13.暗きダンジョンのその先で
湿った石の匂いと、底の知れない闇の気配。足を踏み入れて間もなく、悠真の肩に止まっていたアズールが急に羽をばたつかせ、短く鋭く鳴いた。
「アズール?」
その声と同時に、スピカが素早く前に出る。
ほとんど反射的に呪文を紡ぐと、閃光の矢が闇を切り裂いた。
ギャアアッ!
しかし、次の瞬間――その死体がゆらりと揺れ、音もなく崩れ去った。
まるで存在そのものが溶けるように霧散し、残されたのは拳大の透明な結晶だった。
「な、消えた……!?」
驚く悠真に、スピカは冷静に言う。
「ダンジョンの魔獣は、外の魔獣とは根本的に異なる存在なの。死体は残らず、こうして“魔石”だけを落とすわ」
「……魔石?」
「魔力が凝縮された結晶。換金できるし、道具や魔術の材料にもなる。ダンジョンが人を惹きつける理由のひとつね」
悠真は恐る恐る魔石を拾い上げ、光にかざしてみる。
「へえ……綺麗だな。宝石みたいだ」
その時だった。
悠真の肩から飛び降りたアズールが、ぴょんと跳ねて魔石に近づくと――自分の体ほどもあるそれを、ためらいなく丸呑みにしてしまった。
「ア、アズール!?」
悠真の声がダンジョンの空気を震わせた。
スピカは目を丸くし、次の瞬間、頭を抱えた。
「……やっぱり普通の小鳥じゃないわね、あの子」
暗い石の回廊を進むと、またしても影が揺れた。
牙を剥いて飛びかかってきたのは、大きな蝙蝠のような魔獣だ。翼を広げ、不快な鳴き声を上げる。
「来るわよ!」
スピカが手を掲げると、放たれた氷の矢が一直線に走り、魔獣を撃ち抜く。悲鳴が響き、魔獣は霧散して魔石を残した。
悠真はその様子をじっと見つめながら、思わず口を開いた。
「スピカ、魔法って……どうやって使うんだ?」
唐突な問いに、スピカは怪訝そうに眉をひそめる。
「どうって……魔力を形にするだけよ。属性ごとの“型”があって、それに魔力を流し込むの。簡単に言えば、そういうもの」
「型……」
悠真は真剣な顔で頷いた。
スピカは一瞬迷ったが、ため息をついて言った。
「……まあいいわ、ちょっと試してみる? 水の魔法なら危なくないし」
「お、おう!」
悠真は手を前に突き出し、スピカの説明どおりに意識を集中させる。水を思い浮かべ、流れをイメージし、魔力を通す――。
――次の瞬間。
轟ッ!!!
爆風が狭い回廊を揺らし、眩しい閃光が弾け飛んだ。
「な、なにっ!?」
悠真は目を見開き、爆発の衝撃で尻餅をつく。
寸前でスピカが結界を張っていたため、怪我はなかった。しかし彼女の顔は青ざめ、そして直後に赤く染まった。
「ちょっと! なんで“水の魔法”で爆発が起きるのよ!?」
悠真は固まったまま口をパクパクさせ、ようやく声を絞り出す。
「……ま、魔法って、こわ……もう、当分使わない……」
その情けないつぶやきに、スピカは頭を抱えて深いため息をついた。
すると突然アズールが甲高く鳴き、闇の奥へと舞い飛んだ。
「おい、待てって!」
悠真は慌てて駆け出し、スピカも渋々ついてくる。
曲がりくねった通路の先、苔むした空間の片隅で、白銀の毛並みを持つ小さな狐が縮こまっていた。背には薄い羽が二枚、震えるようにたたまれている。
「いたわ」
スピカが小声で呟く。
怯えた瞳がこちらを見上げ、ひゅん、と鼻を鳴らした。
震えているシルフィクスをそっと抱き上げると、その小さな体は驚くほど軽く、羽根は今にも折れてしまいそうに脆く感じられた。
「大丈夫だよ……外に出たら、もう怖い思いはさせないから」
悠真は囁くように声をかける。シルフィクスは小さく鳴いて、弱々しくも胸元に身を寄せた。
「さ、帰ろう。こいつを外に出してやらなきゃ」
すっかり帰る気満々の悠真に、スピカが腰に手を当てて首を振った。
「ちょっと待ちなさい。せっかくここまで来たんだから……もう少しだけ進んでみない?」
「えっ……いやいやいや、危ないだろ? 俺はさっさと外に――」
「いいから」
スピカは目を逸らしながら、珍しくもじもじしている。
「……なんでそんなにダンジョン行きたがるんだよ」
悠真が怪訝そうに尋ねると、スピカはしばし唇を噛み、俯いたまま小声で呟いた。
「……だって……」
「ん? なんだって?」
聞き返すと、スピカは顔を真っ赤にして、今度ははっきりと叫んだ。
「ダンジョンの宝箱から出る宝石がほしいのよっ!」
思わずシルフィクスもびくっとして、悠真の胸元で羽を震わせる。
「……宝石? そんな理由……」
呆気に取られる悠真をよそに、スピカはさらに小さな声で続けた。
「……カーバンクルって、宝石を集めるのが……本能みたいなものだから……」
耳まで赤くしているスピカの姿に、悠真はぽかんと口を開け――やがて苦笑し、シルフィクスの背を撫でながら肩をすくめた。
「……はぁ。分かったよ。ちょっとだけだぞ」
結局、スピカの赤い瞳に根負けした悠真は、深いため息を吐いた。
「ほんと……ちょっとだけだからな。すぐ引き返すぞ」
「分かってるわよ!」
スピカは嬉しそうに耳を揺らしながら進むその後ろ姿に、悠真は苦笑する。
シルフィクスを胸に抱きしめながら、奥へと慎重に進む。ノクスは大きな体を低く構え、警戒するように鼻をひくつかせ、アズールは羽を震わせながら先導するように飛んでいた。
やがて、通路の先にかすかな光が見えた。
「……あれは?」
近づくと、そこは小さな広間になっており、中央に石造りの台座。その上には、ぽつんと置かれた古びた宝箱があった。
「きたぁぁ……!」
スピカがぱあっと顔を輝かせる。
「おいおい……いかにも怪しいだろこれ。罠とか仕掛けられてそうだぞ」
悠真は眉をひそめるが、スピカはすでに尻尾をわくわくと揺らしながら箱に近づこうとしている。
その瞬間――。
奥の闇から、低く唸る音が響いた。
「……っ!」
悠真が反射的に身構えると、光に照らされて姿を現したのは、巨大な牙を持つ四足の魔獣だった。体表には黒い瘴気のようなものがまとわりつき、ただの動物ではないことは一目で分かる。
「……やっぱり出るのね」
スピカが小さく呟き、赤い瞳を細めた。
「まさか……宝箱、守ってるってやつか?」
悠真の問いに、スピカはにやりと笑う。
「そういうこと。さあ、どうするの? 帰る? 戦う?」
悠真はスピカと目を合わせてゆっくり頷く。
「よし、帰ろう」
悠真は迷わずきびすを返し、出口の方へ足を向けた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
慌ててスピカが飛び出して腕を広げる。赤い瞳を見開き、必死に制止した。
「せっかくここまで来たのに! あんなやつ、私とノクスで楽勝よ!」
悠真は怪訝な顔をしてしばし魔獣とスピカを見比べ、それから肩をすくめて岩陰へと歩き出す。
「……じゃあよろしく。俺はこっちでシルフィクスをモフりながら応援してるから」
そう言って岩に腰を下ろし、気楽そうに手をひらひらと振った。
スピカの口がぽかんと開く。
「はぁ!? 言い出したのは私だけど……ここは一緒に戦おう!ってなる流れじゃないの!?」
「いやいや、俺、戦闘の素人だし……」
悠真が苦笑いを浮かべると、スピカは頭を抱えて大きなため息をついた。
「ほんっとにもう……呆れるわ」
そうぼやきながらも、彼女の尾はふわりと広がり、赤い瞳に鋭い光が宿る。ノクスも唸り声をあげ、闇の中で牙を光らせる。
「――いいわ。だったら、見てなさい。私たちがどれだけやれるか」
そう言った瞬間、魔獣が地を蹴り、低い咆哮をあげて突進してきた。




