第34話 優秀な家臣団が賃上げ要求をしない理由、それは忠義という名の慕情
メンショウ帝国に関しては、カフカスに軍団が到着するまでノータッチで問題ない。
ではヴァッサーブラット領に戻ってきてゆっくり休めるかと言えば、そんな事はなかった。
アイルに頼んでおいた辺境伯との合同演習、その日取りが決まっていたからだ。
という事で、部隊の仕上がりを確認する為、アイルと共に練兵場を覗きに来たのだが――。
「……みんなの視線が変な気がする」
「それは御主人様の武名が広まっているからですねー」
隣を歩くアイルが苦笑しながら言葉を続ける。
「メラニペ様やフソウの三人娘がこぞって強さを喧伝している上に、ヤエ様との訓練風景を目撃した人もいますから」
「……そういう事か」
「凄い領主様だと思っていたら物凄くとんでもない領主様だった事が分かって、尊敬が畏敬に昇華されたみたいです」
個人的には気安く接してもらえたほうが嬉しいが、率いるなら畏敬されるくらいがちょうど良いのだろうか。
「ただ問題もありまして。“領主様さえいれば負けはない”という空気が流れているので、御主人様がいる戦線は極めて高い士気で戦えますが……不在の戦線では著しく士気が下がると思います」
つまり、戦が始まったら戦場に居続ける必要があるという事だ。
いや、それ自体は問題ない。
「俺が戦線に出られない時や、複数の戦線を抱えた時が怖いな」
「戦略級武官のヤエ様や戦術級武官の三人娘の加入で、武力面はかなり補強されましたけどねー」
一度言葉を切ったあと、指折り数えていくアイル。
「将来的な事を考えるのであれば、士気を高く保ち臨機応変に部隊を動かせる指揮官。作戦立案の要となる軍師と、その意を汲んで部隊の動きを補佐出来る副官。このあたりの数を増やす必要があるかと」
ちなみに、戦略級は“単騎で戦局を覆し戦争抑止に繋がるほどの人材“を意味し、戦術級は“単騎で部隊戦の勝敗を左右する人材“を意味している。
大国ならば一人は戦略級の人材を保有しているし、戦術級の人材も層が厚い。
その上で大量の兵士を有しているのだから、たまったものではない。
「こうして振り返ると、まだまだ人材が足りないな」
「仮想敵が大国ですからねー。要求水準は無茶なものになります」
「雇用費の問題もあるし、基本的には有力な人材を育成する方針か」
家臣団が軒並み忠義に厚く、最低限の雇用費で働いてくれているが、そこに甘えてばかりでもいけないだろう。
「王領直轄地やシュヴァイン領の開発が進めば収支も増えますし、育成と平行して優秀な人材の登用も進めていきたいですね」
そんな会話を交わしていると、横合いから「あ、あのっ!」という声が聞こえてきた。
「ん?……お、キミか」
顔を向けると、そこにいたのは弓兵隊から騎兵隊に転属させた赤髪の女の子だった。
目隠れ状態は変わらないものの、髪の艶感が増して身なりも整っているので、陰鬱な雰囲気は吹き飛んでいる。
「わ、私、百人隊を任せて頂けるようになりました! 領主様の配置転換のおかげです、ありがとうございます!」
「おお、凄いな。おめでとう、頑張ってくれて嬉しいぞ」
頭を撫でると、赤髪娘が「えへへ……」と笑みを零す。
「も、もっと頑張ります! 領主様に見いだして頂いた御恩に報いる為に、強くなりますっ!」
「ああ、期待させてもらおう」
頬を紅潮させながら駆け去っていく赤髪娘を見送れば、アイルが横合いから声を掛けてくる。
「最近特に成長が著しい子ですねー。騎馬の扱いが上手くて弓の知識もあるので、弓騎兵の戦術研究に貢献してくれてます」
「ああ、報告にあったな。そうか、あの子が……」
配置転換で活躍した者を見るのは健康に良い。それだけで心が癒やされる。
「そう言えば、さっきの話しぶりからすると三人娘たちも無事に軍団に馴染めているのか?」
「はい。三人とも実力が高いのに謙虚ですし、馴染む努力をしている事もあって、衝突は起きてないですねー」
「それは何よりだ」
三人娘なら未来の一軍でも十分に通用するだろう。
他の者たちも含めて、辺境伯との合同演習で経験値を積んでもらいたいものだ。
――などと考える俺はこの時、まだ知らなかった。
辺境伯との合同演習が、俺の今後をも大きく左右するという事を。




