29.共鳴の黎明
外へ逃がした幻獣たちは、アズールの導きによって森の奥、安全な場所へと避難していった。
その間、悠真とスピカ、ノクスの三人は、残された奥の扉の前に立っていた。
鉄と魔法の重ね掛けが施された分厚い扉。ほかの檻とは明らかに違う。
悠真が拾った鍵束の中から、異様に重い一本を選び取る。
錠前に差し込むと、低い金属音を響かせながら扉がゆっくりと開いた。
中はひんやりとした空気に満たされていた。
薄暗い空間の中央、鎖に繋がれた巨大な影が伏している。
黒曜石のような鱗が、ランタンの光をわずかに反射していた。
――ドラゴンだ。
しかしその姿は、どこか痛々しかった。
翼は折れたようにたれ、鎖が肉に食い込んでいる。
体長は三メートルほど。成体にしては小さく、まだ幼いことが見てとれた。
スピカが慎重に近づき、淡い光を放って様子をうかがう。
「……まだ成体じゃないようね」
その声に、悠真は無意識に拳を握っていた。
ドラゴンの瞼がゆっくりと開いた。
黒曜石のような瞳が光を宿し、悠真をじっと見つめる。
その視線には恐怖も怒りもなく、ただ、深い悲しみと静かな知性が宿っていた。
悠真は思わず息を飲む。
鎖の金属音が、静まり返った部屋に小さく響いた。
――その瞬間。
「どういうことだこれはッ!」
怒号とともに扉が乱暴に開かれる。
数人の男が駆け込んできて、檻を見て絶句した。
「鍵がねぇ!? 檻まで開いてるぞ!」
「幻獣どころか、あの黒竜まで……やべぇ、マジでやべぇ!」
ひとりが青ざめ、もうひとりが歯ぎしりする。
「おい! 誰がやりやがった!?」
その言葉の直後、隅に身を潜めていた悠真たちの影に気づく。
「……お前らか!」
刃が抜かれる音。怒声が飛ぶ。
「ぶっ殺してやるッ!」
瞬間、炎の矢が飛んだ。
悠真がとっさにスピカへ叫ぶ。
「スピカ、防御!」
スピカが素早く魔力を展開し、淡い光の壁を前方に張る。
炎が爆ぜ、風刃が散り、眩い火花が走った。
「ノクス、前へ!」
悠真の声に、ノクスが低く唸る。
霧が広がり、闇の中から漆黒の獣が現れる。
次の瞬間、ノクスの巨体が男たちの間に突っ込み、爪が石床を砕いた。
「な、なんだこいつ!?」
「見えねぇ……霧が濃い!」
混乱の声が飛び交う。
スピカは魔力弾を放ち、照明代わりの魔晶灯を撃ち抜いた。
室内は闇に包まれる――ただし、その闇はノクスの領域。
ノクスの動きに合わせてスピカが的確に援護を送り、男たちは次々と倒れていく。
倒れ伏した男たちを見下ろしながら、悠真は息を整える。
ノクスは低く唸り、倒れて動かぬ敵の間を警戒するように歩いていた。
スピカは魔力を抑えながら、檻の方へと向き直る。
「封印はもう少し……これで、外れるはずよ」
スピカの手から光の紋が流れ、鎖を縛っていた魔法陣がきらりと揺らぐ。
悠真はその鎖に手をかけた。
「よし……もう少しで――」
そのときだった。
「おいおい、これは随分と派手にやってくれたじゃないか」
低い声が、奥の通路の闇から響いた。
悠真たちが振り向くと、そこには一人の男がゆっくりと姿を現した。
黒いロングコート。片手には血のように赤い宝玉の杖。
髪は灰色がかり、口元には薄い笑みを浮かべている。
床に転がっていた男の一人が、苦しげに顔を上げる。
「ぼ、ボス……!」
男――この一団の「ボス」と呼ばれた人物は、足元の男に冷たい視線を落とす。
「……説明を」
「そ、その、侵入者が……幻獣を、逃がし……」
「なるほど。つまり、仕事は失敗。
そして、私の“商品”が台無しになった、ということだね?」
その声は穏やかだった。
だが、次の瞬間、ボスの靴先が男の腹を強く蹴り上げた。
「――こんな失態、許されると思うなよ」
男は呻き声を上げてそのまま気絶した。
静寂の中、ボスはゆっくりと悠真たちに視線を移す。
氷のように冷たい目。
まるで獲物の価値を見定めるような眼差しだった。
「ふむ……君たちか。“余計なこと”をしてくれたのは」
悠真が一歩前に出る。
「お前たちがやってること、許されると思うか?」
「許されるかどうか……そんなものは興味がない」
ボスは小さく笑い、杖を軽く振った。
宝玉が妖しく輝く。
「ただの力の取引さ。世界の底では、綺麗ごとじゃ食っていけないんでね」
空気が変わった。
部屋の中に、ぴり、と魔力の匂いが走る。
スピカがすぐさま悠真の前に出て、魔力を展開する。
ノクスも牙をむき、低く唸った。
ボスは愉快そうに口角を上げる。
「さて――邪魔者の始末といこうか」
杖の先に赤い光が収束し、魔法陣が床に浮かび上がる。
悠真の背中を汗が伝った。
これまでの相手とは、格が違う。
男――この一団のボスは、ゆっくりと腰の剣を抜いた。
その動きは静かで、無駄がない。
鞘から抜かれた刃が、淡く青白い魔力を帯びて輝いた。
「A級冒険者、ラグド・ヴァレス。」
名乗る声は落ち着いているのに、空気が一瞬にして張りつめる。
「かつては王都の“光剣”と呼ばれたが……今はただの商人さ。
幻獣を捕らえ、売る。それだけの、ね」
スピカが軽く跳躍し、尻尾をふわりと揺らしながら悠真の前に出る。
「軽口を……そのまま後悔させてあげるわ!」
ノクスが低く唸り、地面を蹴った。
轟音とともに突進。ラグドは微動だにせず、剣を横に払う。
キィィィンッ――!
ノクスの爪が弾かれ、火花が散る。
その一瞬、ラグドの足が動き、反対の手で魔法陣が浮かび上がった。
「《エア・スラスト》」
見えない衝撃が走る。
ノクスの体が宙に浮き、壁に叩きつけられた。
鈍い音が響く。
「ノクス!」
悠真が叫ぶが、次の瞬間、スピカが飛び出してラグドの剣に爪を合わせる。
衝撃波が走り、床の石が砕けた。
「ほう、動きは速いな。幻獣にしては、だが」
ラグドは一歩退き、掌を地に向けた。
「《バーン・ライン》」
床を走る炎の線がスピカの足元を襲う。
スピカがすぐに飛び退くも、尻尾の先が焦げ、痛みに顔を歪める。
「ちょっと……やるじゃない……!」
「やる、か。かつては王都のS級試験を目前にしていた男だぞ」
ラグドの口元には余裕の笑み。
悠真はその光景をただ見つめるしかなかった。
胸の奥がざらつくような感覚。
スピカもノクスも、傷を負いながらも戦っている。
なのに、自分は――。
拳を握る。
爪が手のひらに食い込んでも、その痛みすら感じない。
“共鳴者”――モフ子が言っていた。
幻獣の力を引き出すことができる存在。
でも、どうすれば――。
「来ないなら、終わりだ」
ラグドの剣が、青く光を帯びた。
魔法と剣技を融合させた一撃――“魔剣技”。
風が唸り、壁に刻まれた紋様が一斉に光る。
スピカが歯を食いしばる。
ノクスが立ち上がり、再び唸り声を上げる。
それでも、二人の息は荒い。
悠真の中で、何かが軋むように動いた。
――何もできないまま、守られているだけなんて嫌だ。
ラグドの剣が振り上げられた瞬間――。
悠真の胸の奥が、まるで心臓そのものが呼応するように熱を帯びた。
(やめろ……! これ以上、誰も傷つけたくない――!)
声にならない叫びが、世界の“中心”に届いたような気がした。
次の瞬間、悠真の身体から淡い光があふれ出す。
それは風に乗り、波紋のように広がり、スピカとノクスを包み込んだ。
ラグドが眉をひそめる。
「……何だ、これは……魔力の共鳴、だと?」
光が強く脈動する。
スピカが息をのむように目を見開いた。
額の紅玉が――パリン、と音を立てて形を変える。
鋭く伸びた結晶の角が光を放ち、その体毛はひとまわり大きく膨らみ、
月光を思わせる艶を帯びる。
風に揺れるたび、淡い光がもふもふの毛先に散り、幻想的な輝きを生んでいた。
ノクスの体にも変化が走る。
黒霧が蠢き、背から霧そのものが形を成して翼となる。
その輪郭には金色の光が走り、まるで夜を切り裂く閃光のようだった。
首元には光の鬣が揺れ、静かに音を立てて燃えている。
「……スピカ? ノクス……? どうなって……」
悠真の声は震えていた。
見慣れたはずの二匹が、今や“神話の化身”のように見えたのだ。
スピカは一度だけ悠真を見た。
その瞳は以前よりも深く、透き通った光を宿していた。
「これが……あなたの力なのね、悠真」
ラグドが苦笑した。
「面白い……まさか神格化する幻獣を見られるとはな。だが――」
彼の言葉が終わるより早く、風が爆ぜた。
ノクスの翼が広がり、黒霧が一気に部屋を包む。
ラグドは視界を奪われたまま後退する。
霧の中から、スピカの角が閃光を放ち、まるで稲妻のように走った。
――ドォンッ!
爆ぜた空気の中、ラグドがよろめく。
その足元に走る亀裂。
悠真はただ見つめることしかできなかった。
目の前で、共に歩んできた幻獣たちが、自分の想いに応えてくれている。
「……これが、共鳴……!」
自分でも信じられない声が漏れる。
胸の奥から流れ出る力が、スピカとノクスを通して世界と繋がっていく感覚。
それは恐ろしくも、美しかった。
スピカが悠真のほうを振り返り、微笑む。
「行くわよ――!」
ノクスが唸り声を上げ、金光の鬣が燃え上がった。
ラグドが歯を食いしばる。
「――上等だ!」
魔力が剣にまとわりつき、再び斬り結ぶ。
だが、今度は押されているのはラグドの方だった。
霧と光が交錯し、部屋全体が震える。
悠真は、ただその中心で立ち尽くしながら――
確かに“力が通い合う”瞬間を感じていた。




