64 リエッタの後悔
「お妃教育が進んでいない?」
その言葉に、リエッタの足が止まった。シャロンに付いてアルーアに行った従者が帰ってきたと聞いた。自分宛ての手紙を預かってないかと居ても立ってもいられず、彼の宮にやってきたところ、先ほどの言葉を聞いた。リエッタの足が縫い付けられたように動かなくなる。
「お妃教育が進んでいないって……僕が出立してから随分時が経つのにどうして……」
「さあ、どうしてだろうな」
レヴィアの声も聞こえた。微かにティーカップをソーサーに置く音がする。
「シャロン様は異郷の文化を短期間で勉強し、アルーアに溶け込もうと努力なさいました。それなのにレアルにいらっしゃるリエッタ様のお妃教育が進んでないだなんて……」
その言葉にかっとなる。頭に血が上る。気がつくとリエッタは扉を開けてふたりの前に飛び出していた。
「あなたにそんなことを言われる筋合いはないわよ!」
驚いたように目を見開いた、青銀の髪の少年と目が合う。ソファに座っていた少年が立ち上がった。続いてレヴィアも立ち上がったのが目の端に映った。
少年はリエッタに丁寧な礼をとる。しかし、その舌鋒は鋭かった。
「失礼ですが、リエッタ様は、シャロン様がどれだけご苦労されたかご存知ですか? シャロン様の境遇に比べればリエッタ様のお立場はお心安らかだと存じます」
「なんですって……!」
「まあまあ、リエッタ様」
仲裁に入ったのはレヴィアだった。彼は少年とリエッタの間に入り、リエッタから少年を見えなくする。
「シヴァは先程、レアルに着いたばかりです。私も積もる話が山とあります。なにしろ会ったのは随分と久しぶりですからね。邪魔をしないでいただきたい」
それに、と彼は続ける。
「妃に内定されている方が、深夜に他の男の宮へと来るべきではありません。その位はわかるでしょう? このようなことをされていれば、下位の者に妃を変えたほうが良いと言う声も上がるかもしれませんよ。そうなっては困るでしょう?」
「あ……私……。私宛の手紙を預かってきてないかと……」
「僕は預かっていません。シャロン様はいまお忙しくしておられますから、手紙を書かれるとしても少しお時間がかかると思います」
「……そう」
「と、言うことです。リエッタ様、お引き取りいただいても?」
その言葉にリエッタは力なく頷いた。くるりと踵を返して宮を後にする。深夜の王宮の庭には、月明かりが落ちていた。その月明かりを辿るように、リエッタは王宮へと足を運ぶ。
足を運んだ先は天主の執務室だった。
「あの……天主様に取り次いでほしいのだけれど」
そう頼むと、扉番の青年は申し訳なさそうな顔をした。
「申し訳ありません。天主様から、今夜はもう誰も取り次がないよう仰せつかっております」
「……そう」
呟くように言うと、リエッタは王宮も後にする。庭園から見上げれば、まだ天主の部屋には明かりが灯っていた。
どこから間違えたのだろう、とリエッタは思う。アルーアへ行きたくない、アルーアの王子の妻になどなりたくない、天主の側にいたいと望むのがそんなにいけないことだっただろうか。実家の権勢に頼ったことはそんなにいけないことだったろうか。
「おまえがアルーアに行く必要はない。わが家は代々官吏を輩出している由緒ある家柄だ。血筋がしっかりしていない娘が行くほうが理に適っている」
「そうよ。あなたの方が妃に相応しいわ。だから泣かないで。あとは任せなさい」
実家に泣きついたリエッタに、祖父も母もそう言って慰めてくれた。
そうだ、私の方が妃に相応しいと、そう思った。シャロンよりも天主様の隣に立つのは私こそが相応しいと。
実家が根回しをしてくれて、アルーアへ嫁がなくて済むと知った時に感じたのは罪悪感よりも安堵だった。これで幸せになれると思った。
それなのにーー。
シャロン、シャロン、シャロン。誰もがシャロンの功績を称えている。自分がもし、アルーアに行ったら、立場は逆になっていただろうか。
「ずるいわ……」
ひとりだけ幸せになって。皆から愛されて。
そんなこと、ひとりだけずるいと思った。
それでもこうなってみて初めて、会いたいと思い浮かぶのは、シャロンだった。
「会いたい……」
心の声がこぼれ落ちた。
虫が良いのはわかっている。それでも、会いたいと、思わずにいられなかった。会って、この気持ちを聞いて欲しい。どうしたら良いのか教えて欲しい。
「シャロン……」
その言葉に返事はない。風が吹いて、王宮の薔薇の花びらが宙へと舞い散った。
リエッタはその場で蹲って、遠い異郷へと嫁いだ友を思って、初めて、心から泣いた。
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明日に完結します。本当にお読み下さって感謝しております。もう少しだけお付き合いいただけたら嬉しく思います。




