としての姿勢といえる。この一年半、弘は業務スキルでいえばほとんど入社当初と変わっていないが、社会人としてのあるべき姿を様々な雑務を通して理解してきたつもりだ。その知識に誤りはひとつも無いと思っている。どんな過酷な環境であっても、できることはある。むしろそれだけを楽しみに、弘はこの会社で出来るだけの成長をしてきたつもりだった。


 そうして今に至る弘だが、ついに自分が責め立てられる原因を掴み取れそうなのだ。これほど胸が高鳴ったことは久しくなかった。すっかりやさぐれてしまったこの心も、僅かな希望を見つけて輝きを取り戻している。この会社に入ったのもひとつの縁とプラスに考えて、しっかり自分の信念を貫いたなにかをやってみたい。それが仕事ではなく「復讐の阻止」になりそうなことは予想していなかったが、今の仕事に精を出すのはこの一件が終わってからでも遅くはなさそうだ。


 隣の席に座る先輩の人外を見るかのような視線をよそに、仄かに笑みを浮かべる弘の姿があった。

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