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31 薄紅色のバレッタ

「髪を梳きましょうね。お綺麗にしましょう」

 シャロンがそう言うと、義母は嬉しそうに微笑む。宮の中はとても静かだ。シャロンと義母のふたりだけ。アルクトゥールスは、アルファルドの宮へと所用で出かけていた。

「このバレッタね、あの人が買ってきてくれたの」

「良かったですね」

「似合うかしら? 喜んでくれるかしら?」

 大事そうにバレッタを手に抱え込んで義母は嬉しそうに微笑む。

「ええ、きっと。帰られる前に綺麗に結いましょうね」

 義母ーーアルクトゥールスの母親は少女のように頬を染めた。

 これは欺瞞だ。わかっている。本当はバレッタを購入したのもアルクトゥールスであって、彼女の夫ではない。それでも、シャロンにはこの嘘がいけないものだとは思えなかった。

 丁寧に髪を梳かしてあの日アルクトゥールスがしてくれたように、義母の髪をまとめてやる。義母はシャロンのことを侍女だと思い込んでいる。そう思ってくれるように、アルクトゥールスに言い聞かせてもらえるよう頼んだのだ。渋ったアルクトゥールスを説き伏せ、時々、こうして義母の面倒をみている。

 少しだけ化粧を施し紅をひくと、窶れて疲れ果てた面影が柔らかくなった。

 義母は鏡を見つめて微笑む。

「喜んでくれるかしら」

「ええ、きっと」

 欺瞞に塗れた、けれども穏やかなひと時だった。そこへ大きな足音が聞こえる。シャロンは、はっとして義母を背の後ろに隠した。

「なんだ。ひとりかと思ったら違うのか」

 舅が遠慮なく入り込んでくる。粘ついた目でシャロンを見て、そしてその後ろへと視線を向ける。そして露骨に嫌そうな顔を見せた。

「誰かと思ったらイレーネではないか。みっともなく化粧などして、どういうつもりだ! お前の顔など見たくない。去れ!」

「あ……あ……」

 義母ーーイレーネが、瘧のように震え始める。シャロンはその体を抱きしめた。きっ、と舅を睨めつける。そして努めて穏やかな声で言う。

「お下がりください。ここはアルクトゥールス様の宮です」

「おお、下がろうとも。おまえが一緒に来るのならな」

 舅はシャロンの腕を強引に掴んで引き寄せた。そしてイレーネへ侮蔑の視線を向ける。

「窶れ果てて醜い姿を見せるな!」

 そう言ってイレーネを蹴り飛ばそうとする。シャロンは咄嗟に間に入ろうとしたが間に合わず、イレーネは倒れた。その拍子に薄紅色のバレッタが転がり落ちる。

「なんだ、こんなもの」

 舅はそう言うと大きく足を上げて、バレッタを踏みにじった。

「なんて、ことを……!」

「いや……いやああああああ」

 半狂乱になったイレーネの悲鳴に舅の手が緩む。その隙にシャロンは舅から逃げ出し、イレーネの側に駆け寄ると再び抱きしめた。

「大丈夫、大丈夫ですよ……」

 そう言って宥めようとしても、半狂乱の凄まじい力で、顔や体を叩かれる。

「大丈夫……大丈夫ですから」

 それでもシャロンはイレーネを抱きしめた。舅が更にイレーネをを蹴りつけようとするのを、シャロンは必死に庇った。

 ばたばたと複数の足音がしたのはその時だった。

「なにをしているんだ……!」

 イレーネに殴られながら、アルクトゥールスの声を聞いて安堵する。イレーネの叩く力がほんの少し弱まって、シャロンは彼女を離した。

「あなた、あなたーー」

 イレーネは泣きながらアルクトゥールスを見つめて駆け寄ろうとする。アルクトゥールスが、舅の体を羽交い締めにして止めた。

「俺の宮で何をしているんだ……!」

「父上、こちらで何をなさっているんですか!」

 アルファルドも来てくれたのだと更に安堵する。これでイレーネも自分も安心だ、とほっと息をついた。

 舅がアルクトゥールスに捕まれた腕を乱暴に振り払った。

「ちっ。べつに何もしておらん! 狂った女になぞ、興味はないわ!」

「あなた、あなたーーアルタイル! 怖かった……!」

 義母は舅の名前なのだろう。叫びながら、アルクトゥールスに抱きつく。

「なに……!? こいつと儂が似ていると言うのか! この忌々しいクズ女が……!!」

「いい加減にしろ!」

「いい加減にしてください!」

 イレーネに振り上げた手を、今度はアルクトゥールスとアルファルドが一斉に掴む。

「誰に向かって口をきいているのだ……! おまえたち、しばらく儂の前に顔を見せるな!!」

 舅はそう言うと足音高く宮を出て行った。シャロン様! と悲鳴のような声が上がる。

 リラとシヴァも来てくれたのか、と遠のく意識の中、シャロンは思った。舅の暴挙を止められずに申し訳ないとも。

「これは、国際問題です」

 意識を手放したシャロンを抱きかかえ、シヴァがきつく睨め据える。

「アルーアに嫁がれたとは言え、シャロン様はレアルでは位も高い御方です」

 リラが急いで救急箱を取ると、シャロンの側に座った。目に一杯涙を溜めて、シャロンの手当てをはじめる。

 シャロンの体はあちこちに痣が浮かび、髪も乱れに乱れていた。

 アルクトゥールスは駆け寄りたくても、イレーネが半狂乱になっていて駆け寄れない。アルファルドもあまりの惨状に言葉を失っている。

「僕はこの現状を、レアルに報告する義務があります」

「……ああ、その通りだ。本当にすまない」

 アルクトゥールスの言葉に、シヴァは更に睨めつける。

「アルク様は薬師なのでしょう。早く、一刻も早く手当てをしてください! 母上様にかまっている場合ではありません……!」

「母上、さあ。行きましょう。アルク、彼の言う通りだ。母上は私に任せて早くシャロン殿を」

「兄上……頼みます。義姉上、手当てを代わります。義姉上はレグルスのところへ戻ってやってください」

「いいえ、アルク様、私も手伝います……指示を出してください」

 止まった時が動き出すように、一斉に人が動き出した。

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