19.断崖に眠る影
鬱蒼とした森の木々の間を縫うように、ノクスがゆったりと歩みを進める。陽はすでに高く、木漏れ日が揺れながら地面に模様を描いていた。
「静かね……」
スピカがぽつりと呟く。
耳を澄ませば、風に葉が擦れる音と、遠くで小鳥が囀る声だけが響いていた。
アズールは時折、森の枝から枝へと飛び移りながら前へ出たり後ろへ回ったり、落ち着きなく動いている。そのもふもふの尾が揺れるたび、木漏れ日に照らされて銀色の光がちらついた。
やがて、森の木々の密度が徐々に薄れ、視界が開けていく。
枝の合間から差し込む光が強くなり、悠真は眩しそうに手をかざした。
「――抜けたな」
一歩踏み出すと、目の前に雄大な山脈が広がっていた。切り立った崖が連なり、天を突くように高く聳え立っている。山肌にはところどころ白い霧がまとわりつき、神秘的な雰囲気を漂わせていた。
ノクスは鼻先を高く上げ、ひとつ息を吐いた。
その先には、人の手がほとんど入っていない獣道が、山脈へと続いている。踏み固められてはいるが、草木に覆われ、ところどころ獣の爪痕や足跡が残っている道だ。
悠真は肩から下げた鞄を軽く持ち直し、仲間たちへ視線を向けた。
「よし……ここからが本番だな」
獣道を進みながら悠真はふと顔を上げた。
「……そういえば」
悠真は額に手を当て、思わず立ち止まった。
「ドラゴンがどこにいるか、詳しい場所って聞いてないんだよな」
山脈とひとことで言っても、あまりに広大だ。闇雲に歩き回っても、目的の相手に出会えるかどうかすら怪しい。
「ほんと、無計画ね」
スピカが肩を竦める。
ノクスも小さく鼻を鳴らし、同意するように首を振った。
悠真がため息をついたそのとき――視界の先、山脈の麓に小さな村が見えた。木造の屋根が並び、煙がゆるやかに空へと立ち上っている。
「助かった……。まずは情報収集だな」
ノクスの背から降りた悠真は、仲間たちを伴ってゆっくりと村へ近づいていった。
村へ足を踏み入れると、近くにいた村人たちがこちらに気づき、一様に身構えた。ノクスの巨体に、肩に乗るアズール、そして悠真の隣で悠然と毛づくろいするスピカ。見慣れぬ光景に警戒心を示すのも無理はない。
悠真は手を軽く上げ、できるだけ柔らかい声で呼びかけた。
「すみません、怪しい者じゃありません。少し、お聞きしたいことがあって」
村人たちは視線を交わし合ったが、悠真の落ち着いた態度にわずかに表情を和らげる。ひとりが恐る恐る前に出てきた。
「この山脈に……ドラゴンはいますか?」
その言葉に村人は首を横に振った。
「……知らないな」
「そうですか……」
悠真は肩を落とし、少ししょんぼりする。
すると、ノクスの背に座ったままのスピカが、ふと口を開いた。
「伝承とかもないわけ?」
その一言に、村人は大きく目を見開いた。
「げ、幻獣様……!? まさか、言葉を……!」
ガタガタと震えながら、その場にひざまずき拝みはじめる村人に、悠真は思わず目を丸くした。
「え、スピカって……そんなにすごい存在だったの?」
スピカはため息をつき、呆れたように肩を竦める。
「言語を操る幻獣はね、人間からすると神聖化されやすいのよ」
悠真は「へぇ……」と感心するが、村人ははっとしたように顔を上げると、
「す、すぐに村長を呼んできます!」
と叫び、慌てて村の奥へ駆けていった。
その後ろ姿を見送りながら、スピカはしれっとした顔で言う。
「村長なら何か知ってるんじゃない? ……ちょうどよかったわね」
悠真は、呑気な相棒の様子に思わず苦笑した。
やがて村人に伴われ、白い髭をたっぷりと蓄えた村長がやってきた。背は小さいが、杖を突きながらも目の奥には年輪を感じさせる光が宿っている。
「旅のお方……あなた方が幻獣様と共におられると聞き、急ぎ参りました」
スピカに頭を垂れた後、村長は悠真の問いに耳を傾けると、静かに語り出した。
「この山脈には……古くから恐ろしい竜が棲むと伝えられております。人を喰らい、村を焼き、翼一振りで山の雲を吹き飛ばす――そんな恐ろしい存在だと」
悠真はごくりと喉を鳴らす。
「……それって、実際に誰かが見たんですか?」
村長は小さく首を振った。
「誰も実際に姿を見た者はおりませぬ。ただ、伝え聞く話では……その竜は断崖絶壁のどこかに眠り、時折、崖の上から飛び立つ姿が見えた、と」
「崖……」
悠真は呟き、考え込むように視線を落とした。
スピカが首を傾げる。
「どうしたの?」
悠真は顔を上げ、苦笑まじりに言った。
「いや……シルフィクスさんが言ってた“寝坊助の友人”って、もしかしてその崖で寝てるんじゃないかなって。……飛翔するって話、伝承に出てたし」
村長は眉をひそめ、不安げに彼らを見た。
「……あの恐ろしき竜を探そうとするのですか?」
悠真は肩をすくめ、笑みを浮かべる。
「まぁ、頼まれちゃったんで」
そんな悠真を見て、スピカはため息をついた。
村長に礼を述べ、伝承にある「竜が飛び立ったという崖」の大まかな位置を聞き出すと、悠真たちは村を後にした。
険しい山脈の麓に向かう道をノクスに跨って進んでいく。
昼を少し過ぎた頃だった。
「……お?」
悠真が目を丸くする。
山道の先、開けた草原を横切るようにして、もこもことした白い毛並みを持つ獣の群れが歩いていた。全身は羊そっくりだが、額からは一本の逞しい角が突き出ている。その角は黒曜石のように黒く艶めいていた。
「な、なんだこれ……! すげぇ! 一角羊……いや、名前は後でいいか!」
悠真は慌ててノクスから飛び降り、ノートとペンを取り出すとしゃがみ込んで夢中で書きなぐり始めた。
「毛は雲みたいにふわっふわ……角は意外に鋭そう……あ、群れで行動してるんだ……! ちょっと待って、動きが思ったより俊敏だぞ……!」
スピカはあきれ顔で、腕を組んで群れを見やりながら呟いた。
「ほんと、好きねぇ……動物を見るだけで、子供みたいにはしゃぐんだから」
ノクスは鼻を鳴らし、群れの匂いを嗅ぎ取っている。
一方でアズールは、肩の上で首を傾げつつ、興味深そうに鳴いた。
悠真はそんなことも気にせず、ノートに矢継ぎ早に線を引き、特徴を書き込んでいく。
「……よしっ! 観察完了!」
立ち上がった悠真の顔は、汗ばみながらも生き生きとしていた。
「かわいいなぁ……」
悠真は群れを見つめながら、目を細めて呟いた。
その横でスピカは「……美味しいのよね」とぽつり。
悠真は一瞬固まった。
「……え、今なんて言った?」
「気にしないで」
スピカはしれっと視線を逸らした。
悠真はスピカがなんと言ったか気になりつつもも、群れの一匹にじりじりと近づいていった。
「ちょっと触ってみてもいいかな?」
「……あ、やめといたほうがいいわよ?」
スピカが眉をひそめて警告する。
「え?」と悠真が聞き返した時には、もう手はふわふわの毛に触れていた。
「うおっ!?!?」
バチッと乾いた音が響き、悠真の体にビリビリと電撃が走る。
思わず飛び退いた悠真の髪の毛が逆立ち、顔は若干焦げたように黒ずんで見える。
「~~~~っっっ!!!」
言葉にならない声を上げて震える悠真を見て、スピカはため息をつき、肩を竦める。
「言ったでしょ? あれ、毛に電気を溜めるの。だから不用意に触るとこうなるのよ」
悠真は涙目で毛先を指さしながら叫んだ。
「可愛い顔して危険生物かよぉ!!!」
アズールは肩の上でケタケタと鳴き、ノクスは呆れたように鼻を鳴らしていた。
羊の群れ――悠真のノートには「一角羊(仮)」と記された――がのんびりと通り過ぎていくのを待ってから、悠真たちは再び山脈の奥へと足を進めた。
やがて木々が途切れ、視界がぱっと開ける。目の前には深々と切り込まれた谷が口を開け、その向こうには切り立った断崖がそびえていた。
「……うわぁ……」
悠真は思わず息を呑む。
その断崖の、遥か上の方。岩肌にぽっかりと大きなくぼみがあるのが見えた。洞穴のようにも見えるその場所を見つめながら、悠真は額にじっとりと汗をにじませる。
「……まさか……あれじゃないよな?」
ごくりと喉を鳴らして呟く。
スピカが目を細め、くぼみの奥をじっと覗き込む。
「……可能性は高いわね。伝承にあった“崖から飛翔する恐ろしいドラゴン”――条件に合いすぎるもの」
ノクスは耳をぴんと立て、谷の向こうから流れてくる風に鼻をひくつかせていた。アズールは悠真の肩で毛を逆立て、じっとその暗がりを凝視している。
悠真は乾いた笑みを浮かべて頭をかいた。
「……うん。なんか、気軽に引き受けるんじゃなかった気がしてきた」
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観察記録:一角羊(仮)
・外見
体型は羊に酷似。全身を覆う白く分厚い毛はふわふわで、見た目は非常に愛らしい。
額の中央に小さ角がある。
・習性
群れで行動する。谷間や草原を好み、草を食んでいる姿がよく見られる。
警戒心は中程度。人の姿を見てもすぐに逃げ出すわけではないようだ。
・能力
角に魔力を溜め、外敵に触れられると放電する。
軽く触れただけで感電することもあるため、撫でようとすると危険。放電は防御反応であり、敵意がない限り積極的に攻撃してくることはない。
・備考
非常に愛嬌のある見た目。悠真としてはぜひ「もふもふしたい」との願望が強いが、放電特性のせいで難易度は高い。
もふもふ度★★★★★
ただし感電リスク大。安全にもふもふできる方法を研究する必要あり。




