陰陽師
10.
蔵人は、虎杖を伴い苅磨の港近くにあった。
鼬は、兼時の様子を見て来る樣、一足先に都へ向かわせた。
此処までの道すがら、兼時が狗那で敗れ、手傷を負ったと聞いたのだ。
「やはり、負けたか…」
そんな蔵人を、虎杖が不思議そうに見る。
「兄上、兼時殿という方は、兄上のご友人ではないのですか?」
「ん?確かに兼時は俺の友だが、何だ?」
「何やら嬉しそうです。」
「ふむ、そうだなぁ。嬉しいというよりは、楽しみだという感じだな。」
「楽しみ?」
「これで兼時は、一つ強くなろう。」
「強く?」
「虎杖、男はな負けを知ってこそ強くなれるのだ。」
「負けて強く…では、兄上も負けた事があるのですか?」
「無い。」
「え?でも…」
「俺は、端から強いからいいのだ。」
蔵人の言葉に、虎杖は呆れた。
その時、前方の市で騒ぎが起こった。
見ると、身分の高そうな娘と、その供周りの者と思われる2人連れが、数人の漁師に囲まれている。
「下賎な者とは、誰の事だ!」
漁師の1人が声を荒げる。
「そなたの樣な者の事です。」
娘が言い返す。
「何だと!」
漁師が手にしたこん棒を振り上げる。
騒ぎに近づいた蔵人が、そのこん棒を無造作に掴む。
「おいおい、女子相手にこれは無かろう。」
「何だ!?」
振り返った漁師が、蔵人を見て思わず後ずさる。
「何だ、てめぇ!」
「大の大人が、小娘相手に恥ずかしくは無いか?」
「喧しい!その小娘が、俺達の事を下賎な者だと言ったんだ!」
「昼日中から女子の尻を撫でる樣な者が、下賎で無くて何だと言うのです!」
「ほう、なかなかに気の強い女子だな。何だ、お主等、この娘の尻を撫でたのか?」
「う、煩せぇ!おい!皆、やっちまえ!」
「何だ、やるのか?」
と蔵人が漁師達を向く。
その前に、虎杖が割って入った。
「兄上、此処は私が。」
「お前がやるのか?」
「お任せを。」
「面白い、やってみろ。」
蔵人は、娘と供周りの者と共に後ろに下がった。
「何だ、この餓鬼!てめぇが俺達の相手をすると言うのか!?」
「余計な事は言わずに、来るなら来なさい。」
虎杖は、4人の男を相手に涼しい声で言った。
男達が、虎杖を取り囲む。
その時、虎杖は人差し指と中指を立て、他の指を握り込んだ右手を口許に寄せ、左手を懐に入れて、何やらブツブツと唱えていた。
虎杖の正面の男が、飛び掛かろうとした瞬間、虎杖が左手を懐から出し、周りの男達に振るった。
虎杖が、男達に向かって放ったのは、一尺程の長さの縄だった。
「おや?あなた方の足元に朽ち縄が!」
虎杖の言葉に、男達が足元を見やる。
すると、どうした事か、男達は一様に驚きの声を上げ、あられもない狂態で足元を払いだした。
男達を見やりながら虎杖は、再び左手を懐に差し入れ、今度は人型をした白い紙を何枚か取り出し、それを男達に向かって放った。
放たれた人型の紙は、意思を持つかの樣にそれぞれが男達に近づい行き、それぞれの額に張り付いた。
すると、男達は糸の切れた人形の樣に、その場に崩折れた。
「何?何が起こったのです?」
蔵人の横で、娘が目を丸くして聞く。
「兄上、こんなもので如何がでしょう?」
虎杖が涼しい顔で戻って来た。
「そなた、呪を使えるのか?」
「父に仕込まれましたので。」
「何をした?」
「あの者達には、この縄が朽ち縄に見えたのですよ。」
虎杖が言う。
朽ち縄とは、蛇の事である。
「そなた、呪師か?」
娘が、虎杖に尋ねる。
「陰陽師です。」
「陰陽師?名は、名は何と申す?」
「いた…」
どりと続け樣とした虎杖の前に、蔵人が手を翳した。
「陰陽師とするならば、名が違うぞ。」
「…そうですね。」
虎杖は、そう言うと娘に向かって告げた。
「私は、賀茂晴明と申します。」
「私は、先の近衛中将、安倍盛貞が娘で千種と言います。救って頂いたは礼を申します。」
娘が、頭を下げる。
「お?そなた、盛貞殿の娘か?」
「父を存じておるのですか?貴方は何者です?」
「俺は、坂田蔵人と申す。」
蔵人の言葉に、供周りの男が目を丸くした。
「坂田蔵人様と申せば、権中納言、梶原忠長様を縛り上げ、弥勒大路を引きずり回したという…」
千種も驚きの声を上げる。
「そんな事をなさったのですか?よく配流で納まりましたね。」
「まあ、父上の事もあったからな。」
蔵人が、臆面も無く答える。
「流罪の身の貴方様が、何故此処に居られるのです?」
千種が問う。
「千種殿、このお人は常の考えでは計れませぬ。」
虎杖の言葉に、千種は呆れ返った。
「それで、これからどちらに?」
「都へ参る。」
その言葉に、千種は更に驚いた。
「都へなど大事無うございますか?蔵人様が戻ったとなれば、朝廷の方々も騒ぎましょう?」
「何という事はあるまい。見つからねば良いではないか。夜陰に乗じて乗り込むさ。」
「都での滞在先はあるのですか?」
「心当たりはある。」
「どちらに?」
「佐伯伽魚の屋敷に参ろうと思う。」
「佐伯伽魚様?ああ、封海様ですね。」
「封海?」
「佐伯様は、先年ご出家なされて仏門に入られました。今は、封海と名乗っておいでです。」
「何?伽魚が出家致したと!?これは面白い。早速尋ねてからかってやらねば。」
「私達も都に戻るところです。一緒に参っても宜しいでしょうか?」
「構わんよ。」
と、蔵人が答えたが、千種は虎杖の方を見ていた。
南殿離宮に於いて執り行う、鳴無による降霊の儀式は、結局のところ取りやめとなった。
儀式を始めようとした時に、例の禿姿の童女が現れたのである。
それを見た鳴無が、
「儀式を行うは無意味です。」
と、言った。
封海には、その言葉の意味が分かったが、分からぬ敬子が尋ねた。
「無意味とは何故ぞ。」
「これは霊的なものではござりませぬ。私よりも、呪師か陰陽師を呼ばれた方が宜しいかと存じます。」
鳴無が言うと、敬子は悲しげな表情になり言った。
「既に、都に於いて、これはと思う呪師も陰陽師も呼んだ。しかし、誰ひとりとして解決出来なかったのです。そんな中、猛麻呂の妹のそなたの話しを聞き、それならばと期待しておったのですけれど…」
敬子の力無い声に、封海が声を掛ける。
「女院様、これが霊的なもので無い事が分かっただけでも良しと致しませぬか?」
「何が良いのです!結局は、この得体の知れぬものは、こうして現れ続けるのであろう。何も変わらぬ。」
それが、半月程前の事である。
そして今宵、封海は再び敬子に呼ばれ、南殿離宮に赴いた。
封海は、敬子の計らいにより、離宮の西側の山裾に土地を賜り、そこに庵を建て暮らしていた。
庵と言っても公家の屋敷と見間違う程に立派な物だ。
佐伯の家は、元々、丹生(水銀)に依って財を成しており、金には不自由しない。
その為か、封海はあまり金に執着心が無く、人から見れば無駄と思える事にも平気で金を使う。
本来なら屋敷の規模もこれ程は必要無い。
しかし、封海は屋敷の中に行の為の本堂まで作ったのである。
都の人々は、封海の庵を離宮護寺と呼んでいる。
敬子に対面した封海が尋ねる。
「今度のご用向きは如何なる事にございましょう?またもや禿が出ましたので?」
「いや、違います。今宵の用向きは別なのです。」
「別、と申しますと?」
「盛貞が娘の事です。」
「盛貞殿の…千種殿ですか?」
「実は、千種に婿をと考え、先頃、源頼政に請い、息子の新を婿にと話しが決まっていたのですが、その新が、狗那の戦で命を落としてしまいました。」
「そうでしたね。」
「因って新たに婿を探さねば成らぬのですが、これがなかなか…」
「確かに、千種殿のあのご気性なれば、生半可な男子では相手になりませぬな。」
「そなた、心当たりの者は居りませぬか?」
「と、申されましても、どうも手前はそういう事に疎く、面目ありませぬ。」
その時、不意に封海が庭を向く、釣られて敬子も庭を向いた。
「あっ!」
そこには、禿姿の童女が居た。
敬子に向かって手招きをする。
¨来よ¨
¨来よ¨
と、




