43.幼獣のお世話日和
ケインに、
「今日はお世話の後、外の街を少し見て回ろうと思っています」
と伝えると、ケインは穏やかに頷いた。
「問題ありませんよ。依頼時間さえ守っていただければ、外出は自由です」
「ありがとうございます」
調和区画の廊下で会釈を交わし、ここでケインとは別れる。
調和区画を後にし、悠真は昨日と同じルートを進む。
お世話室の場所はもう覚えている。
螺旋階段を上り、緩やかな曲がりの向こうに見えてくるのは、
あの小さなカーバンクルが待つ森のような部屋。
扉の前に立ち、息を整え、そっと手をかける。
今日もまた、あの子に会いに行くのだ。
お世話室に足を踏み入れた瞬間、
「きゅるるっ!」
と甲高い声が響き、小さな影が一直線に飛びついてきた。
ふわふわした体が胸にぶつかり、腕の中に収まる。
カーバンクルは喉を鳴らすように甘えた声を出し、顔をすり寄せてくる。
「うわぁ…かわいいなぁ、お前ほんと…」
悠真は頬を緩ませながら、その小さな背を優しく撫でた。
ふと横を見ると、部屋の隅の皿に盛られた食事が目に入る。
まだ、ひと口も減っていない。
「食べないの?」
そっと尋ねると、カーバンクルは視線だけ皿に向け、か細く鳴いた。
その声に、肩にいたスピカがぴょんと飛び降り、皿の前に歩み寄る。
葉や果実、細かく刻まれた実りが並ぶ中、スピカは一枚の葉に肉球をちょんと当てた。
「あー…これが入ってるからね」
スピカは呆れたように言う。
「これって?」
悠真が覗き込むと、指し示されたのは淡い青緑色の小さな葉。
スピカは鼻先でそれを押しやりながら続ける。
「“青鈴草”よ。栄養満点だけど、苦いの。
あの子くらいの幼獣は、ほぼ例外なく嫌がるわ」
「え、そんなもの混ぜてたのか…」
呆然とつぶやいた瞬間、腕の中のカーバンクルが
「きゅぅぅ」
と訴えるような声を出してスピカを見る。
「大丈夫よ。入ってても毒じゃないけど、美味しくないのは確か。
食べないからって責めないであげなさい」
「そりゃ食べたくないよなぁ…」
悠真はカーバンクルの額を軽くなでながら苦笑した。
するとスピカが、
「まぁ、別の食べ物を足すか、葉っぱの量を調整すれば食べると思うわ」
と肩をすくめる。
カーバンクルはその言葉を聞いたのか、悠真の胸の中でこくこくと頷くように揺れた。
「よし、お前が食べやすいように、少し工夫してみような」
腕の中の小さな命は、嬉しそうに尻尾を震わせた。
悠真はお世話室をいったん出て調和区画へ向かった。
ノクスとアズールは自分たちの食事を終えてくつろいでいたが、悠真が来ると興味深そうに顔を上げる。
「ちょっと餌を替えてもらうだけだから、待っててな」
そう声をかけてから、近くの職員に事情を説明する。
「——青鈴草が苦手で、全く手をつけなくて」
職員は目を丸くした。
「えっ、幼獣のカーバンクルが青鈴草を?
他の幼獣達は真っ先に食べるのに…珍しいですね」
後ろでスピカがぴくりと耳を揺らし、
「同じ幻獣でも味覚に差があるのは当然でしょ」
とぼそりと呟く。
職員は「あ、はぁ…」と苦笑しつつ、代わりに別の餌皿を用意してくれた。
果実を中心に、青鈴草を抜いたものだ。
悠真がそれを受け取り、お世話室へ戻って餌皿を交換する。
カーバンクルは匂いをかいだ途端、ぱっと表情が明るくなり、勢いよく食べ始めた。
「おぉ、食べた!良かった…」
嬉しそうに見守りながらも、ふと気になる点が胸に浮かぶ。
「でも…栄養の偏りとか、大丈夫なのかな?
青鈴草って大事だから混ぜてたんだろうし」
その呟きに、スピカはカーバンクルの尻尾が揺れるのを見ながら答えた。
「ここは魔力が濃いわ。世界樹の枝を使った保護施設なんだから、
少しくらい偏っても体の調子は自然と整うわよ。
それに——嫌いなものを無理やり食べさせて育つ子なんて、私は見たことないわ」
「なるほど…確かに」
悠真は安心したように息を吐き、夢中で食べるカーバンクルの背を優しく撫でた。
小さな宝石のような角が、満足げにほのかに光っていた。
カーバンクルが食事を終え、満足げに尻尾を揺らしているのを見計らって、悠真は棚に置いてあったブラシを手に取った。
「よし、次はブラッシングな」
カーバンクルは最初こそ不思議そうに振り返ったが、首元を優しく梳かれると――
すぐにとろりと表情がゆるみ、細い喉から「くるる……」と小さな声を漏らす。
やがて目を細め、さらにブラッシングの軌道に合わせて頭を傾け、
最後には膝の上で丸くなって、ほんのり寝息を立てるようになった。
「あぁぁ、かわいい……」
悠真がそっと撫でていると、スピカが腕を組んで横目で見てくる。
「……後で私にもブラッシングしなさいよ。
やるなら手を抜いたら許さないから」
「はいはい、ちゃんとやるよ。スピカさんは扱いが難しいんだから」
拗ねたように尻尾を揺らすスピカに苦笑しながら、
悠真は眠ったカーバンクルをそっと毛布に寝かせる。
周囲の気配を確認し、静かに立ち上がった。
「じゃあ、一旦外に出るか」
お世話室を出て調和区画へ戻ると、ノクスとアズールが悠真に気づいて顔を上げる。
ノクスは「主、もう行くのか?」というように喉を鳴らし、
アズールは尻尾を振って足もとへ寄ってきた。
「待たせてごめん。ほら、行くぞ。今日は街に出るからな」
三体と一人が揃い、樹冠塔の出口へと向かう。
外の空気は晴れ渡り、王都の喧騒がゆるやかに流れていた。
悠真は肩のスピカをちらりと見上げる。
「さて、まずはどこ行こうか?」
そんな会話をしながら、彼らは樹冠塔を後にした。
樹冠塔を出てすぐ、スピカが悠真の肩の上で伸びをしながら言った。
「ダンジョンに行くわよ。昨日から運動不足なの。
このままだと、私のしなやかな筋肉がなまっちゃう」
「筋肉あったの……?」
「失礼ね。幻獣の身体能力を舐めないで」
スピカがぷいと顔をそむけると、
その言葉に賛同するように、ノクスとアズールがそろって「フシュル!」「キュルル!」と声を上げた。
「はいはい……みんな揃ってダンジョン好きだなぁ。
まあ、運動にはちょうどいいけどさ」
肩をすくめる悠真。
けれどその口元は、どこか楽しそうに緩んでいる。
「よし、分かった分かった。じゃあギルドに向かおう。
ちょうどいい依頼があるといいんだけどな……」
王都の清々しい朝風を受けながら、
悠真たちはダンジョン依頼を探しに、再びギルドへ向かって歩き出した。




