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35 遠い幼き日

「桃を食べるか?」

「うん……食べたい」

 あれから3日が過ぎた。イレーネにぶたれたところは青痣から紫色に変化して、手当てのたびにシャロンは目をつぶった。アルクトゥールスは甲斐甲斐しく看病をしてくれて、こちらが申し訳なくなるくらいだ。

 夜だって、眠っているのだろうかと心配になるほど、シャロンが目を覚ますときには必ず起きている。

 体を起こすのを手伝って水や、蜂蜜湯を飲ませてくれる。傷の手当てもこまめにしてくれた。

「アルク……お義母様は、大丈夫? お義母も蹴られたでしょう。骨折したりしていない?」

 心配して尋ねると、必ず大丈夫だとすぐ返答が返ってくる。お義母様のところへ行ったほうが良いのではないか、と聞いても大丈夫だとしか言わない。

「アルク、私ね。夢を見たの」

「どんな?」

 桃を剥きながらアルクトゥールスが視線をシャロンに向けた。

「たぶん……小さいアルクが泣いている夢。レグルスよりも小さかったわ」

 その言葉にアルクトゥールスの手がぴくりと止まる。そして、大きくため息をついた。

「正夢だったのかもな」

「え?」

「レグルスよりも小さい頃にはもう、母上は精神に異常をきたしてたし、親父はあんなだ。さすがに小さい頃はよく泣いていたよ」

「そうだったの……」

「母上が壊れて半狂乱になる様は、子供心に恐ろしかったし悲しかった……。でも俺には兄上がいたからな。できる限り一緒にいてくれた。兄上は6歳年上だ。何も分からなかった俺よりもずっと辛かったんじゃないかと思う」

 アルクトゥールスはぽつりぽつりと話す。

「アルク……」

「俺が15歳になった頃から、母上は俺を親父と混同するようになった。その方が……おぞましくて……辛かった気がする」

 もっとも、いまは慣れたけれどなと言うと、綺麗に切ってくれた桃を皿に載せた。

「さ、起きられるか? 手を貸すから」

「うん」

 壊れ物を扱うように起こされて、そのまま支えてくれる。皿に載せた桃をシャロンに差し出した。

「小さく切ってあるから。口の中もまだ痛いだろう。ゆっくり食べるんだ」

「わかったわ。有難う」

 一口、口にいれると甘さが口いっぱいに広がる。と、同時に口のなかにしみた。シャロンは顔を顰める。

「大丈夫か……?」

 覗き込まれるようにそう尋ねられ、シャロンは頷く。そして、アルクトゥールスをじっと見つめる。

 アルクトゥールスは優しい。その優しさで、母親のこともひとりで背負い込んでいる。慣れたわけなどないはずだ。あえてもう1度、言ってみる。

「アルク、私は本当に大丈夫だから、お義母様のところへいってあげて。きっと、アルクを待ってるわ」

「待っているのは俺のことじゃない。俺に重ねた親父のことだ」

 やっばり彼は辛いのだ、とシャロンは思う。アルク、とその頬に手を伸ばした。

「ごめんなさい。もう言わない。でも私に遠慮はしないでね」

「ああ……わかった。でもな……」

 アルクトゥールスは、つぶやくように言う。

「今は、おまえのほうが本当に、心配なんだ」

「アルク……」

「俺の母上は弱い人だった。でももし、俺が突っぱねていればここまで俺に依存することはなかったかもしれないし、おまえを傷つけることもなかったかもしれない。そう思うと……」

「それは仮定の話よ。考える必要はないわ」

 そう言ってアルクトゥールスの頭を撫でた。アルクトゥールスは少し憮然とする。

「今は」

「え?」

「辛い思いをさせてしまっているけれど、すまないと思っているけれど、おまえがいてくれて良かったと……思っている」

 口元に手をやって、彼はボソボソとつぶやいた。その耳がほんのりと少し赤い。

 回帰前には考えられない言葉にシャロンは言葉を失う。少しはこんな自分でも、彼の役に立っているのだろうか。心の支えになっているのだろうか。そう考えると嬉しさで胸がいっぱいになった。

「アルク、私も……」

 言葉が詰まって、なかなか出てこない。

「……あなたに会えてよかった」

 もう一度、会うことが出来て良かった、心のなかでそっとそうつぶやいた




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