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枯れろ、フリージア  作者: たかやまきょうこ
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桜の国で

はじめまして、こんにちは。

あなたはどんな、ニンゲンですか?






 シミ一つ、皴ひとつない、真新しい制服に袖を通す。

 (今日は、どこで過ごそうか)

 窓の外で降り注ぐ、ぬくもり色に染まった光を眺め、心なしかうきうきと釦を留めていく。

 部屋の隅に配置された姿見の前で、彼はそっと苦笑した。

 幼い頃の、中世的な美貌は、青年の精悍なそれへと変わっている。白く無垢な肌はそのまま、けれど体躯や顔立ちは変貌を遂げたと呼ぶに相応しいだろう。

 華奢な少年の身体は、しなやかに伸びて順調に筋肉をつけた。制服に包んでしまえば、単に細長いだけにしか見えないが、妙に縦に伸びたものだと首をひねる。栄養管理と食生活にはそれなりに気を使ってはいたものの、ここまで育ったのは正直予想外。整った鼻梁。若干垂れ目じみた、黒の中に濃密な濃紺をひそませた瞳は、どこか子犬のような、無邪気な雰囲気を漂わせている。すらりと高く体格の良い体つきと合わせると少しアンバランスに思えるが、そこは愛嬌ですませられる程度だろう。

 彼が今身につけたのは、この男子寮から歩いて五分強ほどの場所にある私立高校―――御津麗南高等学校(みつれいみなみこうとうがっこう)の制服である。

 芽も今日から新入生として通うのだが、彼の今日のスケジュールには、他の新入生と同じく、体育館で行われる入学式に出席し、教師の自己紹介やクラスメイトとの顔合わせを行う、という項目はさらさらなかった。いつ自分が暴れだすとも分からない彼は、出来るだけ人との接触を避ける癖がついている。大勢の人間が集まる式典や行事に顔を出すことはできない。

 当初は学校側にも適当な理由をつけて連絡を入れていたのだが、授業を受けることさえも止めてしまってからは、言い訳をやめた。小学校には通わず、中学は在籍するだけで出席せず。履歴による補助を一切受けずに受験してこの高校に受かったのを機に家を出た今、事実上、生活支援以外の親子の縁は切れている。

 それでも彼は、学校という、雰囲気や建物や、人の声が好きだった。授業を受けずに、けれど敷地内で出来る限りの時間を過ごすほどには。







 「ありゃま。派手にやったもんだ」

 呑気な声が耳朶をくすぐる。

 ケラケラと高いソプラノ。俗に“アニメ声”と呼ばれるそれによって、芽桜は過去を反芻していた闇の中から、ほぼ強制的に覚醒させられ。

 「―――――――――――――ッ!!!」

 周囲に散乱するぐちゃぐちゃに壊れた物体に、ああまたやったのだと思い至った。

 半ば呆然としたまま、身体についた習慣に従って、つま先でごしゃん、と動かして、もとが何であったのかを確認する。砕けた木片やひしゃげた鉄の部品から察するに、木製のベンチなのだろう。ひらひらと舞い散る桜の花びらがそっと降り積もり、惨状を淡く彩り始める。

 あくまで楽しげな笑い声は、その間も絶えず上から降ってくる。

 凍りついたように動けなかった。頬の表面を、そっと優しく、薄紅色の花が撫でていく。

 白く白く塗りつぶされていた視界が、徐々に広がり色を帯びていく。

 御津麗南高等学校を含む私立御津麗学園は、全寮制かつ様々なレクリエーション施設や小売店を広大な敷地内の中に保有した、特殊な造りをしている。まるで監獄のように周囲を三十メートルのコンクリート壁で覆われ、外出・外泊には学校側の正式な許可が要る。許可印のある書類がなければ“門番”が管理する正門は開かない。

 いくら芽でも、何の道具も使わず三十メートルもの壁を乗り越えることはできない。そして“門番”は、学校側の指示でしか正門を開かない。だからここは、間違いなく学校敷地内のはずだ。

 土を隙間無く隠すほど降り注ぐ花の欠片。桜の樹林。東の端に森があり、時期になると春には桜が、秋には紅葉と銀杏が、視界いっぱいに降って目を楽しませるという話を聞いたことがあった。いつかは行ってみたいものだと思っていたが……こんな形で訪れることになるとは。

 「ここ。綺麗だよねぇ」

 楽しげな、実に楽しげな声が。

 うっとりと、歌う。

 「綺麗。綺麗。き―――――――れい。綺麗で、ふふ。

 なんて―――――――――――――無 残。」

 花びらと一緒に降る歌声は、積もるように芽桜を包む。

 姿無き歌声は儚く。

 ひらり、ひらりと、鳴り響く。

 原型をわずかに思わせるだけの残骸すら、歌と花びらが飾り立て、“そこにその形で在ること”が自然とすら思えてしまう。

 ああ、と。唇から、感嘆がこぼれる。

 (なんて―――――――)

 「ふ、うふ。あはははは」

 続きを囁く、その前に。

 誘われるように顔を上げる。




 桜の木に抱かれるように。

 “それ”はそこに、いた。




 幹から枝へと分かれる場所に身を預けて、うっとりと瞳を閉じ。制服に、髪に、頬に、桜が積もるのも構わずにゆだね、高らかに歌っている。

 別段優れた容姿というわけではない。化粧っ気はまったく無く、自由気ままに伸ばしているらしき、長さも切り口もバラバラの長い長い黒髪が、枝にそって数本流れる。ふっくら丸く肉のついた頬は日に焼けて、それでも分かるくらいには青白い。唇にも血の気は感じられない。眉は太く、一切の加工を施されていない。黒髪に超えてしまわれそうなほど小柄。身につけているのはこの高校の女子制服で間違いなかった。

 「あははははっ。わぁい、やーっとこっち見たぁー」

 少女はくるりと身体の向きを変え、頬杖をついて楽しげに笑った。

 「…………、君、は」

 凍結したままの声帯を無理やりに動かし、やっと紡いだ声はかすれている。少女の細い黒目に、明らかな、性質の悪い喜色が浮かぶ。

 「うーふーふふーふー。いやぁびーっくりびっくり。なんかうつろな目ぇして歩いてきたと思ったら、すっごい勢いでベンチ壊し始めてー、びっくり顔で固まるんだもん。あっは、観賞しがいあるあるー」

 驚愕で息が止まった。言葉通りそのまま、じろじろと検分に励む彼女は、真新しいおもちゃを前にした子供そのものだ。

 「そのバッチ」

 ふと、少女が芽を――――――正確には、その胸元を指差す。

 この高校の生徒にはそれぞれバッチが支給される。三年ごとに色違いで、新入生である芽の胸元には前年度卒業生と同じ、グレーと青のチェック柄が飾られている。

 「新入生じゃん。知ってる?今、入学式真っ最中☆」

 「……知ってるよ。僕は……出ないんだ」

 「ふーん」

 自分でたずねておきながら、大して興味のなさそうな態度でぞんざいな応えを返される。脱力したままごろごろと木の上でまったりする少女。ちらと見えた白い生地の胸元の、芽桜と同じそれが、光を反射してきらりと光った。

 「っ、君だって新入生じゃないか!」

 「大丈夫大丈夫。私は“出てることになってる”からー」

 よほど木の上は居心地が良いのだろうか。伸びきった声と身体。まるでそれが当たり前のように自然な態度な少女は、とろりと溶けかけた氷か、陽だまりでまどろむ猫のよう。

 「授業にも行事にも。出なくても誰も怒らないし、咎めないし。それに、」




 「愛理(あいり)!!」




 響いた声が、言葉の端を塗りつぶす。

 びくりと肩を跳ね上げ、慌てて少女を抱く大樹の後ろに隠れる。なぜか、芽がベンチを破壊したと、少女が告発するのではないかという考えは、まったくもって浮かばなかった。

軽い足音が近づく。

 「やっぱりここだったか。師しょ……んんっ、生徒会長が探してるぞ!」

 少年のボーイソプラノ。顔は出さず、気配と呼吸を殺して様子を窺う。

 どうやら少女の知り合いのようだ。彼は木の傍でぐちゃぐちゃに壊された元ベンチの残骸を見て、わずかに息を呑んだようだが、別段触れることなく、木上で夢見るようにまどろむ少女を睨んだ。

 「お話ならお断りしたはずだよー?」

 「あの人が一度や二度で諦めるわけがないだろ。最低でも在学中は諦めといたほうがいい」

 げんなりという表現が良く似合う雰囲気で、少年は言う。対して彼女は、あくまでマイペースを保っている。

 「ふぅん…。どうしようかなー♪逃げちゃおうかなー♪私を連れて行けなかったら、タカちゃん大変よねー♪」

 くすくすくすくすくす。意地の悪い笑みをこぼす少女に、声の主がにわかに慌てだしたのが気配でうかがえた。

 「あー……なんだかあまぁいものが食べたいな~。ふわふわほかほかでまったり甘い、魚の形のアレが食べたいな~。駅前の一個200円のやつが美味しいんだよな~」

 「ぐっ………!!……分かった、買ってきてやる……!!」

 「あ、戒里かいりと一緒に食べるから最低六個よろしくー」

 これはひどい。ぼそりと心中で呟く。

 手際よく弱みを握って即座に強請っている。さっきまでの雰囲気はどこへやら、呑気な君臨者がそこにいた。

 「よっと」

 軽い掛け声。とさ、と重さのない音がして、見上げれば少女の姿(足)がない。滑り降りたらしい。

 「さてさて。生徒会書記、(しろがね)鷹也(タカヤ)(あかつき)ゆめ様のところへ、私を連れてってねー」












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