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8.孔雀園のある庭園

 ネヴィル伯は植民地から帰国して、ほっと息をついているところだ。暑い気候は本当に身にこたえる。まして、貴族は現地の気候がどうであろうと肌の露出は許されず、精々薄い布地を使う程度の暑気避けしかできない。屋敷は風が通るように工夫してはあるものの、虫が入らぬように開口部に薄布を張らざるを得ない。室温が体温を越える昼間は、現地の”召使い”に大きな団扇であおいでもらいながら横になる。

 妻も同行していたが、帝国式の女性の服装では夏に対応することができず、一時帰国させて再び冬に呼び寄せることになった。息子は寮生活だが、娘は弟夫婦に預けて凌ぎ、なんとか任を終えた。


 ほとんど修行か苦行のような職務を無事終え、現地で安くかき集めた香辛料や宝石の原石を持ち帰った。本国では高く売れるものばかり、当分疲れを癒しながらゆったりと暮らせる。

 卿は、任された統治の仕事をきちんとやり遂げたし、都合三度、帝国に送った鉱石とマホガニーやチーク材は十分な評価を得た。更に、帰国便で密かに持ち帰り速やかに皇帝に納めた、植民地の旧王家の金製の宝飾品や装飾品の数々は、この先のネヴィル家の安泰を保証するに十分だろう。


 孔雀は、五対持ち帰った。まだ見たことがない人が多く、話題になるだろう。

 飼育係も連れ帰り、その意見を聞きながら裏庭の木陰に広い住処を作って放し飼いにしてある。冬季の飼育に備えて温室も建造中だ。

 夫人が、帰国後初のお茶会で「珍しい孔雀という鳥を皆さんにご披露したい」と言うので、展示場所も作った。展示するのは、雄三羽、雌一羽とした。



 ネヴィル伯爵夫人が、ご婦人のお茶会で孔雀の話を広めたので、その日のガーデンパーティー招待状に欠席の返事はごく少ないものだった。パーティーは盛況になりそうで、夫人は張り切って差配し、伯爵もしばらくぶりに旧交を温めたいとその日を楽しみに待った。


 昼下がりのガーデンパーティーなので、女性陣は編み上げ靴で足元を固めている。衣服もひらひらしたデザインは好まれない。招待状にもドレス・コードというほどではないものの“当日は晴天を期待しておりますが、曇天あるいは少雨の可能性もございます。どうぞお気軽な服装でおいでくださいませ”と書き添えられている。


 芝生には伯爵夫人を中心としてテーブルが用意されていて、いつでもお茶と会話を楽しめる。

 男性は、テラスからシガールームに出入りして、ソファで酒をたしなむこともできる。もっとも、推奨されてはいない。酒と煙草を楽しむのは、女性陣が帰宅した後に用意される酒とおつまみの軽い談話の席である。この席には男性なら誰でも座れるものの、いわば“暇な独身者のための酒の席”とでも言おうか。そこに娘や姪の婚約相手を見繕う男性も参加する、そういう席だ。

 ここでは、ネヴィル伯爵から植民地の赤裸々な事情を気軽に聞くこともできる。植民地に興味がある若い貴族には魅力ある時間だ。


 シャーロットとハーキュリーは、会場の入り口で伯爵夫妻に挨拶すると、さっそく孔雀のいる場所へと進んでいった。孔雀は、二メートルほどの高さの木の柵に囲まれた展示場所で、悠々と歩いていた。


「おにいさま、これがピーコックですのね」

「そうだね、私も実物を見るのはまだ2回目だ」

「屋根がありませんけど。飛んで行ってしまうのではありませんの?」

「いや、翼を見てごらん、からだに対してとても小さいだろう? 飛べないのだよ、あの大きな尾羽もあるしね。坂では地面を蹴りながら低く滑空するようだがね。

 空を飛ぶのは、見ているよりもうんと難しいのだ」

「そうなのですね」


「あら、オスはきれいな緑と青ですけど、ほら、あそこにメスがおりますわね、目立たない茶色なのですね。

 あ、あの鳥が尾羽を広げますわ、まあ、きれいですわねぇ」

「そうだね」

「あら、さわさわと言えばよろしのでしょうか? 音もしますね」

「そうだね、羽や軸が触れ合って軽く音がするのだよ」

「なるほど」


「よく見てごらん、羽についている目のような模様を」

「はい」

「かぞえられるかね?」

「えー、5に4の、えーっと8,いやですわ、動かないでくださいまし」

「むふむふ、やはり写真に撮らないと無理かね」

「まあ、おにいさま、からかったのですね!」

「まあまあ。では、この孔雀と、あちらで羽を広げかけている孔雀、どっちが目の模様が多いと思うかね?」

「あらー、到底わかりませんわー」

「そうか、孔雀のメスにはわかるのだよ」

「そうなのですねぇ、すごいわ」


「おや、人が来始めたね、場所を譲ろうか」

「はい」

「あちらの四阿で、お茶の席が空くのを待っていよう」

「そうですね、それがよろしいかと」


 シャーロットは右手をハーキュリーの左腕に預けてごく淑やかに庭園の小道を辿り、白い大理石で古代風に造った四阿あずまやに落ち着いた。四阿と言うには少し広いかもしれない。クロスを掛けた小さめの丸テーブルや籐椅子も準備してあり、低木の植え込みと花壇で囲まれ見通しがよく、ささやかな内緒話もできそうだ。


「少ししたら、お茶のお席にもお邪魔しなくては」

「そうだね、すでに目的は果たしたが、さっさと退散という訳にもいかないね」

「そうですとも、おにいさま。

 きっとシガールームでのお酒の席に招かれますよ」

「そうだねぇ。そっと抜け出すよ」

「うまくいくといいですね」

「ああ」


「先ほどの孔雀ですけど」

「目の数かい?」

「ええ」

「簡単に言うと、目の数がより多いオスがモテるのだ」

「え? 派手だから?」

「いや、もっと現実的な話だよ。

 メスは、できれば強い子を産みたいのだね。卵を産んで大切に育てるだろう? そのために、本能的に体質が強く、エサ探しが上手いオスを探すのだ。

 尾羽というのは、生やすのも大変だけど、維持するのも大変だ。あれほど長い尾羽を腰で支えて展開するにも筋肉が必要だ。つまり、尾羽はそのオスが健康でエサを採るのが上手いことを暗に示しているのだ」

「そうでしたか。確かに、人間でも立派な体格をしている方は食事にも気を使っておいでなのでしょうね」

「尾羽の目の模様は、尾羽一本に対して一個だね。つまり、目が多いということは、尾羽の数が多いということで、そのオスが健康で、エサを探すのが上手いということだね。

 メスは意識しないままに、オスの遺伝的な形質を選んでいるとされている。複雑な考証を経て、十分に説得力のある説となっていたね、私の前世では」


「なるほど、だからオスが派手な色彩と立派な尾羽をしているのですね。あの尾羽を広げて、たくさんの目を見せ、さやさやという音で羽が丈夫であると誇示し、自分が強くて力があるとメスを呼んでいるということなのですね。

 メスが地味な色模様なのは、メスが選ぶ立場だからでしょうか」

「なるほど、わが賢き妹はそのように考えるのだね」

「まあそうですね。貴族社会だと、男性が選ぶ側だとされておりましょう?

 女性が着飾って、男性は地味な姿ですもの」

「なるほどね、まあそう思うのも一理ある。だがね、シャーロット、貴族の場合は少々事情が異なるだろう? 女性の衣装はその家の財力を示している。でなくては、結婚して子もいる夫人が着飾る意味がわからないだろう?

 動物は、メスがオスを選ぶのが普通だね。人間社会がちょっと変わっているのだ」

「そうなのですか」



 ふたりがお茶もいただくことなく四阿で話し込んでいるところへ、四阿に歩いて来る男女がいた。後ろに大きなトレイを持ったページとメイドを従えている。

「おや、美しき髪のわが妹よ、あそこに見えるのはマウントサンデン侯爵夫妻。こちらにおいでのところをみると、何か話があるようだね」

「まあ、侯爵夫人はまた皇太子妃のお話でしょうか」

「まあそうだろうねぇ、がんばりたまえ」


「ところでおにいさま、新しい誉め言葉をいただきましたが、それは、髪を切るなとのお考えから?」

「いや、全く。短い髪は洗うのも乾かすのも楽で、よいのではないか。鍛錬の後など、男子は頭から水をかぶるだろう? 女性騎士にも朗報だろう。

 ショート・カットにしておいてドレスの時は鬘をつけてもいいし、後ろ髪を上げられるだけのセミロングにして、ヘア・ピースでカバーするのもひとつの手だ」

「そうですねぇ、ですが誰もがそのように気楽に考えてくれるわけでもありません」

「好きなようにしなさいという意味だよ、髪の長さなど人生の長さにとって何ほどの意味もない」

「上手いことを言ったと思っておいででしょう、いやですわ」


「さあ、立って。 挨拶するよ」

「はい」


 兄妹は四阿に侯爵夫妻を迎える形となり、外に出て礼を以ってお迎えした。

「マウントサンデン卿ご夫妻に、ご挨拶申し上げます」

「ロード・カシアス、レディ・モンテアルコン、久しいね」

「カシアス卿、シャーロット、またお会いできて嬉しいわ、すこしお話、よろしくて?」

「もちろんですとも。よろしかったら座ってお話を伺いましょう」


 マウントサンデン卿夫妻が先に四阿に入り、卿が手を貸して夫人を籐椅子に座らせる。

 ふたりが落ち着いたのを見定め、ハーキュリーがシャーロットに手を貸して着座させ、自分もまた夫妻の対面に座る。

 ついて来ていたページが茶器を運ぶのを見ていたから、話が長くなるとわかっていた。



「カシアス卿、この度のアイでの成果は、誠にすばらしいと一同高く評価しておる」

「勿体なきことにて」

「卿なくては、今回の問題は解決が遅れ、内紛に繋がったかもしれぬ。無事に排除できたこと、ようやったとのお言葉である」

「わたくしは、与えられた役目を果たしたのでございますれば、お覚えあってありがたく」

「そうよの、おおやけにできぬゆえ褒章は難しいが、褒賞として植民地との貿易権の一部を与えるとのご決定である。近々文書が届くであろう」

「ありがたくお受けします」

「このような場を借りた形となり、あいすまぬ」

「いえ、職務を果たして褒賞をいただけるのです、十分によみしていただきました」

「うむ」


 ハーキュリーは、セクション・アイの招請に応え、巧妙に練られた作戦を暗号の解読と論理推理で読み解き、皇女殿下の誘拐を妨げた。断片を組み合わせ、全体図を推理し、速やかにその予想できる誘拐の手法と経路を明らかにした。隣国への訪問の経路を狙った作戦だったので、持って行きようによっては難しいことになり、国内の反隣国派を刺激することになりかねなかった。

 ハーキュリーの分析を手にしたセクション・アイの統括者、マウントサンデン卿は関係者一同の知恵を集めて、皇女殿下の訪問を実現させつつも誘拐作戦を根こそぎ潰し、国内の協力者をほぼ全員あぶり出した。

 ハーキュリーへの評価は非常に高いものだった。


 この話はここまでとなり、メイドがお茶を淹れなおす。男性にはナッツとドライフルーツ、女性には甘い小さな菓子がサーブされ、よい香りのお茶で場から少し力が抜ける。



「おふたりは、孔雀を見にいらしたの?」

 侯爵夫人が何気なく口にする。

「はい。シャーロットがまだ見たことがないと言いますので」

「そうでしたか、ところで」

 と、言いかけた夫人を侯爵が軽く遮る。

「孔雀と言えば、卿は知っておるかね、ストランド通りに洒落た店ができてね、名をピーコックと言うのだ」

「そうでしたか、それはまた?」

「うむ、こちらの伯爵家とは関りがないのだがね、植民地から上級船員が孔雀の剥製を持ち込んだのだ。その者が、引退した部下に土産物として渡してね。抜け目のない妻が、珍しいもの好きが集まる場所として尾羽を拡げた剥製を飾り、酒とちょっとした植民地風の料理を楽しめる店を始めた。

 内装にピーコック・カラーを取り入れているとかで、植民地帰りの者たちに思い出の料理が人気となっているそうだ」

「それはそれは、ぜひ一度行ってみたいものです」

「そうか、俺も行ってみたいと思っておった、今度声を掛けよう」


「さて、それでは話題の孔雀を見に参ろう、さあ、侯爵夫人」

 そう言って侯爵は夫人に手を貸して立たせた。

「親しくお話しいただいてありがとうございました」

 兄妹は、四阿の入り口で夫妻を見送った。夫妻は孔雀の柵に向かって歩き始め、兄妹はテーブルが並ぶ芝生の方に向かって歩いた。



「ジャービー、ひどいわ。わたくしはシャーロットを説得したかったのよ」

「メリー、無駄だ」

「皇太子を断ったことは知っていますわ、ですが、もう候補がおりませんのよ」

「無駄だよ、あのハーキュリーが奥宮殿の方への御寵愛を知らぬはずはない。

 あれほど溺愛している妹を、形ばかりの王太子妃へ差し出すものか」

「いえ、奥宮は植民地にでも送ってしまいましょう。皇太子がお方を追って植民地に行くならちょうどいいではありませんか、皇太子妃とそのお子さま方でお役目を果たしておいでになれます。それこそ、カシアス卿がついておいでです。わたくしどもも全力でお支えいたします」


「侯爵夫人、あなたは意外に過激なかただったのだね」

「いえ、もう仕方ありません。奥宮の方には子がおいでです。仮に皇太子妃となられてお子をお産みあそばされるとなると、皇帝家のお子に、子爵家の姉がいることになります。将来、帝位に就かれた時に子爵家の姉があるというのはいかがなものでしょう。姉を嫁に、あるいは養女にと、争いの元にもなります」

「それはそうではあろうが。 皇后周りはそれで固まっているのかね」


「侯爵、閨指南を承った年上の未亡人にあれほど執着するのは、知恵が足りないのです。

 そもそも、閨指南役に子のいる未亡人を指名するのは、皇太子妃とはなりえないからです。皇太子も説明を受け、ご納得の上のこと。

 奥宮の方も、逃げようと思えば逃げられるのです。わたくし共が全員でお助けしますのに、あのように居座っておいでなのは、野心ありと判断されるのも仕方ありません」

「いや、皇太子は心安らぐ女性だから、との仰せ」

「帝位に登る者が、心安らぐ場を得るのは確かに難しいでしょう。ですが、誠実に妻に接すればそれは得られるものではありませんか? 妻を娶り、安らぎを得る努力をしないというのはどうなのでしょう。このような状態では、妃をお迎えしても、夫婦の間に温かな関係を築くチャンスすらないではありませんか。

 未亡人を妻にと真剣にお考えならば、皇太子位を弟君なり妹君なりにお譲りなさればよろしいのです」


 長い間があった。侯爵夫妻の靴が石畳に小さな音を立てる。


「それが皇后陛下をはじめとする、貴族女性の考えなのだね。

 厳しいね。けれど多くの貴族夫人が夫の移り気に苦しんでいるのも本当のことだ。そなたも知っての通り、俺の母も父の素行に苦しみ気を病んで早く亡くなった。

 帝国の要となられる皇太子に対し、貴族夫人が厳しい目を向けるのも、またやむなきことであろう」

「皇太子の行動を是とすれば、そのように結婚前からの恋人を持ちながら、家や世間が認めないというので後継ぎを産ませるためだけに妻を求めるという態度が、帝国全体で是とされます。結婚を嫌がる娘ばかりになりますが、それでよろしいのですか」

「うぅむ」



 一方こちらはシャーロットとハーキュリー。ふたりは中庭に設営されたお茶のテーブルに向かって歩いている。


「おや、ロバートが来ているね。マウントサンデン候の長男だよ」

「お知合いですか?」

「まあね、アイでね。最近領から呼び寄せられてね、侯の補佐に任じられた。

 今日は女性のエスコート役として駆りだされたようだね」

「あの、シルキーな青銅色のドレスの女性ですね」

「そのようだね。

 うむ、わが妹よ、今日の酒の席から逃げるのは至難の業になるかもしれない。空きっ腹に酒は厳しいねぇ、一応万一に備えて、すこし菓子をいただいておこうか」

「ええ、そうですね。きっとサンドイッチがあるでしょう。スコーンはいかが?」


 シャーロットは、キューカンバー・サンドイッチが出ていたら、兄の口に突っ込んでやろうとルンルンしながらテーブルに近寄って行った。


インターミッション:

暗号文と言えば、エドガー・アラン・ポーを最初にあげるべきでしょうが、コナン・ドイルにも“踊る人形”というクリプトグラムを使う作品があります。児童向け作品から推理小説まで、いろんな作品で引用されているので、直接お読みになったことがなくても目にしたことはおありかもしれません

江戸川乱歩にも“二銭銅貨”という短編作品があります。文体が古いのでちょっと読みにくいかもしれませんが、ネットにも全文が掲載されています


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