7.羽ばたく白き雛鳥
次の日の朝、悠真はギルドの受付に立っていた。
「薬草の査定が完了しました。こちらが買取金額です」
受付嬢が差し出した小袋を開けると、中には金貨十枚がきらりと輝いていた。
「……こんなに」
急に手に入った大金に、悠真は思わず息を呑む。嬉しさよりも、むしろ不安の方が胸を占めた。これほどの金額を普通の袋に入れて持ち歩けば、万一盗まれたらひとたまりもない。
受付嬢はそんな心情を見透かしたように微笑んだ。
「登録型の袋をご存知ですか? 所持者と魔力契約を結ぶ仕組みになっていて、本人以外には開けられないんです。高額にはなりますが、安心ですよ」
「……なるほど」
悠真は素直に頷き、その足で雑貨屋に立ち寄ろうと考える。
――だが、その前に。
悠真は街の外れへと向かった。目指すのは、昨日出会った黒き影馬――エクリプスのいる庭だ。
柵の前に立つと、すぐにエクリプスが気配を察し、黒い霧を揺らめかせながら駆け寄ってくる。
「よしよし……今日は餌もあるぞ」
差し出した餌を嬉しそうに食み、ブラシで撫でると、エクリプスは目を細めて喉を鳴らすように低く鼻を鳴らした。その様子を見て、飼い主の男性が静かに歩み寄る。
「やはり……」
男性は感慨深げに言葉を紡いだ。
「本当に懐いている。ここまで心を開くとは思わなかった。……悠真さん。もしよければ、この子を引き取ってはくれないか?」
「え……」
唐突な提案に悠真は目を瞬く。
「もちろん無理強いはしない。ただ……この子はあなたを選んでいる。うちでは世話はできても、真に主にはなれない。あなたならば……」
言葉は穏やかだったが、そこには確信が宿っていた。
悠真は考える。旅を続ける上で、足となる存在は何よりも心強い。馬を買えば莫大な金が必要だ。それに、何より――エクリプスが鼻を寄せ、こちらを見つめている。その瞳には、不思議な信頼の色があった。
「……はい。俺でよければ」
決意を口にすると、エクリプスが小さく嘶いた。
背後でスピカが肩をすくめる。
「ふふ、歩かなくて済むから楽ね」
悠真は苦笑しつつ、再びエクリプスの首を撫でた。
男性は深々と頭を下げる。
「ありがとう……それと、今までの礼も込めて、この子に合わせた鞍と馬具一式をもらってほしい」
「そ、そんな……! そこまでしていただくのは――」
「受け取ってほしい。この子を任せるのだから、どうかそのくらいはさせてほしい」
押しの強さに、悠真は結局折れざるを得なかった。
「……わかりました。ありがとうございます」
エクリプスとの別れを惜しみながらも、明日の朝正式に引き取ることを約束し、悠真はその場を後にした。
そして次に向かうのは――雑貨屋だ。
金貨をしっかり守るために。
────
木の扉を押すと、鈴の音が軽やかに響いた。昨日も訪れた雑貨屋だ。棚には道具や生活用品が並び、店主が笑顔で迎えてくれる。
「おや、昨日の若いのじゃないか。今日は何を探してる?」
「実は……大金を持ち歩くのが不安で。登録袋を探してるんです」
店主は「なるほど」と頷き、奥から革の巾着を取り出した。口紐には小さな魔石がはめ込まれ、淡く光を帯びている。
「これが登録袋だ。魔力を流し込めば、契約した本人以外は開けられなくなる」
「……魔力を、流す?」
悠真は思わず聞き返した。魔力を扱ったことがない自分に、それができるのか分からない。
そんな心中を察したのか、スピカが鞄の中からひそやかに声をかけてくる。
「夜にでも教えてあげるわ。魔力なんて誰でも持ってるものよ。扱えるかどうかは練習次第」
「……そっか。じゃあ、とりあえず買っておきます」
代金を払い、登録袋を受け取る。
ふと横を見ると、棚の端に見覚えのある巾着が並んでいた。昨日目にした魔法袋だ。見た目以上に容量を持つ、不思議な袋。
「魔法袋も……やっぱり必要か」
金貨5枚。相当痛い出費だが、旅をするなら必須だと自分に言い聞かせ、登録袋と一緒に購入したいことを伝える。
さらに、入口近くに畳まれて置かれていた布に目が留まる。
「それは?」
「テントだな。雨風を凌げる二人用。骨組み込みで銀貨十五枚」
旅を意識するほど、こうした装備がいることを痛感する。
「必要経費だ……」と小さく呟き、財布から硬貨を取り出そうとした時、
「昨日のお礼も兼ねて、少し負けさせてもらうよ」
そう言って定価よりも安い値段を提示してきた。
今回ばかりは高い買い物だったため、お言葉に甘えさせてもらおうと、悠真は頭を下げた。
こうして、登録袋・魔法袋・テントを手に入れた悠真の財布は、かなり軽くなった。
だが、不思議と心は軽かった。これで少しは、旅をする準備が整ったのだから。
宿に戻った悠真は、スピカに教わりながら登録袋に魔力を流す練習をした。
最初は感覚が掴めず、何度も失敗したが――。
「……あ、光った!」
袋の紐に埋め込まれた魔石が淡く輝き、すっと馴染むように光が収まった。
「……できた?」
「ええ、契約完了よ。これであんた以外には開けられないわね」
悠真は胸の奥からじんわりとした感動が湧き上がるのを感じた。
「すごい……! 俺にも魔力があるんだ……。じゃあ、魔法も――」
期待に目を輝かせる悠真に、スピカは冷ややかに言い放つ。
「そんな簡単に使えるなら、みんな天才になってるわよ。努力も訓練もなしで魔法が撃てたら、この世は魔術師だらけ」
「……そ、そうだよな」
しょんぼりしつつも、「今度機会があれば魔法の本を探してみよう」と心に決めた。
夕食を済ませたあと、寝支度を整え、枕元にあの卵を置いた。
「なあスピカ、この卵……ついでに温めてくれない?」
冗談半分で言ってみたが、スピカは心底うんざりした顔を向けてきた。
「はぁ? 冗談でも嫌よ!」
「ご、ごめんごめん! おやすみ!」
布団に潜り込みながら、もう一度スピカのほうを見る。
すると――しっぽの先が卵をそっと包み込んでいる。
悠真は思わず笑みをこぼし、目を閉じた。
――翌朝。
目を覚ました悠真は、枕元を見てぎょっとする。
「……卵が、ない!?」
慌てて布団をまさぐり、周囲を探し回る。
「まさか、足でも生えて歩いてったのか!?」
「そんなわけないでしょ!」
スピカが呆れ声で突っ込む。
布団をめくると、そこにちょこんと座っていたのは――。
真っ白な羽をふわふわさせる、小さな小鳥だった。
「……え、これって、孵化したのか?」
呆然と呟く悠真。
その小鳥は、つぶらな瞳で彼を見上げ、ピィ、と小さく鳴いた。
悠真が布団の上で羽を震わせている白い小鳥を見つめていると、ひょいとその小さな翼を広げてふわりと飛び上がった。
「うわ、飛んだ……!」
まだ産まれたばかりだというのに、羽ばたきは意外なほど軽やかで、そして真っ直ぐに――悠真の肩へと舞い降りた。
「ちょ、ちょっと待って……普通、ひな鳥って飛べないよな? え、異世界だから? いや、やっぱり異世界ってすごいな……」
半分呆れ、半分感心しながら呟く。
小鳥はきゅるりと首を傾げ、つぶらな瞳で悠真を見上げた。小さな体温が肩に伝わり、まるで「ここが居場所」とでも言うようにちょこんと落ち着いている。
「……もしかして、俺のこと親だと思ってる?」
そう言って笑うと、小鳥は小さな鳴き声を返し、羽をぱたぱたと震わせた。
布団の上でその様子を眺めていたスピカが、呆れ顔で尻尾を揺らす。
「……あんた、また増えたわね。ほんと、拾いすぎよ」
「いや、拾ったわけじゃ……あ、そうだ。名前をつけてあげないとだな」
悠真は少し考え、白く輝く羽と、これから青空へ羽ばたく未来を思い描く。
「――アズール。青空みたいな名前、どうかな」
すると、小鳥は「きゅるっ」と嬉しそうに鳴き、羽を広げてもう一度ひらりと宙を舞った。そしてまた、当たり前のように悠真の肩へ戻ってくる。
「……どうやら気に入ったみたいね」
スピカは肩をすくめるが、その目にはほんのわずか、柔らかい光が宿っていた。
こうして、謎の小鳥――アズールが悠真の旅の仲間に加わることになった。
───
【観察記録・小鳥】
名称:小鳥
名前:アズール
卵から生まれた小鳥。
孵化直後にも関わらず、体毛ではなく柔らかな羽毛に覆われている。羽色は純白で、羽先にはごく僅かに淡い青の輝きが混じる。
将来が楽しみ。
もふもふ度:★★★★★




