第8話 俺の嫁だった魔法使いからキスされた件について
楽しい会話の時間に終わりを告げたのは、俺のお腹の音だった。
「……もしかして、食事まだなの?」
頬をぽりぽりと掻きながらこくんと頷く。
「早く会いたかったから、食べずに来たんだ」
「……、へー、ふーん、そっかそっか。アタシに早く会いたくて、かぁ」
ルリは再びニヤケ顔を見せたあと、立ち上がってキッチンへと向かう。
「あ、そうだ。これ、もし良ければ飲んでくれ」
「えっ!? ちょ、それ、ロマヌエコンティン!?」
リリスリアからもらったお酒を見せると、くわっと目を見開いたルリが机に手をつき、ぐっと身を乗り出してくる。
か、顔が近い……!
「る、ルリ、これを知ってるのか?」
「知らずに買ってきたの!? あ、この街で一番高いお酒を買ってきたのか……でもよく売ってたわね」
何かを納得した風になったあと、うっとりとした目でラベルを見つめてくる。
「首席を取ったときにリリスリア様に少しだけ飲ませて頂いたけど、とっても美味しくて……まさか、またこれが飲めるなんて……」
ということで、ルリが作ってくれた家庭的な手料理を食べながらお酒を飲み始めたのだが――。
「ちょっとぉ、聞いてんの、ユミリシス! あんた、どういうつもりなのよ!」
酒が入ってからほどなくして、俺は酔ったルリに絡まれていた。
「どんなやつに買われたか不安だったのに、やってきたのはこーんなに魅力的で、魔力も凄くて、アタシのことなーんでも知ってて、ファンで、嬉しいことばっかり言ってくれてさぁ……!」
「ちょ、ルリ、お、落ちつ――」
「んっ!」
「~~~~~~っ!」
唇に感じる柔らかな感触。
甘く痺れるような心地良さに、キスをされたと理解する。
直後、態勢が崩れて床に押し倒された。
「る、ルリ……」
「ん……。アタシ、これ好きかも……。でも身体あっつい……」
うっとりとした表情になったルリは、着ている服を邪魔とばかりに脱ぎ捨てていく。
「ちょ、ちょっと待ってくれルリ!」
理性を振りしぼって肩を掴み、ぐっと押し留める。
「お、お前、良いのかっ!?」
「なにがよぉ。なんか文句あんのぉ?」
「だって俺たち、今日会ったばかりなのに!」
「さっきからギューッてしたくて、ちゅーってしたくて、たまらないのよ!」
いや、確かにルリの酒癖は悪かったけど、ここまで酷くはなかったはずだぞ!?
視界の端にロマヌエコンティンが見えた途端、両手で頬を挟まれ、前を向かされる。
「あんたが悪いんだから、大人しくしなさいよねっ!」
「こ、これは解釈ちが――んんっー!」
再び重ねられる唇。
割って入ってきた舌は、しかし、もどかしく俺の口内を彷徨っていて……。
理性と本能、矜持と欲望がぐるぐると混ざり合う。
そして、我慢が限界に達した所で、ルリが倒れ込んできた。
「すぅ……むにゃむにゃ……」
目を開けると、すやすやと可愛い寝息を立てる彼女の姿。
「な、なんだったんだ、一体……」
激しく鳴る心臓。唇に残る感触とお酒の味。
「キスしてしまった……それも深いやつを、ルリと」
この急展開は全くの予想外だったので、嬉しさよりも困惑のほうが大きかった。
「うああぁ……」
頭を抱えて悶えるが、いつまでもそうしていても仕方ない。
俺はルリをベッドまで運び、無理やり興奮を抑えつけて、ソファで眠りにつくのだった。
――そして、明けて翌朝。
俺とルリの間には非常に重苦しい空気が漂っていた。
「……あのね、勘違いしないでほしいんだけど」
先に沈黙を破ったルリは、意を決したように言葉を続ける。
「アタシ、あんなことしたのあんたが初めてだから」
「お、おう……」
思っていた以上に破壊力のあるセリフが来たな、と思う。
「っていうか、酔うくらい飲んだのもこれが初めてだし……ワケわかんなくなっちゃった」
「そ、そうか……」
「とっ、とにかく! 軽い女だなんて思わないでほしいっていうか、その、えっと、ああもう!」
バシンッと勢いよく机を叩くと、椅子を倒す勢いで立ち上がり、ビシッと指を突きつけてくる。
「どういうつもりよ! なんでアタシに手を出さなかったの!?」
「えっ!? も、もしかして……手を出したほうが良かったのか?」
「ちっ、違うわよバカ! そ、そうじゃなくて、何もされないのも、それはそれでプライドが傷つくっていうか、その……」
語調がだんだん弱くなり、やがてしおらしい態度になる。
「……べ、別にあんたとなら嫌じゃないかも、なんて思ったわけじゃないんだからね」
顔を背けているので表情はわからないが、耳まで真っ赤になっている。
そんな姿を見てしまえば、もう気持ちを押し留める事は出来なかった。
「……ルリとは、もっとちゃんとした形でそういうことがしたかったんだ」
「えっ……」
ドキッとした表情で俺を見つめるルリ。その瞳は驚きと慕情で揺れている。
「お酒に流されて、とかじゃなく……恋人になってから、そういうことがしたくて」
「それって、その……単なるファンってだけじゃなくて……アタシに恋してる、ってこと……?」
改めての問いかけ。
羞恥心が津波のように押し寄せてくるが、否定しても仕方ないので小さく頷く。
しばらく口をパクパクさせていたルリ。
俯いて何事かをぶつぶつと呟いたあと、彼女は顔を上げる。
頬の端に赤いものを残しながらも、その顔にはニヤニヤとした笑みが浮かんでいた。
「ふ、ふーん。そうなんだ。アタシのこと、好きなんだ。愛しちゃってるんだ、あんたみたいな凄いヤツが」
「あまり何回も言わないでくれ。その、恥ずかしい」
俺の態度に何を思ったのか、ルリが考え込むような素振りを見せる。
考え事の最中に話し掛けられるのを嫌う、と知っていたので、黙って見守る。
「ん、そういうことならアタシも覚悟を決めるから、あと一日、滞在しなさい。色々と手続きがあるから、その後、一緒にあんたの領地に行きましょ」
「あ、ああ。分かった」
そんな手続きの存在は聞いていなかったが、勢いに押されるまま頷く。
「それじゃ、庁舎に行ってくるわね。帰ってくるのは夕方だから、それまで散歩するなり寛ぐなり、好きにしてて」
はいこれ合鍵、と、鍵を手渡される。
「って、合鍵なんてそんな気軽に渡して良いのか?」
「今更何言ってるのよ。あ、部屋は好きに使ってくれて構わないけど、寝室にあるものは触っちゃダメだから。流石に、その、恥ずかしいし……」
「あ、ああ。もちろん」
「それじゃ、行ってくるわね」
ルリが部屋を出て行った後、頬をポリポリと掻く。
「何ていうか、いやぁ……まさか、なぁ……」
ルリと面映ゆい間柄になり、心に押し寄せる戸惑い、喜び、緊張。
居ても立っても居られなくなったので、俺は散歩をすることにした。