3.キアサルディ
3日の午後、ハーキュリーがフロックコートにステッキを持ってシャーロットの居間のドアをノックした。
「おにいさま、お出かけですの?」
「シャーロット。我が愛しの妹よ。着替えたまえ」
「はあ」
「騎士服は大げさだ、パンツにシャツ、茶のベスト、走りやすい靴にしたまえ。髪はふたつの三つ編みにしてベージュのキャスケットに押し込むのだ」
「理由をお聞きしても?」
「せっかくだから張り込もう」
「今日は暗号の指定した日でしたね、確か。
それで? なぜに張り込み」
「面白そうじゃないか」
「まあ」
「美しきおにいさま、お暇なんですね」
「俺たち同じ顔だぞ、美しきといったら自分をほめていないか、ま、いいか、美しいのは事実だ。単なる知的好奇心」
「嘘をおっしゃいませ」
「そうか、ならいい。ひとりで行く」
「いえいえ、お待ちくださいませ、今すぐ着替えてまいります」
「素直になれ、妹よ」
わざわざ小机まで歩き、置いてあった扇を手に取ったシャーロットから、真空斜め斬り一閃。すばやくドアを盾にして躱すハーキュリー。 小学生?
ハーキュリーは散歩に出た貴族そのもの、シャーロットは主に付き添う従者の態を取っている。女性の服装がとにかく走るのに向いていないのだ。足首を見せてはいけないという基準があり、ドレスの長さは地面すれすれ。いざとなってもスカートをたくし上げて走ることも許されない。
だから男装である。
兄妹は伯爵家の馬車に乗り込み、キアサルディ植物園に来た。
エントランスでネームカードを提示し、引き換えに番号を書いたカードをもらう。
植物園は、伯爵家の持ち物で、税金対策で公開するようになった。かなり広いので閉園時に全員が退出したことを確認するために番号カードを使っている。
ネームカードと引き換えということは、平民は単独では入園することができないということを意味している。
「おにいさま、わたくしこの植物園は初めてではありませんが、このような場所もあったのですね」
植物園は、帝都としてはいわゆる“城壁外”ではあるが、かなりの面積を有している。
「あら、あそこの池、ウオーターリリー(睡蓮)でしょうか。変わった風情ですわね」
「そうだね、小さな橋が掛けてあって、柳が水面垂れ下がるように植えてある。東洋趣味だね。
ここはもともとキッツロイ公の領地だったのだよ」
「キッツロイといいますと、もと亡命王族の?」
「そうだね、歴史の復習だ、論じてみたまえ」
「え? まあいいですけど。
帝紀500年代、現在イリアス連合国となっているミクリア半島は、諸都市が覇権を争う不安定な場所であった。520年頃、半島を統一する王家が現れ、一時統一国家が成立した。南の海洋連合の盟主と北の農業と商業を得意とする通商都市連合それぞれの代表の結婚という形でなんとか国家としてまとまった形であった。
だが、不安定さは疑うべくもなく、20年ほどで崩壊。王家は離散、南はもとの海洋連合に戻ったが、北は合従連衡を繰り返す都市群となった。
こんな感じでよろしい?」
「キアサルディは、その王家の内の、北の代表だった家だな」
「ああ、なるほど。
たしか、王子殿下が我が帝国に亡命しておいでになったのでしたね。その方が、皇女ライラック殿下の心を射止めて、帝室に入られたのでした」
「まあ、紆余曲折を端折ればそんなところだ」
「で? ここをもらった?」
「いや、さすがにそれはない。そんなことをすれば、帝国内に通商都市連合の拠点を作ることになって、下手をすれば南の海洋連合と戦争になっただろうね」
「そうでしょうねぇ」
「キッツロイ公爵はもともとロマン・キアサルディと申しあげた。それを、帝国風にロマンス・キッツロイとお改めになった」
「そうでしたか」
「ライラック殿下が、思いがけずアウロラ帝となられた。それで、キッツロイ公は再び名を改め、アスラン公爵となられた。女帝の夫が伝統的に賜る公爵位だな」
「なるほど。夜明け (ラテン語)の女帝に暁 (ヘブライ語)の公爵ですか、なかなか凝っていますね」
「まあな、誰の趣味かは知らん。
アウロラ女帝が先にお亡くなりになったので、皇女だった時からのご領地であったこの場所を隠居所となされたということだな」
「長いご説明、どうも」
「いやいや、ごく一般的な知識だよ、君」
「そうですね」
シャーロットはまだ怒りを抑えられている。言った者勝ちだから、知ったかくらい当然の事ですというふりをしている。一瞬頭に血が上るのを抑えるのもレディ、レディ。
「結局、アウロラ女帝とアスラン公の次男か三男の子孫が現在はキッツロイ伯爵だということでいいですね」
「そうだ」
「で、税金対策で広大な庭園の一部を植物園にして開放している、と」
「間違いない」
「どうも~~」
シャーロットとハーキュリーは2時半に入場して、美しく整えられた小路を楽しく歩いた。約束の時間が5時だといっても、どこで会うかまではわかっていない。手がかりは副学長エレイン・マイヤーの姿だけだ。だから、まあ、ふたりはとりあえず散歩を楽しみ、見つけられたらいいなぁ、という程度にしか考えていなかった次第だ。
仲のいい兄妹なのである。
4時を若干過ぎ、兄妹は植物園の出口に到着した。
退場は、入場口からもできるが、西に出口があってそちらから出ても構わない。
入り口で渡されたカードを、「サンキュー・サー」と言いながら軽く腰を折って受け取る男性に手渡したハーキュリーが、おや、という顔をした。
「どうなさいました、おにいさま?」
「いや、何でもない。
それより、妹よ、あそこに見えるティールームで休憩して英気を養ってから帰宅しようではないか。かなり歩いたから、お茶とサンドイッチなどどうだろう」
「まあ、おにいさま、もちろんですわ。紳士でいらっしゃる」
「うむ、気にするな、生まれながら紳士だからな」
「そりゃまあ。伯爵家の長男ですもの、紳士に決まっておりますわ。その意味ではわたくしだって淑女に決まっておりますけど」
「言葉通りなら嘘はないが、言葉の意味としてはどうだろうなぁ」
「まあ、お言葉そのままお返しいたします、御長男サマ」
「ふん!」 *このセリフは、ふんの、ふ にアクセントを置いて、鼻から抜けるような感じで読んでくださいませ。気取った雰囲気でどうぞ~*
なんか痛いところを突っつき合っているらしい?
西出口から植物園を出たふたりは、ティールームになっている建物を見あげた。
そこには、煌々と看板がかかっていた。
キアサルディ




