15.共鳴者の加護
悠真たちを先導するように、シルフィクスが羽を小刻みに震わせながら飛び立つ。
森を進むにつれ、空気が澄んでいくのを感じた。木々の葉が朝露のように光を返し、鳥や虫の声すら消えていく。まるで世界が静寂そのものに包まれたようだった。
やがて視界がぱっと開ける。そこは森の奥にぽっかりと隠された神秘の庭のような場所だった。
澄みきった湖が広がり、その中央にはぽつんと小さな陸地。そして、陸地の真ん中に根を張る一本の巨木。まるで天を突くかのようなその木は、枝に無数の光の粒を宿しているようで、風が吹くたびにきらめいた。
「……すご……」
悠真は思わず息を呑んだ。
シルフィクスが「きゅる」と鳴きながら、その巨木の根元へ舞い降りる。そこには、まるで守護者のように眠る存在がいた。
──大きい。
姿かたちは一緒にいたシルフィクスと同じ、だがその威容は桁違いだった。狐の体に大きな羽根を持ち、全身を銀色の毛並みで包まれている。光の粒をまとった毛は風にふわりとなびき、まるで夜空の星を抱え込んだように輝いていた。
やがて、その巨体がゆっくりと動く。
瞼が上がり、瞳が悠真たちを見据えた。湖面に映るその目は、淡く青白い光をたたえていた。
悠真は喉を鳴らした。
「……シルフィクスの親……?」
隣でスピカも珍しく声を潜める。
「……間違いないわね。成体のシルフィクス……こんなの、書物でもめったに記されない幻獣よ」
ノクスが静かにいななき、アズールは肩の上で小さく羽を震わせる。
親シルフィクスは子に視線を落とし、それから悠真たちへと再び目を移した。その瞳には、敵意も怒りもなく──ただ、静かな威厳があった。
シルフィクスの親はゆるりと身を起こし、巨体を揺らして立ち上がった。
その姿は、木々よりもなお大きく、悠真は思わずごくりと息を飲む。
そして──湖の縁に差しかかったかと思うと、巨体は迷うことなく水面へと踏み出した。
だが沈むことはなく、湖の水がまるで固い地面であるかのように、その足をしっかりと支える。
一歩、また一歩。揺れる水面に小さな波紋が広がり、そのたびに淡い光がきらめいて夜空の星のように散っていく。
まるで神話の光景だった。
悠真は目を奪われ、立ちすくむ。
「……水の上を……歩いてる……」
近づくにつれ、その存在感に圧倒される。
見上げるほど巨大なシルフィクスは湖を渡りきり、悠真たちのすぐ前で静かに立ち止まった。
巨体を少しだけかがめ、顔を近づけると──
『幼子を守ってくれたこと、心より感謝する』
直接、頭の中に響く声。低く、それでいて優しい。
悠真はその威容に圧され、言葉を失った。
「い、いま……頭の中に……」
「念話よ」
スピカが静かに囁いた。
「人間に伝えるほどの力を持つ幻獣なんて、そうそういないわ……この森の主かしらね」
シルフィクスの親は、悠真の動揺を知ってか知らずか、穏やかなまなざしで見つめ続ける。
子シルフィクスはその大きな前足のそばで寄り添い、安心したように羽を畳んでいた。
悠真は一瞬迷ったが、深呼吸をして頭を下げた。
「……俺たちは、偶然見つけただけです。無事に返せてよかった」
言葉にすると、胸の奥に少し温かいものが灯った。
すると──親シルフィクスの瞳がわずかに細められ、淡い光が一層強まった。
悠真の胸の奥に、再び響く声。
『誠実なる心……その心を忘れぬならば、道はおのずと開かれる』
まるで祝福のような響きに、悠真は返す言葉を失った。
そのとき、親シルフィクスの翼がゆるりと広がり、周囲の光の粒が舞い上がった。湖面に反射した光が森全体を照らし、幻想的な輝きに包まれる。
巨大なシルフィクスは悠真たちをしばし見下ろすようにしていたが、やがて静かに目を細めた。
その体から柔らかな光が溢れ、悠真の胸の奥へと流れ込んでいく。
『その心根に報いよう。汝に加護を。いかなる病も、その身を侵すことはない』
温かな光が全身を包み、悠真は思わず息を呑んだ。
身体の奥深くまで清浄な力が染みわたり、どこか懐かしい安心感に包まれる。
隣で見ていたスピカが、ぽつりと呟いた。
「……これが、神格化された幻獣の力……」
その声には驚きと畏敬が入り混じっていた。
親シルフィクスは再び幼子を見やり、そして悠真たちへと目を戻した。
『若き〈共鳴者〉よ。──また相見えるときを楽しみに待つ』
意味深な言葉を残し、巨大な翼がゆったりと広がる。
羽ばたいた瞬間、嵐のような風が巻き起こり、悠真たちは思わず目を閉じた。
視界を閉ざすほどの烈風が一瞬で森を満たし、髪も衣も乱される。
そして──風が収まり、恐る恐る目を開けたとき。
悠真たちは、いつの間にか森の入口に立っていた。
背後に広がるはずの神秘の湖も、巨木も、巨大な幻獣の影も、もうどこにもなかった。
森の入口に立った悠真は、しばし呆然と立ち尽くした。
さきほどまでの出来事──巨大なシルフィクスとの邂逅、頭に響いた声、そして授けられた加護。あまりに現実離れした体験が、まるで濃密な夢のように思えて仕方がない。
悠真は手のひらに拳をポンと合わせ、「……夢か」とぽつりと口にする。
「そんなわけないでしょ!」
すかさずスピカがツッコミを入れ、呆れたようにじとりと睨む。
「そうだよなぁ……」と悠真は頭をかきながら考えるそぶりを見せたが、その瞳にはどこかまだ信じきれない迷いが残っていた。
ふと、先ほどの声が脳裏に甦る。
――若き共鳴者よ。
「……そういえば、“共鳴者”ってなんだ?」
独り言のように呟くと、スピカが肩をすくめて返した。
「知らないわよ。気になるなら、また聞きに行けば?」
その軽い返答に苦笑する悠真の背後から、静かな気配が近づいた。
振り向けば、ノクスが霧をまといながら歩み寄ってきている。巨大な黒い獣は、そっと顔を悠真の肩に擦り寄せ、細めた瞳に穏やかな光を宿していた。
「……まぁ、いいか。そのうちわかるさ」
悠真はノクスの頭を撫で、そう呑気に言って笑みを浮かべた。
やがてノクスの背に跨り、スピカ、アズールと共に街へと戻る。
夕暮れの光が森を赤く染め、その背中を照らしていた。
────
街へ戻った悠真たちは、宿へ向かう前にギルドへ足を運んだ。
まずは薬草採取の依頼の報告だ。袋に詰めた薬草を受付へ差し出すと、受付の女性は丁寧に確認し、すぐに報酬の手続きを始めた。
「確かに受け取りました。依頼はこれで完了です。お疲れさまでした」
安堵の息を吐いた悠真は、ふとポケットに手をやり、思い出したように尋ねた。
「えっと……依頼とは別なんですけど、ダンジョンで魔石を手に入れて。ギルドで買い取ってもらえるんですか?」
「魔石の買取ですか? はい、可能ですよ」
受付の女性はにこやかに応じた。
悠真は「じゃあ……」と魔法袋を開け、ずしりと重い魔石を取り出す。
ドン、とカウンターの上に置かれたそれを見て、女性は一瞬固まった。
人の頭ほどもある巨大な魔石。常識的に考えて、Eランクの冒険者が持ち帰るにはあまりに不釣り合いだ。
「……っ!」
驚きが表情に走ったが、受付嬢はすぐに慌てて取り繕い、笑顔を作った。
「失礼しました。こちらの処理には少しお時間をいただく必要がございます。正式な鑑定と査定を行い、買い取り額を決定いたしますので……できれば明日以降に、再度いらしていただけますか?」
「あ、はい。わかりました」
悠真は軽く頭を下げて魔石を預け、ギルドを後にした。
スピカは横で「……あの受付、ちょっと慌ててたわね」と呟き、ノクスは無言で悠真の背後に寄り添っていた。
こうして今日のところは、街の賑わいの中へと歩みを戻していった。




