第129話 黒翼の女帝、攻略完了
「未来を見て詰みを理解していたなら、もっと早く降参すれば良かっただろ。苦労したんだぞ」
「だって、簡単に捕まったらわたしの価値が下がっちゃうの」
「価値……?」
不満げな様子から一転、悪戯の種明かしをするように微笑むパンドラ。
「今回の騒動で、わたしの凄さを貴方の家臣団も理解した。これで軍門に降ってもナメられずに済むし、むしろ頼ってもらえるの」
「最初から俺の配下になるつもりだったのか?」
「どれだけ未来を視ても、貴方から逃げられなかった。だから少しでも自分の価値を高める方向にシフトしたの」
なるほど、その割り切り方は彼女らしい。とは言え。
「そもそも未来を視る力なんてどこで手に入れた?」
「ある日、大陸西部から空に向かって途轍もない魔法が放たれた。それが気になって向かう途中で遺跡を見つけて、そこで手に入れたの」
その遺跡は大災害で崩壊したけど、と語るパンドラ。
……そうか。ルリの魔法がパンドラの行動を変えた結果なのか。
「未来が分かるようになったお陰で好き放題に勢力を拡大出来たけど、でも、ある日を境に一つの未来しか示さなくなったの」
「俺たちがネーベル女王に干渉した時か」
「その通りなの」
それは、俺がパンドラへの対応を考え始めた瞬間。
明確に彼女を敵として認識した時。
「思いつくかぎりの手を選んでも、その全ての先に貴方がいた。どれだけ試行錯誤を重ねても、重ねても、重ねても、貴方から逃げられなかったの」
パンドラは顔を俯けて、震える自分の身体を抱きしめるようにする。
「このわたしが、生まれて初めて恐怖を感じたの。わたしは自分がこの世界で一番優れていると思っていたけど、違った」
それは、あながち自惚れとも言えないだろう。
最高峰の統率と智略を備え、武勇の低さは第二の時代の遺産で補う隙のなさ。
カルト宗教の教祖的な支持を受け、大陸西部と南部の裏社会を支配するほどのカリスマ性。
ゲームが現実となったこの世界において、パンドラがもっとも厄介な敵だった事は間違いない。
「“嗚呼、わたしはこの人の手から逃れられない”……初めて死への恐怖を感じたの。だけど、それも違った」
震える声に、恐怖とは異なる響きが宿る。
「貴方は絶対にわたしを殺さない。しかもそこには“暖かさ”があったの」
言葉についた色は、いつの間にか喜悦のそれに変わっていた。
「甘える事が許される幸福を、知ってしまったの」
俺を見上げるパンドラは、幼い相貌に夢見がちな乙女のような表情を浮かべている。
それは、原作で一度も見た事がない表情だった。
「何度も追体験する事をやめられなかったの。それは麻薬めいていて、現実でも幸せが欲しくなったの」
「……、……」
目の前にいるのは、ストーリーパートにおいて常に超然としていた、あのパンドラだ。
恐るべき用意周到さと圧倒的なボス感で、俺の心を痺れさせた黒幕系幼女。
そんな彼女が、俺に恋をした?
「つまり、それは……俺が好き、って事か?」
「今のが愛の告白以外の何かに聞こえたなら、そんな耳は取り替えた方が良いの」
予想外の事態に戸惑う。
パンドラにまともな恋愛をする心があった事、それ自体が衝撃だった。
「む、今何か失礼な事を思われた気がするの」
「悪い。正直お前と恋愛するイメージが全くなかったから、まだ応えられない」
俺の返事を聞いたパンドラが嬉しそうに笑う。
「そこで“まだ”と言える貴方だから良いの。好意に対して好意で返そうとする。好かれたら、好きになる努力をする」
そんな貴方だから恋をしたの、と。パンドラは幸せそうな笑みを浮かべて告げた。
「そうあれかしと生まれ、悪意を感染させて、やがて世界を侵す病毒。そんなわたしを、貴方だけが受け入れてくれるの」
ベッドから降りたパンドラが、俺の目の前まで歩いてくる。
「あの言葉を告げてちょうだい? 眠れない夜に繰り返し、繰り返し聞いた言葉。貴方がわたしを配下にする為に用意していた言葉を」
「この流れで言うのか……?」
ずっと温めてきた言葉を、事前に知られている状態で口にする――それはとても恥ずかしかったが、しかし。
……言うしかないよなぁ。
片膝をつき、ワクワクドキドキの表情をしたパンドラと目線を合わせる。
「パンドラ、お前は世界を侵す病毒だ。けど、それは使い方次第で薬にもなるし、命を救う術にもなる。だから――」
手を取って、想いを告げる。
「自分には絶望を振りまく事しか出来ない、だなんて言うな。お前の力は俺にとっての希望なんだ」
恍惚の表情を浮かべたパンドラが、ゾクゾクとした様子で身体を震わせた。
震えが止まると同時に力が抜けたらしく、俺の腕の中に倒れ込んできたので、抱き留める。
「ありがとう、私の愛しい人」
俺を抱きしめながら、安らかな微笑みを浮かべるパンドラ。
その表情は、原作を繰り返し遊ぶ中で“見たい”と思い続けてきた顔で――。
こうして俺は、世界を災厄で侵すはずだった少女を配下にするのだった。




