封海問答
6.
梶原房長は、兼時の再三の通達を無視して、寒河峠の登り口である西郷の地に到着し、通常ならばこの地に柵を築き、それを拠点として敵地に攻め入るべきなのだが、房長はそれすらせず寒河峠に向かい一気に登り始めた。
しかしながら、やはりまだ雪は深く、思うにまかせぬ行軍となっていた。
既に、房長自身が後悔し始めていたが、此処まで来て引き返すなど、自身で始めた事もあり引くに引けなくなっていた。
率いる大将が、そんな状態なので兵達の士気も上がらなかった。
西郷の登り口から二里程行くと道が二岐に分かれ、右に登ると狗那の最高峰、岩鎚山へと続く。
左に行けば、寒河峠である。
房長は、軍を左へと進めた。
岩鎚山側から、200の兵を率いた八頭が、その様子を伺っていた。
伝令からの話しを聞いて、兼時は憤慨した。
「何と愚かな!」
こんな事なら房長の入軍を、もっと強く断るべきだったと後悔したが、それも既に遅い。
しかしながら、見捨てる訳にもいかず、兼時は、河之江の柵に250の兵を残し、寒河峠に向かう準備を始めた。
その様子を、河之江の柵の南側にある、芳皇山から、200の兵を率いた鬼丸が見ていた。
「ここで兵を動かすか…不敗の戦神殿は、結構な直情型と見える。」
鬼丸は、棚内の柵より狗那寄りの小杉の地より、馬一頭が通れるのがやっとの山道を通り、この芳皇山までやって来た。
「こちらの動きが、まるで見えておらぬ。都での俺の挑発に乗らず、軍を編成したはさすがと思うたが、どうにも前しか見えぬ樣だ。真っ直ぐ過ぎる。なあ、嘉多彦。」
「確かに、不敗の戦神も俺達から見れば、どうという事も無い。」
問われた嘉多彦が答える。
房長は、後悔しつつも前進し寒河峠の柵の手前まで辿り着いた。
物見を放ち、様子を伺う。
半刻程で物見の者が戻って来た。
「如何がであった?」
「は、狗那の者共、峠に柵を築き、切り通しの両側に物見櫓を建て、見張っておる様子。」
「して、兵の数は如何程じゃ?」
「しかとそこまでは、見える限りでは300程かと…」
「ふむ、…よしっ、夜まで待とう。夜陰に紛れて奇襲を掛ける。」
その夜、房長の軍はそろりそろりと峠に近づき、房長の号令と共に攻め入った。
しかし、己が物見を放ったならば、当然、敵も同じと普通は考えるのだが、房長は自分の動きは読まれていないと、根拠も無く考えていた。
その為、先鋒隊の70余りの兵が、狗那側が切り放った丸太の犠牲となった。
房長は、歯噛みする思いで一旦、兵を引こうとしたが、今度は、後方から八頭の率いる兵に急襲され、一気に恐慌状態に陥った。
峠側からも攻め込まれ房長の軍は、呆気なく壊滅した。
残されたのは、房長と2名の侍従だけだった。
その房長の前に、1人の若者が現れた。
歳の頃は、21、2というところだ。
「吾は、恩川の酋長、夷那が一子、久遠と申す。そなたが大将か?いざ、尋常に勝負!」
久遠の言葉に、房長は頭に血が昇る。
「この若造が、吾を誰と心得る!権中納言、梶原忠長が一子、房長ぞ!狗那の畜生風情が舐めるな!」
「あん?畜生だぁ?そりゃあ、お前等の事だ。黄金に涎を垂らして群がってるじゃあねえか!」
「おのれ!覚悟せい!」
房長が、太刀を抜き斬り掛かる。
久遠が、その太刀を右に避け、すれ違い様に太刀を抜き胴を払う。
横腹を割られた房長は、血が吹き出す己の腹を、信じられぬものを見る樣な顔で、震えながら膝を附いた。
その房長の後ろから、太刀を振り上げ久遠が斬り掛かり、見事に房長の首を墜とした。
西郷より、寒河峠の登りに踏み込んだ兼時は、その惨状に唖然とした。
累々たる味方の兵の屍の山、そして大将の房長の首級は、屍の山に打ち立てられた杭の先に据えられていた。
「何たる事だ!」
兼時は、怒りに打ち震えた。
兼時は、西郷の地に柵を築く樣に命じた。
この時、八頭は西郷より西寄りの大松まで兵を引いていた。
兼時の元に、伝令が到着したのはそんな時だった。
「何事だ!?」
「河之江の柵が墜とされました!」
「何だと!?」
兼時が、西郷に向かった後、頃合いを見計らって芳皇山より急襲した鬼丸によって墜とされたのだった。
朱賢門院敬子は、相変わらず箏をつまびく日々を送っていた。
夫、麟興との夜伽が絶えて、早一年余りにもなる。
敬子は、今年28になる。
16で入内してから、麟興との間に5人の子を産んだが、皆女子であった。
父親の梶原実時は、敬子を入内させ、男子を産ませ、梶原の血を受け継ぐ皇帝を擁立する目論みがあった。
しかし、敬子に男子が出来ず、実時の目論みは潰えたかと思われたが、今度は、息子の摂政、氏時が娘の淑子を入内させ、これが見事に男子を産んだのである。
世は正に梶原の天下であった。
麟興は、淑子をいたく可愛がり、敬子には見向きもしなくなった。
敬子からすれば、夫を姪に取られた形だが、それも男子を産めなかった己の不徳と無理から納得させていた。
さらに、敬子を悩ませている事がある。
それは、禿姿の童女の妖しである。
昨年末、この南殿離宮で鬼が現れて以来、頻繁に敬子の前に現れる樣になった。
実は、童女は鬼が現れる以前から見る事はあったのだが、あの鬼が現れてから、その回数が増えた。
聞くところによれば彼の鬼は侠鮮人らしいが、そもそも鬼と童女の関係もよく分からなかった。
童女は、敬子に対して何かをする訳では無いが、たまに手招きをしては¨来い¨と言う。
その度、敬子は抗えず童女の招きに身体が従おうとする。女房の音平や他の家人に引き止められなければ、どうなっていたか分からない。
不思議なのは、音平や家人には童女の姿が見えぬ事だ。
鬼が現れた折り、敬子を守ろうとした安倍盛貞には、童女の姿は見えていた。
違いと言えば、鬼が居たか居ないかだけである。
やはり、鬼と童女の間に何か関係があるのかも知れない。
そんな事を取り留めも無く考えていると、音平が客を伴いやって来た。
音平が、連れて来たのは、近衛中将、源頼政であった。
封海は、思い悩んだ挙げ句、遂には朱賢門院敬子の要請に応じた抉麻呂の元より、鳴無、さらには供廻りの者として、火奈手と飛等手の兄弟を伴い、坂東の地に至り、師叉介、設楽晁門の元を訪れた。
「おう、伽魚ではないか!久しいのう。」
晁門は、封海を見る成りにこやかに迎えた。
「晁門殿、手前は出家致しまして、今は封海と名乗っております。」
「そうであったな。まあ、ゆるりと寛ぐが良い、積もる話しもある。今宵は久しぶりに呑み交わそうぞ。」
「お心づかい痛み入ります。」
封海達が、案内された部屋で荷を解いていると、晁門がやって来た。
「夕餉までまだ間がある。どうだ都の近況など聞かせてくれぬか。」
「手前の話しで良ければ。」
「そもそも、そなたは何故、出家したのだ?」
「何故と申されても…」
「知っての通り、俺は神仏を信じぬ性じゃ。勿論、出陣の折りなどには参拝したりするが、それとて己を鼓舞する為の事、神に頼っておる訳では無い。」
「承知しておりますよ。」
「若い頃のそなたを思えば、仏門に入るなど想像もつかぬ。」
「それ程の事は無いでしょう?」
「あるわ。あの蔵人と普通に付き合えるのは、そなたと兼時ぐらいのものだ。」
「あれはあれで可愛らしいところもございますよ。」
「蔵人が可愛らしい?やはり、そなたも変わっておるわ。そなた仏というものを信じるのか?」
晁門の問いに、封海は少し考え答えた。
「仏を信じるか信じぬかというのは、雨を信じるか信じぬかと問う事と同じにございます。」
「雨とな?」
「雨を信じようと信じまいと、降るものでございましょう?仏もまた、信じようと信じまいと、有るものなのでしょう。」
「信じておらぬのか?」
「分かりませぬ。」
「分からぬ?分からんのに出家したのか?」
「いやいや、分からぬ故、出家したのでございまする。」
「余計に分からぬ。」
「そうですね…おおよそ、この世は有るものと起こる事で出来ております。有るものは有る、無いものは無い、起こる事は起こる、起こらない事は起こらない。有るものが無かったり、無いものが有ったり、起こる事が起こらなかったり、起こらない事が起こったりはしないのです。」
「当たり前ではないか。」
「そう、当たり前なのです。神や仏というものは、絶対であり唯一の普遍でありましょう。つまりはそれ以外には無いという事です。故にそうなるべき事が有り、起こるだけの事なのですよ。」
「つまり、どういう事なのだ?」
「神仏に祈り願ったところで、何かをしてくれる訳ではありませぬ。もしそうであるなら誰1人として不幸な者など居ない筈です。しかしながら不幸な者程、神仏に頼るのです。神や仏は阿るものではありません。あくまで指針として捉らえておくべきなのです。肝心なのは、神仏に信心して尚、己がどうあるかという事でございますよ。」
「益々、分からぬ。」
「要は、己の心の持ち樣次第という事です。どうしようも無いと考える者と、何とかなると考える者とでは、自ずと結果も違って参りましょう?」
「う~ん、何と無う分かるが、何やら、たぶらかされておる樣な心持ちだ。」
「別に、たぶらかしてはおりませぬ。」
「分かっておる。そなたは、己の素直な思いを口にしておるだけであろう。ただ、受け取る側がそなた程、素直になれぬだけの事なのだ。まあ、問答はこれくらいにして都の話しを聞かせてくれぬか。」
晁門は、封海の話しに毒気を抜かれた樣な顔で言った。




