量子猫の輪郭
夜が静かだ。
低く響く声。ぶっきらぼう。それでいて、不意に優しい。
そのたびに、喉が鳴る。足元に擦り寄る。指が額を撫でる。その感触が、心地よい。
いつもの時間、いつもの自分。
***
静かなリビング。
グラスの氷が小さく音を立てた。
「ねえ、こっち向いて」
袖を引く指先。
けれど、彼は返事をしない。グラスを置き、手を伸ばす。
額を撫でた。向けられたのは、隣ではなく足元の小さな影だった。
「……そっちの方がいいのね」
呟きが落ちる。
彼は答えず、もう一度、耳の後ろをくすぐる。
小さな息が漏れる。
不満そうな表情を残して、影が部屋を後にした。
***
朝の光が差し込んだ。
手を伸ばそうとした。
けれど、違和感があった。
ふわりと浮くはずの前足は、重い。
皮膚の感触が、妙にくっきりしている。
見たことのない、白い指が目の前にあった。
目が合う。
なぜだろう。
少し、驚いた顔をしている。
何か言おうとした。
「……にゃん」
違う。
耳が聞き慣れない響きを拾う。それは、自分の鳴き声ではなかった。
向かいの視線が、じっとこちらを見つめる。
「……お前?」
沈黙が落ちた。
淡い光が、部屋の輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。
自分のことのはずだった。
けれど、それが本当に自分に向けられた言葉だったのか、曖昧なままだった。
— 了 —