5.筋肉と小さき令嬢
「……その、助けてくださり……ありがとうございました……」
彼女はぺこりと小さく頭を下げたが、表情はまだ少し硬い。
気が抜けたからといって、完全に緊張が解けたわけではなさそうだ。
「わたくし、リリィ・フェザースノウと申します。あなたのお名前、聞いても?」
「……アメリア……アメリア・ローゼンクロイツです。きょ、今日はエスコートしてくれる人がいなくて。一人で庭園にいたら、その人が話しかけてきて……怖くて断れなくて……」
先ほどのやり取りを思い出したのか、震える声で言葉を選びながら語る彼女。
その視線の先には、生垣から引きずり出されたままぐったりしている令息。
「……最初は誰かの付き添いかと思ったんです。でも、違ってて……」
声が掠れそうになるが、それでも必死に伝えようと彼女は話し続ける。
「強引に『今日は俺が君の相手役をかって出てやる』なんて言って、ずっとそばを離れなかったんです……。気がつけば周りには誰もいなくて。警備の人の姿も見えず……本当に怖くて……」
その言葉に、リリィの表情がわずかに引き締まる。
「……そう。たしかに、このあたりは人の目が届きにくいものね」
リリィは静かに庭園を見渡した。
煌びやかなドレスや笑い声が集まる会場とは違い、この裏手の庭は飾りの陰や生垣が視界を遮り、死角も多い。
「会場や正門には警備が集中するから……必然的にこういう場所は手薄になってしまう。これは考えものですわね……」
リリィの瞳が一瞬だけ、王宮の建物を鋭く見つめる。
(争乱からまだ一年。復興は順調でも、警備体制の見直しまでは手が回っていないのね。志願兵も不足気味……采配を誤れば、大きな穴が空くことになりますわ)
だが、それは今考えるべきことではない——。
すぐにリリィは表情を戻し、アメリアに優しく語りかける。
「でも、もう大丈夫よ。あなたが無事だったことがいちばん大事」
「……っ、はい……」
アメリアは小さく頷くが、その手はまだ微かに震えている。
「ねぇ……よければ、わたくしと一緒に会場へ向かいませんこと?」
リリィの優しい誘いに、アメリアの目が大きく見開かれる。
「えっ!でっ、でも、私……その、エスコートの方がいなくて……」
アメリアが不安そうに目を伏せると、リリィはふっと微笑んだ。
「気にしなくてもいいのよ。実はわたくしも、今日はエスコートがいないのですわ」
「……えっ?」
「せっかくのデビュタントなのに、お父様がおっしゃったのよ。豪快に笑いながら『お前は一人でも堂々としてるから大丈夫だな!』だなんていうんですもの」
そう言ってリリィが苦笑を浮かべる。凛とした彼女にもそんな事情があるのかと思うと、アメリアの口元がふっと緩んだ。
小さな笑い——けれど確かに、それは「安心」という名の芽吹きだった。
「お互いにパートナーはいないようですし、一緒に向かいましょうか。もう、式典は始まっているはずですもの。二人でなら、きっと心強いですわ」
どう見てもリリィなら一人でも臆することなく会場へと歩を進めるだろう。けれど、彼女がくれたそのひと言が、アメリアの胸の奥を優しくくすぐった。
「そう……ですね。お願いします」
お互いに微笑み合ってから、二人は並んで会場へと向かって歩きだした。
デビュタント編の区切りまで毎日更新にしました