迫り来る魔の手
褒章の儀で進言した新たな政策が、カイゼルの先導により着々と動きが見え始めた頃——同時進行で王宮内の死角の確認や、修繕も始まっている。
リリィはカイゼルとその護衛とともに進捗の確認をして回っていた。
回廊を抜け、中庭へ足を踏み入れた瞬間——。
穏やかな景色とは裏腹に、どこか張り詰めた気配が漂っていた。
風が止み、鳥の囀りもない。
異様な静けさの中で、リリィの感覚が鋭く研ぎ澄まされる。
(……おかしいですわね。いつもより空気が重い)
普段の景色と照らし合わせるように視線を巡らせ、細部まで見逃すまいと中庭を見回す。
「ひび割れていた壁の修繕も滞りなく進んでいるようだな」
「……ええ」
わずかに硬い返事。
それに気づいたカイゼルが足を止め、彼女の横顔を見つめる。
リリィの眼差しは、まるで獲物を射抜く猛禽類のように鋭かった。
「カイゼル殿下、あちらのバルコニーも改装のご予定が?」
「……バルコニー?」
カイゼルは眉を寄せ、リリィの視線の先を追った。
東棟の屋上にある清掃用の小さなバルコニー——いつの間にか新しい足場と手すりが組まれ、人が出入りできる状態になっていた。
「そんな報告書……上がってきていたか?」
カイゼルがその一言を口にした途端——足場の隙間で何かが閃き、空気が裂けた。
光が飛来した瞬間、護衛たちが反応する間もなく、リリィが先に動いた。
カイゼルを抱き寄せ、その背で衝撃を受け止める。
鈍い衝突音の直後、リリィの顔に苦悶の表情が広がった。
「……ぐっ!」
「リリィ嬢!!」
「……カイゼル殿下、わたくしは大丈夫ですわ」
「——だが!」
カイゼルの耳に届いた声はかすかに震えていた。
地面にカランと何かが転がった音が響き渡る。
緩められた腕から少し離れると、カイゼルはすぐさまリリィの後ろに落ちている物を一瞥し、息を呑んだ。
「矢……だと?」
カイゼルの目が大きく見開かれ、切迫した表情へと変わる。顔を上げると、リリィは変わらず苦虫を噛み潰したかのような表情のまま——。
「かっ……」
「かっ?痛むのか!?」
「かゆいですわ!!」
一瞬、何を言われたのか理解できず、カイゼルは瞬きを繰り返した。
「これほどまでに頼りのない矢、初めてですわ!」
リリィの声は静かに怒りを孕んでいた。
背中を掻きながら少しムッとした顔で振り返り、素早く矢を拾い上げる。
(方角は、さきほどのバルコニー。足元を隠すように板を打ちつけていたのは……このためね。敵の人数は一人。たった一人で来るなんて……相当な手練れですわ)
矢を握りしめたリリィは、その場で静かに息を吸い、右腕をぐっと引いた。
しなやかな筋肉が長袖の下で盛り上がり、空気が張り詰める——狙いを定め、槍投げの姿勢から風を切る鋭い一閃。
リリィが放った矢は一直線にバルコニーを的確に捉えていた。
足元を隠す板と板の間。そこにすっと何者かの影が一瞬、覗き込んだ——その瞬間。
狙い澄ました場所から「ギャァァァ!!」という断末魔が響いたのを確認したリリィは、再びカイゼルへと向き直った。
「カイゼル殿下、お怪我はありませんか?」
「あっ、ああ……。俺はなんとも……それよりも、背中は!」
「大丈夫ですわ。血も出ておりませんし、何より——わたくし自慢の筋肉が遮ってくれましたわ」
「とにかく、医務室に向かおう!」
カイゼルは居ても立ってもいられず、リリィの腕を両手で取る。カイゼルの手は微かに震えていた。
彼を落ち着かせようと、リリィは優しい声音でカイゼルに声をかけた。
「カイゼル殿下、わたくしは大——」
「俺が、心配なんだ」
遮った言葉は熱を帯びていた
その熱に押され、リリィは思わず息を呑む。
「いこう」
短く、それだけを言って——カイゼルは彼女の腕を強く引いた。
また次回
毎日が筋曜日!




