6.宮廷舞踏会の夜
2024年11月22日、サッフォーについての記述に間違いがあったことに気付き、訂正しました。訂正より前にお読みいただいた方にお詫び申し上げます
倉名依都
シャーロットとハーキュリーが皇宮に到着したのは、最後の方だった。
皇帝と皇后が出席する宮廷舞踏会に参加できるのは伯爵以上の上位貴族に限られている。招待状を受け取るのは、貴族院議員議席を持っている者、つまり帝国の政治に参加できる権力者だ。当主は普通、夫人を同伴する。
今は社交シーズンではなく、当主の多くが領地に帰っているため、当主代理の出席も多い。ハーキュリーは代理を妹に任せ、従弟にエスコートを依頼してのんびりしているつもりだったのだが、思うところあって今日の出席となった。
公爵家は王族だから、もともと皇宮に部屋か宮を持っている。結婚して公爵位を賜っても、生まれながらのプリンスとプリンセスが皇宮内の住居を失うことはない。
侯爵家は、それぞれ客棟を与えられて何日か前から滞在している。
全員が馬車で来たら、馬と馬車が込み合ってどんな事故が起こらないとも限らない、というのが現実的でもあり、表向きの理由でもある。だが、貴族当主や継嗣が派閥を越えてダンスのためだけに集まるわけもない。そこここで貴族院では結論が出なかった政治課題についての折衝が繰り広げられているだろう。
当日に馬車で来るのは伯爵家だけだ。序列も決まっており、下位から序列通りに到着する。御者は必ず懐中時計を持っており、指定された時間通りに馬車寄せに到着するのが重要な仕事である。
先に馬車を降りたハーキュリーがシャーロットに相対して右手を差し伸べ妹の右手をとる。馬車から下ろし終えたら、くるりと身を翻して妹の右に寄り、取った手を左腕に乗せさせてエスコートの形をとる。このマナーの練習には苦労したものだ、恥ずかしがったらそこでアウトなのだから。もう十年も昔のことなのに、いまだに、アン、ドゥ、トロワ、という講師の声が蘇ってしまうほどだ。
舞踏会場に続く大扉で、侍従が招待状を差し出し、それを受け取った案内係が丁寧な礼をしてふたりを中扉へと導く。扉前の小ホールで、王宮侍従がシャーロットの儀礼剣を恭しく受け取る。
侍従と侍女はここで主の身なりを再確認し、主人から離れて控室へと向かう。
舞踏会場入り口で、皇宮侍従が張りのある声で入場者の名をコールする。
「レディ・モンテアルコン! ロード・カシアス!」
ふたりは、モンテアルコン伯爵家の子女であり、ハーキュリーは長男で公式にはカシアス子爵の名誉称号で呼ばれる。モンテアルコンは、ちょうど五十年前、もとのカイゼリア公国が皇帝に帰順した時に持っていた広大な領地の名である。
すでに入場していた伯爵家の人々がシャーロットを見て驚いている。だが、ふたりは全く動揺しない。
「まあ、どうなすったのでしょう。なぜ?」
「いえ、どうでしょう」
「り、り、凛々しいですわ~」
「え?」
「モンテアルコンの姫が騎士の訓練にご参加なっているというのは本当でしたのね」
「まさか」
「いえ、だって、騎士の礼服ですわよね?」
「ええ、確かに」
扇の下で次々に囁きが伝播していく。
壁際で警備の任に就いている侍従服に体を押し込んだ近衛兵も、すこし動揺しているようだ。
令和日本に生きていたハーキュリーにとって、男装も女装も見慣れたものだが、この世界では乗馬服はともあれ、パンツ姿の女性が舞踏会といえども皇帝の前に出るとは珍しい。
女性王族の警護として付き従う女性騎士であっても、そもそも騎士自身が貴族の娘でもあり、ドレス着用が普通だ。
扇の下の囁きは広がるばかりだが、入場口が変わって侯爵家のコールがあり、引き続き公爵家、音楽が変わると、皇帝陛下、皇后陛下が華やかに入場、皇太子殿下と皇女殿下が続いた。
皇帝の声が掛かり、最初のワルツを皇太子と妹皇女が華やかに踊る。成人したばかりの皇女は初々しく、緊張を見せながらも美しく踊り切った。
続いて公爵家の方々が踊り始め、その間に侯爵家から順に皇帝・皇后の御前に伺う。挨拶を終えた者から順次ダンスに参加、上位の者から次第にダンス・フロアを離れ、グラスを手に社交会話へと突入だ。
シャーロットがハーキュリーの左腕に右手を掛け、皇帝・皇后の前に進む。カーテシーを捧げると、さすがに一言掛けられた。
「シャーロット、本日は?」
「畏れながら、皇帝陛下に申し上げます。
本年は、カイゼリアが五十年前帝国にお受入れいただいた栄えある記念の年に当たりますれば、当家が婦女子に至るまで皇帝陛下にお仕えする決意を新たにいたしております」
「それは潔いことである」
皇帝も返す言葉がない。
皇后がこれを支えて、ハーキュリーに尋ねる。
「して、そなたは、カシアス卿。シャーロットは騎士の装いですが?」
ハーキュリーは舞踏会用の貴族男性の装いである。
「畏れながら、皇后陛下に申し上げます。妹が武力でお仕えするなら、わたくしはもちろん、知力でお仕えいたします。モンテアルコン家は、武力、知力共に皇帝陛下、皇后陛下に捧げております」
実際、ハーキュリーはセクション・アイに所属している。所属しているが、常に勤務しているわけではなく、状況によって呼び出されて事態に対応する。
貴族が務める名誉職、つまり無給の、地位に伴う義務だ。
アイは、アルファベットの i, インテリジェンス、情報セクションである。誰がアイに所属しているかそれ自体が情報であり、公開されない。公の場で口にすることはできないので、そこを突かれると、知っている者は一瞬ぐっと詰まることになる。
まあ、この兄妹に口で敵うものではない。日々ふたりで瞬間切り返し連続の舌戦を楽しんでいる、結果として洒落た言い返しの訓練を重ねているのと同じことだ。
いかにもテキトーな内容ではあるが、その場で直ちにとなるとヒジョーに反論しにくい。
あとで思い返しては、こうも言ってやればよかった、ああも言えたのに、と悔しさにハンカチを噛むも一興、今度どこかで違う奴に使ってやろうとしまい込むのも、又一興であろう。
挨拶を終えたふたりは、ダンスフロアに出て向かい合って軽く礼をした。ハーキュリーが差し出す左手にシャーロットが右手を預け、左肩に指を揃えた手を添えた。ハーキュリーは姿勢を正しく保って右手で妹の腰を引き寄せる。
膨らんだスカートがないので、ふたりのダンス・ステップがよくわかる。
ワルツは、男性が女性の膝脇あたりに自分の膝を添え、軽く押すようにしてリードする。だから、膝の位置が合うように、女性はパートナーの身長に合わせてハイヒールを履くことになる。だが、この双子の身長はほぼ同じで、ヒールは必要ない。
背の高い貴族女性がこの時代のヒットではないのも、このような事情が一因だろう。男性の方が女性より背が低いと、ワルツの時、男性の膝が女性の膝より下になり、うまくリードできないことになりがちだ。
ふたりのダンスは大きな歩幅で派手に行われている。ハーキュリーはリードがうまく、上手に他のペアを回避してシャーロットをくるりとまわす。シャーロットはゴワゴワとしたパニエとスカートがなくて動きやすい。いじわるっぽい笑みを浮かべて、兄の肩に当てた手を軽く背にずらし、回転の後に大きく後ろに身を反らしてパーフォーマンスを見せる。
白地に金のモール、いくつかの勲章も胸にある騎士礼服の女性パート。黒のディナージャケットの打ち合わせから銀糸織のベストを見せ、白のウイングカラー・シャツにベストと同じ色のクラバットでトライアングルをまとめた男性パート。
男性のウエア同士のワルツというだけでも目を見張るのに、男性パートは華麗に振り回し、女性パートは勘所で挑戦的に身を反らすのだから、少し開いた扇を口元に当てたまま目をそらせないでいる腐女子にとって、垂涎の映像だ。扇の後ろの囁き声はため息に変わっている。
前世日本人のハーキュリーの狙いは、ド嵌りだ。
楽団は、ワルツを終えると曲選を改める。カドリールのように輪を作って踊るものから、キャッスルダンス、タンゴのようにペアの技量と同調性で魅せるものまで、次々と音楽が変わっていくが、ふたりのダンスは、両陛下への挨拶を終えた者が“本日の参加証明”代わりに軽く踊るこのワルツだけだった。
色とりどりの華やかなドレスを纏った貴婦人に取り囲まれたシャーロットと、妹を見ながら笑いをこらえて口元をグラスで隠しているハーキュリーに話しかける若い貴族で、場は非常に盛り上がった。
ダンス曲は、楽団員に休憩を与えるために、間にチェロやチェンバロの独奏を挟みながらも、二時間近く続く。
タンゴを得意とする侯爵は、すでに夫人が「もはや、ついて行けません」という年齢となっているので、他家の夫人となっている娘が相手をして、競技ダンスのようなアクロバッティクな演技を見せる。これを楽しみにしている人も多く、行く先々で拍手と声援、口笛やブラボーの掛け声を受けながらフロアを隅から隅まで踊り抜く。
最後に皇帝と皇后が華やかに踊る。このおふたりのワルツは、皇后が右手を皇帝の肩に預けるだけで左手は扇を持ったままドレスを軽く引き上げるという難易度の高いスタイルだ。皇后の左手をとることができないので、皇帝は姿勢を変えるたびに右手の位置を変えながらサポートしたり、自分の腰に手を当てステップを踏んだりと、非常にテクニカルで表情豊かなダンスとなる。
ふたりが皇太子と皇太子妃だった時に意地の張り合いを続けながら作り上げたオリジナリティの高い振付で、その名も“比翼のワルツ”。ふたりの代名詞でもある。
このダンスに参加者全員が盛大な拍手を送り、締めとなる。
場は皇族と侯爵家の男性のためのブランディーとシガーという準政治的な空間へと移動する。
伯爵家の兄妹は、コルセットとハイヒールでダンスするという苦行を乗り越えた女性たちに紛れるように退出していった。
帰宅した兄妹は、着替えもしないで居間のソファに座り、ひたすら大受けしていた。
「いや、いや、さすが我が麗しの妹、シャーロット姫」
「いえいえ、おにいさま、まさかこんな反応になるとは思いもよらず」
「まあ、それはありかなとは思っていたがね、ここまでとは。ここの宮廷にも結構腐女子はいるのだね」
「ふじょし、ですか」
「毎度のことで前世の記憶だがね。
女性の一種の好みなんだよ。何というかね、男女の仲よりも、男性同士の組み合わせを好む傾向というかね」
「いや、いいです」
「そうだねぇ、何と説明するかねぇ。賢妃といって憚りなき美貌の妹なら知っておくべきかね」
「だから、いいです。 その説明は以前もお断りしましたし、たとえこの先があっても、ずーーっとお断りします」
「まま、それはそれとして。
恋は、男性と女性の組み合わせに発生するだろう?」
「それはそうですわ」
「神話にならよくあるがね、男性同士、女性同士という恋愛の組み合わせもあるのだよ」
「はあ、わたくしお断りしましたよね、おにいさま」
妹の意見を入れて言いたいことを我慢するような兄ではなかった。
その場から立ち去らないで話に付き合ってしまう妹も、貴重な存在と言えよう。
「そうだね、レスボス島を知っているかね」
「ええ。若い女性に捧げられたという恋愛詩で有名なサッフォーの出身地ですね」
「そうだ。 サッフォー自身は結婚して子も産んだのだ。だからまあ、詩を捧げただけかもしれん。だが、女性同士愛し合う関係をレスビアンというのは、ここから来ている。
男性同士愛し合う関係を、ゲイというんだ」
「ええーーー! 知りたくありませんー」
「まあ、あるあるなのだよ。特に、戦場においては昔から割と普通だった。
腐女子とか貴腐人とはね、自分の恋愛は二の次、男性同士の恋愛を観察するのが好きな女性をそう呼ぶことがあるのだよ。何というかねぇ」
「変わった趣味ですね」
「そうだねぇ、でも人の好みはそれぞれだよ。
いいのではないかね、別に誰の迷惑にもならぬ」
「わたくしが男装していたからということですね。 兄妹ですけどねぇ」
そう言いながら、思わず上着のポケットに手を突っ込んで天井を見上げる。
「まあ、そこがますますいいのだろうね。 禁断の兄弟ゲイ妄想とか、ファンにはたまらんだろう」
「あら、何かしら」
そう言いながら、シャーロットは何やら巻かれたテープのようなものをポケットから取り出した。
「うん?」
「これ、何かしら。 ポケットに何か入れた覚えはありませんけど。
あら、タルトのお店の宣伝かしら。 割引のお知らせ?」
「どれ、見せてごらん」
それは、紙テープのようなもので、筆記体で文章が綴ってあった。
Welcome to us! Order me Kidney Tart, from seven to eight, on seventeenth. Thank you, everyone!
歓迎します。17日、7から8の間に、キドニー・パイを注文してください。どなたさまもよろしく