3.一閃、紅玉の拳
リリィの視線の先では、奥側に令嬢が一人。手前側には令息が立ち、押し問答を繰り広げていた。
彼は彼女の腕をぐっと掴んだまま、強引に引き寄せようとしている。
必死に振りほどこうとするたび、亜麻色の髪が乱れ、濃い茶色の瞳が不安げに揺れる。
「何をしているのです?」
静かに割って入るようなその声に、二人の動きがピタリと止まる。
令息は掴んだ腕を離さぬまま、僅かに体をこちらへ向けるように振り返った。
その視線がゆっくりと上がっていく。
彼の目に映ったのは、見上げるほどの背丈。陽光を受けて輝く紅玉色の髪。ドレスの上からでもわかるほどの鍛え上げられた肉体の輪郭。
そして、凛とした薄紫色の瞳。
「……うわっ、なんだお前!でっか!……女……か?」
「さきほどから気になっていましたが、随分とレディに対して無礼ですわね」
リリィの眉がピクリと動く。
彼女は一歩、踏み出した。
その足取りは優雅でありながらも、地を割るほどの威圧を孕んでいる。
令息は目の前のリリィを理解しようと戸惑い、半歩ほど後ずさったが——やはり、何も理解することができなかった。
「……おっ、お前には関係ないだろ!!……俺は彼女をエスコートするために、ここにいるんだ!!」
令息は怯みながらも、腕を掴む力を強めた。
「……痛っ!ちがっ……違います!!︎この方とは知り合いではありません!!」
腕を掴まれている令嬢は痛みに顔を歪ませながらも必死に反論する。
「チッ!お前は、黙っていろ!!」
彼の怒鳴り声に令嬢がビクッと肩を揺らした。
彼女の目元には涙が薄っすらと溜まり、体は小刻みに震えていた。
リリィはそんな二人の表情と行動をじっくりと観察してから判断を下した。
「……どうやら、そちらのご令嬢の方が仰っていることは本当のようですわ。あなた、その手を離しなさい」
凜としたリリィの声が令息を諌める。
リリィは令嬢の腕を掴むその手を無理なく、しかし確実に外そうと手を伸ばした。
「わっ、わかったよ、お前こそ離せって……!」
「忠告いたしますわ。これ以上、品位のない真似をなさるのなら容赦はいたしませんよ」
纏うオーラの圧を強めたリリィの声に令息は渋々ながらに掴んでいた手を放した。
「チッ、しょうがねぇなぁ……。ほらっ、手を離しただろ?約束は守った。これ以上は、お前には関係ないだろ。︎さっさとどっかに行け!」
ぶつくさと文句を言いながら、令息は完全にリリィの方へと体を向ける。そして、まるで彼女を敵と見做すかのように睨みつけた。
「いいえ。この場を去るのは、あなたの方ですわ」
リリィは彼を見下ろしながらキッパリと言い放つ。
「何度言わせるんだ!俺は、彼女をエスコートするっていってるだろ!!」
「まだ、そのようなことを仰るのですか。あなた方は赤の他人。では、あなたがエスコートする理由はどこにもありませんわ。そうでしょう?」
リリィの正論に彼は一瞬——喉をグッと詰まらせたが、素早く彼女に反論する。
「エスコートしてくれる相手がいないんだったら俺が誘ってやっても別にいい——」
「わたくし、忠告はいたしましたからね?」
令息が言葉を紡ぎ切る前にリリィは鋭く言葉を被せるように告げた。
ゆっくりとリリィの手が、握りこぶしへと変わる。
その動作はまるで静かな嵐の前触れのように、周囲の空気を張り詰めさせた。
一閃の鋭い拳が空気を裂き、令息の腹部を下から突き上げる。
その一撃は乾いた音を伴って彼を的確に捉えた。
「ぐぇっ……!」
カエルが潰れた時のような声をもらしながら彼の体が令嬢の頭上を越える。
それは美しい曲線を描き、空中を舞う。
その体はバサッと派手な音を立てて——見事に生垣の中へ頭から突っ込んでいった。
正義の拳ですわ
次回も、楽しみに!
毎日が、筋曜日!