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15.植民地への使者

 雪が道を閉ざす前にハーキュリーは領城に帰り、妻を愛でながら出産の日を待った。交代で伯爵夫妻が帝都屋敷に行った。屋敷で初孫誕生の知らせを受け、屋敷に勤める全員に祝儀を出し、丸一日の休暇を与えた。警備の騎士と兵は残っているものの、屋敷内は空っぽになっていた。


「無事に出産が終わってようございましたね」

 伯爵夫人は誰もいない厨房で、残してもらっていた炭火に薪を加えて火を搔立てていた。何をしているのかと厨房を覗く夫を振り向く。

「ああ、お茶かね、ありがとう。大変だろう、俺がやろうか」

「ええ、お願いします、やはり火を扱うのは苦手ですわ。野営慣れしている方にお任せする方が安全ですわね」


 夫人は居間に戻り、夫が淹れてくれたお茶で喉を潤す。

「男子だったそうではありませんか。ハリーの得意顔が見えるようですわ。次は次男だとか吠えていそうです」

「ああ、まあ、よいではないか。子は乳母に任せて、ミリーには早く回復してもらおう。帝都屋敷までの道のりに子はまだ幼すぎるから、しばらく俺たちが預かることになるだろう。

 ハリーがマウントサンデン卿の補佐を承った以上、領城に構えてハリーの長男を護る役目を果たす」

「はい。こちらは、ハリーとミリー夫婦、これにシャロとロバートが加われば、そう間違いはないでしょう」


「それにしても孫か、よかったな、おまえも嬉しかろう、ロマリア」

「ええ、ネイタン。曾孫を得ましたよと、おとうさまの墓所にご報告しませんと」

「ああ、そうだな。 天国で大笑いするだろう、家人けにんに囲まれてな」

「ええ、シャロもお子を宿しております、よい年になりそうですね、ネイタン」

「そうだといいがね」


「え? 何かありまして?」

「うむ」

 夫婦の他には誰もいないという、伯爵家の屋敷内としては珍しい状態だったが、伯爵は静かにドアに近寄り何歩か廊下を歩いて人がいないことを確認した。


「皇太子の閨指南が、植民地で熱病を発した」

「え? 植民地に連れて行っていたのですか?」

「ああ、あの恥知らずが。侍女服を着せて船に乗せたのだ」

「まあ! ハリーやロバートじゃないですけど、新婚旅行気取りじゃないですか!

 婚約者のある身で、何という恥さらしな」


「マウントサンデン卿が、陛下のご指示で皇太子へお諌めのふみを持っておいでになることになった」

「まあ、卿が」

「卿の仕事ではあるが、我が家も無関係とはいえぬ。

 場合によっては難しいことになるやもしれぬ」

「はい」


「これは、卿からシャロを経て、ハリーへという手の込んだ伝言だったのだがな、決っして口を滑らすなよ、よいか」

「もちろんです」

「帝室は皇太子に、植民地にいる間に、HaywardかHarmitか選択せよと突き付けるそうだ」

「ヘイワードはわかりますわ、皇太子の地位に付随している領地ですし。Prince of Haywardは、皇太子の代名詞ですもの。ですが、ハーミットとは?」

「隠者のことだよ。 子爵未亡人を諦めきれないなら、皇太子位を退いて帝位とは無関係になれということだ。おそらくそのまま植民地で未亡人と暮らしてよいという意味を含んでいるだろう。侯爵閣下は、その決定を皇太子に突き付ける役割を果たされる。

 皇太子の激昂は免れられまい。おそらく、帰国なさって後、引退という運びになるだろうね」



「まあ、それはまた。皇太子殿下ももう少しなんとかお考えになれないものでしょうか」

「ロマリア、そうではない」

「はい?」


「これは、臣下と皇帝の在り方の問題だ」

「とおっしゃいますと?」


「うむ、そうだな。

 ロマリア、ちと想像力を働かせてもらおう。領主夫人としていつも領民の事情を考えながら奉公人を差配しているそなたならわかるだろう」

「ええ、どうぞ。 考えてみましょう」


「仮にだ、よいな、仮に。怒るなよ。

 そなたがハリーとシャロを産んだ頃を思い出してほしい。

 俺がミリーの父と同じように領境で戦死したとする。

 喪が明けたころ、マウントサンデンの身分ではありえないが、帝室から使いが来て、皇太子の閨指南として指名を受けたと思え。

 睨むな、閨指南のお役目は直臣の未亡人が指名されるのだ、おまえには回ってこぬ」

「はぁ、つまり、子爵未亡人と同じ立場に置かれたと、仮に考えてみよ、ということですね」

「そうだ。

 閨指南が終わり、奥宮で月の障りの確認がある。そして、ようやくお役目を無事終え、帰ろうとする」

「ええ」

「ああ、これで帰れると安心するであろう?」

「ええ、もちろんです。ハリーとシャロが母を待っております」

「そうだ、そのために子のある未亡人が選ばれるのだ」

「なるほど、そうでしたか」


「この状態で、皇太子が、帰らないでくれ、あと3日でいいから奥宮に残ってくれ、と縋り付くように言ってきた。 想像だぞ、想像するだけだ」

「ええ」


「そなたならどうする、ロマリア」

「とりあえず、一発殴りますわ。

 娘と息子が母を待っています。私は仕事を終えました、ここから出て行ってください、ですね」

「それでも縋ってきたら」

「あなたはバカですか、私は契約によって教師を務め、契約内容を履行しました。あなたはよい生徒でした。よい生徒と教師の間にあるのは子弟の情であって、愛でも何でもありません」

「だろうよな、それがまっとうな臣下というものだ。

 男が教師役に情を抱いた場合は、甘い時間の後の別れとはどういうものなのか教える、それが閨指南の最後で最重要の仕事だ」」


「わかったような気がしますわ。

 今の皇太子と未亡人の関係は、どちらかがいいとか悪いとか、周囲の者たちがどうだとか、そういう問題ではないのですね」


「そうだ、それは皇帝と臣下の間にあってはならない情なのだ。

 皇太子はたかが愛欲で我を通し、父を失い今現在母から引き離されている忠実な家臣が残した娘の幸せを奪っている己の醜悪さに気付かなくてはならない」


「我が息子を引き合いに出すのはどうかとも思うが、ハリーはミリセントへの思いを封じて、ダウンズ子爵家が婿を迎えるのをただ見ていた。城から去る時に挨拶に来たミリセントに微笑みかけ、幸せになりなさいと声を掛けた。どれほど歯を喰いしばり、嗚咽をこらえたかは誰にもわからぬ。だが、ハリーはやり遂げた。

 その心を神が嘉し給うたというのは不遜であろう、だが、3年耐え、領民の人間関係を大切にしている領主夫人をすら論破し、遂に妻として迎えることができた。

 カイゼリアの子に耐えられて、皇太子には耐えられぬとは言わせない。まして、皇太子に求められているのはさらに酷なものだ」


「そうですか、わたくしはハリーをわかっていなかったのですね」

「いや、当主と夫人はわかるべきものが違う。ハリーとて、母に悟られるのが一番苦しかったのだ」

「そうですか、そうでしょうね、あのバカ息子」

「泣くな、ロマリア。ハリーは領主の後継ぎとして筋を通したのだ」

「ええ」


「皇太子たる者は、ここで崩れてはならないのだ。皇帝の子として生まれた者が果たすべき義務は多岐にわたる。臣下の信頼なしには、その多くを遂行することができない。

 もう一歩踏み込もう。自分が死んだ後、自分の子が母である妻から引き離されて泣き、妻は皇帝の愛妾になるとすれば、そのような皇帝に忠誠を、まして命を捧げる男がいると思うか」


「……おっしゃる通りですわ」


「ネイタン、子爵夫人の娘の名を聞いておきましょう。娘は母と皇太子の行いで、将来社交界で苦労するかもしれません、陰からそっと助けてあげられる日も来るかもしれません」

「ああ、そうだな。 名はフィリッパ・ケッペルである。 年齢は3歳だ、社交界デビューまで早くて13年だな、覚えていてやるといい」

「ええ。 神の慈愛がフィリッパの上にありますように」




 皇都は早春、カイゼリアにも間もなく雪解けの時期が来る。

 暖炉の前ではハーキュリーがミリセントの肩に左手を回し、胸に抱かれている息子の頬を右手でちょんちょんとつついて微笑む。そして、妻の頬に軽くキスする。

 マウントサンデン屋敷では、ロバートがシャーロットの目立ち始めたおなかにそっと手を当て、今動いたかもしれないと頬を緩めている。

 モンテアルコンの帝都屋敷では、ネイタンが台所でやかんをかまどに掛け、妻に軽食を用意し始めたところだ。





 初夏、マウントサンデン侯爵は喪服を纏って皇都に帰り着いた。船には、皇太子の遺体が納められた棺があった。

 棺は皇宮騎士によって悲しみとともに皇宮に運ばれ、皇帝、皇后、皇女、マルグリット姫の涙に迎えられた。


 公の発表によれば:

「皇太子殿下は、植民地で熱病におかされ、民とマルグリット姫を案じながら闘病なされ、医師と看護人は力をつくしたが及ばず、力尽きてお亡くなりになった」


 マウントサンデン閣下は自らの無力を嘆き、皇太子の喪の期間が開けるとともに侯爵位を嗣子ロバートに譲り、シャーロットは侯爵夫人となった。

 新侯爵となったロバートは、侯爵位とともにアイを引き継ぎハーキュリーを主席補佐に任じた。

 次に大きな功績を上げた時、モンテアルコン伯爵家は、侯爵家に任じられるのではないか、とアイ内部では大方の推測がまとまっている。





   Pippa Passes           ピッパの歌


 The year’s at the spring       季節は春よ

  And day’s at the morn;       今は早朝、

   Morning’s at seven;         時刻は7時ね 

    The hill-side’s dew-pearled.     丘にこごる朝露は真珠のようね

 The lark’s on the wing;       揚げ雲雀が恋鳴きしながら翔けていくわ

  The snail’s on the thorn;      かたつむりが棘の上を這っているわ

   God’s in His heaven-        神さまは天においでで

    All’s right with the world!      何もかも正しく行われるわ!







 Thank you for reading, Granite 


揚げひばりは、ひばりのフライじゃなくて、春先に急上昇しながら独特の鳴き声を上げてメスを呼んでいるひばりです~


作者は、ロバート・ブラウニング、1841年

上田敏氏の名訳で知られていて、一般に、「世の平安」を歌っているとされてきたようです


これはいわゆる劇中歌で、ピッパという少女が、前夜殺人があった家の前を通りこの詩を歌います。タイトルは“ピッパが通る”

この歌を耳にした犯人が後悔して自殺する流れです。この流れからして、平安を歌うというのは違うのではないかという意見もあるようですし、純粋な少女が神を信じて歌うからこそ反省する人が出るわけで、平安を歌っているのでいいのだ、という反論もあるようです



作品中の訳は、倉名です

ピッパの歌なので、女の子の言葉で訳しました。最後の2行は、日本人の心情的にはこういう理解もありかな、というところです、天網恢恢疎にして漏らさず、的な?

擬似イギリスを舞台にしましたので、アイロニーは重要な要素だよね、と最後はこの詩にしました


お読みいただき、ありがとうございました

倉名依都



追記:

皇太子は何を選択したか、結論を付け加えました

棺は蓋を開けることができません。植民地は暑い場所にある上に帰るのに時間がかかっていますので、塩を詰め込んでいても中身は痛ましいことになっているに違いないからです

お読みになった方々、中身は本当は何なのか、だれなのか、ご想像なさって楽しんでくださいませ

もちろん、皇太子であっても問題ありません(wink)

2024年12月9日

倉名依都










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