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キャッチャーミット

作者: shoot
掲載日:2014/06/07

心臓の音だけが、やけに大きく響き渡っているような気がする。

球場の隣のソフトクリームの売店の威勢のいい掛け声、公園で遊んでいる子どもたちの泣き声、スタンドの奴らの声援、相手チームの汚らしい野次、すべてが遠く、俺の世界には届かない。今の俺の中には、俺と、捕手の光一、そして相手のバッターだけだ。

九回二死だろうと、同点のランナーが二塁にいようと、ちょうど相手が四番バッターだろうと、やることはひとつ。ここをきっちり抑えることだ。

「ここに、おまえの一番自信ある球、おまえの全部かけて、放ってこい」

アイツの全身が、俺を呼んでる。言葉なんていらない。アイツなら、俺の全部をこめた球を、アイツの全部懸けて、一番良い音させて捕ってくれる。ただその一点を、ミットだけを目掛けて、脩平はセットポジションから、大きく高く、足を振り上げた。



大原脩平は、ピッチャーが好きだった。

ピッチャーは、孤独だ。試合を作るのは自分、勝っても負けても自分のせいだし、マウンドで代わりになってくれる奴なんて誰もいない。周りを信じて投げるとかなんとか、チームのためにどうとか、そういう空想じみた野球漫画のような青春の押しつけが、脩平は大嫌いだった。野球漫画なんて、ファンタジーとか魔法もののジャンルにいれてしまえばいいと思う。

小学校の時は、周りの大人たちがそれをなかなか認めてくれなくて、責められもした。野球はチームスポーツなんだと。漫画は好きだったけど、そんなファンタジーの綺麗事を野球の世界で押し付けられるのは嫌だったから、脩平は大人のコーチ達がみんな週刊少年ジャンプで働けばいいのにと思っていた。ようやく公式戦に出してくれるようになったのは、六年になって身長が伸びた脩平が圧倒的な実力を持ち、試合で使わざるを得なくなってからだった。


「脩平」

「ん」


キャッチャーの本田光一が、いつの間にか脩平の前に立っていた。


「肩。作るぞ」

「ん」


光一との会話は、いつも必要最低限だ。お互い無口って訳でもないし、気が合わない訳でも、まして嫌っている訳でもない。多分、バッテリーなんて、みんなそんなもんだろう。俺たちはかけがえのない仲間だけど、決して友達ではないのだから。

二死、ランナー二塁。八番の紺野は、下位打線といって侮るなかれ、なかなかいいバッティングセンスを持っている。170センチくらいしかないその体格もあいまって、甘いところに投げてくるその球を、決して見逃さず、確実に捉える堅実さが、彼の持ち味だ。

それを狙ってあえて、下位打線のまま据え置いている監督の性格の悪さには舌を巻かざるを得ない。


「つってももう、甘いとこには来ないだろ。さっきの打席、そんでタイムリー打たれたばっかだし。んで、早く肩作っちまおうぜ」

「そうだな、ごめんごめん」


光一がため息をつく。


「都大会の決勝戦の、しかもあと一イニングだってのに、ほんっと変わんねーよなそういうとこ。脩平は気楽そうでいいや。俺も早く帰って風呂入りたい」


俺からすりゃお前の方がよっぽど気楽そうだわ。

脩平は喉まで出かけたその言葉を飲み込んだ。肺から外に出かけたその想いは、今度は食道を通って消化され、再び脩平の中に戻ってきた。なんとなく、光一の気楽さが、自分の中に吸収されたような気がした。

中学の野球部に入ってから、三年間ほとんど毎日一緒にいて、ボールを投げ込んでいるので、お互いの考えることは手に取るようにわかる。

俺たちはあんまり言葉を交わしたりもしないけど、それでもーーーー。

光一が言いたかったのは、気楽にやれってこと。都大会の決勝とか、三年最後の大きな大会とか、これで脩平達三年生は引退だとか、そんなことはどうでもいい。

ただ、おまえの最高の球を。

いつも、そうだった。バッテリーを初めて組んだ時から。


「打ってやるし、守ってやるよ。周りから支えてやるし、励ましてやるし、一緒に戦ってやる。でも抑えるのも、勝つのも、負けるのも、大原、投手にしかできねえ。お前にしかできねえんだよ」


中学一年のとき、自分の球を受けた相手のその言葉で、俺はコイツを信じて、最高の球を、俺にしか出来ないことを、思う存分やってやろうと、決意したのだった。


「…いいぜ、本田。お前とは気が合いそうだ」


紺野が、ショートゴロに倒れる。


「いい感じに抜けると思ったんだけどな」

「流し打ち警戒して最初からサード側の守備位置だったもん、そりゃ無理だ。ホラ、最後行くぞ」


光一が先に走っていく。


「光一!」


その背中に、声を掛けた。

光一が、顔だけで振り向く。


「勝ったら、監督にアイス奢らそうぜ。ここの隣にあったろ」


にやりと笑って言う。

光一は何も言わず、軽い足取りで守備位置へ向かった。

そう、勝利は目の前にある。あとは俺の仕事だ。最終回のマウンドへ向かう。

投球練習をしながら、思う。マウンドだけ高く地面がならされてるのは、ここが神聖な場所だからなのだろうか。この高みに登れる奴は、チームで一人だけ。最後までこの高みにいられるのは、都内の全中学生のうち、たった一人だけだ。

きっと、俺一人じゃここまでの高みはーーー。

「んな訳ないか」

ふっと零れた笑いを、なんとなく、真正面に座っている、ソフトクリームを心待ちにしている奴だけには見られたくない気がして、グローブで口元を覆い隠す。


「プレイ!」


俺の、今の俺の、最高の球を、あのキャッチャーミットに。

腕を大きく、高く振りかぶった。

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