37.揺らぎの王都、眠る縁
王都アストリアに入った瞬間、
ひとしずく深い香りを孕んだ空気が鼻をくすぐった。
海でも森でもなく――“都市の魔力の匂い”。
無数の人が行き交い、
それぞれが魔力を持ち、
それが混ざり合って街全体に流れている匂い。
悠真は思わず足を止めて、目の前の景色をじっくり眺めた。
石畳はきれいに洗われ、
街路樹の隙間からは魔導灯が淡く輝く。
高い建物が多く、建物の屋根にはそれぞれの紋章が彫られている。
人の声が混ざる。
荷馬車の車輪の音、鍛冶屋の槌音、子供の笑い声。
そして、魔導機器のかすかな律動音さえ混ざっている。
「……これが、王都か」
そのひとつひとつを噛みしめるように呟いた。
スピカは悠真に寄り添いながら、瞳を細めた。
「ユウマ。この街、魔素が濃いわね。
そして――ここには “幾つかの根” が通っている」
“根”
それが何を指すかは、悠真にも薄く察せられる。
――世界樹の根。
王都は、その枝のどこかに触れる土地なのだ。
『主。用心は怠るな。
この街の下には、深い影が居る』
ノクスの声が静かに脳裏に響く。
アズールはというと、街並みをキョロキョロ観察しては
きゅぃっ
と短く鳴いて、興奮している様子だった。
翼を少し膨らませて。
「ユウマさーん!」
声の主に振り向くと、そこにはリネア達三人がいた。
「ユウマ達も無事入れて良かったです。この後はどちらへ?」
「まずは……ギルドかな。
この街の情報、あった方がいいだろうし」
そう答えた瞬間、
「私たちもギルドへ寄る予定でした。
よろしければ、ご一緒に?」
リネアは軽く微笑んだ。
これは断る流れではないし、断る理由もない。
「じゃあ――一緒に行こう」
悠真がそう返すと、
三人は頷き、自然に横へ並ぶ。
その足取りは、
人の多い王都の通りへと向かっていった。
アズールは小さく羽をふるわせ、
ノクスはやや無言のまま一歩後ろを歩く。
王都の通りに一歩足を踏み入れた瞬間、
空気の“密度”が違うのがわかった。
胸の奥がじりじり熱を帯びる。
空気そのものが魔力で満ちている。
街灯のガラス――と思ったそれは魔石。
淡い光を灯し、夜を“照らす準備”をしていた。
道を滑るように走っていく乗り物は、
車ではない。
けれど、同じ“概念”を魔力で成立させている。
地球の電気を、
この世界では魔力が担っている。
悠真は、目を奪われたまま歩いていた。
「……ほんとに、別世界だな」
息の漏れるような独り言。
スピカは鞄の中でくつろぎながら呟く。
「これが王都よ。
人が多いってことは、魔素も集まるってこと」
『主。
魔獣の気配も混じっているな』
ノクスの感知は鋭い。
しかしこの街の人々は慣れきっているのか、
恐れる気配は薄かった。
――そして、気づけば。
「着きましたよ、ユウマさん」
リネアが指差す。
その先には巨大な石造りの建物。
王都アストリア冒険者ギルド。
入口に掲げられた紋章――
大地の樹と天翔ける鳥。
ギルドの扉を押し開いた瞬間、
熱がぶわりと押し寄せてきた。
怒号、談笑、机を叩く音、羽ペンの走る音。
今まで見たどの街のギルドよりも広いはずなのに、
“狭い”と錯覚するくらい、人が詰まっていた。
ノクスとアズールはいつものように外で待機。
人間密度が高すぎて、彼らの居場所はなかった。
悠真は、リネア達の後について歩く。
とりあえず掲示板から、だ。
壁一面に張り出された依頼票。
ところ狭しと文字が並び、何層にも重ねられている所まである。
素材採取、護衛、討伐。
聞き慣れた内容に目を流し――
その中で
違和感を伴って視線が止まった。
見覚えのある“語句”。
――幻獣狩り支部 壊滅
その紙だけ、微妙に色が新しい。
ごく最近、貼られたものだ。
読んだ瞬間、
カバンの中でひそやかな鼻笑いが響く。
「……私たちのことじゃない?これ」
スピカの小さな声。
ひどく軽い調子。
けれど、含まれる色は薄くない。
悠真は息をのみ、紙面をもう一度確認する。
“幻獣狩り従事者数 名簿照会中”
“逃走者あり”
“第二報待ち”
まだ終わっていない。
そう書かれているようだった。
リネア達は受付の列に並ぶ前に、ちらりとこちらへ顔を向けた。
「私たち、依頼の報告してきますね。すぐ戻ります」
そう言って、三人は人垣の中へと消えていく。
悠真はもう一度、掲示板の前に視線を戻した。
……密度が濃い。
依頼の種類ではない、“文言”や“空気”の濃さだ。
王都のギルドは、地方とはまるで違う。
読み流すだけでも、妙に疲れる。
そんな中で――
ひとつだけ、浮いて見える紙があった。
赤ちゃん幻獣のお世話 / 日数要相談
紙の端が少し丸まっている。
貼られてから、ある程度の時間が経っている。
内容は珍しいのに、
依頼は残っている。
……人気がない。
(気になるけど……理由があるのかな)
そう思っていると、
ちょうどその時、報告を終えたリネア達が戻ってきた。
「ユウマさん、それ受けるのですか?」
「あー、うん……迷ってて」
リネアは少しだけ言いづらそうに言葉を選ぶ。
「王は代々、幻獣保護に力を入れているんです。とても、です。
この王都には専用の保護施設もあって――
怪我した幻獣、はぐれた子、そういう子達も預かられている」
「へぇ……」
「その赤ちゃん幻獣も、きっとそこにつながっていますよ」
リネアはほんの少し、声音を潜らせた。
「……ただ」
次に続く言葉が、ゆっくり落ちる。
「いま、幻獣狩りの件で、この街の空気は“尖っている”んです。
だから――遠巻きにしている人も、いるんだと思います」
悠真は息をのむ。
原因。
理由。
すとんと腑に落ちた。
そして――決まりだった。
「……よし。なら、受けてみるよ」
そう言う悠真の横で、
カバンの奥が、ふわりと温度を帯びる。
小さな同意。
誰にも聞こえない声。
悠真は受付へと一歩、踏み出した。




