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29 過ぎ去りしあの日2

「他にだれか想い人がいるのなら、そうおっしゃってください」

「……は?」

 あれは嫁いで半年も過ぎた頃だったろう。いつものように身支度して母の元へ出かけるという彼に、シャロンは言った。自分でも、珍しく気が立っていたことを覚えている。

 アルクトゥールスとの壁は立ち塞がったまま、他に誰も心を開いて話せるひともおらず、覚悟して嫁いで来たのに愛されるどころか、指一本触れようともしない。

「お母様のところへ行くとおっしゃるけど、他に想い人がいるのでしょう? それなら、そう言ってください。アルーアは一夫多妻制です。こそこそと会わなくても、堂々と側室にすれば良いのではないですか?」

「なにを、ばかなことを……」

 アルクトゥールスが大きくため息をつく。今日は一体どうしたのか、自分でも、自分が押さえられなかった。もう心が限界だったのだ。

「アルクトゥールス様にとって私は押しつけられた花嫁でしょう。それはわかります。でも、私だって同じなんです……!」

 叫ぶようにそう言ってしまってから、しまったと口を押さえる。

 言いたいことはこんなことではない。

 アルクトゥールスはため息をついて、大きな薬棚から紙で包んだ薬を取り出した。

「飲むと良い。気分が落ち着くから」

「いいえ、要りません」

「……そうか。信じるか信じないかはおまえの判断だが、俺はやましいことなどしていない」

 いつもよりもトーンの下がった声で言われて、シャロンは胸の前で手を組んだ。アルクトゥールスは、こちらをもう見ようともせず、宮を出て行く。

 怒らせたーーそう思った。

目頭が熱い。ぎゅっと手を握って涙が零れるのに耐えた。

 違う。言いたかったのはそんなことではない。

寂しいのだと、哀しいのだと、人恋しいのだと、故郷が恋しいのだと、そんな話をただ、頷きながら聞いてほしかった。

 あなたに想い人がいるのは寂しいと、そう伝えたかった。 

 ただ、それだけなのに。どうしてこうも上手くいかないのだろう。

 シャロンはひとり座り込む。誰も隣にいないことが、こんなに悲しくて孤独だと知らなかった。故国のレアルでは、天主やリエッタがいつだってそばにいてくれたからーー。

 友好のために嫁いで来たというのに、私は何の役にも立っていない。もう、どうしたらいいのかわからない。

 シャロンは顔を覆った。嗚咽がもれ始める。誰も慰めてくれるひとなどいないとわかっていても、今日だけは泣かずにいられなかった。


 回帰前のあの日の自分に言ってあげたいと、シャロンは雑踏の中、アルクトゥールスに手を引かれながら思う。

 このひとは想い人などいなかったわ。お母様のことで手がいっぱいで、政や街の人々の生活に心を痛めて、そしてなによりも私が心を開かなかったから、どうして良いのかわからなかっただけーー。

 不器用なひとだな、と思う。

 でも、もし、自分が最初から素直になれれば、こんな風に親しく関係が築けたのだろうと思うと切なくなる。

 シャロンはアルクトゥールスの背中を見る。手には母親に買ったバレッタを持っている。


 彼には想い人はいなかったのだと、安堵している自分がいる。

 ほっと安堵する気持ちと、可哀想にと思う気持ちと、愛しいと思う気持ちが溢れて、シャロンは握る手にほんの少しだけ力を込めた。

 

 

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