17. 加護の記憶、寄り道の決意
日も高く、森へ向かうのにはちょうど良い時間だった。
悠真はスピカ、そして肩に乗ったアズールと共に、街道から森の奥へと足を進めていく。
「これから行くの?」
カバンからひょいと顔を出したスピカが、少し呆れたように言った。
「思い立ったら即行動!」
悠真は笑って答える。
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森に入ると、空気がひんやりとし、昼間なのに光が薄暗い。けれど不思議と怖さはなく、むしろ胸の奥が落ち着く。シルフィクスの加護のおかげだろうか。
「やっぱり、加護があるから道を迷わないみたいね」
スピカが小さく頷く。
悠真はその言葉に、心のどこかで納得した。森の奥に導かれるように歩く感覚があったからだ。
アズールは時折鳴き、羽を広げて森の木々の間を舞う。その姿は一回り大きくなった分、前よりずっと力強い。
やがて、前に訪れた神秘の湖が見えてくる。木々が開け、澄んだ湖面と中央の島、そして大樹が目に入った瞬間、悠真は自然と足を止めていた。
「……やっぱりすごい場所だな」
思わず呟く悠真の横で、スピカも神妙に頷く。
湖畔に足を踏み入れた瞬間、澄んだ空気を震わせるように声が響いた。
――来たか、共鳴者よ。
低くも柔らかな響き。顔を上げると、大樹の下に佇む巨大なシルフィクスが目を細めて悠真を見つめていた。
その瞬間、白い影が疾風のごとく飛んでくる。
「ぐほぉッ!? み、みぞおちぃ……!」
思わず前のめりに悶える悠真。お腹に抱きついたまま、モフモフと揺れているのは――チビシルフィクスだった。
「……お前、挨拶がこれかよ……」
苦しげに言いながらも、どこか嬉しそうに頭を撫でる悠真。
『幼子はよほどお主を気に入ったようだ』
親シルフィクスの声が、今度は優しい調べで響く。
悠真は息を整えながら、お腹にしがみついて離れないチビを抱き上げ、顔を近づけた。
「……そっか。俺も、お別れ言いに来たんだ」
悠真は腕に抱えたチビシルフィクスの毛並みを撫でながら、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば……シルフィクス。あの時も言ってましたよね。共鳴者って、結局なんなんですか?」
親シルフィクスは細めた瞳で悠真を見つめ、しばし沈黙する。湖面を渡る風が木々を揺らし、静寂が広がった。
『――自覚はなし、か』
その声音には、どこか含み笑いのような響きがあった。
『だがそれでよい。お主がそのまま歩んでいくならば、いずれ理解の時は訪れよう』
「えっ、いや、ちょっと待ってくださいよ。今聞いてるんですけど……」
悠真は困惑しつつ首をかしげるが、返ってきたのは短い言葉だった。
『そのうち、わかる』
それだけ告げると、親シルフィクスは何も言わなくなった。
悠真は頬をかきながら「……ぜんぜん答えになってないんだけど」とぼやき、腕の中で小さく鳴くチビシルフィクスを見やった。
「そうだ、俺たち……実はもうすぐ次の町へ行こうと思っているんです」
悠真がそう切り出すと、親シルフィクスは静かに頷いた。
『しばしの別れ、ということだな』
その視線が悠真の腕に抱かれた幼子に向けられる。
『お主のことをよほど気に入っているようだが――まだ学ぶことの多いこの子を旅に連れて行くわけにはいかぬ。いずれ、修行を終えた時にはまた会えるであろう』
「……そうですか」
幼子は名残惜しげに悠真の服を噛んでいたが、親の言葉を理解したかのようにしゅんと耳を伏せた。
『まぁ、遅くとも百年もあれば十分だ。その時には、よろしく頼むぞ』
「ひゃ、百年……?」
悠真は思わず乾いた笑いを漏らす。
「いや、そんな悠長な……俺、百年後にはもうポックリいってるかもしれませんよ」
その言葉に親シルフィクスは首を傾げ、きょとんとした表情を見せた。
『何を言っているのだ? 我が与えた加護を忘れたか。あれは、どのような病をも退けるもの』
「え、ええ……覚えてますけど……」
嫌な予感を覚えつつ悠真が確認する。
「まさか……老化って、病に入るんですか?」
親シルフィクスは当然のように答えた。
『無論だ。肉体の衰えも、病の一つに過ぎぬ』
「…………え、ちょ、えええええ!?」
悠真は思わず声を張り上げた。
横で聞いていたスピカが呆れ顔で「今ごろ気づいたの?」と肩をすくめる。
不老であるが、不死ではない――だからこそ油断はするな、とシルフィクスから念を押される。
悠真は真剣に頷いた。
その横で、ちびシルフィクスは名残惜しそうに耳を伏せ、きゅうんと鳴いた。
「……またな」
悠真がそう囁くと、幼子は一度だけ頬をすり寄せ、ふわりと羽ばたいて親の元へ戻っていった。
別れを惜しみつつ、悠真は「それじゃ、また来ます」と手を振り、森を後にしようとする。
だがその時、背後から低く、穏やかな声がかかった。
『――ひとつ、頼まれてはくれぬか』
振り返ると、親シルフィクスがゆるりと瞬きをしていた。
『次の街へ向かう途中、山脈を抜けるはずだ。そこに、我が友が眠っておる。寝坊助ゆえ、そなたの手で叩き起こしてきてほしいのだ』
「……え?」
悠真は一瞬ぽかんとしたが、すぐに肩をすくめて笑った。
「まぁ、そのくらいなら全然いいですよ」
シルフィクスは柔らかく目を細める。
『恩に着る。……ただし気をつけよ。我が友はドラゴンだ。起き抜けの寝相は少々、激しいゆえ』
「え? ドラゴ……ン……?」
悠真が言葉を反芻した瞬間、ふたたび強烈な風が吹き、目を開けたときには森の入口に立っていた。
「……ドラゴン……って、人食べる?」
呟く悠真の隣で、スピカが盛大にため息をついた。
「ばかね」
────
森を後にした悠真たちは、街へと戻った。
その後の数日は、ギルドで軽めの依頼をこなしつつ過ごした。薬草採取や護衛、時にはアズールが魔石を食べてしまわないように気をつけながらの戦闘もあり、充実した時間だった。
合間にライネ商会にも顔を出し、ガロルに「近いうちに街を発つつもりです」と伝えると、
「そうですか……お気をつけて。ですが、いつでもまた立ち寄ってください。歓迎いたしますよ」と穏やかに微笑まれた。
その言葉に悠真は頭を下げ、また縁が続くことを嬉しく思った。
宿ではスピカと旅支度を進め、アズールは相変わらず悠真の肩に飛び乗っては、以前よりもふっくらとした体で重みを感じさせる。
ノクスはというと、悠真が準備をしている間、外の厩舎で落ち着いた様子で待っていた。けれど悠真が顔を見せると、耳をピンと立てて嬉しそうにいなないた。その姿に悠真は思わず笑みをこぼす。
戦闘では頼もしい相棒だが、普段はどこか犬のように懐いてくる――そんなノクスの存在が、旅路を歩む心の支えになっていた。
そして――出立の朝。
街の石畳を歩きながら悠真は「さて、次の旅だ」と呟く。
目指すは断崖の風穴。
待ち受けるのは、シルフィクスの友であるドラゴンとの出会い。
胸の奥にほんの少しの不安と、大きな期待を抱えながら、悠真たちは街を後にした。




