黒いもやのような感情
(ああ、そういえば……)
ソファへと座り、資料に視線を落としていたディーンはちらりと部屋の奥へ顔を向けた。
そこではカイゼルが執務机に向かい、机上に積まれた公文書を一つずつ黙々と捌いていた。
「……どうかしたか?」
「報告書には明記されていませんでしたが……」
そう区切り、ほんの少し逡巡する素振りをみせてから、ディーンは語り出した。
「リリィ様がグレイン元長官を問い詰めた際、片手を壁について至近距離で自白を迫ったらしいと小耳に挟——って、ちょっとどこへ行くんですか、仕事は!?」
「後回しだ!」
しまった、と自分がカイゼルの地雷を踏んでしまったと気づいた瞬間には、時すでに遅し。
勢いよく席を立ったカイゼルは彼の後ろを足早に通り過ぎ、扉を開けて廊下へと出ていっていた。
「ちょっと!これ、今すぐ判が必要なんですよー!?」
「帰ってきたらな」
扉が閉まる寸前、ディーンはカイゼルの返事を聞きながらやってしまったとばかりに天を仰いだ。
そんな彼を部屋に残し、カイゼルは脇目も振らずに歩いていく。
(今日もリリィは訓練場か……)
カイゼルの脳裏で、凛としたリリィがグレインへと少しずつ距離を詰めていく。見事に鍛え上げられた腕で彼を壁へと追いやる。
彼女はグレインを問い詰めるためだけにその動作をした。深い意味は何もないと、頭の中では理解できる。だが——。
(……こんなにも、不愉快なものだとは思わなかったな)
胸の中に黒いもやのような感情がじわり、じわりと広がっていく。
王族として節度を保つべきだと分かっていながら、恋心の前では抑えたはずの想いがふと頭をもたげる。心とは、実に複雑で気まぐれだ。
そんな気持ちを抱えながら、カイゼルは訓練場を目指し、歩みを進めた。
また次回
毎日が筋曜日!




