10.帰郷、カイゼリア城への旅
思わぬ質問に驚いたシャーロットは、機嫌を損ねるより前にあっけにとられて兄の顔を穴が開くほど見つめていた。これは兄の質の悪い冗談なのか、ある程度は本気なのか。
「シャーロット、嫌かね、ロバートは」
「おにいさま、本気ですの?」
「だいたい」
「大体って、なんですのー」
「説明しよう。
昨日、私たちは遠回しにではあるが、呼び出されたのだと思う」
「そうですの?」
「マウントサンデン卿がわざわざ私たちのところまで、お茶まで持って話しにやってきた」
「そう言われてみれば、そうかもしれません」
「ピーコックという店の話をしたが」
「え? 兄上への褒賞のお話ではなかったのですか?」
「それは口実だ。あそこでしなくても構わない話だろう?」
「まあ、そうですね」
「ピーコックという店の話をしたが、候が誘うからその時に行こう、つまり、それまで行くなとおっしゃった」
「それって、アイの標準の理解ですの?」
「そういう訳でもないが、全体としてはそう考えていいだろう」
「そうですか、よくわかりませんが」
「皇太子だよ」
「え?」
「皇太子の婚約者が決まったのだ」
「まさか」
「いや、君ではない。国内にはもう候補は見当たらないから、国外からお呼びしたのだ。ロバートがエスコートしていた女性だろうね」
「あの、明るい青銅色のドレスのかわいらしい方ですか?」
「あのドレスの色は、ピーコック・グリーンと言うのだ」
「あら、そうですの、わかりかけてきましたわ。
でも兄上、皇太子の婚約者が決まったことと、私たちが父上と交代することにどんな関係があるのですか?」
「これは今の時点での精一杯の推定だが、いいかね。
おそらく、マウントサンデン卿は、皇太子ご成婚の後何らかの責任をとって引退なさるだろう。だから、ロバートが領地から来て、仕事を引き継ごうとしている。
ロバートだけではアイの統率が難しい。これも推定だが、アイに所属している私を補佐にしようとしているのだろう。だからこそ、貿易利益の一部を褒賞とした。だが、それだけでは信頼できないと考えている。何しろ、私は旧カイゼリア公王の孫で、再び独立する日が来るとすれば、公王だからね」
「はい、確かに」
「だからだよ、君をロバートの妻に迎え、私の立場を固めると同時に、君を保証人にとるのだ」
「ああ、なるほど」
「“なるほど”でいいのかい? 人質のようなものだよ」
「いえ、全然。全く気になりませんわ。むしろ積極的に嫁になってもよろしいです」
「なんと。 家のためとか兄のためとかじゃないだろうね」
「いいえ、違います。そのくらいでちょうどいいのです。
侯爵家も人質紛いのわたくしを裏切ることができません。わたくしに恥をかかせて、兄上を怒らせ、反旗を翻させるようなことはできないということです」
「確かにそうではあるが」
「そんなこと気にしていては、公王の孫娘は務まりませんわ、おにいさま。
自由時間はおしまいです。淑女の務めを果たします」
「そうか、潔いね」
「別に大したことはありません、苦でもありませんのよ。皇太子妃より数段マシな未来ですわ」
「ふーむ、ものは考え様ということかね」
翌朝、「後継ぎさまと姫君が領地にお帰りあそばす」と朝礼の場で正式に告げられ、奉公人は荷づくりを始めた。期間は短くとも冬を越えるまでとのことで、トランクの数も増える。
出発を前にふたりはあわただしい時間を過ごした。
シャーロットはロッテン学園のエレイン・マイヤー副学長に事情を話し、短い間ですが大変お世話になりまして、と挨拶に行った。こちらで顔見知りになった女性たちにも事情を知らせる文を出した。
ハーキュリーは、アイに挨拶に行き、次の社交シーズンまで父と交代です、と朗らかに告げる。そしてマウントサンデン卿に面会を求めた。
「卿、領地に妻を探しにまいります」
「あ、そう。それはいいね」
「はい、こちらの令嬢たちのように洗練されてはおりませんでしょうが」
「いやいや、シャーロット姫を見ていればわかるよ、厳しく仕込まれているのではないかね」
「帝都の基準には足らぬと思いますが。
ただ、カイゼリアからの伝統がありまして、奉公人の差配は、都の姫君にはちと難しかろうと思います。古くからのしきたりは、ただ馴染むまでにも10年ほどはかかりましょう。領城に連れ帰って辛い思いをさせるよりも、生まれながらに領に馴染んで育った娘が都に慣れる方がよいでしょう」
「そうか、そうであろうの。
姫君たちが、都一の嫁入り先候補を失って枕を濡らすだろうね」
「いえいえ、都一の嫁入り先と言えば、ロバートではありませんか」
「ああ、そういう者もいたねぇ、あれはどうするのだろうねえ」
「より取り見取りではありませんか」
「そうだろうかねえ。君の所の美しい姫君はどうだろうね」
「さて、わが妹は皇太子をお断りするほどの勇者。女性騎士にでもなるのではないでしょうか」
「戦える女性はいいね。美しい乙女ならどれほどでもいるがね、当主が病に伏していても、兵を率いて出征できるほどの女性は得難いものだよ。 そうだね、ロバートに勧めてみようか」
「仮にそのようなことになりますと、わたくしはロバートと義理の兄弟ですか。
我が家には少々重荷のようで」
「そうかね? モンテアルコン家なら軽々と背負っていくのではないかね」
「それは過大評価にございましょう、閣下」
*****
貴族語の翻訳~
「君の妹、うちのせがれの嫁にもらいたいんだけど、いいよね」
「妹は、淑女というより女傑ですからね、侯爵家の嫁にはふさわしくないでしょう」
「問題ないよ。逆にいいのじゃないかね。ロバートは既に承知しているよ」
「私がロバートの義弟になりますけど?」
「ノープロだとも、大歓迎さ」
*****
領城への旅が始まる。
馬車はカイゼリア騎士団副団長が先導、続く黒塗り、家紋入りのコーチ(四頭立て馬車)には、シャーロットと身の回りの世話をするドロシー、ハーキュリーと侍従のロイが乗る。その後ろに警護の騎馬騎士がひとり。一時帰郷する4人の奉公人が乗り、荷を乗せたキャリッジ(大型の4頭立て馬車)が続く。
帝都の汽車駅は、中心部からは少し離れた場所にある。汽車は煙を吐くので貴族街には適さない。
駅では、奉公人が力を合わせて革製の旅行用トランクを汽車に運び込む。汽車は、煤煙の関係で前の車両が貨車、次に荷物用車両、2等席、1等指定席、貴族用コンパートメントとなる。トランク類はまとめて積み上げられ、伯爵家の印が入ったネットで覆われる。
汽笛とともに、列車は都を離れた。
アービンまでは6時間ほど。途中駅で水や石炭を補充する必要があるので、現在では考えられないほど時間がかかる。ただ、馬車でずっと旅をすることを考えれば時間も安全性も遥かに勝っている。
アービンは、河沿いの町だ。周囲には麦畑とりんご農園が広がっている。ここからは船も出るし、馬車道も通っていて、少なからぬ貴族が帝都との中継点として利用している。
兄妹は、駅前広場から通り一本入ったところのホテルで父伯爵の到着を待つ。このホテルは、モンテアルコン家の資本が入っている御用ホテルだ。もちろん、アービンを使う他の貴族も各ホテルに積極的に資本投下している。
父伯爵がアービンにたどり着くまでの3日、ふたりは恒例の掛け合いを楽しみながら過ごしたが、慎重にふるまい外出は控えていた。
シャーロットはほぼマウントサンデン侯爵夫人に決まったようなもので、危険は犯せない。
ハーキュリーはおそらくこの先、ロバートを補佐してアイを統率する役目に就き、いずれ何らかの功績を被せられて侯爵に任じられるだろうから、こちらも慎重第一だ。
おそらくアイからの見張りも付いているだろう。この期間はいわば身辺が潔白であり、独立を企ててはいないし、外国と連絡もしていないということをアイに、つまり皇帝をトップとする統治組織に対して証立てるための”間を置く“時間だからだ。帝国がこれから統治の中心部へと招き入れようとしている旧カイゼリア公王の孫ふたりだ。厳しく監視されるのは当然だ。
「おとうさま、この度はお世話をおかけします」
「父上、お疲れさまでした、ありがとうございます」
たどり着いたモンテアルコン伯爵は、いささかくたびれていた。突然、領地の差配を、夫人を中継ぎにして息子に渡すことになったため、細かい確認作業に時間がかかり、馬車での旅は野営になったのだ。
「ああ、ぜひ労わってくれ、シャロ、強行軍だったぞ」
「はい、ありがとうございます」
「まあよい、仕方がなかろう。着替えて軽く食事をしてくるゆえ、事情を詳しく話してもらうぞ」
「もちろんです、父上、お待ちしています」
事情を聞かされ、さらに事細かく質問を繰り返したのち、伯爵はため息をついて受け入れることになったのだった。
「そうか、仕方がないのぉ。ハリー、おまえが優秀すぎるのか?」
「いえ、偶然です」
「そうか。では、シャロ、おまえが美しすぎるのだろうな」
「まあ、おとうさま、そのような本当のことを。 ですが、理由はそれではありません」
「ああ、わかっている。たまには娘をほめてもいいだろう」
「それはまあ。嬉しいですと申し上げておきます」
「はあ、それにしてもなあ、静かな老後を送れるとばかり思っていたが」
「諦めてください、父上。カイゼリア公国の復活を疑われるようなことにでもなれば、いいことはひとつもありません」
「その通りだ」
次の朝、兄妹は帰りの馬車で領城へと、伯爵は昼過ぎの汽車で帝都へと、それぞれの役割を果たすべく場所を取り換えた。
領城までは、馬車で3日の距離だ。ここまでくれば急ぐ必要がないので、ゆっくりと馬車を走らせながら領城ですべきことを話し合い、宿では、ふたりでこの先の状況の見込みを予想し合い、対策を練っていった。
領地に入ると、馬車道は格段に良くなる。縦に長い石材が敷かれていて、馬車の揺れが少ない。
カイゼリアは、帝国に帰順するときにいくつかの厳しい条件を受け入れていた。そのひとつが、旧国境にある砦の解体だった。それはやむを得ないものだったが、双子の祖父は老獪な政治家だったから、対策も考え尽していた。
公王は、砦を解体しながら、その石材を使って国境線から城まで新しく馬車道を建造したのだった。だから、敷石として使われているのはもとの国境防衛用砦に使われていた大きな石材だ。正直に言って、道を造るのには適していない。敷石にするためには地面を深く掘らなければならないからだ。
公王は、笑ってこう言ったものである。
「再び敵国となるとき、石材を山から切り出す必要がなくてあっという間に砦ができるぞ。
遠い方から順に掘り起こして、石の道を運べばいいのだからの、わはは、百年の計だ、帝国が滅びる日が楽しみよのぉ」
二輌の馬車は、ガラガラと車輪の音を立てながら領城にたどり着いた。
「おかえりなさいませ」
奉公人が喜びを顔に表して、後継ぎのハーキュリーと、美しき姫君であるシャーロットを出迎える。
「おかえり、ふたりとも。疲れたでしょう。
さあ、部屋に帰って着替えていらっしゃい」
母、伯爵夫人が両手で息子の手を取って歓迎、ハーキュリーは母を抱き寄せる。
次に娘を抱き寄せ、シャーロットは母に頬をよせて、久しぶりに母の甘い香水の香りを胸に吸い込む。
帰ってきたのね。そして次に出ていくときは花嫁になるためかもしれないのね。シャーロットは少しだけ感傷的な気持ちを味わっていた。
「ただいま、みんな。 冬の間はこちらにとどまる。よろしくたのむ」
シャーロットが微笑みを添える。
並んで待っていた奉公人が一斉に礼をする。




