2.日差しと幻獣の隣で
森を抜け、街道沿いを歩いてしばらく。悠真は肩から下げたバッグを軽く叩いた。
「ふう、助かったな。食べ物、分けてもらえて」
村を発つ際、村長から小袋を手渡されたのだ。
「旅の糧にしなさい。ささやかだが」と笑っていた。
その心遣いに礼を言い、悠真はありがたく受け取っていた。
「まあ、すぐ街に着くみたいだし、これでなんとかなるだろ」
悠真が呟いた時だった。
――ガサッ。
藪が揺れ、角リスが三匹、道を横切った。
村で見たのと同じ種だろう。こちらを見上げ、小首をかしげる。
「お前ら、また会ったな。……おっと、イタズラするなよ? あ、畑は荒らさないって約束覚えてる?」
悠真は軽く笑い、腰をかがめて目線を合わせる。
角リスたちは「キュッ」と鳴き、まるで敬礼するように手を挙げた。
その仕草に悠真は吹き出す。
「……いや、律儀すぎるだろ。かわいいやつらだな」
スピカは横で呆れたように尻尾を振った。
「普通はそんなふうに言うこと聞く生き物じゃないのよ。あなたが特別なだけ」
「そうか? 俺はただ、ちゃんと話せば伝わる気がするんだけどな」
森の道を進む悠真の歩みは軽かった。肩に掛けた鞄の中には、村で餞別に分けてもらった干し肉や見たこともない木の実。小腹がすいてそれらを出して口に運ぶ。どれも質素なものだが、この世界ならではの味がある。
その傍らには、当然のように赤い宝石を額に輝かせたカーバンクル――スピカが並んで歩いていた。
「本当に、ついてくるのか?」と悠真が問いかけると、スピカはそっけなく答える。
「勘違いしないで。たまたま進む方角が同じなだけ」
口調は素っ気ないが、尻尾の先がかすかに揺れているのを悠真は見逃さなかった。
そんな折、木立の向こうから切羽詰まった叫び声が響いた。
「た、助けてくれーっ!」
馬車を必死に走らせる男。その後ろを、唸り声を上げながら追う黒い影がいくつも跳ねていた。鋭い牙を剥き出しにした狼の群れだ。普通の狼より一回り大きく、血走った瞳が恐ろしく光っている。
「魔獣――影狼ね。群れで人を襲う厄介者よ」スピカが低く呟く。
次の瞬間、彼女の額の宝石が強く輝き、光の矢が放たれた。矢は狼の群れの前に突き刺さり、地面を閃光と轟音が駆け抜ける。狼たちは驚いて足を止め、低く唸りながら後ずさりすると、やがて森の奥へと散っていった。
「す、すげぇ……魔法だ……!」悠真は目を見開いて声を漏らす。
「今さら驚くことかしら。幻獣や魔獣がいる世界で、魔法があるのは当然でしょう」
「いや、だって! 本当に生で見ると迫力あるなぁ。ああ、仕組みとか知りたいなぁ」
悠真の感想は恐怖よりも純粋な好奇心に満ちていた。
そして、鞄から一冊のノートを取り出すと、走り書きを始めた。
「……よし。後は実際に触れるチャンスを狙うだけだな」
「バカじゃないの!? 触るなってば!」スピカが即座にツッコミを入れる。
やがて馬車が止まり、中から中年の行商人らしき男が転げるように降りてきた。汗だくの顔で、深々と頭を下げる。
「た、助かった! まさか幻獣が力を貸してくださるとは……!」
その目はスピカへと注がれている。
「幻獣?」悠真は首を傾げた。「いや、スピカは猫だろ」
「なっ……! 本気で言っているのか、あんた」行商人は口を開けて固まった。「幻獣は人語を解する知的存在だ。俺みたいな人間が一生お目にかかれない存在だぞ。そんなカーバンクルが、どうして人のそばに……?」
悠真は肩をすくめる。
「たまたま一緒に歩いてるだけみたいだよ」
「たまたま、だと……? 幻獣が人に懐くなんて初めて聞いたぞ。魔獣と違って無闇に襲ってはこないが、こうして寄り添うなんて……信じられん」
行商人の言葉に悠真は「魔獣」という単語を拾って首を傾げる。
「魔獣って、さっきの狼みたいなやつ?」
「ああ。人を襲う本能を持った連中のことだ。害獣の延長みたいなもんだな。だが幻獣は違う。知性を持ち、人と意思を交わせる神秘の存在だ」
「ふーん……。俺からすると、どっちも動物って感じなんだけどなあ」悠真は無邪気に笑った。
その一言に、行商人は言葉を失い、スピカは呆れたようにため息を漏らす。
「悠真、ほんとに自分が何してるか分かってないのね」
だが悠真の瞳はきらきらと輝いていた。
――この世界には、まだまだ知らない生き物がたくさんいる。そう思うだけで、心が躍った。
行商人はしばらく二人を見つめた後、ふと我に返ったように声を掛けてきた。
「……おいあんた。よけりゃ街まで一緒に行かないか? 命の恩人に歩かせるのは気が引ける。馬車に乗ってくれ」
「いいのか? 助かるよ」悠真は満面の笑みを浮かべた。
こうして彼らは行商人の馬車に乗り込み、初めての街を目指して進むのだった。
────
馬車はのどかな林道を進んでいた。木々の隙間から差し込む日差しが、揺れる荷台の上にまだら模様を描いている。
悠真は座席の上で大きく背伸びをした。
「……こうして馬車に揺られてると、本格的に旅してるって感じだな」
悠真の呟きに、手綱を握る行商人が「はは」と笑った。
「旅どころか、この道は街へ続く幹道だ。人も物もここを通って行き来する。あんたも初めての街なら驚くぞ」
悠真は期待に目を輝かせ、視線を上へと上げた。
そこには――馬車の屋根の上で、すっかり寛いで眠っているスピカの姿があった。
丸まった小さな身体。額の宝石が日差しを受けて淡く輝き、尻尾が風にゆらゆら揺れている。猫らしい無防備さに、悠真は思わず笑みをこぼした。
「……猫だよな、やっぱり」
ぼそりと漏らした声に、屋根の上からぴくりと耳が動いた。だが、スピカは目を開けない。気持ちよさそうに小さな寝息を立て続けている。
行商人はちらりと屋根を見上げ、感慨深げに呟く。
「信じられねえ……幻獣が、あんなふうに人の馬車で昼寝するなんてよ」
「幻獣ってそんなに珍しいのか?」
「珍しいなんてもんじゃねえ。普通なら姿を見ることすらできん。冒険者なら別だが、いると分かってても森の奥に潜んでいて、人前に出るのを嫌う。……だから、あんたは本当に変わってるな」
「俺はただ、動物と話せたら楽しいなって思ってるだけだよ」悠真は肩をすくめ、空を見上げた。
抜けるように青い空。鳥の鳴き声もどこか聞いたことのない音色。馬車に揺られているだけで、自分が確かに異世界に来たのだと実感させられる。
それでも不思議と不安はなかった。むしろ胸の奥からじわじわと湧いてくるのは、これからどんな生き物に出会えるのかという、純粋な期待感だった。
「……新しいノート、街で買えるといいな」
ぽつりと呟く悠真に、スピカの尻尾がひとつ揺れた。眠っているはずなのに、まるで聞いているかのように。
馬車はゆっくりと林道を進み、やがて森を抜けて広大な平野へと差し掛かる。遠くの丘の向こうに、石壁に囲まれた街並みが小さく見え始めていた。
小高い丘を越えたとき、御者台に座っていた行商人が手綱を引きながら声を上げた。
「おう、見えてきたぞ。あれが――《ルーメンの街》だ」
悠真は目を凝らす。遠くに見えてきたのは、分厚い灰色の石壁に囲まれた街だった。
門の前には荷馬車や旅人たちが列を作り、のんびりした村とは比べものにならない賑わいを放っている。
「この辺りじゃ一番大きな街でね。街としては中くらいの規模だが、魔法の恩恵で栄えてる。石畳も敷かれてるし、そこそこ綺麗だろうさ」
行商人の説明を聞きながら、悠真の胸は高鳴った。
地球で見てきた都会よりはずっと素朴だが、どこか活気と独自の魅力がある。
「おおっ……! すごい! あれが街か!」
思わず声をあげる悠真に、スピカは馬車の屋根からちらりと視線を落とし、ふっと小さく笑みを浮かべた。
────
【観察記録・影狼】
・体長は大型犬ほど。漆黒の体毛。瞳は赤く光る。
・群れで行動。人や馬車を襲う。
・魔法に対して敏感に反応、閃光で退散。
・牙は鋭く、噛まれれば重傷。
・尻尾は意外とふさふさ。触ってみたい。




