不意に交わされた約束
東棟の奥には中規模書庫があり、礼法や歴史に関する資料が保管されている。
足音すら吸い込むような長い廊下を、二人は並んで進んでいく。
「初日を終えてみて、手応えはどうだろうか?」
「どの方も造詣が深いので、新たな視点を得ることができましたわ」
リリィは満足そうに頷いた。そんな彼女を横目で見ながら、カイゼルも微笑んだ。
「疲れはしなかったか?」
「ええ、平気ですわ」
軽く会話をしながら、書庫へと続く扉を開ける。
室内にはランプの火が灯っており、オイルで手入れされた革の落ち着いた香りが鼻をかすめた。
埃一つない、静謐な空間。そこには、後世へと受け継ぐための資料が、丹念に整えられていた。
リリィは外交に纏わる棚へと向かい、本を吟味していく。
他国に関する文献を数冊手に取り、奥の長机へと歩み寄った。
カイゼルが隣の席に腰を下ろす。
ただ、彼が横にいるというだけなのに、胸の奥が小さくざわめき、落ち着かない。
「……エルデナ王国についてか?」
「ええ」
ヴェルティエ王国は広大な土地と肥沃な農地を有している。大小の個人差はあるが、国民の大半は生まれながらに魔力を宿し、その力は古来より国防と軍事力を支えてきた。
一方、エルデナ王国は国土が狭く人口も少ない。魔力保持者こそ存在しないが、魔導工による魔石を用いた研究が著しく発達している。
国家としては領土拡張や資源の奪取、さらには魔力保持者の確保まで視野に入れた強硬政策を掲げており、近年は特にヴェルティエ王国への干渉を強めていた。
だが、こうした姿勢は市民から「野蛮で危険な政策だ」と反感を買っている。国王の支持率は低く、国の内外で不安が広がりつつあった。
「かつて、自国が痛手を負わされた相手のことをもっと知らなくてはと思いまして……」
「前国王のころほど無茶はしなくなった。息子が王位を継いでからは、随分と動きも落ち着いている」
(まあ、容易に手を下せない要因ができた……というところか)
カイゼルは脳裏に戦場で舞うリリィの姿を思い浮かべる。隣に視線を向ければ、彼女は真剣な表情で文献を見つめていた。
「ええ、そうですわね。……カイゼル殿下、こちらなのですが……」
「ん?どこだ」
開いた本の一部分を指さすと、カイゼルが身を乗り出す。自然と二人の距離が縮まった。
「——っ!」
息が詰まり、リリィは反射的に背もたれへ逃げ込んだ。
そんな彼女の反応に、困った時のような笑みを浮かべた。
「……これからは、こういう距離にも少しずつ慣れていってほしい」
僅かに切なさを孕んだ声音に、熱が全身を駆けぬけていく。
(どう返せば……)
リリィが逡巡していると、カイゼルは言葉を促すように言った。
「答えは、『はい』以外いらない」
彼の真剣な眼差しに、喉がくっと鳴ってしまう。気恥ずかしさに視線が彷徨い——やがて、リリィは息を整え、ゆるやかに返事を口にした。
「……はい」
静寂に包まれた書庫で不意に交わされた約束が、二人の間でゆっくりと育っていく。そんな予感がした。
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