4月20日5:10
もはや手の打ちどころのないそれを眺め、記録していく。カメラのシャッターを切り、己の目でもある程度記憶し、現場を荒らさぬように中には入らない。
血の池と言ったらおかしいかもしれないが、そこはただただ赤い。赤だけで風景画を描けばこうなるのだろうか。池のほとりに三つ。否、三人の老若男女も不明のそれが、木に引っ掛かって息絶えていた。
言えば、百舌鳥のはや贄のように。
だがこの世に五十キログラム以上の重さはあるそれを木に刺せる百舌鳥も鳥もいないだろう。こんなことをすることが出来るのは『それ』と同種の人間位だ。
彼はそう考えざるを得なかった。
自らが通報したのは早朝五時半頃。今、時計を見たところ、現在位置である日本の時刻は五時五十分ほど。そろそろ警察の一人も来てもおかしくない。彼は最後のシャッターを切って、カメラ本体をウエストバックに押し込んだ。
ふう、と溜息を入れて、再度当たりを見る。しかし時間と共に変化するのは日の光だけであり、他は少しばかり血が固まってきて、臭いがきつくなってきたようなだけ。遺体に触れれば体温も解るのだろうが、これだけの放血が起きているのだから、心臓が停止する前に動脈を断ち切られるほどに体を刻まれたか、心臓自体を刺されて大出血を起こしたのだろう。 それを考え、ボーっとしながら近くの岩に座り込み、朝食としてこの公園へと持ち込んだ菓子パンを口に放り込む。そして、それを魔法瓶に入れていたココアで流し込んだ。
一つ飲み込み、もう一口と進めようとしたところに、雑音が走る。
近くから草木が触れる音がした。人の足音。少しだけカチャカチャと金属に近いものが触れ合う音がしたため、おそらくは警官か何かだろう。犯人でないと特定されたわけでもないが、今更犯人が来ることもないだろうと予想を立てていたために、彼はその場を離れなかった。
「……うわぁああ!」
何だ、今回は新人か。と、冷静にして単純な感想を心の中で述べる。
その人間はまあまあ筋肉は付いているような、警官だった。第一印象は頼りがいがない、だろうか。黒いサラリーマンのような髪に真新しい巡査の制服。典型的な新人であった。
「……お前、名前は?」
彼はその叫んだ男に名前を問う。
「あ、さ、佐藤太郎です!」
「階級……は、巡査かな。年齢」
「二十六ですごめんなさい!殺さないで!」
意味の解らない謝罪を受けたが、ただひたすらにその姿を目で追うと、ハッと佐藤が彼の目を見て固まる。
「え、えと、貴方の名前をお伺いしてもももも、よ、よろしいですか?」
挙動不審に陥っている佐藤に一瞬怒りさえ覚えたが、彼は口を開けた。
「伊藤。伊藤愛。二十四歳」
伊藤の名と歳を聞いた佐藤は頭を上げ、背の低い伊藤を見下ろす。何だか拍子抜けしているようで、そのまま固まってしまった。それを伊藤は見上げ、近くに置いていたココアを一口飲み、深い溜息を吐いた。
「あのさぁ……早く現場検証とかしなよ。素人じゃないでしょ佐藤さん」
そう言うにも、伊藤に焦りがあった。早くしなければ死体も痛み、消える証拠だってあるだろう。そうなたっとき、没収されるのは彼が撮った写真だ。
彼にとって今回撮った写真は独占したいものである。焼き回し、国に保管され、どこの誰だかも解らない人間にジロジロと見られることを想像すると、虫唾が走った。愛しいカメラをウエストバックの外側から撫でることで、気を紛らわす。
ハッと気が付いた佐藤が池の方へ目を向ける。
「おうぇ……」
あ、ダメだコイツ。
佐藤の嗚咽を聞いた瞬間、使えないことがよく解った。
だが致し方ないのだろう。見るからに彼は街のお巡りさん。交番勤務と言った、当たりの良い感じの青年。優しさとギリギリの知能体力で警官になったと推測できる。
伊藤の推測はそれだけしか導き出さない。
「お前の汚らしい嘔吐物で現場を汚されたくないのでココア飲むか」
「ありがとうございます……」
紙コップに注ぎ直したココアを手に取る佐藤は、そのまま一気にそれを飲みほし目を瞑る。簡単に言えば瞑想状態なのだろうが、いい加減コイツにも仕事してもらいたいと、伊藤は貧乏ゆすりを始めた。
「はい!行きます!」
何に行くんだ便所にか。吐くなら便所でしてくれ。
「伊藤さん、心の声がダダ漏れしてますから。応援はすぐに来ると思いますし、僕はここの撮影とかをします。カメラか何かがあれば使用させていただきたいのですが」
「携帯で良いのなら」
「ご協力ありがとうございます。使わせていただきます」
一度冷静さを取り戻した佐藤はタッチパネルをリズム良く触れ、次々に写真を撮っていく。まるで先程のヘタレ加減はどこかへ行っている。
やっとやる気になった佐藤のおかげで暇を持て余す伊藤は、突然、何かが落ちる音を耳に聞きつけた。
「佐藤さん、今の聞こえた?」
「へ?」
佐藤は集中していて聞こえなかったらしい。
何か、嫌な予感がする。寒い。怖い。
「……!」
「あれ?もしかして今のですか?『ドーン』って」
再度音を聞きつけた瞬間、更に嫌な予感が募り音の位置を確認する。確かに音は公園内でしている。ここと反対側の、池の隅にあるアスレチック広場。
それが解った瞬間、彼は飛び出していた。
「え、あの?ちょっと!?」
「スマン!応援の一部をアスレチック広場に連れてくれ!」
そう言い残したが最後、橋を渡り、まだ誰もいないジョギングロードを走る。そして着いたのは公園内で最も賑やかであるはずのアスレチック広場。
今、目の前に残るのはただ赤い大きな塊四つと、小さなドス黒い塊であった。
『百舌鳥の贄はまだ少ない』