宮廷女医
「矢と短剣が刺さった……ん?刺さらなかった?」
医務室を訪問してきた二人を迎えてくれた宮廷女医——オリィ・フェンデルは困惑したようにリリィの言葉を繰り返した。
「うん。まぁ……とにかく、椅子に座って背中を見せて。カイゼル殿下は診察中は後ろを向いていてくださいね」
「ああ、わかっている」
カイゼルは即座に背を向けた。
「では、失礼いたしま——」
そう言いかけ、椅子に腰掛ける寸前でリリィはぴたりと動きを止めた。
「オリィ様、申し訳ありませんが立ったまま診察でもよろしいでしょうか?」
「……ん?なんで?」
「わたくし、普通の椅子ですと壊してしまいますので……」
その場で軽く椅子を持ち上げてみせる。木の軋む音がした瞬間、オリィは「ああ、うん……」と理解したように頷いた。
「じゃあ、そのままで診察を行おうか」
「お心遣いに感謝いたしますわ」
早速、目視と触診で体全体を満遍なく確認していく。
オリィは目の前に広がる腹部を見つめ、小さく息を呑んだ。
(ドレス越しに薄っすらと見えてはいたが……見事なシックスパックだな)
視線を動かし、傷がないか確認していく。
「うーん……ドレスは破れているけど、腹部は切れてないみたいだ。次は、背中ね」
その言葉に従い、リリィは体の向きを反転させて背中を見せる。
(これは、令嬢——というより鎧を纏った騎士の背中だな。均等に鍛え上げられた筋肉たち……並大抵の努力なしでは得られない代物じゃないか?)
「うーん……なんかちょっと赤くなってる?でも傷は見当たらないな……」
「それは、かゆくて掻いた跡ですわ」
「……掻いた?」
「ええ、矢が当たりましたので……」
リリィはさも当たり前のように、さらりと答える。
「いや、ちょっと待って——普通、矢が当たったら刺さるからね?」
「……そうですの?わたくし、刺さった経験がございませんので……」
リリィは不思議そうに首を傾げた。
「しかし、矢の次は短剣で襲われるとは……まったく、矢だけに矢継ぎ早とはこのことですわ」
オリィは「何言ってんだか」と呆れたようにリリィの背中を手のひらで軽く叩いた。
(襲われただって?街で……それとも王宮内か?)
自然とオリィの中で、幾多の疑問が湧き上がる。だが、すぐさまそれらを振り払うように小さく深呼吸をした。
(まぁ、どんな理由にせよ——私は来た人を治療するだけ)
椅子に腰を下ろし、カルテに結果を書き込んでいく。
「ええと……診断結果、異常なし。赤い掻き跡のみ。カイゼル殿下、もうこちらを向いていただいて結構ですよ」
「本当に、怪我はないんだな?」
振り向いたカイゼルが念を押すようにオリィに確認を取る。
彼の声はいまだに硬い。
「……ええ、そうですよ。カイゼル殿下、少しは落ち着いてください」
オリィは呆れたようにカイゼルを見遣った。
「そうか……それはよかった」
カイゼルは愁眉を開き、安堵の息をついた。
「あまり長居するのもご迷惑ですので、わたくしたちはそろそろ……」
リリィの言葉に賛同してカイゼルも頷いた。
「それでは、オリィ様。お手数をおかけいたしましたわ」
「はいはい、お大事に」
オリィはひらひらと手を振りながら彼女たちを見送る。
扉がパタリと閉まり、二人が去ったのを確認したオリィは机に向かい直した。
「はぁ……やれやれ。そりゃあ、あの令嬢には物理法則も匙投げるわ」
静かになった医務室にオリィの呆れた声だけが響いていった。
また次回
毎日が、筋曜日!




