55. 蒼き風、樹に触れる
森の中。
風はすでに穏やかに戻っていた。
さっきまで空を揺らしていた存在が、今は悠真に甘えている。
巨大な神鳥の胸に埋まりながら、悠真は苦笑した。
「……大きくなっても、中身はそのままか」
アズールは喉を鳴らすように鳴き、さらにすり寄る。
羽毛はふわりと暖かく、森の光を受けて淡く輝いていた。
スピカが静かに言う。
「力が増しても、心が変わらないのは良いことよ」
ノクスも翼を畳み、静かに見守っている。
しばらく、誰も喋らなかった。
ただ森の音だけがある。
それでいい。
派手な進化の後には、静かな肯定が必要だ。
⸻
やがて悠真が現実に戻る。
「……で、どうする?」
アズールは明らかに目立つ。
このまま王都に入れば騒ぎどころじゃない。
スピカは即答する。
「入れたら大騒ぎどころじゃないわね」
「だよな……」
その時、空気が変わった。
森の奥から重い魔力。
悠真はすぐ気づく。
「……来たな」
黒い影が木々の上を滑るように現れる。
巨大な翼を持つ黒竜。
かつて解放し、それ以来ひっそりと付き従っていた存在。
黒竜は着地し、黄金の瞳でアズールを見た。
アズールも首を傾げる。
一瞬の静寂。
森が張り詰める。
ノクスが半歩前に出るが、スピカが尾で制す。
「大丈夫よ。これは“顔合わせ”」
黒竜が低く唸る。
アズールも翼をわずかに広げる。
だが――
次の瞬間。
アズールが一歩前に出て、胸を張った。
威嚇ではない。
宣言のようだった。
黒竜は数秒見つめたあと、鼻を鳴らし、ゆっくりと頭を下げる。
「……おい、今のって」
「格付け完了ね」
スピカがあっさり言う。
ノクスは満足そうに翼を揺らした。
巨大な蒼の神鳥と黒竜が並んでいる光景は、もはや災害級だ。
悠真は腕を組んで考える。
「……とりあえず王都は無理だよな」
スピカが即答。
「無理ね。軍が出るわ」
ノクスが小さく鼻を鳴らす。
アズールはというと、悠真の肩に顔を寄せようとしている。
サイズを自覚してほしい。
黒竜は少し離れた場所に陣取り、完全に「護衛モード」だ。
悠真は決める。
「ここで待っててくれるか?」
アズールが首を傾げる。
「すぐ戻る。ちゃんと帰ってくる」
それを聞いて、アズールは大きな翼を一度だけ広げた。
風が森を撫でる。
黒竜が頷く
「自分が見ている」とでも言いたげだ。
頼もしすぎる。
王都。
裏門を通り、急ぎ樹冠塔へ。
応接室――あの落ち着いた木目の空間に、ケインはいた。
相変わらず少しやつれ気味。
「どうされましたか、朝から……」
悠真は一拍置く。
「……アズールが孵りました」
ケインには以前、アズールが卵に閉じこもった話をしてあった。アズールが孵った、その一言でケインはなにやら察した様子だった。
ケインの目がわずかに見開く。
「それは……おめでとうございます」
「大きくなりました」
「それは……どの程度――」
悠真、少し遠い目。
「ノクスより少し大きいくらい」
沈黙。
「…………え?」
ケインはゆっくり椅子に座り直す。
どこか諦めたような笑顔を見せるケイン。
「……詳しく、聞きましょうか」
「今は森で待機してもらっているんですが、俺がここにいる間だけ、アズールもこちらに住まわせたくて…。ただ、目立ちそうでどうしようかと…」
ケインは少し考えた後、顔を上げた。
「ユウマさんにはお世話になっていますし、これからお願いしたいこともあります。私が上に掛け合って特別区域を解放します。以前使った秘密通路で王都からこちらに来てください」
悠真はお礼を言い、さっそくアズールを迎えに行くことに。
悠真が森へ戻ると、アズールは一瞬で駆け寄り――いや、風の塊のように移動してきた。
「ただいま」
巨大な頭が悠真の肩にすり寄る。
スピカが呟く。
「……これは隠せないわね」
悠真はアズールを撫でたあと、黒竜に近づく。
「アズールもこれから王都に入る。他の人をなるべく近づけないようにするから、君もこない?」
悠真がそう黒竜へ問いかけると、黒竜はあからさまに嫌悪感を示す。しかし、悠真のそばにいるスピカ達を見て、何かを思ったのか数分の沈黙の後1歩前に出て鳴き声をあげた。
「着いていく、だそうよ」
スピカが黒竜の言葉を翻訳する。
その返答を聞いた悠真は、笑って黒竜の頭を撫でた。
⸻
樹冠塔。
通常立ち入り禁止の区画。
厚い扉がいくつも開けられ、職員たちが緊張した顔で道を空ける。
黒竜が塔に足を踏み入れた瞬間、空気が張り詰めた。
「えっ…竜…??」
ケインが驚きの声を上げる。
そういえば黒竜のことを言いそびれたなと悠真は苦笑した。
黒竜は暴れず、ただ悠真の少し後ろを歩くだけ。
アズールは天井に触れないように翼を畳み、ゆっくり進む。
ケインは顔色が白い。
「……どうか、何も起きませんように」
その祈りは、たいてい外れる。
⸻
最上層。
世界樹の幹がそびえる空間。
あの白い幻獣が生まれた場所とは別区画だが、同じ幹から伸びる巨大な根が天井を貫いている。
静かな、神域のような場所。
その空間に足を踏み入れた瞬間――
風が止まった。
アズールが動きを止める。
黒竜が低く喉を鳴らす。
スピカの耳が立つ。
「……まずいわね」
悠真が振り返る。
「え?」
次の瞬間。
世界樹の幹が、淡く光を帯びた。
誰も触れていない。
誰も魔力を流していない。
ただ、アズールの羽が一枚、ふわりと落ちた。
それが根に触れた瞬間――
光が広がった。
音はない。
だが空気が震える。
黒竜の鱗が淡く光り、ノクスの翼の羽が風もないのに揺れる。
アズールの体から溢れた蒼い風が、世界樹の幹へ吸い込まれていく。
「ちょっ……!」
ケインが一歩下がる。
だが暴走ではない。
奪われているのではなく、呼応している。
世界樹の内部を、光が走る。
塔全体が、微かに共鳴する。
悠真の胸が熱くなる。
同じ感覚。
黒竜を解放した時。
白い幻獣に触れた時。
「……共鳴」
スピカが静かに呟く。
誰も説明していない。
誰も意図していない。
それでも起きた。
世界樹が、アズールを“認識した”。
いや――
悠真の周囲にいる存在を、ひとつの群れとして認めた。
光はゆっくり収束する。
静寂。
ケインが震える声で言う。
「……今のは……」
悠真は答えられない。
アズールは何事もなかったように首を傾げる。
「……きれいだったね?」
無邪気だ。
だがその背後で、世界樹の幹には微かに蒼い紋様が浮かんでいた。
消えない印。
ケインは確信する。
これは報告すべき案件ではない。
“触れてはいけない領域”だと。
ゆっくりと、悠真を見る。
「……あなたは、いったい何者なんですか」
悠真は苦笑する。
「ただの落ち人ですよ」
そう、答えるのだった。




