第9話 一人目の嫁
散策を開始してほどなく、白衣の女性が石に躓き、転ぶ光景を目撃した。
「だ、大丈夫か?」
「は、はいぃ……大丈夫ですぅ……」
駆けつけて声を掛けると、紫髪を三つ編みにした眼鏡女子が顔を上げた。
「ほら、立てるか?」
「あ、ありがとうございますぅ」
女性が立ち上がった拍子に、白衣のポケットから一枚の紙が落ちた。
「ん? これは……」
拾い上げた紙に記されているのは魔法陣めいた文様だった。
確か設定資料集に載っていたはず、と、智略を高めて記憶を辿っていく。
「ああ、思い出した。ヴィブラレット陣法か」
「っ!?」
老魔法使い・ヴィブラレットが近年になって考案した、マジックアイテム制作用の基礎術式だ。
ただ、設定資料集に載っていた陣法に比べると線が幾つか足りない。
「これについて、知ってるんですぅ?」
「ああ。でも線が足りないよな、これ。書きかけなのか?」
「……、えっとぉ、その足りない部分、書き足してみてもらって良いですかぁ……?」
「確か、ここをこうしてっと。ん、これで良いはずだ」
鉛筆を渡されたので書き足した後、紙を返す。
「……、……、――――ッ!!」
しばらく紙を凝視していた女性は、突如として目の色を変え、走り出してしまった。
「あ、ちょっ――」
猛然と駆け去る背中を見つめながら、何かやらかしてしまったか? と思う。
……いや、ヴィブラレット陣法はとっくに完成して利用されているから、問題はないはずだ。
「とりあえず、どこかで食事にするか」
その後、食事を心ゆくまで堪能した時には、もはや女性の事はすっかり忘れ去っていて。
観光気分が落ち着いた頃に、ようやく思い出したものの――。
帰ってきたルリからとんでもない言葉を聞かされて、それどころではなくなってしまった。
「……えっと、もう1回言ってもらえないか、ルリ」
「アタシ、あんたに嫁入りするから。はい、これ持参金」
ドンッとテーブルの上に置かれたバッグ。中には大量の金貨が見え隠れしている。
「あんたが支払った雇用費から、都市の取り分を差し引いた額……アタシに支給される全額がここにあるわ」
「いや、でも……」
「あんたはアタシが好き! アタシは、まぁ、その……あんた以上のやつなんてこの先、現れないと思うし? だったらヴァッサーブラット領の発展のためにもこれが一番効率良いでしょっ!」
逆ギレに近い声だが、想いは伝わってきた。思い切りの良さも実に彼女らしい。
そして事実、ルリの提案は極めて効率的で頭の良いものだった。
「……、……本当に、良いのか?」
問いかけは、俺自身こんな形で結ばれて良いか迷っていたから。
「一度しか言わないからよく聞きなさい。……アタシ、力を持て余して燻ってた。タダ飯食らいの日々で、周りからの視線も怖くて、自分の価値についてぐるぐる考えてた」
「……」
「でも、あんたは最高の価値をつけてくれた。アタシの良い所をたくさん教えてくれて、自信をくれた。あんたみたいに、その、えっと……凄いやつに、そんな風にされたら……好きになるに決まってるじゃない」
頬を朱色に染めながらも、眼差しに確かな意志の強さを宿し、告げた。
「――ルリ=エルナデットは、生涯に渡り貴方と共に歩むことを誓います」
真っ直ぐな眼差しを受けて心に震えが走る。
これはゲームではなく現実で、応えたらこの先、彼女の一生を背負うことになる。
不安がないと言えば嘘になるが、それ以上の歓喜があった。
「ああ、俺も誓う。一緒にこれから先の人生を歩んでいこう」
首筋まで真っ赤にして頷きを返すルリを見て、何が何でも幸せにしたいと思う。
いや、幸せにしてみせる。
「……それで、なんだけど。あんたって、やっぱりその、え、エッチなこと……したい、のよね」
ギュッとローブの裾を掴むルリの仕草。
彼女のいじらしさが愛しくて、興奮してしまうが……言葉から感じる震えを感じて、気持ちを鎮める。
それに、そういう事をするなら結婚してからが良い。
「否定はしないけど、やっぱりそういうのは結婚してからが良いと思う」
「そ、そうよね、うん。ありがと、ユミリシス」
ルリの安堵の声を聞いて、俺もまたホッとした気持ちになる。
「……ん、よしっ」
甘酸っぱい空気が流れる中で、ルリが意を決したように頷いて――。
不意に、ちゅっという音とともに頬に柔らかさを感じた。
「うわ、これ……素面でするの、恥ずかしすぎ……」
両手で口を抑えながら顔を真っ赤にするルリ。
……こんなに可愛い生き物と一緒にいて手を出さないなんて、出来るのだろうか。
そんな不安を感じながらも、幸せな気持ちで胸がいっぱいになるのだった。
こうして俺は、信じられないほどの果報を抱え、ヴァッサーブラット領に帰還する事になる。




