57.三日間の冒険、その前に
暗く、広大な洞窟。
天井は高く、黒く濡れた岩肌がわずかな光を反射している。
奥から吹き抜ける風が、洞窟全体を低く唸らせていた。
その岩陰に――悠真は身を潜めていた。
冷たい岩に背を押しつけ、息を殺しながらそっと前方を覗き込む。
そして目の前に広がる光景に、ただ呆然としていた。
轟音。
空気を裂く魔力。
白銀、蒼、漆黒の光が洞窟を埋め尽くす。
スピカが宙を舞い、尾を振るうたびに閃光のような魔力が弾ける。
ノクスは翼を広げ、漆黒の霧をまとって空間を駆ける。
その上空では――
アズールが巨大な翼を広げ、嵐のような風を巻き起こしていた。
羽ばたくたびに空気が唸り、洞窟内に烈風が吹き荒れる。
そして地を這う影。
黒竜。
漆黒の鱗を軋ませながら大地を踏み鳴らし、咆哮と共に魔力の奔流を吐き出す。
四体の幻獣が放つ力は、まるで神話の戦いのようだった。
光と轟音が交錯し、岩壁が震え、洞窟そのものが揺れている。
その光景を――
悠真は岩陰から、ただ見守っていた。
いや。
見守るというよりは。
完全に巻き込まれないように避難している状態だった。
悠真の目は――
死んだ魚のようだった。
「……どうしてこうなった?」
ぼそりと呟く。
しかしその声は、
轟音と鳴り響く戦闘音に、あっさりとかき消された。
誰にも届かない。
誰にも聞かれない。
ただ一人の、切実な疑問。
そして――
物語は数時間前へと遡る。
────
樹冠塔の食堂で朝食を終えたあと、悠真は自室へ戻ってきていた。
窓から差し込む柔らかな朝の光。
静かな部屋の空気に、どこかほっとした気持ちになる。
テーブルの椅子に腰掛けながら、悠真は小さく息を吐いた。
「……王城、三日後かぁ」
ぽつりと呟く。
皇族からの正式な招待。
陛下への謁見、そして食事会。
考えるだけで、胃が少し重くなる。
「それまで、なにして過ごそうかな……」
依頼を受けるか。
王都を散策するか。
それとも樹冠塔でのんびりするか。
そんなことをぼんやり考えていると――
ベッドの上で毛づくろいをしていたスピカが、ふいに顔を上げた。
「決まってるじゃない」
ぴしっと尾を揺らす。
「ダンジョン行くわよ」
まるで決定事項のような口調だった。
悠真はゆっくり顔を向ける。
「……え?」
スピカは当然のように続ける。
「せっかくアズールが起きたのよ?」
「どうせなら、二泊三日くらい潜れる大型ダンジョンがいいわね」
悠真は思わず固まる。
「いやいやいや」
慌てて手を振る。
「そんな気軽に言うけどさ、普通ダンジョンってもっとこう……計画とか準備とか――」
だがスピカはまったく聞いていなかった。
「長いダンジョンなら、途中で湖があったり、古代遺跡があったりするのよね」
うっとりした顔で語り始める。
「あと、奥にはだいたい強い魔獣がいるし」
楽しそうに尾が左右に揺れている。
「アズールの力も試せるし、ちょうどいいわ」
「いや……俺の意見は……?」
ぼそっと呟く。
スピカはちらりと悠真を見る。
そして、にっこりと笑った。
「大丈夫よ」
なにが大丈夫なのかは分からない。
「悠真も楽しめるわ」
断言だった。
悠真は椅子の背にもたれながら、遠い目をした。
「……なんか」
嫌な予感しかしない。
結局――
悠真はスピカに押し切られた。
「……はぁ」
ため息をつきながら立ち上がる。
「分かったよ。準備する」
その言葉を聞いた瞬間、スピカの尻尾がぴんと立った。
「最初からそう言えばいいのよ」
満足げである。
悠真は納得していない顔のまま、部屋を出た。
⸻
まず向かったのは、樹冠塔の管理区画。
ケインの元だった。
「ダンジョンに、ですか?」
事情を説明すると、ケインは少し驚いたように目を瞬かせた。
「はい。二泊三日くらいになるかもしれなくて……」
悠真は頭をかきながら続ける。
「その、幼獣の世話ができなくなるんですが、大丈夫ですか?」
するとケインはすぐに頷いた。
「問題ありません」
「え?」
「事前に連絡をいただいていたので、他の職員で対応できるよう調整してあります」
にこやかな返答だった。
悠真は思わず心の中で呟く。
(ここで“無理です”って言ってくれた方が良かったんだけどな……)
そうすればダンジョン行きも自然に流れた気がする。
しかしケインは優秀すぎた。
逃げ道は、きれいに塞がれていた。
⸻
その足で、悠真は幼獣の世話室へ向かった。
扉を開けた瞬間――
「きゅぅ!」
カーバンクルの幼獣が嬉しそうに駆け寄ってくる。
胸に飛び込んできたその柔らかさに、悠真の頬が緩む。
「おっと」
抱きとめながら、頭を撫でた。
しばらく甘えさせてから、悠真はゆっくり話しかける。
「ちょっとね、しばらく来れないんだ」
カーバンクルの耳がぴくりと動く。
「三日くらいかな」
優しく背中を撫でる。
「だから、その間は他の人に世話してもらってね」
カーバンクルはじっと悠真を見上げた。
そして――
「きゅ……」
明らかに、しょんぼりした。
宝石のような瞳が少し潤んでいる気がする。
「うわ、ごめんごめん」
悠真は慌てて頭を撫でた。
「ちゃんと戻ってくるから」
耳の後ろをくすぐると、カーバンクルは少しだけ元気を取り戻したようだった。
「いい子にしてるんだぞ」
最後にもう一度抱きしめてから、世話室を後にする。
⸻
その後、悠真とスピカは塔の外へ出た。
王都の市場は、今日も活気に満ちている。
屋台の呼び声。
焼いた肉の匂い。
行き交う人々のざわめき。
その中を歩きながら、悠真は食材を買い込んでいく。
干し肉。
保存のきくパン。
乾燥野菜。
果物。
三日分ほどの食料が、袋いっぱいになった。
「それだけ?」
スピカが不思議そうに聞く。
「俺は戦わないからね」
悠真は肩をすくめた。
武器の手入れも、防具の準備もない。
ある意味、気楽な立場だった。
⸻
すべての準備を終え、悠真は再びケインの元へ戻る。
今回は――
長期外出の手続きのためだ。
さらに今回は、事情が少し違った。
アズールと黒竜がいる。
正面から王都を出るわけにはいかない。
ケインは事情を理解すると、静かに頷いた。
「では、例の通路を使いましょう」
そう言って案内されたのは、以前も使った秘密の通路だった。
樹冠塔の地下から、王都の外へと繋がる隠し道。
薄暗い通路を進みながら、悠真は苦笑する。
「なんかもう、常連みたいになってきましたね」
ケインも少しだけ笑った。
「普通の方は、一生使うことのない通路ですけどね」
やがて出口に辿り着く。
森の外れにひっそりと開いた隠し口だった。
外に出ると、すでにノクスが待っていた。
その隣には――
巨大な翼を広げたアズール。
そして、影のように静かに佇む黒竜。
悠真の仲間たちが、勢揃いしている。
「みんな、待たせた」
声をかけると、アズールが嬉しそうに鳴いた。
「パパ!」
ノクスはいつも通り落ち着いた様子で、
しかしやはり楽しみなのか『主、早く行くぞ』と悠真を急かす。
黒竜は静かに目を細めただけだった。
その光景を見て、悠真は小さく息を吐く。
「……よし」
そして、空を見上げた。
「じゃあ行くか」
目的地は――
二泊三日で潜る、大型ダンジョン。
こうして悠真たちは、いよいよ出発した。




