48.懐かしさの正体
昨日と同じ食堂で朝食を取ることにした。
漂ってくる焼き立てのパンの香ばしい匂いと、温かいスープの湯気に、自然と肩の力が抜ける。
悠真は何度か無意識にアズールのことを考えてしまい、食べる手を止めかける。
「まだ気にしてるの?」
スピカがパンを齧りながら横目で見る。
「そりゃ……急に卵になってたら心配にもなるだろ」
スピカは小さく息を吐き、いつの間にか当然のように言った。
「部屋には結界を張ってあるわ。魔力の流れも安定させてあるし、外部から干渉されることもない」
少し胸を張るように続ける。
「だから、心配ないわよ」
「……それ、先に言ってほしかったな」
悠真が苦笑すると、スピカは悪びれもせずに尻尾を揺らした。
「言わなくても分かるでしょ?」
結局それ以上は言えず、悠真は温かいスープを飲み干した。
食後、今日は急ぎの用事もなく、世話の時間までは余裕がある。
相談した結果、ゆっくり王都を散策することになった。
樹冠塔を出ると、朝の王都はすでに活気に満ちていた。
石畳の通りには人が行き交い、商人たちの呼び声が重なり合う。屋台からは焼き菓子や串焼きの香りが漂い、布や装飾品を並べた露店が通りを彩っていた。
「朝からすごいな……」
悠真が感心したように呟くと、ノクスが低く鳴き、周囲を見渡す。
スピカも人混みを見回しながら、どこか楽しそうだ。
「いいじゃない。こういう賑やかな場所、嫌いじゃないわ」
アズールがいないことに、まだ少しだけ胸の奥が引っかかる。
けれど、行き交う人々の笑顔や、朝の光を反射する街並みを見ているうちに、その不安は少しずつ和らいでいった。
ふと、通りすがりに目を引く商店があった。
「……グリーン商会?」
木製の看板に、妙に整った文字でそう書かれている。派手さはないのに、なぜか視線を引きつけられる不思議な雰囲気だった。
他の露店や商店が所狭しと品物を並べている中で、そこだけは余白を意識したような陳列。どこか“見慣れた感覚”が胸をくすぐる。
「……なんだろう、ここ」
悠真が足を止めると、スピカが隣で看板を見上げた。
「? 普通の商店じゃない。特に変なところはないわよ」
その一言で、はっきりした。
この違和感は、自分だけのものだ。
気づけば、悠真は扉に手をかけていた。
カラン、と澄んだ音を立てて扉が開く。
中は外観以上に整っていた。床はきちんと磨かれ、棚は高さが揃えられ、通路も無駄に狭くない。商品は詰め込みすぎず、種類ごとに分かりやすく配置されている。
――清潔感がある。
その印象が、まず浮かんだ。
壁際には保存食や乾物、香辛料。中央には日用品や道具類。
包装はどれも均一で、札の書き方も妙に読みやすい。説明文は簡潔で、余計な修飾がない。
「……」
悠真は言葉を失った。
見覚えがある。
それも、この世界に来てからではない。
棚の端に置かれた金属製の水筒を手に取る。角張った形、蓋の構造、持った時の重さ――
どう考えても、地球で見たことがあるそれだった。
「何か欲しいものでもあるの?」
スピカが興味なさそうに言う。
「いや……その……」
言葉を濁しながら棚を戻す。
「なんか、落ち着く店だなって思って」
「そう? 別に普通よ。王都ならこのくらい整ってる店、いくらでもあるじゃない」
あっさりと言い切られて、悠真は苦笑する。
やっぱり、これは自分だけだ。
ノクスは静かに周囲を見渡していたが、特に反応はない。
『害意も異常も感じぬ。静かな店だ』
その評価が、逆にこの店の“異質さ”を際立たせた。
ここは確かに異世界の商店だ。
けれど――
陳列の思想。
清潔感の出し方。
無駄を省く感覚。
どれも、地球で培われた感覚そのものだった。
(……気のせいじゃ、ないよな)
悠真は店の奥へと視線を向ける。
まだ店主の姿は見えない。
けれどこの「グリーン商会」が、ただの王都の商店ではないことだけは、確信に近い形で胸に残っていた。
――まるで、異世界の中に紛れ込んだ、地球の一角のような。
「いらっしゃいませー!」
奥から、やけに元気な声が響いた。
ぱたぱたと軽い足音とともに現れたのは、小柄な女の子だった。年の頃は十代半ばくらいだろうか。エプロン姿で、愛想よくこちらを見ている。
――そして。
「……猫?」
思わず、声が漏れた。
彼女の頭の上には、ぴんと立った三角の耳があった。毛並みは柔らかそうで、感情に合わせてわずかに動いている。
女の子は一瞬だけ表情を固くすると、少し気まずそうに視線を逸らした。
「えっと……お客さん、もしかして獣人ダメなタイプ?」
そう言いながら、耳がしゅん、と伏せられる。
「だったら、店長帰ってくるまで、あたし奥にいるヨ?」
くるりと踵を返そうとする彼女を、悠真は慌てて引き止めた。
「ち、違う違う! 初めて見たから、びっくりしただけだよ!」
その言葉に、女の子はきょとんとした顔をしてから、
「……あ、なるほど!」
ぱっと表情を明るくすると、伏せていた耳が一気に立ち上がった。感情が分かりやすすぎる。
「じゃあ大丈夫ネ!」
その話し方には、どこか独特なリズムがあった。語尾が少し伸びて、ところどころ発音も微妙に違う。
(……訛り?)
悠真は内心で首を傾げる。
獣人特有の話し方なのだろうか。
スピカは横で、ちらりと女の子を見ただけで興味を失ったように言った。
「ふーん。獣人の店員なんて珍しくもないじゃない」
少女は手慣れた様子でカウンターの中へ戻る。その動きは自然で、この店で働くことが当たり前のようだった。
獣人であることも含めて、この世界ではごく普通――そう感じさせる存在だ。
スピカも特に警戒する様子はなく、店内を一瞥しただけで言った。
「普通の店ね。品揃えも、まあ悪くないじゃない」
「……だよな」
悠真も頷いた。
彼女――猫獣人の店員からは、不思議な違和感は感じない。
ここにいることが、自然だ。
陳列された商品を眺めながら、悠真は改めて思う。
(やっぱり、この店そのものが変なんだよな……)
配置が妙に整っている。
棚の高さ、通路の幅、商品ごとの分類。
理由は分からない。
けれど、どこか見覚えがある感覚が、拭いきれない。
「気になるものあったラ、声かけてネ!」
店員の声に軽く手を振り返しながら、悠真は店の奥へ視線を向けた。
――その時だった。
奥の扉が、がちゃりと音を立てて開いたのは。
「おや? お客さんかい?」
背後からかけられた声に、悠真は振り向いた。
そこに立っていたのは、三十代半ばほどの男性だった。
背は高すぎず低すぎず、顔立ちも特別整っているわけではない。第一印象は、ごく普通――なのだが。
悠真の視線は、自然と男の服装へと吸い寄せられた。
「……スーツ?」
思わず、声が漏れる。
黒を基調とした上下揃いの服。折り目の入ったズボン、きちんと形を保った上着。
見間違えようがない。
(この世界で……スーツ?)
悠真は、一瞬思考が追いつかなくなった。
異世界にも、似たような正装が存在するのか? それとも――。
そんな悠真の様子を見て、男は入口の前でぴたりと動きを止めた。
次の瞬間。
――パタリ。
男の手から、持っていたブリーフケースが床に落ちた。
「ちょ、店長!?」
猫獣人の店員が慌てた声を上げるのも構わず、男は大股で悠真に近づいてくる。
そして、距離が一気に詰まったところで、両肩を掴まんばかりの勢いで身を乗り出した。
「まさか……君も――」
男の目が、異様なほど真剣に見開かれる。
「君も地球人なのかい!?」
その言葉を聞いた瞬間、悠真の中で何かが、はっきりと音を立てて繋がった。
服装。
店の陳列。
無意識に感じていた、あの懐かしさ。
(――やっぱり)
悠真は、ゆっくりと息を吐いた。
そして、同じ目線で男を見返す。
「……はい。日本から来ました」
一拍。
次の瞬間。
「うわぁぁぁぁぁ!! 本当に!? やっと!!」
男は両手で頭を抱え、その場で半ば跳ねるように喜びの声を上げた。
「ちょ、ちょっと店長!? どうしたノ!?」
完全に置いてきぼりの店員と、
「……何がそんなに大事なの?」と首を傾げるスピカ。
その横で悠真は、内心で静かに確信していた。
――この人は、間違いなく“同郷”だ、と。




