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痛む胸

湿り気を帯びた夜風が頬を撫で、意識が引き戻されていく。


地面に拾った石で低い囲いを作り、そこに火口と焚き付けを仕込んでから細枝を組む。


すべてを整え、火打ち石を打つ。乾いた音とともに、閃火がひらめいた。


微かな光源が灯る。リリィは身を屈め、ゆっくりと息を吹きかけた。


赤い点はじわり、じわりと周りに燃え広がっていく。

その様子を見つめながら油布に腰を下ろし、薪を足していった。


焚き火の揺れる光がリリィの横顔を断続的に照らす。


炎が強まるたび、白い頬に赤みが差し、弱まると睫毛の影だけが静かに落ちた。


定まることのない揺らぎが、リリィの胸の内を映し出しているかのようだった。


「カイゼル殿下にもご心配をおかけてしまいましたわ……」


リリィは岩陰の入り口を見遣る。森の中は暗闇に覆われ、微かに獣たちの気配を感じた。


煙の香りに、まだ濡れていない土の匂いが混じる。


(——あの時も、雨でしたわね)


必死に引き留めようとするカイゼルの表情が目に浮かび、リリィは無意識に胸元をぎゅっと握りしめた。


それは王妃指導の後、カイゼルと並んで廊下を進んでいる時のことだった。


珍しく、リリィは何度も窓の外へ視線を向けていた。空に灰色の雲が広がり、今にも雨が降りだしそうだった。


『天気を……少し、読み違えたかもしれませんわ』


彼女らしからぬ曖昧な言葉に、カイゼルは眉をひそめる。


『なら、今日は王宮内で過ごしたらどうだ。また、書庫にでも向かおうか?』

『お気遣いなく。わたくしは、そろそろ帰ることにいたしますわ』


ふわりといつもの微笑みで返されたが、逆にその応答がカイゼルの心の中をざらりと撫でた。


(……帰る? この天候で?)


カイゼルが眉間の皺をさらに深めた瞬間——低い雷鳴に窓が震えた。


続く閃光が窓を白く染め、リリィの肩が小さく跳ねる。


『……っ!』


リリィが思わず息を呑む。手の先が、かすかに震えていた。


カイゼルはそっと手首を掴み、引き寄せようとした。


『雷が激しくなる前に、室内へ——』


その瞬間だった。


一気に全身に血が巡り、身体が熱くなる。

薄紫色の瞳が紅く染まっていく。


空気が張り詰める。

床の細かな埃がふわりと舞い上がり、廊下の温度がわずかに下がった。


『……っ!? リリィ、それ……魔力暴走じゃないか?』

『……え?』


ほんの一秒、リリィは呆然と目を見開いた。

そして、すぐに視線を伏せる。


『申し訳ありません……わたくし、失礼いたしますわ』

『待ってくれ! こんな状態で外に——』

『大丈夫ですわ。雨が強まる前に走れば……迷惑はかけられませんもの』


“迷惑はかけられない”

その言葉がカイゼルの胸を鋭く刺した。


『リリィ!』


呼び止める声を背に、リリィはドレスの裾を握り、廊下を足早に進んだ。


門前を目指すリリィに幾人もの使用人が声をかけようとしたが、彼女はそれを巧みにかわしていく。


外に出た瞬間、雨の粒が頬を打った。



『……大丈夫。大丈夫ですわ……』


リリィは自分に言い聞かせるように呟き、石畳を蹴って駆けだした。


風が顔を切り裂き、雨が髪に貼りついていく。


それでも止まれない。

胸の奥が痛いほど脈打つ。


あれが本当に魔力暴走だとしたら——カイゼルに、王宮に、被害が出るかもしれない。


『大丈夫……大丈夫……っ』


息が乱れ、視界が雨で滲む。


雷鳴が轟くたび、心臓が跳ね、走る脚がわずかに揺れる。


だけど止まるわけにはいかなかった。

怖いからじゃない。逃げたいからじゃない。


——彼にだけは、決して迷惑をかけたくないから。


リリィは額についた水滴を拭いもせず、ひたすらフェザースノウ邸へ向けて駆け抜けていった。

また次回

毎日が筋曜日!

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